第9話 ヴァルハラ
「お久しぶりですね、リィヴ」
俺の目の前には、いつの日か見た白と青が混じったドレスを着た天使が立っていた。
シーラだ。
「リィヴ、分かりますか? シーラです。傷を癒す必要があったので、魔獣にやられてしまったのですね。大丈夫ですか? 痛みはもうないはずです」
確かにない。
俺の胸に自分で開けた傷は無くなっている。
だめだったのか。
神石を魔法袋の中に収納した瞬間、俺は死んでしまったのか。
「最初はショックを受ける方もいます。ですがゆっくりと心を落ち着かせてください。いまヴァルハラは時が止まっています。心を落ち着かせてミズガルズに戻りましょう」
魔法袋は?
俺の魔法袋はどうなった?
槌と盾は真っ白な大地に転がっている。
身に着けていた装備はまったくそのままだ。
俺はそっと懐の内ポケットを探った。
ない。
今度はズボンのポケットを探った。
「あ、あった」
「どうしました?」
ズボンのポケットの中に魔法袋が入っていた。
最初にシーラからこの革服をもらった時も、なぜか魔法袋はこのズボンのポケットの中に入っていたっけ。
「いえ、なんでもないです」
「そうですか……おや? その槌は……もしかしてこの短期間で下級の戦闘魔道具を買ったのですか?」
「え?」
真っ白な大地に転がる木の槌。
それは間違いなくシーラからもらった槌だけど、埋め込まれている魔石は下級魔石。
槌が下級の戦闘魔道具に進化しているから、シーラは俺が新たな槌を買ったと思い込んでいるようだ。
「素晴らしいです! リィヴがミズガルズに降りてまだ50日も経っていないのに。まさかこんな早く下級の戦闘魔道具を手に入れるなんて……」
違います。
全然違います。
俺はただの役立たずの臆病者の雑魚野郎です。
「俺の神石に……最下級魔石3個分の魔力があるはずです。最下級の闘気を覚えたいです。それと剣術と斧術の戦術も、最下級で刻んでもらっていいですか?」
「闘気は構いませんが、剣と斧ですか? 槌を使うのであれば不要では?」
「ま、いろいろと勉強のためです。ダメでしょうか?」
「……いえ、構いません。まったく無駄ではないでしょうから」
シーラはちょっと怪訝そうな表情を浮かべていたけど、俺の胸に手を当てて唱え始める。
俺の心臓が一瞬ドクッ! と脈打つと、新たな力が刻まれた。
「終わりました。……元気がありませんが大丈夫ですか? 魔獣に敗北したとしても、リィヴは何度でも生き返るのですから。気を落とさず頑張っていきましょう。これから何度も何度も、魔獣に敗北することになります。一度の敗北で落ち込んでいてはやっていけません。
それにリィヴはこの短期間で下級の戦闘魔道具を手に入れたのですよ! これは本当に素晴らしいことです。
私はリィヴの担当になれたことを誇りに思います。
これならいずれリィヴは中層、上層に、そして最上層にだって」
シーラはやや興奮したような口調で喋り続けている。
対して俺は自分の無力さに冷めていた。
今ごろニニはもう……殺されているだろうか。
いやまて、もしニニがエインヘルアルならヴァルハラにきてるんじゃ!?
「あの……俺がここにいる時に、他のエインヘルアルが死ぬとそいつもヴァルハラにきますか?」
「さきほども言いましたが、いまヴァルハラは時が止まっています。同時にエインヘルアルがヴァルハラに来ることはありません」
え? 時が止まっている?
