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第二章4

 和哉のカミングアウトから数日後。春香はジャージ姿で街中を歩いていた。

 キャップを深く被り、背中にはピンクのミニリュックを背負っていた。

 行き先はネットカフェ。


 友だちにも家族にさえも言っていないけれど、春香には大好きなアニメがあった。

【魔法少女マジカルドリル】というタイトルで、魔法少女とはあるけれど熱血アニメとしてアニメ好きの間では有名だ。マジドリと略されることが多い。


 そのアニメの続編にあたる劇場版がもうすぐ始まるということで、一週間限定でTVアニメ版全二十四話が動画サイトで無料公開されている。

 春香はそれを見るためだけにネットカフェに向かっているのだった。


 もちろん、わざわざネットカフェで視聴するのには理由があった。

 魔法少女モノは基本的に女児向けが多いけれど、マジドリに限ってはそうではなかった。

 このアニメのファンは中高生以上の男性が多い。男が熱いと思うような要素がこれでもかと詰め込まれているからだ。その証拠に大学生である春香の兄もマジドリのファンだったりする。


 だから万が一家族に見ていることがバレたら、好きだと知られたら、女の子らしくないと思われてしまうかもしれない。

 さらにそれは秘密に気が付かれることに繋がりかねない。知られるわけにはいかなかった。

 自宅で視聴していてはバレる可能性がある。だとするとネットカフェが一番安全だと、春香

 は考えたのだった。


 それだけではなく、携帯で視聴という手もあったけれど、どうせなら大きめの画面で見たいという考えもあった。

 行き交う人の中で知り合いがいるかもしれない。その可能性を警戒して、春香はキャップのつばを掴んで常に深く被りながら、不審に思われない程度にあたりへ視線を配りながら歩く。  

