CHANGE
「ちょっと君! やめなさい! こっちへ来なさい!」
雲一つなく、まるで絵の具で塗ったような春の青空、太陽は今日も人々を見守っている。風は語りかけるように吹いていて、本当に心地が良い。
僕は今、5階建てのビルの屋上に立っている。屋上に立っていると言っても、ボロボロのスニーカーが半分宙に浮いているくらい、ギリギリに立っている。僕はここから飛び降りて人生をリセットしようとしているのだ。
「若いのに早まることはない! 話をしよう! 」
さっきからビルの警備員が、見知らぬ人に対して吠える犬のように叫んでいる。
話をしたって助けてくれるわけでもないのに。勝手なこと言いやがって。若いとか関係ないだろ?
どうして僕が20歳にして自殺をしようと決意したか簡単に説明しようと思う。
4つ下の妹が1人いるのだが、父は僕が小さい頃に離婚して、母と3人で生活をしていた。
お金もないのに妹が私学の中学に入ったこともあって、僕はずっとお金に関してや、いろんなことを我慢して生きてきた。
高校でたくさんバイトをして母の力になろうと思ったが、初めてできた彼女にさんざん貢いだあげく振られてしまい、そのお金もほとんど消えた。
そして奨学金を最大限に借りて大学に入ったものの、仲良くなった友達や先輩に誘われたマルチ商法に引っかかり、数100万の借金ができて自己破産。
ことごとく、ついてない人生だった。
この世の中は、お人好しで断れない性格の人は必ず損をするようにできている。良い人ほど救われないと言うわけだ。
そんな人生をリセットして来世に少しばかりの希望を持ちながら、ここに立っているわけだ。
あ、そろそろうるさい犬たちに引っ張り込まれそうだ。
僕は靴を脱いで、大きく深呼吸をした……。
………………………………………………………………
「目を覚まして! お願い……」
遠くから微かに女性の声が聞こえる。おそらく母だ。ちくしょう、自殺失敗しちゃったんだな……。
しかし、頭が痛くて上手く体が動かない。おまけに目も開けられない。
「神子……。起きて、神子……!」
と言われながら、手を強く握られている。多分僕に言ってるんだよな? それより神子って誰なんだ?
僕は重たい眉を上げて目を開けた。するとそこには、見ず知らずの髪の長い、いかにも美人な女性が座っていた。
「神子! 良かった! もうこのままかと思ってた……」
顔からは大粒の涙が流れていた。僕は状況がさっぱり理解できず、口をポカンと開けていた。
「先生を呼んでくるから待ってて!」
と言ってその女性は、慌てて病室を出て行った。
さっき神子と呼ばれているたことから単純に考察すると、女の子になった?
はは、まさか?
と思いそっと胸に手を当てると、柔らかい感覚が……。そして、その流れで股間に手をやると、あるはずのものがない……。
おいおいおいおい。
窓の方を見て、ガラスに映っていたのは、髪もまつ毛も長く、普通の高校生とは思えないくらい美人な女の子だった。
「えええええ!!!」
思わず僕は大声を上げてしまった。病院が揺れるような大声で。
落ち着け! これは夢だ! こんなことある訳ない! と思って僕はほっぺをつねった。死ぬほど痛い!
それより以前に頭と足がズキズキと痛かった、完全に現実だ、これは!