「時が止まっているんですか?」
「はい。正確にはエインヘルアルの誰かがヴァルハラにきた時点で時が止まります。リィヴがミズガルズに戻れば、また時間も動き出します」
「えっと、つまり俺がミズガルズに戻ったら、俺が死んだ直後の時間に戻るってことになります?」
「はい、そうです。正確にはリィヴの意識が途切れた10秒ほど後ですが」
「あの……なら、ここでしばらく鍛錬することって出来ます?」
時が止まっているなら、槌術と盾術の動きをここでマスターすれば……。
「リィヴの考えていることは分かります。私の力でヴァルハラを維持できる間はここで鍛錬する時間を作ってあげられますが、私の力が尽きれば強制的にリィヴはミズガルズに降りることになります」
「シーラの力……それってシーラの大事な力ですよね? 1日寝れば回復するようなものですか?」
「くすくすっ。1日寝たぐらいで回復するのは難しいですね。まだリィヴに伝えることではないのですが、私達ヴァルキューレは魔力によって命を繋いでいます。実はリィヴ達が聖樹の森から持ち帰ってくれた魔石の一部は、私達ヴァルキューレのために捧げられているのですよ」
おお~そうなんだ。
神殿に売った魔石の一部は、シーラのために使われていたのか。
「シーラに魔石を捧げるって、魔石をヴァルハラに送るんですか?」
「いえいえ、違います。ミズガルズにある神玉に魔石の魔力を注いでもらっているのです。その一部が私達ヴァルキューレへと注がれています」
「なるほど~。それは知りませんでした。でもシーラの大事な魔力を俺のために使ってもらうのは……」
「問題ありません。こんな短期間で下級戦闘魔道具を手に入れたリィヴのためですもの。喜んで私の魔力を使わせてもらいます。とは言っても、実は私はそれほど高位のヴァルキューレではないため、あまり多くの魔力を持っていません。せいぜい3日が限度でしょう」
3日か。
それでも無いよりかはずっと良い。
「俺がミズガルズに戻る時って、死んだ地点に戻れます?」
「可能です。これも伝えておくべきでしょう。リィヴがヴァルハラにやってきた時、戻れる地点は2箇所です。ヴァルハラにやってくる直前にいた場所と、浅瀬の聖樹の根元のどこかです。
この直前にいた場所に戻れることを利用して、下層、中層に何度も挑戦することは出来なくはありませんが、限界があります。リィヴの傷を癒してヴァルハラで再生するのに、既に私の魔力を使っています。何度も繰り返せば、いずれ私の魔力が尽きます。
私の魔力が尽きた状態でリィヴがヴァルハラにやってきた場合、神玉から私に魔力が注がれるまで再生してあげることは出来ません。
それにそのような無理をしても、魔石を聖樹の根元から切り出すのはそんなに簡単なことではないですし、結局は魔獣に勝てる強さがなければ無駄足です。
リィヴはゆっくりと着実に強くなっていくのがいいでしょう」
強くなる。
出来るだけ強くなる。
そしてあの瞬間に戻る。
それが可能だと分かった途端、希望を持てた。
まだニニは死んでいない。
きっと生きている。
ちょっとムカツク奴だけど、俺より年下なんだ。
もしかしたらまだ子供かもしれない。
俺が助けてやらないと。
「シーラの大切な魔力を使わせてもらっていいですか?」
「はい、喜んで」
シーラはとても嬉しそうに笑った。
その笑顔は機械的ではなかった。
本当に嬉しそうだ。
きっと俺が期待の星に見えているのだろう。
残念ながら今はそうではないけど、そうなってみせる。
2日が経過して3日目。
俺は真っ白な大地の上で、ひたすら槌を振っていた。
仮想の敵をイメージして盾で攻撃も防ぐ。
イメージする敵はもちろんあの大猿だ。
シーラは戦う力はまったくないそうなので、特に鍛錬に付き合ってもらうことはない。
むしろ見られていると気になるから鍛錬中は姿を見せないでもらった。
しかし夜になると……といっても真っ白な世界に変わりはないのだがシーラが夜だと言うので夜なのだろう。
その夜になると、シーラはどこから持ってきたのか猪の肉と、羊の乳で作ったという酒を持ってやってきた。
シーラにお酌してもらうなんて贅沢だけど、俺は酒があまり強くない。
