第3話 『誰か』に街を案内してもらう
俺はサンディさんとリタさんの案内で、無事にカーリアに辿り着いた。
サンディさん達の魔石は猪に喰われてしまって無くなっていたので、カーリアに着くまで魔獣に襲われることはなかった。
俺の魔法袋の中には魔石が収納されているけど、それは魔獣には反応されないから安心だしね。
カーリアの門では、異世界からのエインヘルアルですと告げたらすんなり通してくれた。
サンディさん達は何やらカードを見せていた。
カーリアは巨大な壁に覆われている。
これはカーリアだけではなく、ルーン王国全体を覆うように巨大な壁があるそうだ。
『ユミルの壁』と呼ばれていて、このおかげで魔獣がルーン王国内に入ってくることはない。
魔石を欲する魔獣からすれば、ルーン王国内はまさに宝の山が眠る場所なのだろうが、この巨大な壁に阻まれて侵入することは出来ないってわけだ。
カーリアまで歩いている途中、お腹が空いた俺にサンディさん達は食料を分けてくれた。
硬い干し肉だったけどお腹が空いていたのもあって、今まで食べたどんなものより美味しく感じられた。
その後に飲んだ水も、こんなに美味しい水があるのかと感動してしまうほどだった。
カーリアまで歩いている間、サンディさん達からこの世界『ユグドラシル』のことをいろいろ聞いた。
神は500年ほど前に起きた『ラグナロク』と呼ばれる巨人族との戦争で、みんな死んで滅びたそうだ。
オーディンもこの時、フェンリルという巨大な狼に噛み殺された。
しかしその魂はまだこの世に留まり、復活を望んでいるというわけだ。
ラグナロクの後、ユグドラシルは9つの世界に分かれた。
ミズガルズはその中で人が住む世界だ。
ミズガルズにはルーン王国という国が1つあるだけ。
だから国同士の争いなんてない……のだが、残念ながら国内でいろいろ争いがあるとか。
権力争いと言えば簡単なのだが、聞くといろいろ複雑だった。
それは俺にとっても無関係なことではなかった。
簡単に言えば異世界からのエインヘルアルと、もともとミズガルズに住んでいた人達の間で溝が出来てしまっているのだ。
異世界からのエインヘルアルは、オーディンとの契約によりユグドラシルに連れてこられた者達だ。
その目的は9つの世界に散らばった神玉を集めて、オーディンを復活させること。
それは同時にミズガルズに住む人達にとっても、同じ目的となる。
利害は一致している。
しかし争いは絶えない。
サンディさん達は不死身じゃない。
俺達みたいに何度死んでも生き返ってやり直せるわけじゃない。
一度きりの人生だ。
対して俺達は何度でも生き返る。
やり直すことが出来る。
当然、神玉を集めるのは俺達エインヘルアルとなる。
そのため異世界からのエインヘルアルは自分達の方が偉いと考え始めたのか、ルーン王国内で権力を求めるようになってしまったそうだ。
「あいつらは傲慢で不遜で乱暴で、とにかく嫌な奴らだ」
リタさんの言葉に、なぜか俺は心の中でごめんなさいと謝った。
神玉を集める本拠地はここミズガルズである。
ルーン王国の王都テラに神玉は集められるそうだ。
いつの日かオーディンが復活すれば虹の橋ビフレストが再び架けられ、神の地アースガルズに人々を導き、永遠の幸せを与えると言い伝えられている。
その日を信じてミズガルズの人達は、異世界からのエインヘルアルと何とか付き合っているとか。
「なかなか綺麗な街でしょ? カーリアは聖樹の森への入り口だから、街も発展しているの。道だって整備されている。ここまで整っているのはテラ以外ではカーリアぐらいよ」
「確かに綺麗ですね。街も活気があって賑やかですし」
「でしょ~。えっと、ここからテラまで歩くと10日ほどかかるわ」
「10日か……」