顔をパチパチと叩いて、ゆっくり深呼吸して、冷静になって前を見た。
すると、若い男性の医師と、さっきの綺麗な女性が、何か異世界の物を見てるような顔でこっちを見ている。
「大丈夫ですか? 何かありました?」
医師が心配して聞いてきた。
ここは自分は別人で、男なんです! と伝えるべきか。でもこんなこと誰も信じるわけないし、何か事情があるかも知れない。だからとりあえず引きつり笑いをしながら、
「大丈夫です……」
と答えることにした。しかし医師は普通じゃない僕の様子に首を傾げて、
「念のため1度、脳の検査をしてみましょう」
と言った。そしてすぐに部屋を移されて脳のMRIを撮った。これで原因が分かるかも知れないと僕も思ったが、
「脳の検査の結果、異常はありませんでした。ひょっとしたらショックから、一時的な記憶喪失を起こしている可能性があるかも知れませんので、いくつか質問させてください」
医師がそう言うと僕は急に変な汗が出てきた。そりゃそうだ、名前が神子と言うこと以外、何も知らないのにどうやって答えれば……。
「名前と生年月日を教えてください」
ヤバい……、これは正直に言うしか……。
「神馬神子、平成10年7月19日生まれの16歳、高校2年生です」
「神馬神子、平成10年7月19日生まれの16歳、高校2年生です」
後ろからで聞き取りにくかったが、低い男の声が聞こえたから、反射的にそう繰り返した。
「今、何のお仕事をしてるか分かりますか?」
医師は質問を続ける。するとまた、
「今はクラッププロモーションに所属して女優業をさせてもらってます」
と聞こえたので、
「今はクラッププロモーションに所属して女優業をさせてもらってます」
と僕は聞こえるままにハキハキと言った。他にも家族の名前や、事務所の人の名前など、たくさん質問された。ただ、さっきまでの焦った様子を全く見せない僕に、驚きを隠せないのか、
「えーと、じゃあ血液型と学校の名前を教えてください」
と、医師はしつこく質問をしてきた。
「もう、良いでしょ〜」
と言う女の子みたいな喋り方が、また低い声で聞こえてきた。
「身長158㎝。血液型はAB型。学校の名前は、私立甲州館高校の2年B組、これで良い?」
僕は聞こえた通りに言った。それも少し声を張って言った。
「あ、ありがとうございました。大丈夫そうですね?」
ちょっと困惑するように医師はそう言って、隣で目を見開いて座っていた、美人を連れて部屋を出て行った。
あー、どうしてこんな可愛い女の子になってしまったんだろう。もしかしたら、今まで頑張って生きてきた僕へのご褒美だったり?
それより、さっきから耳打ちしてくる男の声は誰なんだろう?
そんなことを考えながら、頬杖をついていると、目の前に髪の毛がボサボサで、まるで車酔いをしてるような蒼白な顔の男がこっちを見て立っていた。ただ、全体的に体が薄いでは無いか。
あれは、僕じゃないか……?
「私の体を返してよ」
その男の第一声に、僕の背中に電気が走った。そして、状況も少し理解できた。
目の前の僕は泣いていた。滝のように涙を流して……。泣いてる自分なんて見たこと無かったし、我慢強い僕は、 生きてるうちに泣いたことなんて無かったと思う。
だから新鮮と言うか、どこかとても複雑な気持ちになった。
「ごめん……」
無意識で僕は謝っていた。この、まるで告白した後のような数秒の沈黙は、耐え難いものがあった。
「謝ってもらおうと思ってない。だから、泣いている場合じゃないのよ。絶対に元に戻ってみせるんだから」
そして、涙を拭いて、目を擦って言った。
「はじめまして、神馬神子です。またの名を早坂くるみ(はやさかくるみ)、16歳の高校2年生です」
急にニコッと笑って、自己紹介をし出した。まるで、誰かが乗り移ったように。
いやいや、前にいるのは、どう見ても僕。袖谷俊なんだけどな……。
「は…じめまして、袖谷俊です。大学3回生で20歳です」
自分に自己紹介するってのは何か鏡に喋ってるみたいで気持ち悪い。
緊張してるわけでは無いが、どうしても少しどもってしまう。
「説明しなくても分かると思うけど、一応言っときます。一昨日あなたがビルから飛び降りた時、たまたま下の歩道を友達と歩いていたら、上からあなたが降ってきて、私にぶつかって気が付けば私は真っ暗な洞窟にいたの。そこで、小さな光が見えたから何となく、そっちに歩いて行ったら、ここに着いたって話です」
