第3話
中途半端なゴブリン化した僕。
半魔化の半は、半端の半なのかもしれない。
そして僕の半魔化に合わせて、魔体もハンマからゴブリンに変わってしまった。
これが弱い。めっちゃ弱い。
やっぱりハンマは強かったんだ。
だからゴブリンに余裕で勝てたんだな。
弱いゴブリンでいる理由なんてない。
早く元に戻ろう。
元に戻ろうと思うと、さきほどと同じ奇妙な感覚に襲われる。
無事に元の人間に戻れた。服も腰巻からちゃんと戻っている。
いずれこの感覚にも慣れるのだろうか。
でも弱いゴブリンになる理由はもうないだろう。
川の水に映る元の顔に戻った自分を見る。
ゴブリン化の後に見るとちょっと自分が美形に見えて嬉しい。
魔体もゴブリンからちゃんとハンマに戻っていた。
これで安心だ。
でもまだ安心してはいけない。
異世界での自分の能力を把握しても、とにかくまずは人に会わないといけない。
眠る場所も、食料もないのだから。
ハンマと共に真夜中の森を歩き続けた。
川下へと続く道無き道を歩き続けた。
「なんてこった……」
歩き続けること数時間。
この世界にも太陽があるのか、夜から朝に変わる空の色は神秘的で綺麗だった。
夜空にぼんやりとした明るさが見えてきたころ、僕は1つの集落に辿り着いていた。
集落に辿り着いたことは喜ばしいことなのだが、実はちょっと問題がある。
それはこの集落が……人ではなくゴブリンの集落なのだ。
今は丘の上の、さらに木の上からゴブリンの集落を観察している。
川下の森が開けた場所を柵で囲い、ゴブリン達はテントや木の小屋を造り生活しているようだ。
驚いたことに、ゴブリンにはちゃんとした文明が存在していたのだ。
人間の村、街を期待していただけに、かなり落ち込んだ。
でもゴブリンの集落から漂ってくる匂いが、僕をこの場から離れさせてくれない。
その匂いとは……朝ご飯の匂いだ。
朝早くから、女性と思われるゴブリン達が、集落の中央の広場で朝ご飯の支度を始めている。
夜でもはっきりと見える目、森の中でも遠くの川の音を聞き取れた耳のように、僕自身の能力はなぜか飛躍的に上がっていて、これだけ距離が離れていても、凝視するとその一点に限って遠くのものまではっきりと見えてくるのだ。
それに真夜中に森の中を歩いても、あまり息切れしなかった。
こんなに自分に体力があるとは思えない。
考えられるのは、ハンマの能力値は僕にも影響するのだろう。
と、今はそんな考察どころじゃない。
食べたい。
あの朝ご飯を食べない。
何の料理か分からないけど、何か肉っぽいものを焼いている。
あれ食べたい。超食べたい。お腹空いた。
もう僕は自分を抑えることが出来なかった。
理性が崩壊してしまったのだ。
とは言っても、上手くいくかどうか分からないし、ダメだったら逃げ出すしかないけど。
とりあえず、集落の入り口にいる門番らしきゴブリンに、僕の中途半端なゴブリンがどう思われるか試してみようと思う。
ゴブリン化した僕は、集落の入り口に近づいていった。
僕の姿を認識した門番は、一瞬緊張を見せるも、魔体を出してこない。
戦闘態勢ではないってことだ。
そういえば、魔体を出す前に本体を攻撃したら、簡単に倒せたりするのだろうか。
門番の情報を見ようと念じると、頭の上にやはり文字が浮かんできた。
ゴブリン 魔5
門番を任せられるだけあってか、森の中で遭遇したゴブリンより強いみたいだ。
まだあの数字がレベル的概念なのか分からないけど。
門番は訝しげに僕を見ている。
このまま進んだら声をかけられるだろうか。
あ!? しまった! 言葉が分からないじゃん! やべっ! 逃げないと!
「おい」
あれ? いま『おい』って言ったよね?
ゴブッじゃなかったよね?
「は、はい」
「お前、どこの者だ? 何をしにきた?」
「え、えっと……」
話せる。
普通に話せる。
ゴブリン化している時は、ゴブリン語が分かるのか。
僕も普通に話せば通じるのか。
もしかして、これも『万能翻訳』の特殊技能の効果ではないだろうか。
「実は僕……旅をしているんです」
「旅?」
「はい。遠い場所からやってきました。広い世界を見たいと、仲間の反対を押し切って1人で旅をしているんです。こちらに集落があると聞いてやってきました」
「……」
やばいか? 逃げた方がいいかな?
「実は食料が底を尽いてしまい……ほんの少しだけでもいいので、食料を恵んで頂けないでしょうか」
「……」
門番は難しい顔をしている……と思う。
ゴブリンの顔がどんな表情を表しているかなんて知らないから、よく分からないけど。
でも僕の心は伝わったらしい。
「ちょっと待っていろ」
門番のゴブリンは集落の中に入っていった。
しばらくその場で待っていると、門番の他に3匹のゴブリンがやってきた。
これまたやばい。数で囲まれたお終いだ。
やってきた3匹のゴブリンの中でも、中央のゴブリンは体がでかい。
両隣のゴブリンもそれなりの大きさだ。
ゴブリンリーダー 魔20
ゴブリン 魔15
ゴブリン 魔14
おお、ゴブリンリーダー! リーダーやってきたよ!
