第二章9
駅についたところで、和哉の携帯が音楽を鳴らした。
「……あ」
その音楽を聞いて、思わず声を漏らしていた。
だってそれは【魔法少女マジカルドリル】の主題歌だったから。
もともとはタレントだった女性が歌っている歌で、アニメ放送が数年前であるにもかかわらず、今でも人気があるものだった。
アニメを見ない人にもある程度の認知度がある。カラオケでも歌う人が多いらしい。
春香も好きな歌だ。
それが和哉の携帯から流れてくるとは、春香は思っていなかった。
だから少しだけ驚いてしまった。
そんな春香の横で和哉が携帯の画面を覗く。
「姉貴から電話だ」
どうやら着信音だったらしい。
彼は「悪い」と言って通話に出ると、そのまま少し離れた柱の方へと歩いていった。
その背中を見つめながら、少しだけ興奮していた。
もしかして、和哉もマジドリが好きなのだろうか。
アニメを見るようには見えないから、ただ歌が好きなだけかもしれない。
だけどもしも春香と同じマジドリのファンだとしたら、その話ができるかもしれない。
今まで誰かにマジドリが好きだと言えなかった。男みたいだと言われたくなかったから。
それでもずっと誰かとマジドリについて語りたかった。それは無理なことだと諦めていた。
けれど、和哉なら春香の男っぽい趣味をおかしいとは言わない。だから和哉となら話せると思った。
やがて通話を終えたらしい和哉が、ソワソワしている春香の方へと戻ってくる。
「悪い。姉貴が――、」
「あのさ!」
「ど、どうした」
和哉が珍しく驚いて表情を浮かべたけれど、春香は気にせず口を開く。
「着信音、マジドリの主題歌だったけど、好きなのか? マジドリ」
「マジドリ? 好きだけど。……葛木も好きなのか?」
「ああ! 大好きだ!」
「そ、そうか」
「面白いよな! というか熱いよな! お前はどこのシーンが一番好きだ? 俺はな、やっぱり最終回かな。あの主題歌が流れるとこ! いやあれは激熱だよな。あの合体技なんだよやっぱ」
「急にテンションが高くなったな……。だけどわかるよ。僕も最終回のそのシーンは好きだ」
「わかるか! いいよな! あとはあれだ、セリフ! 二人で言うやつ!」
春香は拳を握って右腕を天に衝き上げる。それから口を開く。
「魔法少女はオレたちの心だ!」
それはアニメ版マジドリの最終回終盤、ラスボス戦で主人公の一人である【ナツキ】が放ったセリフ。
このあとにもう一人の主人公【アキハ】のセリフが続く。彼らのそのセリフはファンの間で大人気だった。
「ドリルはわたしたちの愛だ!」
その例に漏れず和哉も好きなセリフだったようで、彼はアキハのセリフを口にした。
冷静な普段よりほんの少しテンションが高い。珍しかった。
春香がニヤリと笑うと、和哉も同じように笑った。そして息を揃えるように吸うと、揃って口を開く。
「「負けるわけがない!」」
それはナツキとアキハが同時に叫んだ言葉。クライマックスの中で最高に盛り上がる瞬間だった。
そしてセリフはそこで終わらない。そこから作品史上最大の必殺技を繰り出す。
「「必殺! 【大宇宙マジカルドリルビッグバン】!」」
「これが最高なんだよな! 最初の必殺技【爆裂マジカルドリルクラッシュ】の巨大版っていうのがまた」
「そうだよな。僕もあれは柄にもなく興奮した。スタッフはわかっていると思った」
「わかる!」
そこから春香と和哉はマジドリについて語り合った。
好きなキャラ、好きなセリフ。他の好きなシーン。和哉と一緒に語り合える。春香にとってそれはすごく楽しい時間だった。
そうか、と春香は思った。
いつか里中凛は『好きなことを好きって言えるって、すごく幸せなことなんだよ』と言っていた。その言葉の意味がようやくわかった。
確かにその通りだった。
今、春香はとても幸せだと感じていた。
嬉しかった。その気持ちが今まで溜め込んでいた好きという感情を解き放つように、熱い思いを語り続けた。
周りのことなんて気にならなかった。というよりも、春香はそのことをすっかりと忘れていた。
他人の目など気にしない。それは春香にとっては久し振りの感覚だった。
「……それにしても、葛木もああいうアニメが好きだったとは思わなかった」
「俺もだ。一ノ瀬も好きだったなんて」
「そういえば、もうすぐ劇場版がやるよな」
「ああ! 俺、すっげえ楽しみでさ……。お前ももちろん観に行くよな?」
「そのつもりだ。……そうだ」
何かを思いついたような表情で和哉はじっと春香を見つめてきた。
春香は不思議に思って小首を傾げる。和哉はいったい何を思いついたのだろうか。
やがて和哉は口を開いた。
「どうせなら一緒に観に行くのはどうだ?」
「……観に行くって何を?」
「映画だよ。劇場版魔法少女マジカルドリルだ」