「でもリィヴは一瞬でテラに着けるはずよ」
「え? どうして?」
「エインヘルアルは『瞬間移動石』を使えるからよ。一瞬でテラに到着ってわけ」
「お~それは良かった。楽ちんですね」
「……すぐに行く? 急がないなら、私達がカーリアを案内してあげてもいいんだけど」
「お……」
サンディさん達に街を案内してもらえるなんて、こんな嬉しいイベントを逃す手はない。
聖樹の森からカーリアに着くまでの間に、サンディさん達とは少し仲良くなれた。
お喋りしていくうちに俺が年下だと分かると、サンディさん達の言葉もだいぶ砕けてきた。
ちなみに、2人とも26歳だった。
6歳年上の素敵なお姉さんである。
リタさんは無口かと思ったけど全然そんなことなくて、普通に会話に入ってきては冗談を言うこともあった。
カーリアの街は、道がアスファルトのようなもので舗装されて整備されているし、建物も俺の記憶の中にある建物と外観がとても似ていて、こちらはコンクリートのようなもので造られていた。
サンディさん達に聞いてみると、異世界からのエインヘルアルが魔石の魔力を使って造り出した特殊な石材だと言っていたので、やはりコンクリートに近いものなのだろう。
シーラはユグドラシルの世界に相応しくない知識の記憶は封印されると言っていたけど、こうして『コンクリート』って言葉が出てくるのだから、この世界に持ち込んでも問題ない知識と判断されているのか。
さてさて、シーラは自分がエインヘルアルだと告げればあとは自然と事が進んでいくと言っていた。
でもテラに急いで行かないといけないとは言っていなかった。
つまり、サンディさん達にカーリアの街を案内してもらってもいいのではないだろうか。
カーリアに着いて数人の女性とすれ違ったけど、サンディさん達がこの世界の女性の平均的なレベルってことはなさそうだ。
やっぱり2人はこの世界でも美女の部類に入る女性なのだろう
そんな2人と少しでも仲良くなっておくことは、この先この世界で生きていく中で間違いなくプラスの要因となるはずだ!
「それではお言葉に甘えて、案内してもらってもいいですか」
「もちろん! リィヴも絶対に聖樹の森に入ることになるんだから、カーリアの街並みに詳しくなっておくと良いことあるよ」
「ですよね! そういえば、エインヘルアルでなくても聖樹の森に入って魔石狩りってするんですね。サンディさん達みたいに」
「ええ、私達みたいなのを『探索者』っていうの。聖樹の森からどうにか魔石を持ち帰ってギルドに売っているわ」
「サンディさん達と会った場所は、魔石狩りをする人達の中でいうと初心者が行くようなところなんですか? あの悪者先輩方も自分達のことを新米って堂々と言ってましたけど」
「くくっ、新米の悪者先輩か。確かに言ってたね。ああ、あそこは聖樹の森の『浅瀬』と呼ばれている場所だ。聖樹の根から生えている魔石がとても小さい。魔石狩り初心者はあそこでどうにか魔獣に見つからないように、魔石狩りするのさ」
悪者先輩に新米という言葉がリタさんにヒットしたのか、笑いながら答えてくれた。
カッコいい顔に一人称がオレのリタさんも、こうして笑うと笑顔が可愛い女性である。
男だったらどうしようかと思ったけど、ちゃんと女性でした。
「ここ数年でなぜか浅瀬で活動するエインヘルアルが増えたそうなの。以前はほとんどいなかったって聞くわね……リィヴのように新しくエインヘルアルとして召喚された人が増えたってことなんだろうけど」
「浅瀬にも魔石を持っていない人を襲うような危険な魔獣っていたりするんですか?」
「……いや、浅瀬にはほとんどいないよ。……ほとんどね」
あ、あれ?
なんか一気にサンディさんのテンションが下がったぞ。
聞いちゃいけないようなことだったのか?
