第9話
酒場の主人に歓迎されて、顔を赤くしたエドヴァルドさんと向かい合うようにテーブルに座った。
「村長の武勇伝はどうだった? 俺はもう何度も聞かされて飽き飽きでね。おっと、まずは一杯。ガイアさんに乾杯だ!」
「乾杯。武勇伝はなかなか面白かったですよ。初めて聞く分にはね。確かに何度もあれを聞くとなると、なかなか辛いものがありますね」
「だろ~。ポーメン勤務になって3年。もう何度聞いたことか。俺もそろそろ出世してアリバラか王都勤務にならないかな~」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。真面目なカールならともかく、不真面目なお前さんが出世できるわけないだろ」
「あぁん!? カールはだめだ。あいつは真面目すぎる。真面目すぎて面白みがない」
「不真面目よりかはいいと思うけどな」
酒場の主人は肩をすくめると、厨房へと戻っていった。
今夜は貸し切りなのか、他にお客はいない。
お店側も主人以外に人はいない。店員さんとかいないのだろうか。
しばらく、エドヴァルドさんをさらに酔わせていくために村長の愚痴を聞きながら飲ませていった。
「なるほど。エドヴァルドさんは10歳の頃に聖神様の加護を授かったのですね。すごいですね」
「だろ~! 村始まって以来の麒麟児だって言われたもんさ!」
村長に負けず劣らず、エドヴァルドさんも自分の自慢話を始めていた。
酒場の主人は黙々と料理を運んできてくれる。
どれも美味い。
久しぶりに人が作る料理はやっぱり美味しい。
でも、あのゴブリンの里で食べたご飯も美味しかった。
特に初めて食べたあの味は格別だ。
空腹がそうさせたのか、それともこの世界に来て初めてのご飯の味に感動したのか。
どちらでもいいや。
「ぷはー! 今日は酒が美味いね!
ところで、ガイアさん。あんたやっぱりバル王国の人なのかい? いや、あまり詮索する気なんてないんだけどね。ほら、ここルーン王国では聖神様の加護を授かった者は、必ず王家に仕えないといけないだろ? 聖神様の加護を授かっても、自由に生きられる他国が羨ましくてね」
「あ、いえ……ごめんなさい。故郷については言えません。ただバル王国ではないです」
「へ~違うのか。旅なんて酔狂なことを出来るのは、ルーン王国の次に豊かなバル王国の人達ぐらいだと思ったよ」
「ルーン王国では聖神様の加護を授かった人は、必ず王家に仕えるんでしたね」
「ああ、まったく素晴らしい統制でね。ガチガチに鎖で繋がれちまうわけだ。その代わり、支援は手厚いし、給料もいいから不満はないんだけどよ」
酔っ払いのエドヴァルドさんからは、この世界の常識がいろいろ聞けてとても有意義だ。
いま僕がいるのはルーン王国という国らしい。
この世界で最も豊かな国のようだ。
「どんな支援を受けられるんですか?」
「聖神様の加護を授かると、必ず王都にある『聖神教会』で学ぶことになるんだが、全部無料だ。しかも卒業する時に武装魔石までもらえるんだぜ」
武装魔石?
魔体の武器のことか?
「エドヴァルドさんは、どんな武装魔石をもらったんですか?」
「あ~……ま、俺は平凡な成績だったからな。ごくごく普通の『騎士剣』だ。ま~ごくごく普通なんて言っちゃだめなんだけどよ。他国では武装魔石の騎士剣なんて言ったら、本当の騎士しか持てないような代物だからな」
するとエドヴァルドさんが魔体を出してきた。
人間の魔体は初めて見る。
騎士……というよりかは、傭兵? 戦士? といった感じの魔体だ。
顔はエドヴァルドさんによく似ている。
そしてその腰には長剣。
僕に見せつけるように、魔体は長剣を腰から抜いてみせた。
本当に立派な長剣だ。
「素晴らしい騎士剣ですね。羨ましいです。僕は何も武装魔石を持っていないので、素手なんですよ」
「おいおい、嘘だろ? 素手で旅って……迷宮に入ったことないのか? バル王国では……ってバル王国の人じゃないんだったな」
「バル王国では、何かあるのですか?」
「いや、バル王国の『冒険者』なら、迷宮に入ることも出来るから、魔物から武装魔石を拾うことだってあるだろうし、市場で買うことだって出来るだろうと思ってね」
「ルーン王国では出来ないのですか?」
「ルーン王国の迷宮は全て王家が管理している。魔石も一般に出回ることなんてまずない。闘技大会で他国の人が王都に集まる時ぐらいだろうよ」
ここルーン王国は王家の権力がものすごいんだな。
独裁政治ってやつなのか? っていうか、王国なんだから王家の独裁政治で当たり前なのか。
「ま、盗賊といった聖神様の加護を受けたのに王家に仕えていない犯罪者もいるけどな。そいつらを相手にする闇市場が存在するって噂は聞いたことがあるが、本当にあるのかどうかは知らん」
「なるほど。ルーン王国は本当に王家によって統治されているんですね。やはり王家は素晴らしい方々が多いのですか?」
「当り前よ! なんてったって、魔王を倒した勇者様だぞ! 剣聖アルス様万歳!」
おお、先代の魔王を倒したのは、ルーン王国の王家なのか。
剣聖アルスって人は王様なのか? 王子様とか?