真っ赤な顔の俺を見て、シーラは可愛いと喜んでいた。
昨夜も美味しい猪の肉を食べながら、シーラにお酌してもらった。
そしていつしか酔いつぶれて寝ていたのだ。
時が止まっているヴァルハラでも、お腹は空くし疲れは溜まるし、眠気に襲われる。
普通に生きているのと変わらなかった。
さて、今日はミズガルズに帰る日。
それはあの瞬間だ。
大猿と再び戦うことになる。
でも実はまったく勝てる気がしない。
僅か3日の鍛錬ではやっぱり無理だ。
もっと時間が欲しい。
でもシーラの持つ魔力は、もう俺をヴァルハラに留まらせることが出来ない。
そしてミズガルズに戻って大猿に殺されたら、シーラは俺を再生する魔力がないから、俺は復活まで時間を要することになる。
そこで俺はあることを考えついた。
そのためにも、まずはシーラに話を聞いてみないといけない。
聞いた結果、全然無理かもしれないしね。
「シーラ」
真っ白な空? 天井? に向かって呼べば、真っ白な空間の中からシーラが出てくる。
「はい。戻りますか?」
「その前にちょっとシーラに聞きたいことがあって。神玉に注がれた魔力の一部がシーラ達ヴァルキューレに注がれているんだよね。シーラがこの3日間に使った魔力って魔石でいうとどのくらいなのかな?」
「最下級魔石3個分です。これもお伝えしておきましょう。私達ヴァルキューレは担当するエインヘルアルの成長に伴って、注がれる魔力が増えます。私は『最下級ヴァルキューレ』ですが、担当するエインヘルアルが成長すれば、『下級ヴァルキューレ』となり神玉から与えられる魔力も増えることになります。
そして私が高位のヴァルキューレになれば、このような何もない真っ白な空間のヴァルハラではなく、美しく壮大な宮殿のヴァルハラに招くことも出来るでしょう」
なるほど、ヴァルキューレも階級制なのか。
「ですので、リィヴがどんどん成長してくれれば、それは私にとっても嬉しいことなのです。リィヴの神石に累計で下級魔石1つ分の魔力が溜まれば、私は下級ヴァルキューレになれます」
「いまシーラに最下級魔石を3個渡せば、さらにもう3日鍛錬できる?」
「いいえ、それは出来ません。私の魔力は神玉から注がれることになります。リィヴ達のように魔石を直接吸収することは出来ないのです。そしていまは時が止まった状態です。リィヴがミズガルズに降りない限り、私に魔力が注がれることはありません」
ここまで得られた情報ではOKだ。
いける。
後は……シーラを信頼できるかどうかだ。
「ヴァルキューレにも階級があるみたいだけど、シーラは高位のヴァルキューレを目指しているの?」
「もちろんです。ヴァルキューレとしてより高位な存在を目指すのは当然のことです。それは主神オーディン様の神玉を集めるという使命のためにもまた当然のことです」
「そっか……シーラ自身は何か求めているものがあったりする?」
「え?」
機械的な受け答えの後、一瞬シーラの表情が固まる。
シーラ自身が求めるもの、シーラの欲求とは何だろう。
「もし仮に主神オーディン様が復活したら、神の地アースガルズも復活するんだよね? その時、シーラは何を望むの?」
「私は……私は……」
今までにないシーラの様子……俺の質問はそんなに驚くような質問だったのか。
単にシーラが求めて望むものが分かれば、交渉の材料になるかと思って聞いたんだが。
そしてシーラの口から出た答えは意外なものだった。
「私は生きて自由になりたい」
ほえ?
生きて自由に?
目が点になっていたのか、俺を見たシーラは少し顔を赤くしながら言った。
「実は……私は今のままでは主神オーディン様が復活された時には存在を消されてしまうのです」
おおっと、なんだそれ。
「最下級と下級のヴァルキューレは存在が消されると言い伝えられています。ミズガルズにある1つだけの神玉では、主神オーディン様の声を聞くことは不可能です。故に今は確実にそうであるとは分からないのですが、分からない以上はそう思うしかありません」
なるほど、はっきりとは分からないのか。
でもオーディンの声を聞くことは不可能って、俺が最初に話したのってあれオーディンだよな?
