遭遇
次話からは会話中心でテンポよく進みます。
朝から取りかかっていた学術書の整理を一段落させて窓の外を見ると、太陽がてっぺん近くまで上がっている。
今日は弁当を買い込んで来ていない。ちょうど昨日までの雨も上がったことだ、食べに行こうと決めて外に出る。
昼時の王都の通りは人出でごった返していた。遠目に見た表通りの人の多さに辟易として、裏通りへ向かう。治安のよい王都では、知らない区画へ迷い込んでもまず危険はないため、ぶらぶらと飯屋を探して気ままにさまよい歩く。
裏通りから少しだけ脇道に入った場所にある食堂にあたりをつけて、ちょっとばかり様子を窺ってみる。並んでこそいないが、客の入りも回転もよさそうだ。程よく賑わっているのが伝わってくる。
ここにしようと決め、店の入口をくぐって何気なく店内を見渡して、体が固まった。視界に強烈な衝撃を受けて、無意識で眼を眇める。
自分の目は、人とは少し変わっている。だから、店の奥にある異様な気配に気づいてしまった。
人に見えて人ではない。凝縮された強力な魔力がその身を取り巻いているのが分かる。下手をすると『特級』、俗に『災厄の』と呼ばれる手合いかもしれない。単身で国を一つ落とすことも可能と語り継がれる伝説級の魔性。
そんなものと関わり合いになって万が一にも不興でもかったら身の破滅だ。
見なかったことにして立ち去ろうとして、はたと気づいて目を見張った。
その男(少なくとも見た目は男だった)は、食堂で客として食事をしていたのではない。厨房で鍋を振っていた。熟練の手つきと堂々とした佇まいは、料理人になって長いと知れる。店の人間に指示を出す様子からすると、その男が店の主人なのだろう。
異界から招かれた魔性のこちらの世界での暮らしは知られていないが、王城で贅沢な暮らしをしていると言うのが王都の民の認識だ。伝説の『災厄の』ともなれば、王侯貴族もかくやという暮らしをしているものではないのか。
なのに、あれほどの強大な魔力を持った魔性が食堂で鍋を振っているとはどういうことなのか?
しかも、ここは活気のある通りに近いとはいえ、庶民が暮らす下町だ。店の外観も客層も庶民的だし、鍋を振る男も違和感なくこの場所にしっかり馴染んでいる。
混乱して退散する機を逃している内に、厨房にいたその男と目が合ってしまった。
「おう、兄ちゃん、いらっしゃい。一人か?カウンターが空いてるから、こっちに座ってくれ!」
陽気に声を掛けられて、その声に逆らって今更逃げ出すこともできず、ぎくしゃくとカウンターにつく。距離が近づいたために、魔力の輝きが強くなり、目が痛い。
「注文はどうする?」
席につくや聞かれて、未だ衝撃から立ち直れないままに、メニューの一番目立つ位置に書いてあった日替りを頼んでいた。
出てきた料理は美味かった。特別食材がいいとか手が込んでいるといったことはなかったが、店構えから期待していた以上の味だ。
正直、ちょくちょく通いたくなる味だったが、危ない橋は渡らないに限る。この近辺にはもう近づかないようにしようと決めて、勘定のために立ち上がると、目の前に厨房の男が立っていた。思わず後ろに下がりそうになるが、金を払わずには店を出られない。
男はにかっといい笑顔で笑って代金を受け取り、
「よかったらまた来てくれよ」
と言ってから、小声で付け足した。
「見えるやつに会ったのは久々だ」
目のことを見抜かれたことに動揺して、財布を落としかける。もし目の前の魔性が正体を知られたことを不快に思うのなら、今ここで死体されるどころか何も残さずに消されてしまってもおかしくない。どっと冷や汗が出る。
こちらの緊張を知ってか知らずか、男の声は明るい。
「今度、飲みにでもいかないか?一杯位なら奢るぞ」
表情をそっと観察してみるが、男から敵意や悪意は感じない。ひとまずは命の危機はないらしい。安堵のあまりこの場で座り込んでしまいそうなほど力が抜ける。
なんとも庶民的な魔性だ。しかも、酒場で一杯奢るとは。魔性のくせにけちくさいというか、庶民くさいというか。
急な誘いに答えられずにいると、
「じゃあ、あんたの休みの前の日にでも誘わせてもらうぜ」
と勝手に約束が取り付けられていた。
内心むっとするが、恐らく言わなくても自分の休みが男には分かるのだと直感して背筋が寒くなる。「魔性に知られぬことはない」というのはこの国でよく使われる表現だ。
「毎度あり!」
笑顔と共に威勢のいい声に見送られて、呆然としたままで店を後にした。