第一章10
メイド喫茶【Cloud house】は午前十一時より開店する。それまで従業員は清掃など、雑務をこなしてその時を待つ。
春香はその時を待っていた。
開店までごく僅か。
バイトを始めてすでに三日が経っていて、開店時を迎えるのはこれが初めてではない。けれど、いまだに少しだけ緊張した。
テーブルを拭いて、台拭きを片付けて、やることはもうないかと探す。
大丈夫そうだと判断をして、けれど安心はできなくて。ソワソワと辺りを見回しながら、本当にやることはないかと考える。けれどやっぱり思いつかなかった。
そんな春香の傍に凜がやってきた。
「春香」
「あ、里中先輩。えと、もうやることってないですよね?」
「うん、完璧だよ」
「なら、よかったです。でもなんかまだ不安になっちゃって」
「まあまだ三日目だと不安になる子もいるからね。春香だけじゃないよ」
「そう、ですかね」
「うん。……あ、そうだ。外のプレート、今日は春香が表向きにしてきてほしいんだけど」
プレートとは表にOPENと、裏にCLOSEと書かれた表札のことだ。飲食店の扉によくかけられているあれだ。
「わたしが、ですか?」
「うん、お願い」
「わ、わかりました」
「表向きにするだけなんだからそんな緊張しないでいいって」
凛が笑顔で背中を押してくれる。
春香自身、任された仕事が難しいことではないと頭ではわかっていた。大したことではない、と。
けれど、どうしてかその行動が特別なもののように思えたのだ。
喫茶店の扉を開けて外に出る。カラリンと、扉に取り付けられたベルが鳴った。
うだるような暑さをまとった夏の日差しと、行き交う人々の群れが春香を出迎えた。
今日もこの街は賑やかだった。
一つ深呼吸をして、扉へと振り向く。
プレートへとゆっくり手をのばす。プレートを取り外すと、表向きにしてもう一度扉にぶら下げた。
こうして、今日もCloud houseの一日が始まる。