あの深淵の底の闇はオーディンが封印されている場所なのかもしれない。
「時が止まっているので誰かに聞かれる心配はありませんが、それでもこんなことを言うのは恥ずかしいですね。
でも私は生きたい。生きて自由に、青い空の下で飛んでみたい……そう願う気持ちがあるのは事実です」
最初は恥ずかしそうに言っていたけど、最後は真っ直ぐに俺を見て言った。
シーラが担当しているエインヘルアルは俺を含めて5人だったはずだ。
きっとその中で、今は俺に期待してくれているのだろう。
この短期間で最下級魔石3個分の魔力を神石に溜めて、しかも下級の戦闘魔道具を手に入れてやってきた俺を。
「シーラはクロードってエインヘルアルを知っているか? 俺と同じ時期にミズガルズに降りたと思うんだけど」
「知っています。いまその者の名を知らないヴァルキューレはいないでしょう。それはリィヴ達も同じでしょうが」
「主神オーディン様から特別な魔道具を授かったエインヘルアル……無限魔力が与えられる指輪持ち、最上級戦術をいくつも刻み、最上級闘気を無限に使える最強のエインヘルアル」
「異世界から召喚される際に、何らかの条件を満たすことで主神オーディン様から特別な魔道具を授かることが出来るそうです」
「過去にクロード以外にも、特別な魔道具を持っていたエインヘルアルはいたの?」
「いえ、クロードが初めてです」
「そっか」
これはもういくしかない。
芝居を打つつもりで、シーラを取り込むしかない。
シーラだって俺が強くなることには大賛成なんだ。
そして自らが生きて自由になるためなら、協力するはずだ。
シーラは機械じゃない。
感情を持っている。
そして欲求を持っている。
きっと話に乗ってくるはずだ。
「実は俺も持ってるんだ」
「え?」
「俺も、主神オーディン様からある特別な魔道具を授かっているんだ」
「ほ、本当ですか?」
「本当だよ。だからこそ、こんな短期間でここまで成長できたんだ」
「ど、どんな魔道具なのですか?」
すげ~喰いついてきた。
「教える前にまず約束して欲しい。絶対に誰にも言わないでくれ。これを話すのはシーラがもちろん初めてだ。俺の魔道具にはある弱点がある。だから情報が漏れるのを防ぎたい」
「も、もちろんです! 何があっても誰にも話しません!」
「安心したよ。ありがとう。そしてもう1つ。今度はちょっとお願いがある」
「はい、ど、どんなことでしょうか」
「今から俺の特別な魔道具を使って、シーラにこの場で魔力を与えられないか検証してみたいんだ」
「私に魔力を? いったいどんな検証なのですか?」
あ、やっぱり聞くよね。
何も聞かず検証に付き合ってくれるわけないですよね。
魔法袋の中に神石を入れた俺は死んだ。
それは神石を入れたから死んだのか、それとも胸を切り裂いたことで死んだのかよく分からん。
でも死んだ。
なら、人をまるごと魔法袋の中に入れたらどうなるか?
シーラは正確には人ではないんだろうけど、似たようなもんだ、
シーラを魔法袋の中に入れて、合成で魔力を与える。
そうすれば、ヴァルハラにいられる時間を延ばせるはずだ。
でも万が一、魔法袋の中にシーラを収納したら、シーラが消滅しちゃう可能性もある。
死ぬってことだ。
あれ? ヴァルキューレって死ぬのか?
「あ、その前に、ヴァルキューレって俺達エインヘルアルみたいに不死身なの?」
「……いいえ、違います。私達は不死身ではありません」
「そっか」
むむ~これは困ったぞ。
万が一死ぬとして……なら魔法袋の中に入るのは俺か?
シーラに魔法袋のことを話して、俺を収納してみてもらう。
そして合成を使って、小魔石1個と合成する。
これで問題なく俺を魔法袋から解放できれば、今度はシーラを収納してみる。
この流れしかないな。
強引にシーラを収納しちゃってもいいんだけど、それだと良好な関係を続けていくのは難しい。
万が一、死んじゃったら大変だ。
あ、シーラが死んだら時が止まったヴァルハラから俺はいきなり降ろされるのかな?
