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序章

※この小説にはLGBTのキャラクターが登場します。LGBT当事者の方にとって不愉快になる表現があると思いますが、当事者の方を否定する意図はありませんのでご了承ください。それから間違っている部分もあると思います。

 ――好きだと言った。


 校舎裏。使われなくなった焼却炉が撤去されずに残っていて、すぐ近くには木々に紛れた利用者の少ない裏門が見えている。

 微かに、運動部の掛け声や吹奏楽部の楽器の音色が遠くの方でしていた。けれど、葛木春香にはまるで聞こえていなかった。それどころではなかったのだ。


 握った手の平に滲む汗は暑さのせいではない。

 ゴールデンウィークまであと少し。まだ暑さはそれほどない。ならばどうしてか。答えは簡単なことで、それは緊張の現れだったのだ。原因は目の前にいる。


 寿佳奈美。春香の前に立つ少女はそんな名前だった。

 春香のクラスメイトであり、親友と呼べる存在。そして春香が想いを寄せる相手。


 その想いを、たった今伝えた。


 春香にとって人生初の告白だった。緊張して当然といえるだろう。

 ましてやこれまで誰にも話すことができなかった、たった一つの秘密とともに好きだと告白をしたのだ。緊張からくる手汗を誰が止められるだろうか。


 春香の心の中には今二つの不安が渦巻いている。秘密を受け入れてくれるのか。告白の返事はどうなるのか。

 螺旋のように絡み合ったその二つの不安は、春香の心臓をどくどくと脈打たせている。


 秘密に関しては、親友だからきっと受け入れてくれるという考えもなくはなかった。けれどそれ以上に受け入れてくれなかったらという不安の方がはるかに強い。

 告白の返事については言わずもがな、不安に思わないはずなどない。


 緊張で覚える喉の渇きに唾を飲み込んだ時。彼女が、佳奈美が口を開いた。


 そして――。



「……気持ちが悪い」



 どんな言葉が飛び出すのかと身構えた春香の耳に届いたのは、そんな冷たい言葉だった。予想もしていなかった言葉に、春香の身体は一気に温度を失っていった。

 握っていた手の平から力が抜ける。


 心に巣食っていた不安はどこかに消え去った。代わりに広がったのは大きな穴。そこにあったものが根こそぎ抜け落ちたかのように、大きな穴がぽっかりと空いていた。

 何も考えることができない。頭が認めることを拒んでいるのか、耳に残る言葉の意味を考えられない。

 いや違う、実際に拒んでいるのだ。なぜなら、考えたくないと思っている自分に、春香はたった今気がついたのだから。


 冷たい言葉はそれで終わりではなかった。追い打ちをかけるかのように、佳奈美の言葉は続いたのだ。


「そんな人間がいることを私は認められないし、そう思っている人間は頭がおかしいって思っているの」


 考えたくない、そう思った。意味を考えたくなかった。その意味を理解してしまえば、きっと春香は堪えられない。壊れてしまう。


「あなたがそんな人間だって気が付かなかった自分に腹が立つ」


 それでも理解してしまう。どうしようもなく理解してしまう。


「それに……私のことが好き? やめてよ」


 佳奈美が発するものはすべて拒絶の言葉。春香という存在を否定しありえないと糾弾するもの。人格否定という言葉の暴力。


「どうして。どうしてよ。どうして普通に生きられないの」


 唇を噛み締める。【普通】という言葉が心を抉る。だってそれは散々自分に問いかけた言葉で、今もなお答えが出ず、苦しんでいる言葉だったのだから。


「男なら男として、女なら女として生きるのが普通でしょ。どうしてそれができないの」


 気がつけば、春香の頬には涙が流れていた。声は出なかった。唇を噛み締め、俯いて、ただ涙だけを流す。それしか春香にはできない。それほどまでに心は擦り減っていた。


「……馬鹿みたい。……絶対におかしいよ」


 今にも崩れ落ちそうだった。

 それでも崩れ落ちるのを堪えているのは、それが【普通じゃない】自分への罰だと思ったから。言われても自分が悪いのだからと、自分を罰するのだと。堪えていたのだ。

 彼女ならわかってくれると思った。そんなはずなどなかったのに。今までずっとそうだったのに。


 自分と仲良くしてくれるから、親友と言ってくれたから、告白の返事はともかく、受け入れてくれると思った。調子に乗った、勝手に思い込んでいた。

 自分は馬鹿で、愚かで、醜い。罰を受けて当然だと思うのだ。

 膝を付くことなど、きっと許されはしない。そんな思いの鎖が身体に巻き付いていた。


「もう、私に近寄らないで。……話、かけないで」


 けれど、そう言い残して彼女が去っていった時、限界を超えた。

 膝を付き、顔を覆った。声が漏れる。我慢していた泣き声をあげてしまう。

 誰も、春香の泣き声など聞いていない。静けさだけがあった。


 春香は思う。

 きっと誰も理解してくれないのだ、と。存在を認めてはくれないのだ、と。


 葛木春香はきっと、どこまでも一人ぼっちだった。


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