俺が困惑していると、リタさんが話し始めてくれた。
「魔獣は魔石を食べてさらに強力な魔獣になろうとする。でも、強くなった魔獣は小さな魔石を食べても意味がないんだそうだ」
「え? そうなんですか」
「ああ。ま~これを調べたのは異世界のエインヘルアル達だから、どこまで信憑性があるのか分からないけどね。魔石にはランクがつけられていて、『極小』『小』『最下級』『下級』『中級』『上級』『最上級』ってね」
シーラも言っていたな。
確か極小魔石100個で、小魔石1個と同じ魔力量だって。
「魔獣の心臓である魔石も同じだ。同じランクがつけられて、それは同時に魔獣の強さを示すランクでもある。そして魔獣は自分よりもランクの低い魔石を食べても強くなることは出来ない。だから魔獣はどんどん聖樹の森深く、そして聖樹王に近づくほど強力になっていくんだ。そして強力な魔獣ほど魔石を持たない人間を襲う確率が高い」
「なるほど」
だから浅瀬には弱い魔獣しかいないのか……弱いと言っても、今の俺では勝てないけど。
そして魔石を持っていなければ、襲われる可能性もほとんどない。
ほとんどってことは稀にあるんだろうけど。
「魔獣じゃない獣って聖樹の森にいるんですか?」
「聖樹の森にいるのは魔獣だ。ただの獣はいない。浅瀬に繋がるように獣達が住む森が別に続いているから、獣の肉が欲しければそっちで獣狩りすることになるな」
「ふむふむ。ちなみに魔獣って食べられます?」
「あはは。いや、それは無理だ。私達も魔獣を倒したことがないから見たことないが、魔獣は死ぬと魔石を残して全て消滅してしまうそうだ」
「消滅!?」
「ああ、骨も残らないでね。聞いたところによると、黒い光りとなって大地に吸われていくように消えていくとか」
黒い光りとなって大地に吸われるか。
まるでエインヘルアルだな。
さっきやってしまった悪者先輩方は白く輝く光りだったけどね。
それに大地に吸われるっていうよりも、光の中に収束していくように消えていったっけ。
「やっぱり魔獣を倒すのって大変なんですね」
「リィヴは時間をかけて強くなっていけば、いずれ倒せるんじゃないかな。実はオレ達は魔石狩りを始めたばかりの素人でね。だからリィヴが言ってた新米って言葉に笑っていちゃいけない。オレ達も強くならないとな」
「ええ、そうね。私達が頑張らないと。」
さっきテンションが下がってから、ずっと黙っていたサンディさんがようやく喋ってくれた。
でもまだテンションは低い……というよりも、何かを想って悲愴感が漂っている感じだ。
俺はサンディさん達にカーリアの街の中でも、魔石狩りをする者にとって欠かせないお店などを案内してもらった。
カーリアに着いた時には太陽が沈む少し前だったのが、すっかり太陽が沈み始めて空は燃えるような赤い色に染まっている。
「まだまだ案内したいところがあるけど、ソールが沈み始めたわね。夜になる前に宿に戻ろうと思うんだけど、リィヴも良かったら今夜は同じ宿に泊まらない?」
ぬお! 受け止め方によってはものすごく魅惑的な言葉に思えてしまいますよ!
同じ宿の……同じ部屋だったりして!
「確か1人部屋はまだ空いていたはずだな。一泊8千ゼニだ」
はい、もちろん別室ですよね。
分かっていましたよ。
美味しい展開なんて無いって分かっていましたよ!
でも8千ゼニか。
シーラも一番安い宿で5千ゼニって言っていたから、こんなもんか。
1万ゼニしかないけど、魔法袋の中にある魔石を売ればいくらかにはなるだろう。
「はい、そうします」
満面の笑顔で言った、言ってやった。
例え別室でも、もしかしたら、もしかするような展開が待っているかもしれない。
ふ、2人同時に来ちゃったらどうしよう!
「私達の泊まっている宿は1階が食堂になっているから、そこで食事をしましょう」
「今日の稼ぎは無いから赤字だけどな」
「また明日頑張りましょう」
む!? し、しまった!
もしかして、俺って迷惑かけているのか。
いや、もしかしてじゃなく完全に迷惑かけてるな。
聖樹の森で俺と会ってしまったから、サンディさん達は魔石狩りを止めて俺を街まで案内した。
確か初めてこの世界に降りたエインヘルアルを見かけたら街まで連れていくのが義務とか言ってたはずだ。
その義務を果たしたら報酬は出るのか? 出ないんだろう。
もし出るなら『今日の稼ぎは無い』とはならないし。
俺に会わなければ魔石狩りを続けられたのに……参ったな。
こんな美人お姉さんに迷惑だけをかけてしまうなんてダメだ。
何がダメかって今後の素敵なキュンキュンしちゃうような展開のためにダメだ。
男の甲斐性ってやつを見せる時ではないか!?
魔法袋の中に魔石はある。
これってどこで換金出来るんだ?