そんなことがあるわけない。もう半分バカバカしいなと思いながら聞いていたが、実際こうなっている以上は信じるしかない。
それにしても丸1日も眠っていたのか。
ただ、僕の顔で、その喋り口調じゃ、完全にオネエだな……。
「じゃあとりあえず、ここに書いてあること読みますね……」
「ちょっと待って!」
ニュースのように一方的に淡々と話を進めようとするので、僕からも質問をしてみたくなった。
「さっき、またの名を早坂くるみって言ってたけど、もしかしてあの朝ドラのヒロインの早坂くるみじゃないよね?」
「そうよ、びっくりでしょ?」
僕は慌てて近くにあった手鏡を持って、もう一度まじまじと顔を見た。この綺麗な目に可愛い笑窪……。
天使だ……。
間違いない、昨年朝ドラのヒロインをやって今やCMやドラマに引っ張りだこの大人気女優、早坂くるみだ。
本当ならこの子と入れ代わった時の驚きと同様に、「えええええ!!!!」と声を上げるところだが、今度は逆に絶句してしまった。
「大丈夫?」
と言って僕の姿になったくるみちゃんは、くるみちゃんの姿になった僕の顔を覗き込んだ。でも僕の姿になったくるみちゃんは鏡には映っていなかった。
この時、前にいるのは霊なんだ。と気付かされた。僕の体は死んでいて、それにくるみちゃんの心が乗り移っている。と言う信じられない状況に……。
「うん、初めて間近で見た芸能人が、あの早坂くるみだったから驚いただけ。見た、と言うか本人になってるんだな、あはは」
僕はこの全てが信じられない状況に心無く笑ってしまった。こんな僕と入れ代わってしまったくるみちゃんに、不謹慎だとも思ったが、どうしてか笑いが止まらなかった。気が抜けるような渇いた笑いが。
「本当にびっくりだよね。私も悲しいと言うより、おもしろいなって思ってしまった。何かドラマみたいで」
その発言に僕の笑いは止まった。そして涙が出そうになった。何て良い子なんだ、本当なら怒って、恨んで、気が済むまで責めれば良いのに。
「どうして僕を責めないんだ?」
「責めたって何も変わらないし、私昔から怒るとかできないタイプだし。まだ戻るチャンスがあるみたいだから前向きに行きたいの」
そう言って微笑むくるみちゃんに僕は、より一層罪深い気持ちになった。
「よし、今から俊くんに守って欲しいこととか言っていきたいと思います!」
手をポンと叩いて、さっき泣いていた自分はどこかに投げ捨てたように、くるみちゃんは話し出した。これが女優である。
「霊界5か条〜!」
「えっ、何それ!?」
「まぁ、まぁ、ちょっと聞いてみて」
あまりの変なテンションに1度止めてしまったが、くるみちゃんは関係なく話し出した。
「第1条! 生きている人達に、自分が別人だと言うことをバラしたり、バレてはいけない!
第2条! 霊として人間界に現れていられるのは原則42時間だけ!
第3条! 満月の夜に1度、30分だけ、霊感が強く、自分の姿が見える人に乗り移ることができる!
第4条! 前世の復讐や、生きてる人の未来を変えてはいけない!
第5条! 自分の霊を弔ってはいけない!
以上のことが守れないと、元に戻るどころか、成仏してしまうみたい!」
何か無理して楽しそうに話しているようにも見えるのだが、それより気になることや、聞きたいことが星の数ほどある。
「そんなことどこに書いてあったんだ?」
「さっき洞窟の話したでしょ? そこの出口のとこに落ちていた巻物みたいなのに書いてあったの。俊くんには見えてないみたいだけど……」
さっきから何か巻物のような物を持っているフリをしていたのはそういうことだったのか。まるでゲームみたいだな。遊ばれてると言うか。
「で、読めない部分が結構あって最後に、必ず戻れる! 頑張れ! とだけ書いてある」
クスッと笑いながらくるみちゃんは言った。この最後の言葉にやっぱり遊ばれてるような気しかしなかった。
誰が何のためにこんなことを仕組んだんだ。ただここは、くるみちゃんの話を言う通りにすることにした。
「で、これからどうすりゃ良いんだ?」
「まず、その喋り方から治して? もちろん一人称は私、あぐらをかいたり、男っぽい行動は一切禁止、そして不純なことも絶対しないで、体で遊んだり、男の子だからってそういうあれとか、それからそれから、女優業もしっかり続けてもらって、学校にも…」