「……一ノ瀬と、一緒に?」
「そうだ」
「で、でも倉持くんと行かないのか?」
「もちろん裕樹とも行く。だけど僕は何度か観る予定だから問題はない。裕樹は何度も行くようなタイプでもないし」
「そっか……、」
「何か行けない理由でもあるのか?」
「いや、そういうんじゃねえけど」
ただ、男と映画を観に行くという行為が久し振りで。それこそ小学生以来であったから、少し躊躇してしまっていたのだ。
春香としては当然行きたいという思いのほうが強い。
けれど、自分でも説明しようがない、小さな不安を感じたのだ。
その正体が自分でもわからない。
「ほら、俺と映画館行ったことが誰かに知られたら勘違いされるかもしれないだろ。そうなったら倉持くんに悪いし……、」
「どうせまた顔を隠して行くんだろう? 男同士だと思われるさ。勘違いするやつなんていない。それに前みたいなことがあっても僕が助ける」
前みたいなこととは、きっと春香の秘密がバレそうになったあの街中でのことだろう。
また助けてくれるのならそれは助かるし、とてもありがたかった。
けれど。
「それはそれで倉持くんに勘違いされるんじゃ……、」
「僕は同性愛者だが、同性で恋愛感情を感じるのは裕樹だけだ。それは裕樹だってわかっているし、あいつは束縛するようなタイプじゃない。問題はない」
「け、けどよ」
「そこまで行きたくないのか?」
「行けたいよ、行きたい……。行きたいとは思ってる」
「ならどうして?」
「それは……、」
春香は俯いてしまう。和哉の顔を見ていることができなかった。
「……僕たちは友だちだろう。何を遠慮しているんだ?」
「……とも、だち」
「それとも僕だけが友だちと思っていたのか?」
「……、」
きっと、それが不安だったのだ。
もう男友だちなんて作らないと決めていた。男と女は別物で、同性同士の友だちみたいな関係にはなれないと思っていたからだ。
それはきっと正しい。なぜなら春香は女として男と友だちにならないといけなかったから。
自分を隠しているのだから当然だ。
それが辛かった。
仲良くなっても女としてか見てくれない。男ではないからと、どこかで線引きされる。決して対等にはなれない。
それを感じることが辛かった。男とあまり関わらないようにしていたのはそのためだ。
和哉とも同じだと勘違いしていた。だから仲良くなって辛くなるのが怖かったのだ。
だけど違った。
ついさっき答えは出ていたというのに、わかっていなかった。
和哉は春香の秘密を知っている。
女だと思っていないことはさすがに言えないけれど、男っぽい口調や態度をとることはできる相手だ。それが理由でマジドリが好きだと言えた。
それなら同性に近い形で友だちにもなれるはずだ。対等に近い関係を作れるはずだ。
自分を隠さないで済むのだから。
「……俺とは、協力関係なんじゃなかったのか?」
「最初はな。だけど今は違う。互いに何も知らなかったあの頃とは違う。……そうだろう?」
「……そうかもしれねえな」
「だから僕たちは友だちだと言ってもいいはずだ」
「……そうだな、うん。俺たちは友だちだ。だからさ」
俯いていた顔を上げて、春香は真っ直ぐに和哉の瞳を見つめた。
「映画、一緒に行ってくれるか?」
すると和哉は笑って。
「もちろんだ」
そう、答えてくれた。
そんな和哉を見て、春香は思った。もっと和哉と仲良くなりたい、と。
そのために必要なことが一つあった。
そんなことかと笑われることかもしれない。それでも春香にとってはとても大切なことに思えた。
だから、それを伝えようと思った。
「あ、あのさ……。ついでにもう一ついいか?」
意を決して、春香はそんな言葉を口にした。
「なに」
「俺たちは、友だちだろ?」
「それが?」
「えーっと、そのだな。……友だちならその、名前で呼び合ってもいいんじゃねえかって」
和哉から視線を逸らして、指先で頬を掻きながら言った。
少し恥ずかしいことだったのだ。特に和哉相手には面と向かって言うのは。
「なんだ、そんなことか。僕は君を春香と呼べばいいか?」
「それはやめてくれ。……ハル、でいい。いやハルがいいんだ」
「わかった。僕のことは好きに呼んでくれていい、ハル」
「それじゃあ……。か、和哉」
「それでいい」
「……和哉」
「どうした?」
「呼んだだけだ」
「なに、それ」
嬉しかった。
だって男友だちと名前で呼び合うなんてことは小学生以来だったから。少しだけ心が浮ついてしまったことは否定できない。
だから名前を何度も呼んでしまったのだ。
和哉には絶対に嬉しいだなんて言ってやらないけれど。
「ずいぶんと嬉しそうだな、ハル」
「は、はぁ? べ、別にうれ、嬉しいわけじゃねえよ。嬉しくねえから」
「ツンデレか?」
「……お前、本当にムカつく」