闘気使うために小魔石を10個吸収しちゃったけど、まだ小魔石は5個あるし、極小魔石は215個ある。
これを売ればそこそこのゼニになるはずだ。
サンディさん達と話した中で、聖樹の森から魔石を持ち帰るのがどれだけ難しいことか分かった。
なら少しでも魔石があれば、サンディさん達に迷惑かけた分ぐらいにはなるのでは……。
「リィヴはミズガルズに降りたばかりだからゼニないだろ? 安心しろ、今日はオレ達が奢ってやるから」
「そうそう。今夜はお姉さん達に任せておきなさい」
「ええ!? そ、そんな悪いですよ! それに俺、1万ゼニはありますから!」
「宿代と一食で本当に無くなるじゃない。リィヴは私達の命の恩人なんだから気にすることないよ」
「サンディの言う通り。リィヴが悪者先輩を倒してくれなかったら、オレ達は今頃のあの世か、あのクソッたれ共の慰め者になっていたところだからね」
「そ、そんな……でも」
「まぁまぁ。こういう時はお姉さん達に甘えておくものよ? それに私達もリィヴにこうして良くしておけば、今後何かと助けてくれるんじゃないかって打算もあるし」
「また聖樹の森で危険な時に助けに来てくれるとかな」
「……サンディさん達の居場所が分かる魔道具とかあります?」
「あはは、冗談よ。でも居場所を知らせる魔道具はあったような」
「ああ、確かあったぞ」
「へ~あるんだ」
「ま~魔道具なんてオレ達にはとても買えるようなものじゃないからな」
「魔貨は最低でも最下級魔石からの交換だから。浅瀬にいる内は手に入らないのよ」
「なるほど……それって小魔石100個持ってきても魔貨とは交換できないってことですか?」
「ん? なぜ小魔石100個なんだ? そもそも小魔石100個なんてあり得ないが」
おっと、小魔石100個で最下級魔石1個分の魔力量ってことは知らないようだ。
サンディさん達が知らないだけなのか、それともこの世界では知られていないのか。
たぶんサンディさん達が知らないだけだな。
シーラが最初に教えてくれた内容だし、異世界からのエインヘルアルはみんな知っているはずだ。
なら、ミズガルズの人達に伝わっていてもおかしくない。
まだ駆け出しのサンディさん達が知らないだけって考える方が自然か。
別に教えても問題ないよな?
「えっと、ミズガルズに降りる前に教えてもらったんですけど、極小魔石100個で小魔石1個分、小魔石100個で最下級魔石1個分の魔力量らしいです。だから小魔石100個あれば最下級魔石1個分だから、魔貨と交換できるのかなって思って」
「へぇ~。そうなのね。知らなかった」
「ああ、初耳だな」
「あまり知られていないことでした?」
「う~~ん、どうだろう……私達はまだ探索者として未熟もいいところだから、私達の知識や経験って当てにならないのよ」
「たぶん『最下層』にいけるような探索者達なら知っているかもな」
「最下層?」
「聖樹の森の深いところを示す言葉よ。これも魔石のランクに合わせて『最下層』『下層』『中層』『上層』『最上層』ってつけられているわ。聖樹の森は深い場所ほど大地も高くなっているからぴったりな呼び名よね。最下層より下は小とか極小とか言わないで『浅瀬』と呼ばれているわけ」
「なるほど~」
魔石の魔力量のことはあまり知られていない知識だったのかもしれないな。
「今度ギルドで確認してみようか」
「ああ、そうだな。もしそんな裏技があるなら、ちゃんと確認しておくべきだろう」
おお! ギルド! やっぱりギルドなのか!
「ギルドで魔石をゼニに交換するんですか?」
「私達はね。リィヴはエインヘルアル達の拠点の『神殿』で交換することになるよ」
「あれ? 違うんですか」
「住み分けだよ。オレ達とエインヘルアルが同じ場所で魔石交換していたら何かと問題が起きるだろ? それにオレ達が取ってきた魔石は『王家』に納入されるらしいからね」
「王家に納入された魔石は『神玉』の恩恵で『生活魔道具』になったりするの。それは私達の生活を豊かにしてくれるわ。生活魔道具はゼニで買うことができるのよ」
「神殿に売った魔石はどうなるんですか?」
「う~ん、それは知らない。たぶん強いエインヘルアルが買うんじゃない?」
「魔貨で買う魔道具を作るのに使っているかもしれないな」
いずれにしろ、俺が魔石を売るのは神殿か。
いや、待てよ。
俺がギルドで魔石を売ることは不可能なのか?
「たとえば俺がギルドで魔石を売ることってできます?」
「え? どうなんだろう?」
「無理じゃないか。探索者の登録をしていない者が魔石は売れないだろ」
「あ、そっか。リタの言う通りだね」
「そうですか。カーリアの神殿ってどこにあります?」
「神殿はテラにしかないの。エインヘルアルは瞬間移動石があるから」
む~そっか、瞬間移動石。
やっぱりテラに行かないとダメかな。
テラで魔石を換金して、今度会った時にお礼を渡すか。
それならまた今度会う約束の口実にもなるし。
あ~でも神殿で新人の俺がいきなり魔石をたくさん持ってたら怪しまれるか?