そもそも俺が魔法袋に入った瞬間に死ぬとしたら、魔力の尽きたシーラが俺を再生するのに時間がかかってしまうか。
いずれにせよ、今の俺が戻っても大猿相手に何か出来るとは思えない。
やってみるしかない。
「ふぅ……検証は俺を使ってやってみようと思う。今から俺の特別な魔道具のことを話すよ。これだ」
ポケットから魔法袋を取り出す。
シーラは食い入るように袋を見つめている。
「これは魔法袋だ。この能力は……」
それから俺が知る限りの説明と、シーラからの質問に分かる範囲で答えていった。
「という訳だ」
「なるほど。よく分かりました。それでリィヴはそのニニという少年を助けるために必死なんですね」
「ま~ちょっとむかつく奴だけど、でも助けられるなら助けてあげたいし」
「分かりました。私も協力します。それと担当していた他の4人のエインヘルアルは、誰か別のヴァルキューレに担当してもらうようにします」
「おいおい、いいの?」
「問題ありません。担当といっても、ヴァルハラにきた時に対応するぐらいしかやることはありません。より多くのエインヘルアルを担当したいと誰もが願っています。引き受け手は簡単に見つかるでしょう」
「そっか。ならいいや。そんじゃ~俺とシーラは運命共同体ってことで」
「はい。私はリィヴに賭けます。私の全てを」
「よし! じゃ~早速、俺を収納してみてくれ」
「分かりました」
魔法袋をシーラに渡す。
いくら信頼しても、やっぱり不安だ。
魔法袋の弱点は、誰でも使えるということ。
クロードが持つ指輪は違う。
あれはクロードにしか使えないから、奪われる心配はない。
でも俺の魔法袋は奪われたらお終いだ。
「いきます」
シーラは魔法袋の口を俺に当てる。
そして『収納』と念じたのだろう。
俺は一瞬で暗闇の中にいた。
おお、これが魔法袋の中なのか!
真っ暗だな。
でも生きてる。
死んでない! 成功か!
む? 暗闇の中に小魔石が1個浮かんできた。
合成だな。
外でシーラが俺に小魔石1個を合成しようとしているんだ。
予想通り、俺と小魔石が同時に光り輝くと小魔石は消えてしまった。
合成で俺の中に吸収されたのだろう。
直後、俺は何かに引っ張られるような感覚と同時に、真っ白な世界に戻ってきていた。
目の前にはシーラがいる。
「成功か」
「はい。上手くいったようです」
「中は真っ暗な暗闇の中って感じ。痛みも一切無かったよ」
「それはよかった。では次は私ですね」
シーラは不安どころか、早く自分を収納して欲しいといった感じだ。
まあ俺で成功しているから、自分が死ぬことないって分かったからだろうけど。
シーラを収納する。
そして魔法袋の中に手を入れて一覧を念じる。
最下級ヴァルキューレ『シーラ』
階級まで表示されたよ。
シーラと合成するのは魔石じゃない。
シーラはエインヘルアルと違って、魔石を吸収する能力はない。
直接魔力を与える必要がある。
あれ? でも魔石と合成したらどうなるんだろう?
まあいいや、いまはその検証をしている余裕はない。
魔法袋にはかなりの小魔石の魔力が溜まっているけど、収納している小魔石も512個ある。
まずは小魔石500個を魔法袋に食べさせた。
さらにはニニとの魔石狩りで得た最下級魔石10個も食べさせる。
最後に豚の最下級魔石も食べさせる。
そして魔法袋の中にある魔力全てをシーラに合成する。
合成するために必要な魔力は差引かれるのだろう。
最下級闘気を使うための俺自身の魔力はあまり残っていない。
このままでは、聖樹の森に戻っても闘気を思う存分使うことはできない。
まったくクロードの指輪が羨ましい。
でもこれには考えがあるので問題ない……たぶんね。
その後、小魔石12個を魔法袋に食べさせた。
魔力がゼロの状態も困るからね。
「解放っと」
シーラを解放すると、魔法袋の中から何かが外に飛び出した。
一瞬で美しい金髪天使シーラの登場である。
「どうかな?」
「はい。成功です。私の中にとても多くの魔力が流れてきました」
「これであと何日、ヴァルハラで鍛錬できる?」
「30日は時を止めたヴァルハラを維持できます」
30日。
この貴重な時間を使って、俺はあの大猿に勝てる……のは無理でも、ニニが逃げられる時間稼ぎが出来るぐらいにはならないといけない。
そのためには鍛錬だ!