「ちょっと待って!」
さすがは応募2万人を超える朝ドラのヒロインオーディションに受かっただけあって、話すスピードがライフルのように速かった。
「あっ、ごめん。憶えられないよね、一気に言われても……。その都度言わないとね」
頭を掻いて照れ臭そうにくるみちゃんは言った。
「その都度って言っても、42時間しか現れることできないんじゃ無かったっけ?」
「あっ! そうだった!」
僕が的確な忠告をすると、くるみちゃんは口を手で覆って、声を出して笑った。少し天然なところもあるらしい。
しかし、さっきからの仕草……
くるみちゃんの顔でされたら一撃で胸を撃たれるのかもしれないけど、僕の顔でそれをされると、蕁麻疹でも出そうだった。
「ノートかなんかに書いとくか?」
「それが1番だね」
とりあえず、退院してからノートに書き出すことにした。
「時間がもったいないから、ママが帰ってくるまで、消えてるね」
そう言ってくるみちゃんは僕の前から消えた。本当に不思議だ。目の前の人が薄くなって消えていくのだから。これが本当の蒸発、なんてね。
生前の記憶ははっきりある。なのに体だけは女の子。これは第2の人生の始まりか? なんて思ってしまったが、そんな軽い問題でも無さそうだ。
しばらくして、さっきの美人な女性が入って来た。そうかくるみちゃんの母さんだったのか。やっぱり、くるみちゃんに似ている。
「脳や体に以上が特に見られないみたいだから、1週間もしないうちに退院できるそうよ」
美人と言えども高校生の母親。40は超えているのか、笑うと少し目尻にシワができていた。
「心配かけてごめんなさい。ママとまた話ができて嬉しい」
そう耳打ちされたので、言われた通りに言うと、くるみちゃんの母さんはさっきよりもシワくちゃな顔になって薄っすらと涙を浮かべて笑っていた。
ママ……か……。
くるみちゃんはそれだけ言って、また消えていった。
ものすごく申し訳ない。こんな勝手なやつのために、こんな目にあって……。
その日はいろんなことを考えながら眠りについた。僕の家族のこと、夢のこと、どんな過去があったのかとか。
生前の記憶ははっきりしていることは、良いのか悪いのか…。
翌日、お転婆マネージャー平田真優香さんが来た。マネージャーの話は、頷きながら聞いておけば大丈夫と言われていたので、適当に笑って流しておいた。
ショートボブにメガネの、真面目そうな女性だが、関西弁で早口、自分でノリツッコミとか入れちゃったりするから、8割何を話しているのか分からないからだ。まぁ重要なことでも無さそうだし、良いかと思った。
問題は次の来客だった。
「くるみ、大丈夫? 意識戻って本当に良かった」
と言いながら、ドアを開けて入って来たのは、あれ? 最上柑菜? 朝ドラのダブルヒロインのもう一人じゃん! テンションが上がってしまった。
どうでもいい話だが、顔が整ったくるみちゃんとは対照的に、ショートカットで、まだあどけなさが残る柑菜ちゃんの方が僕にとってタイプなのだ。
えっと確か歳はくるみちゃんより1つ上だったよな……。
「来てくださって、ありがとうございます」
「え、えっ? 何で敬語?」
改まったように僕は言うと、首を少し横に捻り、微笑みながら柑菜ちゃんはそう言った。しまった……。
「柑菜は同い年だよ!」
横からケラケラと低い笑い声も聞こえる。
「いやぁ〜、まぁ何て言うんだろうね。こうちょっと変化球で敬語使うと驚くかなぁ〜って思って」
「いやいや、その変化球ど真ん中だよ」
「やるじゃん、柑菜」
あんまり女の子が使わないであろう野球の喩えに対して、うまく反応する柑菜ちゃんに思わず、肩を突いて褒めてしまった。すると、
「何かくるみ……」
と言って、柑菜ちゃんは急に顔を息がかかるくらいまで近づけて来た。
いろんな意味のドキドキで、脈が速くなった。ヤバい……これは……、
「おもしろくなったね〜! ツッコミ入れちゃう感じとか〜!」
心臓が止まるかと思った。てか一瞬止まった? 早くもバレてしまうのかと……。後、可愛すぎたってのもあるけど。くるみちゃんも餌を待つ雛のように、口が開いたまま固まっていた。
この子は陽気で楽しそうな子だが、勘も良さそうだから気を付けないと。