「俺もいつの日か、アルス様に仕えてみたかったぜ……叶わぬ夢になっちまったけどな」
あれ? 急にエドヴァルドさんのテンションが下がった。
もう自分が出世できないって、実は自分でも分かっているのか。
「そんな諦めないで下さい。エドヴァルドさんならきっといつか」
「慰めなんていらねぇよ。万が一、王都に行けて、さらには聖騎士団に入れたとしても、アルス様はもうこの世にいないんだ。アルス様に仕えることは出来ないんだ」
あ、死んじゃったのか。
先代の魔王と相討ちとかだったのかな。これはまずいことを言ってしまった。
何か話題を変えないと。
「え、えっと。そ、そういえば、魔族が攻めてきたら、僕も一緒に戦いますからね。一緒に頑張りましょうね」
「おお! ガイアさん! あんた~男だね! 一緒に戦ってくれるのか! いや~あんたこそ男の中の男だよ! 素晴らしい! ガイアに乾杯!!」
そろそろ限界かな?
かなり酔っぱらっているみたいだし。
終わりにした方がいいかもしれない。
そう考えていた時だ。
エドヴァルドさんが、ぐっと顔を近づけてきた。
ち、近い。
しかも何かニヤニヤしてるし。
ちょっと気持ち悪いんですけど。
「ガイアさ~ん。あんたを男の中の男だと信じて、ガイアさんにだけ教えたいことがあるんだ」
「え、な、何ですか?」
「それは……おっと、ここだとまずい。変なおっさんが聞いているかもしれないからな」
「誰が変なおっさんだ」
「外に出ようぜ! マスター! 支払いは村長な! 良い酒だったぜ!」
「あいよ。ガイアさんすまないね。歓迎会のつもりが、何だか迷惑をかけてしまって」
「いえいえ、お構いなく。料理とっても美味しかったです」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。その馬鹿は適当にどこかに置いておけばいいからな」
「あはは。ちゃんと家まで送りますから安心して下さい」
酒場を出ると、エドヴァルドさんは家に向かって歩き始めた。
酔っ払いって、たとえ記憶がなくてもちゃんと家に帰るんだよな。
帰巣本能ってやつなのか。
上機嫌なエドヴァルドさんを家まで送った。
と言っても、僕が寝る家はエドヴァルドさんの家のすぐ隣にあるカールさんの家だ。
カールさんはアリバラに向かって出発したので、今夜はここに泊まらせてもらうことになった。
「それじゃ~おやすみなさい」
「おぅ! また明日な!」
酒場で僕に何か教えたいとか言っていたけど、もう忘れているんだろうな。
ま、酔っ払いの言葉だし、気にするほどでもないか。
カールさんの家に入ると、どっと疲れが出た。
途中からほとんどお酒やワインは飲んでいないけど、村長とエドヴァルドさんの話を聞くだけでも疲れる。
でも、この世界の情報をたくさん得られたから良かった。
「こんな遅い時間だと、浴場はもう閉まってるよな」
ポーメンには公衆浴場があったので、昼間に入らせてもらえた。
久しぶりのお風呂は本当に最高だった。
服も洗濯してもらった。
ぼろぼろのマントはもう捨てて新しいマントを買われた方がいいのでは、と言われたけど一応持っておこうと思う。
僕をこの世界に転移させたあの老人の持ち物だとすれば、何か大事な意味を持つかもしれないから。
それにこの世界のお金なんて持ってないしね。
「ふぅ……寝るか」
ベッドに横になる。
本当はあれこれ考えないといけない気がする。
でも考えたところで、それは仮の前提条件から今後の行動を推測するだけだ。
今はゆっくり寝て、疲れを取った方がいい。
それで明日は村の近くを探索して……地形を把握して……それで………………。
夢?