甘えは許されない! 必死に鍛錬するぞ!
半分の15日が経過した。
シーラのお酌で酒を飲んでいると、いつの間にか少し酒に強くなったようである。
前まではすぐに顔が赤くなって酔いつぶれていたけど、今ではシーラと晩酌しながら話をするようになっていた。
話をするといっても、俺は元の世界の記憶の多くは封印されているので、ミズガルズで経験したことになる。
酒の勢いで神殿の悪口も言ってしまった。
ミズガルズの人達を殺そうとしたエインヘルアルを罰しない神殿はだめだ! とか。
シーラは俺の言葉に頷いて賛同してくれた。
「リィヴの言う通りです。神殿の権力に溺れたエインヘルアルも神官達も、いずれ罰が下ることでしょう」
そしてシーラは俺のある不自然な点について、後になって気付いたと話してくれた。
俺が下級の戦闘魔道具を持っていたことがあまりに嬉しくて興奮してしまい、その不自然な点に気付くのが遅れたそうだ。
それは、死んだ時にヴァルハラに一緒に戻ってくる物は神石と繋がりをつけた物だけであるということ。
つまり、俺が持っていた下級戦闘魔道具の槌はシーラに会いにきて神石と繋がりをつけなければ、死んだ時にヴァルハラに一緒に戻ってくることはない。
それなのに槌は一緒にヴァルハラに戻ってきた。
それはこの槌が一番最初にもらった槌で、すでに俺の神石と繋がりがあるからだ。
これに関しては、神殿で初めて戦闘魔道具を買った時に神官から説明を受けることになっているそうだ。
ヴァルキューレに会いにいける魔石を吸収して必ず会いに行って下さい、とね。
ちなみに神石と繋がりをつけられるのは、魔道具だけである。
魔石が埋め込まれている必要があるってことだ。
魔法袋には魔石が埋め込まれているようには見えないけど、ちゃんとヴァルハラについてきた。
これはオーディンからもらった特別な魔道具だから例外だろう。
シーラが見る限り、俺の神石と繋がっているわけでもないようだ。
それにしても今夜はやけにシーラの距離が近いな。
ほとんど密着状態でお酌してくれるもんだから、いろいろと柔らかい感触が素晴らしくて酔いが加速しそうだ。
「でもリィヴと出会えたサンディさんとリタさんは本当に幸運ですね。2人にとってリィヴは神にも近い存在でしょう」
「そ、そんなことないけど。でも2人が良くなってくれたら嬉しいからね」
「私にも良くしてくれますか?」
「も、もちろん! シーラとは運命共同体って言ったろ。この魔法袋のことを話したのは本当にシーラが初めてなんだ」
「嬉しいです。リィヴが私のことを信頼してくれて。……私もリィヴの信頼に応えたい」
ぐっとシーラがさらに密着してくる。
もう完全に柔らかマシュマロが腕に押し付けられていますよ。
DかEってところか?
素晴らしい……スタイルも最高だしね。
「こうして時を止めたヴァルハラを維持してくれているんだ。信頼に応えてくれているよ」
「それはもちろんですけど、もっとリィヴと信頼し合いたいなって」
「そ、それは、その……」
「サンディさんとリタさんとはしたのでしょ?」
うぎゃ!
その部分は話してないのに! どうして!?