魔法袋のことは内緒にしたい。
本当に信頼できる人にだけ話すんだ。
サンディさん達は……良い人達だけど、まだ会ったばかりだし。
美人なお姉さんだからってホイホイ何でも喋るわけにもいかないしな。
しかしこれまた困ったぞ。
魔法袋を使ってちゃちゃっとゼニや魔貨を稼ぎたいけど、それをすると異常だと思われる。
かといって、有効な魔法袋を使わない手はない。
むむ……。
「ほら、ここだよ」
俺がう~んう~んと唸りながら1人で悩んでいると、いつの間にかサンディさん達が泊まっている宿の前にまで来ていた。
サンディさん達が泊まっている宿は『ニレの宿屋』。
木造の3階建ての宿で、見た目から優しい印象を受ける外観だ。
俺はこういうの嫌いじゃない。
どーん! と豪華なホテルより、こういった古風と言えばいいのか味のある民家みたいな宿の方が好きだ。
「あ~リィヴ。入ったら異世界から来たエインヘルアルってことは言わないようにね」
「え? どうして?」
「ここの宿屋の女将さん、実は異世界からのエインヘルアルが嫌いなの。だからそれ言っちゃうと、最低な部屋に最低な食事しか出てこないから」
「うひゃー」
「リィヴは何て紹介するんだ?」
「私の弟」
「おいおい、後で女将にバレたら大変だぞ」
「そ、そうですよ。それに俺とサンディさんじゃ顔も似てないし、髪の色だって俺は黒だし。サンディさんの綺麗な銀髪とは全然似てないですよ」
「くすくす、ありがとう。大丈夫よ。弟といっても血が繋がっているとは限らないから。バレた時には私が謝るからいいの。命の恩人だったからって言えば女将さんも納得してくれるはずよ」
ほえ? いやいや、弟って血が繋がっているから弟なんでしょ?
それともこっちの世界ではそういうもんなのか。
「サンディがああ言ってるんだ。気にするな」
リタさんが俺の背中をばしっと叩いた。
宿屋の入口の横に小さな魔石が置いてある。
小魔石だな。
サンディさんも、リタさんも、その魔石に触れる。
「リィヴもこの魔石に触れてから入ってね。これは生活魔道具の『清掃』で、これに触れると服や靴の汚れが一瞬で綺麗になるの」
「へ~便利ですね」
想像以上に便利だ。
小魔石1個で、こんなこと出来ちゃうなんて魔石が持つ魔力ってすごいんだな。
「おかえりなさい。今日は稼げましたか?」
「全然だめでした」
「あらあら~。でも焦らないでね。サンディちゃんとリタちゃんならすぐに立派な探索者になるわ」
宿屋の中に入ると暖かい木造の玄関に、1人の妖艶な女性が出迎えてくれた。
濃い紺色の髪を後ろで束ねている。
透き通るような真っ白な美しい肌。
そして均衡の取れた身体を包むのは、薄いピンク色のドレス。
そのドレスを今にも破って出てきそうなものすごい膨らみ。
憂いを帯びた顔はどこか儚げなのに美しい。
完璧だ。
完璧な大人の女性がそこにいた。
「女将さん。こっちはリィヴで私の弟です。今日合流しました」
「あらあら~。サンディちゃんの弟なら大歓迎よ。1人部屋はまだ空いているから大丈夫ね。初めましてリィヴ君。私はニレの宿屋の女将マリアです。よろしくね」
「よ、よ、よろしくお願いします」
「あらあら~可愛いわね~。初心な感じが素敵だわ!」
「女将さん、私の弟をからかわないで下さい」
「あらあら~妬いてる? もしかしてサンディちゃん妬いてる? きゃー! リタちゃん見た? 見た? 見たわよね!? これは今夜のご飯が美味しいわ!」
な、なんだこの人。
最初見た瞬間は完璧な大人の女性かと思ったのに、ちょっと変わった人なのか?
