愚痴
酒が入ると男は愚痴が増える。今日も、そろそろ雲行きが怪しくなってきた。
「昔、この国の偉い奴に召喚されて当時の王と契約を結んだんだが、その契約書がヒデェんだよ」
魔性の召還と契約は広く知られているが、当の魔性から話を聞けるなど、そうそうあることではない。専門外ではあるが、当然興味はある。歴史家の友人が知れば垂涎だろう。もちろん、情報源が知られれば後が恐いので話すことはできないが。
「国の危機に力を貸すとか、褒美に楽や舞いで歓待してくれるとかはまぁいいとして、有事以外は魔性だと明かさず暮らすってのは酷くないか?生活費の支給もなしだぞ?そりゃ、代々そういう契約だったのは知ってるが、踏襲が習いなのも知ってるが、それにしても冷てぇ!」
いきなり生活費がなんだと卑近な話になった。
「そりゃ、俺たちの一族は飢えようと凍えようと死なねぇけど、食えねえとひもじいし、寒くて着るもんねぇと切ないだろ!」
俄然、興味を引く話になってきた。生物の生態は専門分野だ。
「なのに、正体を明かせないからって城を追い出されて、いきなり家なし金なし職なしだぞ?国に貢献した『特級』に対して酷くねぇ?」
『特級』。本当に国一つ滅ぼす『災厄の』だったらしい。正直、実在するとは思っていなかった。残っている記録や伝承があまりにも嘘くさいのだ。
その嘘くさい記録によると、一番最近の『特級』召還は百年と少し昔だった。近年は周辺諸国で大きな争いもなく、魔性の召還そのものがされていない。ということは、目の前の魔性は百年以上こちらの世界に暮らしていることになる。
見たところ、壮年と言うには若い、ぎりぎり青年という年頃だが、魔性は年を取らないのか。いや、人に擬態しているだけで本性は数千年生きると言われるのだから、見た目は年齢と関係ないのか。
頭の中で考えを巡らせる間も、魔性の愚痴は続く。
「まぁ、そういうことで、俺は職を探すことにしたわけだ。この世界は何をするにもまず金だからな」
実に真っ当な判断だ。魔性に倫理観があるでもなかろうに、かっぱらいや強盗は候補に上がらなかったらしい。
「職探しを始めたはいいが、身元のはっきりしない住所不定の文無しに世間は冷たくてなぁ」
それはそうだろう。実際に身元不明なのだ。人ですらない。
ここで、ふと不思議に思って口を挟む。
「魔術で金を出せばよかっただろう」
「いや、金を作るのは契約で禁じられててな。宝石なんかの価値が高いものもな。世界への影響が大き過ぎるんだと。理不尽だろ?」
男の契約書への恨みは深そうだ。
「じゃあ、美青年とか美女になってパトロンを探せばよかったのでは?」
「ないな。そもそも、魔性は自分に正直に生きる種族なんだよ。特に愛には。媚を売れるような器用さも、思ってもない愛を語る厚顔さもない」
「なるほど……」
神殿の教義では、悪魔(神殿では魔性をこう呼ぶ)は人を誘惑して貢がせる存在と説かれているが、実は真逆の価値観の持ち主だったらしい。是非とも神官どもに言ってやりたいが、残念ながら証拠が示せない。
「長く過ごすことを考えれば、いつの時代でも食いっぱぐれない堅実な職がいいと思ったんだよ。で、ようやく見つけたのが、食堂の住み込みの下働きというわけだ。賄いもつくから飢えずにすむし、自分で飯が作れりゃ、食いっぱぐれにくいだろ。で、独立して今に至るってわけだ」
男の愚痴は一段落したらしく、すっきりした表情で酒を呷ってにかりと笑う。
「というわけで、俺の財産は自分の稼ぎだけだからな。残念ながらお前に奢る余裕がない」
男はなぜか自慢気だ。
趣味か暇つぶしで厨房に立っているのかと思っていたら、本業だったらしい。
話を聞く限り、研究の報酬に加えて祖父の遺産がある自分の方が金を持っていそうだ。
魔性の生態を聞けて気分もいい。今日は奢ってやろうと、酒を一本追加して、男の杯に注いでやる。
「お、わりぃな」
嬉しそうに飲む様子に、人間に奢られるのは魔性の矜持を傷つけないのかと思ったが、まぁ、今更だったので聞きはしなかった。