「そうそう、今度また映画か何かで共演できそうだよ。復帰したら、そのうち話があると思うから楽しみにしといて」
「わぁ〜、嬉しい」
どんな反応をすれば良いかと悩んで、すごくぎこちなくなってしまった。
「何それ、ロボットみたいな…」
「こういう演技だよ! ははは」
「だよね、本当おもしろくなったんだもんね〜」
うまく笑えているか分からないが、なんとか誤魔化せた。ただ緊張で喉が砂漠化している。
「時間だ! また学校で会えるの楽しみに待ってるね! じゃあ!」
と言って、笑顔で手を振りながら嵐のうように病室を去ってく柑菜ちゃんは、妖精みたいで捕まえたくなるほどだった。
「心臓が止まるかと思った! 柑菜、天然なんだけどね」
「あー、目が真を見ているような気がしたよ。てかくるみちゃん心臓は止まってるよね?」
「あっ、そっか」
と言って、首をかしげながら脈を取ろうとしていた。
相当天然なくるみちゃんが柑菜ちゃんのことを天然と言っても、あまり説得力は無いんだけどな。
それから数日、事務所の関係者がちらほらと来たが、くるみちゃんのフォローもあり、やり過ごせた。
ただ学校の友達とかは1人も来なかった。おかげでゆっくり休むことができたけど。
それは16歳の体にしては疲れ過ぎだろって思うくらい、体がバキバキで、怠かったからだ。
そして退院の日がやって来た。この日も僕が命を絶とうとした日と同じくらい快晴だった。
「よぉ〜、神子! 乗ってくか?」
と言いながら車の窓を開けて叫んでるのは、くるみちゃんの父親だ。七三分でサングラスをかけて、なかなかダンディーな男性だ。それに立派な左ハンドルの車に乗っている。
くるみちゃんの家は病院から15分。横浜市の中心にあった。家は普通の家よりかは少し広いくらいで、豪邸とまでは言えないくらいだ。
いくらインターネットゲーム会社の社長とはいえども、こんな都会にそこまで大きい家は建てられないか。
僕は車から降りて、手を広げ、空を見上げながら、くるみちゃんを演じてみた。
「やっと着いた〜!」
と言いながら家に入ろうとすると、何だか空気が凍りついた気がした。
「ここはママの実家よ。家はもうちょっと先よ。忘れたの?」
振り向くと、くるみちゃんの母さんは真面目な顔で、こっちを見て言って。父さんはクスクス笑っている。
そんなフェイントありかよ……。
「あー、いや、たまにはおじいちゃんに元気な顔を見せないと寂しがるかなって思って……」
頭を掻いて、全力で笑顏を作って言うと、またより一層空気が凍り付いた。
「おじいちゃんは2年前に亡くなったけど? その冗談は笑えないわよ、神子……」
「あ、その、仏壇に……」
春の陽気のせいかな? むちゃくちゃ暑くなって汗が出た。
そんな話くるみちゃんから聞いてないぜ。まぁ、こんなことまで話す時間なんて無かったんだが……。
とにかく、これからは不用意に喋らないことが賢明だな……。
そこから車で10分。本当のくるみちゃんの家に着いた。それでも思ってた家よりも少し大きいくらいの一軒家だった。ただ、特急が止まる駅から徒歩5分ほどで、立地は最高な場所だ。
「今日は退院祝いするから、早めにお風呂とか済ましちゃいなさいね」
家に入ると、くるみちゃんのお母さんは、そう言ってニコニコして言った。
綺麗に片付いたリビングにふかふかのソファー。まるで他人の家に来てるみたいで落ち着かない。まぁ他人の家なんだが……。
お風呂か……。今までは着替える時に少ししか見てなかった。と言うより、意地でも見ないようにしていたが、お風呂となるとそうはいかない。どこに目を向ければ良いのだろう。
「今、変なこと考えてたでしょ?」
急に出てくるもんでビクッとなった。不敵な笑みを浮かべながら、のそのそっと出てくる僕の顔。
「いや、別に考えてないよ」
ちょっと不機嫌そうに言った。
「知ってるよ。俊くんそう言うことには興味ないみたいだし、からかっただけだよ」
自分に名前を初めて呼ばれた。自分の姿に他人の名前を呼ぶことに、向こうは慣れてきたのかな? 僕はまだまだ違和感しか無いんだが。
「興味ないわけじゃないけど、プライドと言うかね、あんまり見たらダメな気がしてね」
「正直なんだね」
どうしてか、さっきからくるみちゃんは太陽のようにニコニコしている。家に帰って来れたから嬉しいのかな?