「それじゃ~これがリィヴ君の部屋の鍵ね。部屋は2階の203よ。あ、サンディちゃんの部屋は301だからね」
「女将さ~~ん!」
「はいはい。食事はみんなすぐに食べます?」
「お願いします。着替えたらすぐに食堂に向かいます」
マリアさんに渡された鍵は、小さな魔石だった。
これが鍵代わりなのか?
初めて見る鍵の魔石を不思議に見つめながら、サンディさん達の後ろについて階段を上っていく。
チラリと振り返ってマリアさんを見ると、にっこり微笑んでなぜかガッツポーズをしていた。
「リィヴ。鍵魔石は初めてよね? 使い方教えてあげるわ」
「オレはお先に」
リタさんはさらに3階に上っていった。
サンディさんは俺の部屋の前まで来てくれて、鍵魔石の使い方を教えてくれた。
「ここに魔石をかざすと鍵が外れるわ。ドアは閉めると自動で鍵がかかるから、必ず部屋を出る時は鍵魔石を持って出るのよ。外出する時は女将さんに鍵を預けてね」
「わかりました」
「あ……部屋の使い方も教えた方がいいよね。ちょっと私も入らせてもらうわね」
「は、はい!」
うお! 美味しい展開きたー!
サンディさんが俺の部屋の中に! こ、ここから始まる俺達のラブストーリーが!
「部屋にも魔石が置かれているから、それに触れて使うのよ。これは明かりの魔石ね。こっちは水の魔石。この水は飲んでも問題ないけど、他の宿屋に置いてある水の魔石が飲めるかどうかは確認した方がいいわよ。こっちはトイレで、そっちがお風呂。これも魔石から水やお湯が出るからね」
「全部魔石……。小魔石って俺が思っていたよりずっと多い魔力持ってるんですね。こんなにいろんなこと出来るなんて驚きです」
「あ~、この宿はちょっと特別なの。一泊8千ゼニの宿で、こんなに便利な魔石を何個も置いてくれるところなんてないわ」
「そうなんですか?」
「ええ、そうよ。この宿はミズガルズの探索者には本当にありがたい宿屋なの。でもさっきも言った通り、リィヴが異世界からのエインヘルアルだって分かったら、この部屋についてる魔石全部撤去した後に部屋に通されることになるかな」
「うひゃー。それは勘弁」
「ま~その前に泊まれない可能性の方が高いけどね。この宿屋に泊まれたことは幸運だって思ってね。この宿屋に泊まれるのはミズガルズの探索者で聖樹の森の浅瀬で狩りを行う人限定なの」
「え? 浅瀬限定?」
「そう。ここは2階に10部屋。3階にも10部屋。それぞれ1人部屋が5部屋に、2人部屋が5部屋。合計30人が泊まれるんだけど、浅瀬の間だけ。最下層に出られるようになったら、この宿屋じゃなくてちゃんとゼニを払って良い宿屋に泊まりなさいっていうのが女将さんの考えなのよ」
「そうだったんですか。ちなみに、ここ以外でここと同じぐらい便利な宿屋って一泊いくらぐらいが相場なんですか?」
「そうね……リィヴが泊まるこの1人部屋だと2万か3万ゼニぐらいしてもおかしくないわ」
「うひゃー! 半分以下じゃないですか。これはありがたいですね」
「そうなのよ。私も早く最下層で狩りが出来るようになって、女将さんの想いに応えてあげたいけど、ここを卒業するのは寂しいし、嫌なのよね」
マリアさんってミズガルズの探索者達にとって、お母さんみたいな存在なのかな。
ちょっと変わった人だけど。
サンディさんに部屋の使い方を聞いて、あれこれ話していると部屋をノックする音が聞こえた。
開けてみると、そこにいたのは……リタさんだった。
「なに話しこんでるんだ? 早く飯食いに行こうぜ」
「……」
「ん? どうしたリィヴ?」
「あ、いえ! なんでもないです!」
やば……すげ~美人だ。
探索用の服から、部屋着なのか分からないけどホットパンツみたいな黒いズボンに白いキャミソールみたいな服に着替えたリタさんは、すげ~美人だった。
ボーイッシュといえばそうなんだけど、露出された健康的な褐色な肌は男を魅了するに十分だ。
それにマントに隠れて気付かなかったけど、膨らみもすごい。
あ~これはやばい。
これは惚れてしまいますよ。
「ちょっと部屋の使い方を教えていたの。私も着替えてくるわね。リィヴを連れて先に食堂行ってて」
「ああ、分かった。リィヴは着替えなんて持ってないよな? ならそのまま行こう」