 ジャージ姿で人混みを歩くとき、春香はいつだって警戒している。

 けれどそれは疲れる。だからなるべく街中を歩くことは避けていた。歩くとしても別の女の子らしい服装にしている。


 けれど今回は目的が目的だ。

 ネットカフェに行くなんて葛木春香のキャラではない。もしネットカフェに入る姿を知り合い見られたら、と思うと春香だとわかる服装はまずい。

 ジャージで顔を隠すキャップ姿がいいだろうと考えた。


 秘密がバレる可能性について、春香は常に考えてきた。神経質だと思われるくらい、必死に

 隠そうと努めてきた。そうして約二年間を乗り越えてこられた。

 けれどつい最近、気を緩めてしまって、そのせいで一ノ瀬和哉に秘密の片鱗を知られてしまった。

 秘密の中心はどうやら気が付かれないようだったけれど、それでも安心して和哉以外にも自分を出すことはできない。


 和哉がたまたま鈍いだけで、他の人は違うかもしれない。だから他の人の前で、男口調だの男みたいな趣味だのを晒したらどうなるかわからない。

 安心はできないのだ。

 今までの二年よりもっと慎重にならなければいけない。人間関係を保つために。


 そんな風に歩いていた春香は、人混みの中に知り合いがいるのを見つけた。

 春香が学校で仲良くしているクラスメイト二人だ。ポニーテールの少女、湊楓と。クラス委員長である近藤陽菜。二人は談笑しながら春香の方へと近づいてきている。

 春香はキャップのつばを掴んだまま俯いた。そうして二人と何事もなくすれ違おうとした。すれ違えるはずだった。


 ドンッと。誰かが春香にぶつかってきた。

 二人がちょうど春香の横を歩いていたときだった。

 よろめいた春香はその二人の方へと不可抗力で寄っていき、気がついたときには二人とぶつかっていた。キャップが頭から飛んでいった感覚がした。


 揺れる視界が治まったとき、尻餅をついている楓の姿が目に入った。

 彼女は「いてて……、」と零しながら立ち上がろうとする。すると転ばずに済んだらしい陽菜が手を伸ばし、ポニーテールの少女を助け起こそうとした。

 二人の姿を呆然と眺めていた春香は、けれど陽菜の足元に自分のキャップが転がっていることに気がついて、我に返った。


 キャップを取りに行けば、百パーセント顔を見られる。

 そう思い咄嗟にその場で蹲るようにして顔を隠した。


「あの」


 その時、声をかけられた。聞き馴染んだ楓の声だった。

 春香の心臓がドクドクと早鐘を打つ。どうすればいいのか考えられない。

 まさに危機的状況といえた。


「大丈夫ですか?」


 そんな春香の心境など知らず、楓は言葉を続ける。

 春香は何も言えず、けれどなんの反応もしないのでは駄目だと思った。

 顔を隠す腕から少しだけ目を出して楓を見つめながら、動揺する頭で考えて、小さく頷くにとどめた。


「よかった。……ごめんなさい。前見てなくて。立てますか?」


 楓が手を差し出してくれる。その背後で陽菜が春香のキャップを拾ってくれて、楓の隣に並ぶ。心配そうな顔をしていた。

 不可抗力だったとはいえ、ぶつかってしまったのは春香だ。

 それなのに楓と陽菜は心配してくれる。優しい。そうだ、二人は優しいのだ。


 だから。


 だからこそ春香は二人と友だちになれたのだ。ずっとそばにいたいと思ったのだ。

 けれど今、その関係が壊れてしまうかもしれない状況にあった。

 男っぽい春香を知られて、最悪の場合、最大の秘密に気が付かれる。女のくせして自分のことを【女だと思えない人間】であると、気が付かれてしまったら……。



 頭が、真っ白になった。



 どうしたらいい。どうしたらそうならずに済むのか。わからない。

 答えが見つからない。何も考えられない。わからない。わからない。わからない。

 このままだとまた一人ぼっちになってしまう。

 一人ぼっちは嫌だ。嫌だ嫌だいやだいやだ。

 そんなの絶対に耐えられない。いやd――。


 つうと、春香の頬を涙が流れた。それを止めようと腕で目を覆っても、止められなかった。

 だからさらに丸くなって、視界をすべて塞いだ。真っ黒な世界に覆われる。

 自分は楓や陽菜とは違う。普通ではない人間だ。秘密がばれたら、きっと優しくはしてくれない。

 彼女たちは春香を普通の人間だと思ったから、だから優しくしてくれたのだ。友だちになってくれたのだ。


 ばれたら嫌われる。拒絶される。絶対にそうだ。

 だって、今までだってずっとそうだった。そうやって、みんな春香から離れていった。

 おかしいと言われた。気持ちが悪いと言われた。

 楓と陽菜にも同じことをされたら。酷いことを言われたら……。

 そう思うと、さらに涙が溢れた。


「やっと見つけた!」


 ふいに、そんな声が聞こえた。

 それはどこかで聞いたことのある声だった。


「先に行くなって言っただろう」


 やがて、誰かが春香の肩を叩いてきた。そして耳元で声が聞こえた。

 春香にしか聞こえないような、そんな小さな声だった。


「葛木だよな? 僕だ。一ノ瀬和哉だ」


 言われて、腕をどけて少しだけ顔を上げる。

 確かに一ノ瀬和哉が目の前にいた。


「よかった。見たことあるジャージと、顔を隠している様子だったからまさかと思って。別人だったらどうしようかと……。葛木、泣いているのか?」


 俯いて顔を隠して、それから首を横に振った。

 けれど、この否定に意味はないとわかっていた。それでも、春香は強がった。


「あ、あの」


 楓の声がした。突然、現れた和哉に戸惑っているのだろう。


「その人……って、一ノ瀬?」

「君たちは同じクラスの……。こいつとなにかあったのか?」

「あ、えっとさっきぶつかちゃって」

「そうか」

「……知り合いなの?」

「従兄弟だ」


 どうやら和哉は春香のことを従兄妹ということにしてくれたらしい。

 咄嗟に考えただろうにその声は冷静だった。慌てたりはしていない。

 表情だっていつも――意地悪をしないとき――のポーカーフェイスだろうから、それも幸いして嘘だとは思われなかったのだろう。

 楓と陽菜から疑いの声は上がらなかった。


「あ、そうだ。これ、その子の帽子」

「ありがとう。……ほら」


 頭に何かが被された。手を伸ばして、それが春香自身のキャップだと知る。

 つばを握って、顔が見えないように深く被る。

 ようやく顔を隠せて、それが春香の心を落ち着かせてくれた。


「立てるか?」


 和哉の言葉に頷いてみせる。それから立ち上がって、謝罪の意味を込めて楓と陽菜に頭を下げた。

 それでしっかりと伝わるとは思えなかったけれど、声を出す勇気は出なかった。

 今の心境で誤魔化せるとは思えなかったから。


「従兄弟として僕からも謝る」


 和哉も頭を下げた。


「大丈夫よ、こっちこそごめんなさい」


 陽菜がそう言って、彼女と楓は頭を下げた。

 その二人に友だちとして何かを言うべきだと思った。

 それでも何も言えなかったのは、彼女たちの前にいる自分は葛木春香であって葛木春香ではないと思ったから。

 今の自分は彼女たちの友だちではないと思ったからだ。


「悪いな、無口で。こいつは人付き合いが苦手なんだよ」

「そう、なのね。……気にしなくていいわ」


 気を使うような声で陽菜が言って、そのあとで二人は春香から遠ざかっていった。

 その後ろ姿を見つめながら、春香は安心していた。

 これで葛木春香の人間関係は守れたと、安心できたのだった。


 和哉には感謝しないといけない。そう思った。


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