「部屋に案内するね」
と言われて、くるみちゃんの部屋に向かう途中、2階の廊下で弟に会った。
「守だ。どうしてお見舞い来てくれなかったのか聞いてみて?」
と言われたので、
「ただいま! どうして病院来てくれなかったの?」
と聞くと、振り向いて鋭い目付きでこっちを見てボソッと、
「行く意味がないと思っただけだよ」
と言って部屋に入っていった。
「守はね、無愛想なとこがあるけど、頭良くて優しくて本当は良い子なんだよ」
とくるみちゃんはフォローを入れたが、僕は行く意味がないってとこに、無愛想では片付けられない何か深い意味があるような気がした。
神馬守。高校1年生。くるみちゃんとは年子なのだが、彼の通っている私立名東高校は、毎年学年の4割ほど東大に進学する、全国1と言われている進学校だ。俺も頭は悪くは無いほうだと思っていたが、これっぽっちも敵わない高校だ。眼鏡をかけて、少し目付きが悪く顎が出ていて、くるみちゃんとは全く似付かない。
くるみちゃんの部屋はほぼピンク一色で、綺麗に片付いていて、女の子らしい部屋だった。高校時代彼女はいたが、部屋に行ったことも無かったから、妹以外の女子高生の部屋を見るのは初めてだった。
ぬいぐるみや写真立ても等間隔に並んでおり、不自然なくらいに綺麗な部屋だった。
「すごい綺麗な部屋だね。こんな部屋初めて見たよ」
僕は賞賛せずにはいられなかった。くるみちゃんは照れ臭そうに微笑んでいた。
どこにどんな物があるか、詳しく説明してくれた。そこでふと開いた引出しの中に、一冊の日記のようなものを見つけた。
僕が手を取り開こうとすると、
「やめて! 勝手に見ないで!」
今まで聞いたことのない大きな声と、見たことない怖い目つきで、くるみちゃんは僕の動きを止めた。
「うん、ギリギリ開いてない。大丈夫だから」
僕はそう言って日記を置いて、引出しをそっと閉めた。まぁ日記を勝手に読まれるなんて誰でも嫌がるものだよな。僕が悪い。
にしてもさすが女優。鬼気迫る表情も群を抜いている。
それからまた説明が続いた。
「学校は仕事の時以外は休まないでね。必ず!明日から行ってね」
「えー、明日から? 退院したばっかだし、週末だし月曜からで良いんじゃないか?」
「いいから明日から行って!お願い」
「本当に学校が好きなんだな」
と呆れたように笑って言うと、くるみちゃんは目をそらしながら頷いた。
明後日は復帰会見やら、取材でみっちりスケジュールが詰まってるのに。
なるほど、こういう生活をしているから16歳とは思えないほど、体に疲労感があったのか。
ってか、こうやってベッドの上に座って話し合っているのも、全部周りから見たら独り言なんだよな。
「神子! 早く入りなさい!」
と言われたので、慌ててお風呂へ向かった。
そうだ、お風呂のことを忘れていた。
緊張しながら、下着を持って、風呂場に入って服を脱いで鏡の前に立つのだが、何かおかしい……?
もっと興奮とか、そう言うのがあるのかと思ったけど、全然心拍数が上がらない……。
目の前にいるのは大女優のありのままの姿なのに……。
自分に自信が無いことから、煩悩は人よりかなり少なかったが、ここまで何も思わないとなると、さすがに男としてどうかしてる。
いや、もしかして体が女の子なっているから、女の子に対して何も感じなくなっているだけかもしれない。
それって心が女の子になってるってことか?
「どう? スタイルいいでしょ?」
僕を信用しまったのか、死んでる人間だからと割り切っているのか、くるみちゃんは横に立って笑って言った。
しかし、鏡には映らないが袖谷俊と裸の早坂くるみが並んでいると考えるとさすがに変な気分になった。
神馬家の湯船はとても広く、白いお湯にバラが浮いていた。
それから夜ご飯を食べて、軽く退院祝いをして翌日の学校のために早めに寝ることにした。
こういう生活がいつまで続くのか考えながら目を瞑ると、不安が押し寄せてなかなか眠れなかった。
強がりだけど打たれ弱い僕。
本当に元に戻れるのか? 男が女を演じてバレずに生活するなんてできるのか? ましてや、こんな大女優を。
そんなことを頭にずっとループさせていると、11時にはベッドに着いたのに、気が付けば外が明るくなっていた。
(袖谷俊、身体消滅まで残り40時間)