「くすくすっ。リィヴは可愛いですね。今のは探りを入れただけですよ。でもこれで分かっちゃいました。サンディさんやリタさんとはして、私とはしてくれないのですか?」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
闘気を使うわけにはいかない。
俺の神石に残された魔力は残り僅かだ。
新たに覚えた最下級闘気を封印して、俺はシーラに勝てるだろうか。
「優しくてして下さいね。私……初めてなんです」
俺はヴァルハラにユニコーンがいないことを祈った。
さらに15日が経過した。
いよいよミズガルズの聖樹の森に戻る時がきた。
俺が死んだ直後……正確には俺が死んで10秒後ぐらいらしい。
クズ達も、身体を真っ二つにして10秒ぐらい経ってからヴァルハラに戻ってたな。
あの時、クズ達も時が止まったヴァルハラに戻っていたはずだ。
そしてその気になれば、あの場所に戻ってこれた。
でも、最初に真っ二つにした男は、なんで自分がヴァルハラに戻ったのか訳が分からない状態だったはずだ。
その状態で元の場所に戻ってくるという選択は取らないだろう。
残りの2人も、俺が何者なのか不明で状況がよく分からなかっただろう。
同時にヴァルハラに集まることが出来ないから、自分1人の判断で元の場所に戻るなんて怖くて選択できないよな。
エインヘルアルが復活するのに、ヴァルキューレが消費する魔力のシステムも分かった。
俺の神石に溜まった魔力の累計値によって、俺の復活のための魔力が増えていくそうだ。
下級魔石1個分の魔力が累計で神石の中に溜まると、シーラは下級ヴァルキューレにランクアップして、神玉から与えられる魔力量が増える。
でも、俺が死んでしまって再生するための魔力もその段階で増える。
今の状態が復活するために、最も少ない魔力量で済む状態ってわけだ。
「リィヴ様」
シーラが当然のように俺の腕に絡まってきて、耳元で優しく甘く囁く。
身体を合わせるようになってから、シーラは俺のことを『リィヴ様』と呼ぶようになった。
最初やめてくれと言ったけど、シーラはやめなかった。
俺のことをオーディン以上に崇拝するようになっているのかもしれない。
俺に忠誠を誓ったヴァルキューレのシーラ。
すごく良い響きだけど、あまりの忠実っぷりにちょっと困惑するぐらいだ。
どんな欲望にも応えてくれちゃうから、ちょっと俺もエスカレートし過ぎちゃう時があるんだよね。
勝敗は五分五分といったところだ。
ちなみに、エインヘルアルは子供を残すことが出来ないのが普通だけど、どうやら子供を作る方法もあるらしい。
知りたいですか? と耳元で甘く囁いてきたけど、今はまだいいです、と遠慮しておいた。
この15日間、シーラは俺の魔法袋の中にいることを好んだ。
おかげで魔法袋の中にいるシーラと会話できることが分かった。
会話といっても俺は声を出すわけじゃない。頭の中で念じる様に話せば魔法袋の中に俺の声が響くそうだ。
逆にシーラは魔法袋の中で普通に声を出して話せば、それが俺の頭の中に直接響くように聞こえてきた。
俺と話せるから魔法袋の中にいるわけではないんだろうけど。
外にいたって話せるわけだし。
でもどういう訳か、シーラは魔法袋の中にいるのが好きなようだ。
本人が魔法袋の中にいたいと言うのだから、中に入れてあげておいた。
「戻るよ」
「はい。リィヴ様の作戦はきっと上手くいきます。御武運をお祈りしています」
「ありがとう」
「リィヴ様、ミズガルズに戻られた後も、たまには逢いに来て下さいませ」
「もちろん逢いにくるよ。鍛錬にも最適な場所だからね」
「うふふ、お待ちしております」
身体に絡み付くような熱い抱擁と口づけを交わしと、柔らかいシーラの身体が離れていった。
「それでは、リィヴ様をミズガルズに戻します」
「頼む」
シーラの笑顔に見送られながら、俺は光りの奔流に包まれていく。
一瞬の浮遊感の直後、目の前にはあの日の光景が広がっていた。
「キィィイ! キィィイ!」
醜い雄叫びを上げる真っ黒な大猿と、ぼろ雑巾のように大地に転がるニニ。
俺は迷うことなく最下級闘気を纏って駆け出した。