「は、はい」
急にドキドキしてしまった鼓動の音がばれないかとひやひやしながら、リタさんと一緒に階段を下りていく。
サンディさんは階段を上がり、部屋に向かっていった。
1階の玄関の奥には、広々とした部屋があった。
ここが食堂なのか。
かなり広いな。
「1階の食堂は宿泊客以外でも利用できるんだ。サンディから聞いたかもしれないが、この宿屋を使えるのは浅瀬にいる間だけ。でも食堂は誰でも使える。最下層に進んだ探索者も、女将に会いにこの食堂に足を運んでくるのさ。それに飯も美味いからな」
「なるほど」
食堂には10人ほど食事をしている人達がいた。
全員男だ。
「ここに座ろう。今日はオレ達の奢りだから気にせず好きなものを食べるといい」
「ほ、ほんとにいいんですか?」
「あ~いいんだ。命の恩人なんだからな。ゼニで済めば安いもんさ。リィヴが世俗に染まっていたら、私達の身体を要求していてもおかしくないからな」
「ええ!?」
「くくっ。冗談だよ、冗談。でも世の中にはそういう奴らもいる。リィヴはそうなるなよ」
「は、はい」
「ところで、リィヴは飲めるのか?」
む? 飲めるのか、とはお酒のことか。
どうしよう……俺本当はまったく飲めないんだよね。
でも飲めないなんて言ったら、失礼になるんじゃ……せっかく奢ってもらうのに。
こういう時は無理してでも付き合わないといけないって、何かの漫画に書いてあったような気がする!
「はい。あんまり強くないですけど……」
「そうか。本当に気にしないで好きなもの食べて飲んでいいからな」
リタさんは手を挙げると、注文を取りにきた人に次々と頼んでいく。
最初の注文は「とりあえずビールを3つ」とおっさんみたく頼んでいた。
ミズガルズにもビールがあるのか。
ビール苦手なんだよな……あれって美味しいのか? 美味しく思えないんだよね。
「お待たせ」
ビールより早くサンディさんがやって来た。
これまたすごい。
ほんとすごい。
サンディさんは黒いワンピースだった。
可愛い! これは可愛いですよ! ポイント高いですね!
リタさんの膨らみが『爆』なら、サンディさんは『巨』だな。
どっちも頭に『美』がつくけど!
しかし、リタさんの時と同じくサンディさんに目を奪われていると、妙な視線を感じた。
「お待たせしました」
次にやってきたのはビール3個だった。
「お、気がきくね」
「まあね。リィヴはあんまり強くないらしいけど、とりあえず乾杯しよう」
「そうだね。私達の命を救ってくれたリィヴとの出会いに、乾杯!」
「乾杯!」
「か、かんぱい」
大きな木のコップに入ったビールをぐいっと飲むサンディさんとリタさん。
ご、豪快だな。
よし俺も……とりあえずちょびっと飲んでみよう。
恐る恐るビールをちょびちょびっと飲んでいると、また妙な視線を感じた。
そしてコップを口につけたまま、顔を向けると……何やら先にいた男達がこっちを睨んでいる。
いや、俺を睨んでいる。
なんでだ?
え? サンディさん達とビール飲んでるのが羨ましいのか?
「ぷはー! 美味い! あ、ビールもう1個」
「2個ね」
はや!
リタさんだけじゃなく、サンディさんも一気に飲んでしまったようだ。
俺はちょびっと口をつけただけで、全然中身は減っていない。
そして飲んでみて、やっぱり苦い。
美味しくない。
「あはは。リィヴ、顔に美味しくないって書いてあるよ。無理して飲まなくていいからね。私が飲んであげるから」
「リィヴの世界のビールとは味が違うかもしれないからな」
サンディさんは俺のビールを自分の側に置くと、俺のためにお茶を頼んでくれた。
そのコップに口つけちゃってるんだけどな……。
運ばれてきた料理はどれも美味しかった。
俺の記憶の中にある料理とほとんど同じようなものもあれば、まったく知らない料理もあった。
その中でも『唐揚げ』は完全に俺に記憶の中の料理と一致した。
美味かった。
ほろ酔い気分のサンディさん達との食事は楽しかった。
あれこれといろいろ話した。
妙な視線で睨んでいた男達は、いつの間にかいなくなっていた。
サンディさん達がほろ酔いから酔っ払いに変わる頃、マリアさんがやってきてお開きとなった。