第一章1
校門へと続く坂道を沢山の学生たちが登っていく。頭の右側でサイドテールを結んだ【少女】、葛木春香はそれを少し離れた場所から見つめていた。
髪を結んでいるのは可愛らしいピンクの玉が二つ付いたヘアゴム。手に掴んだ学生鞄にはデフォルメされた可愛らしい猫のキーホルダーがぶら下がっていた。
春香の周りに人はいない。学生の群れが横断歩道を挟んだ向かい側にいるのに、春香の立つ場所は不思議と静かだった。
なんとなく自分が着ている女子制服を見下ろして、風で微かに揺れるプリーツスカートを眺める。
春香の通う高校の制服。この制服に手を通してからまだ三ヶ月ほど。もう慣れてはいる。けれどなぜだか心がモヤモヤとした。
それはいつものことで、だから朝は少しだけ憂鬱な気分になってしまう。
春香はため息を吐き出す。
それは自分に対する呆れからくるもの。いつまでも憂鬱なままではいけないと思うのだ。思うことしかできていない。
このモヤモヤが消える日はくるのだろうか。今はまだわからなかった。
と、不意に肩を軽く叩かれた。
振り返ると、同じ制服を着たポニーテールの少女がいた。それは春香の友だちの一人、湊楓だった。
目が合って、彼女は笑顔で口を開く。
「おっはよー、ハルちゃん」
「おはよう」
先程の憂鬱な気分を消し去って、春香も笑顔で返した。
彼女の前での、いつもの自分になる。
「なにかあった?」
楓が聞いてくる。
「どうして?」
「なんか自分の制服を見てたから。……もしかして、まだ制服に慣れてないとか?」
「もう三ヶ月だよ? さすがに慣れたよ」
「まあそうだよね」
「うん。ただ大きくならないかなって、そう思って」
「おっぱいが?」
「ち、違うよ! 身長!」
「あはは。でもあたしはハルちゃんにはそのままでいてほしいな」
「どうしてそんなこと言うの」
「だって小さい方が可愛いだもん」
「……可愛いって言わないでよ」
楓が言うように、春香は同年代の平均より少し身長が低い。
そんな春香の傍から見た印象は可愛い少女、らしい。自分ではあまりわからないため実感はわかない。
けれど他人からは実年齢よりも少しだけ幼く見えるのだということは理解していた。なぜなら背が低いだけでなく、鏡で見る自分の顔には幼さが残っていると思うからだ。
そういう理由で周りは春香のことを可愛いと言うのかもしれない。
けれど春香自身は可愛いと自画自賛などできないし、そもそも自分の容姿が好きではない。
だから可愛いと言われても複雑な気分になるのだった。
もちろん、それを顔に出すことはしない。照れているフリをする。
「もう照れちゃって。可愛いなぁ」
そう言ってポニーテールの少女は春香に抱きついてきた。
少女の柔らかさを感じてドギリとしたけれど、春香はそれを顔に出さないように気をつける。どんなことがあっても、あくまでも照れたように振る舞う。
「やめてよ」
「よいではないか〜」
傍から見ればいちゃつく女子という、どこででも見るような光景だった。春香も楓も普通の少女に見えることだろう。
「おはよう、二人とも」
突然、横から声をかけられた。楓とともに、春香はそちらへと目を向ける。
眼鏡をかけた気の強そうな少女がいた。これまた普通の少女。彼女も春香の友だちの一人だった。春香たちのクラス委員長で、名前は近藤陽菜。
「おはよー、委員長」
「おはよう」
楓と春香は挨拶を返す。
「朝からいちゃついてるわね」
陽菜は呆れたように言った。それに楓が反応を示す。
「あたしとハルちゃんはラブラブだからね」
「ラブラブじゃないし」
「ハルちゃん……、あたしとは遊びだったの?」
楓は泣き真似を披露する。そんな彼女に陽菜が軽くチョップを食らわせた。
「馬鹿やってないで行くわよ」
「はーい」
三人で横断歩道を渡り、校門へと続く長く緩やかな坂道を登っていく。学生たちの騒がしい声の中へと入っていく。
学生の群れの中に紛れても、三人が目立つことはない。普通の女子高校生にしか見えないことだろう。
「そう言えばさ、駅前にパンケーキのお店できたの知ってる?」
楓がそう言って、三人は何気ない雑談を始める。その足は坂を登り続けている。
「なんか美味しいらしいよ。ハルちゃん甘い物好きでしょ?」
「うん、好きだよ」
「じゃあ今度行こうよ、三人でさ」
「いいわね」
「うん、行きたい!」
どこにでもいる普通の女子高校生。どこにでもいる仲良しグループ。それ以上でも以下にも見えない。
その中にいる葛木春香も普通であるはずだ。普通でいられているはずだ。
問題はないはずだ。何の変哲もない、どこにでもいるような【普通の少女】と認識してもらえているはずだ。
普通から外れた人間だとは誰も思わないはずだ。
友人二人の前で笑顔を浮かべながら、春香はその内で不安を覚えていた。
誰かに自分の正体がバレているんじゃないかという不安。それを押し込めようと自分に言い聞かせる。普通に見られていると繰り返し言い聞かせる。
いつもそうだった。
いつだってこの不安はあって、いつだって普通に見えると言い聞かせていた。それでも消えない。誰かの前にいる限り消えてはくれない。
だって春香は、誰かの前では普通でいなければいけないのだから。普通ではないと言われるわけにはいかないのだ。
どうして頑なに普通であろうとするのか。それは春香が隠していることに関係する。
そう、葛木春香には誰にも言えない秘密があった。
それは――。