いま僕は夢を見ているのかな?
そういえば、この世界に来てから夢を見たことなかったな。
ぼんやりとした曖昧な景色の中に、これまたぼんやりとした人がいる。
誰?
あの老人か? どうして僕をこの世界に……あれ、違う。
女性?
ぼんやりと見えるのは、どうやら女性の人だ。
誰?
その女性はゆっくりと僕に近づいてくる。
う~ん、全体のシルエットが見えるだけで、本当にぼやけている。
え? ちょ、ちょっと何?
なんで僕の服を脱がそうとするの?
え? え? え?
その女性の手はなぜか心地良く、そしてどこか妖艶で僕を興奮させる。
ぼんやりとしたシルエットでも、女性の身体に興奮していく。
「うふふ」
女性の声。
脳に直接響くその甘美なる声。
ああ、これは僕の欲求不満が見させている夢なのか?
ゴブリン化している時、種族特性の精力絶倫でかなり悶々としていたもんな。
溜まったものを解消しようとエッチな夢を見て、夢精しちゃうのか。
「うふふ……あ」
ああ、その甘美なる声で僕を絶頂へと……ん? 何か「あ」とか聞こえたぞ。
なんだ?
「す、すごい……あ、焦っちゃだめよ……ここまで上手くいってるんだから。初めて成功しそうなんだから」
何やら緊張している声が聞こえてきた。
さっきまで聞こえていた心地良い甘美な声とは違う。
普通の声だ。
「こ、こんな風に大きくなるんだ。初めて見たけど……痛くないのかな? ふ、不思議だな」
大きくなる? 何が? ん? これは何だ?
「だ、誰?」
「ひぃっ! ご、ごめんなさい!!
夢から覚めた僕の目には、本当に誰かが映った。
まだはっきりとしない頭で、その人に向かって「誰?」と聞くと、ドタドタと逃げていく後ろ姿が見えた。
「え? 今の……」
その後ろ姿は、ちょっとあり得ない姿だった。
はっきりと目が覚めた僕は、その日はもう眠れなかった。
あの後ろ姿が僕の予想通りなら、寝るのは危険だ。
幸い、夜の空は薄っすらと明るくなり始めていて、村では起き始めた人達もいる。
村の人達が襲われることはないだろう。
空が完全に明るくなると、村長の奥さんが朝食を持ってきてくれた。
酒場でエドヴァルドさんの相手まで大変でしたね、と笑顔だった。
頂いた朝食を食べ終える頃、今度はエドヴァルドさんがやってきた。
飯食いに行こうぜ~と入ってきたエドヴァルドさんは、僕が朝食を食べているのを見て、「くそっ」と悔しがっていた。
また僕を使って酒場で朝からただ飯のただ酒を期待していたんだな。
「仕方ねぇ。適当に食べてくるわ」
「はい。あ、今日なんですけど、少し村の外の地形を把握したくて探索しても大丈夫でしょうか?」
「あ? ああ、問題ない。一応村長には伝えておいてくれ」
「わかりました」
村長には昨夜のことも伝えておかないと。
村の中に魔族が入り込んでいる可能性があるなんて聞いたら、村長慌てるだろうな。
「ところで、昨日僕にだけ教えたいことがあるって言っていましたけど、あれは何だったんですか?」
ちょっと興味があって話を振ってみた。
覚えていないだろうけど。
「あん? 俺が?」
「はい。エドヴァルドさんが。そう言っていましたよ。でもかなり酔っていたので、覚えていないなら構いません」
「う~~ん、そんなこと言っちまったのか。相当酔ってたんだな」
何やら神妙な顔で考え始めてしまった。
何だ? 本当に何かあるのか?
「ガイアさんのおかげで昨日は美味い飯と酒が飲めたんだ。教えてもいっか。それにガイアさんのところにやってくる可能性もあることだし」
神妙な顔で考えていたと思ったら、今度はにやにやとしたちょっと気持ち悪い顔に変わっていた。
本当に何なんだ?
「ガイアさん……これは男と男の約束……秘密の約束だぞ?」
「は、はい」
「絶対に言ったらだめだからな! 特に村長には絶対にダメだぞ」
「は、はい」
ごくっと唾を飲む。
いったいどんな重大な秘密が。
「実はな……いまこの村の近くに……『はぐれサキュバス』がいるんだよ」