そして両隣のゴブリンも門番よりレベルが10も高い。
「お前が旅をしているゴブリンか?」
「は、はい!」
ゴブリンリーダーが話しかけてきた。
「故郷を捨て、1人で世界を旅するなど無謀もいいところだ。しかしお前はこうして我らの里にやってきた。歓迎しよう!」
こうして僕はゴブリンとして歓迎されることになった。
と言っても、実際にはあまり歓迎されているとは思えない。
リーダーの両隣にいたゴブリンは、僕に気を許す素振りを見せなかった。
門番も同じだ。
そして集落の中でも、僕は異質な存在という目で見られているのが分かる。
誰も僕に近寄ってこない。
でも朝ご飯にはありつけた。
ありがたい。
木の皿の中には、何の肉か分からないけど肉も入っていた。
お米なんて当然ない。
芋のようなものに、肉。それにお椀一杯の水。
それで今までの人生で一番美味しかった。
「ぷは~。生き返った」
夜通しで森の中を歩いたものだから、お腹も減って身体も疲れている。
疲労は寝れば大丈夫だと思う。単に昨日から寝ていないことによる寝不足だろう。
どこか空いているテントでもあれば、その中で眠りたいところだけど、今は情報を少しでも収集しないといけない。
しかし、こうも奇異な目で見られているのが分かると、話しかけ難いな。
人間の村か街が近くにないか、聞いてみたいところなんだけど。
「やぁ、お前さん、旅をしているんだって?」
「は、はい!」
1人のゴブリンが話しかけてきた。
でかい。
さっきのゴブリンリーダーよりでかいぞ。
ゴブリンリーダー 魔25
あ、あれ? またリーダー?
リーダーって2人もいるものなのか?
しかもさっきのリーダーより強いし。
「1人で旅をするなど、命がいくつあっても足りないというのに。まだ見るに若そうだが、命を粗末にするなよ。何ならこの里に居ついても構わんからな」
「あ、ありがとうございます。でも僕がいたら迷惑なのでは?」
「ほ~どうして?」
「そ、その……何だか僕を見る目が痛いというか」
「あ~それは、お前さんのせいではない。いまこの里はちょっとした問題を抱えていて、それでみな気が立っているだけだ」
ゴブリンにも悩みがあるのか。
どんな問題なんだろう。
「あの、差支えなければその問題とやらを聞かせて頂いても?」
「ああ、構わん。むしろ聞いて欲しいぐらいだ。お前さんがこの里に居ついてくれるとすれば、尚更な。
いまこの里が抱える大きな問題は2つある。
1つは食料の問題だ。これは、川を挟んだ向こう側で生活している『オーク』との問題となる。オークは食欲が旺盛で、しかも満たされることがない。森の恵を次々と取ってしまう。ついには、川を越えて我らの領域まで食料を求めてやってくるようになってしまった。
オークの長と何度も話し合いを持ったが、解決には至らない。
ついにオークと争いを起こす者達も出てきてしまい、非常に緊張した状態となってしまっているのだ」
ゴブリンの次はオークか。
オークってやっぱり豚顔なのかな?
そして問題は食料問題か。
それなのに、僕は朝ご飯を恵んでもらってしまった。
これはこのゴブリンの里に大きな借りが1つ出来てしまったな。
「オークと戦うのですか?」
「まだ分からん。それには2つ目の問題が関係してくる。
2つ目の問題は、人族との問題だ。
お前さんも知っているとは思うが、今の魔王様は人族と友好関係を築くことを目指していらっしゃる。
そのため、人族との争いはなるべく避けるようにお達しがあった。
しかし我ら魔族は長きに渡り争ってきた人族への恨みが深い。特に血気盛んな若者達は先代の魔王様の意思を継いで、人族と徹底的に争うべきだと主張する者がいる。
我が里でも、意見が分かれてしまってな。お前さんを迎えたのは、人族と争うことを主張している強硬派の者達だ。
そして私は、人族と友好関係を結ぶことを主張している友好派の代表だ」
なるほど、すこし分かってきた。
このゴブリンの里は、2つの派閥に分れている。
人族と戦うか、手を結ぶか。
でもそれがオークとどんな関係があるんだ?
「なるほど。でも人族との関係が、オークと戦うかどうかにどうして関係するのですか?」
「人族と手を結ぶなら、人族と協力してオークと戦う。もし人族と争うなら、オークと手を結び人族の村を襲う。このどちらかで里の中は揉めている」
あ~なるほど。
それは揉めるよね。
でもあるんだね、人の村。人が住んでいる所が。
「この近くの人族の村は、どの辺にあるのですか?」
「川をさらに5日ほど下っていくと、ポーメンという人族の村がある。小さな村だが、人族は500人ほどいるだろう。加護を授かった者がどれだけいるか分からないが奇襲をかければ皆殺しにすることも可能だ」
加護を授かった者?
魔体ってこの世界の誰もが持つものではないのか。
「勝てるのに、どうして貴方は戦うことに反対なのですか?」
「ふむ、やはり若いの。よく聞くがいい。たとえポーメンの人族を皆殺しにしてもだめなのだ。人族の発展した街には、強力な加護を授かった者達がいる。彼らがやってきたら我らでは歯が立たない。逆に我らが皆殺しに合うか、それともさらに森の奥へと逃げることになるか、どちらかしかない。
森の奥に逃げようにも、そこには他の魔族達が生活している。そこに割って入るのは、また新たな争いを生むことになる。
それならば、人族と手を結び、オークを倒してこの地をゴブリンの地とすることが最良なのだ。人族と手を結ぶのは魔王様の意向にも沿うからな。魔族同士が争うことは悲しいことだが……仕方のないことだと割り切るしかない」
おお、思ったよりこのゴブリンは賢いな。
目の前の人族を殺しても、強い人族が派遣されてきてしまうだけ。
だから、人族と手を結んでオークを倒す。
魔王様の意向は人族と手を結んで同じ魔族が争うことではないだろうけど、この場合は仕方のないことだ。生きるための食料問題だからね。
このゴブリンに協力して、人族の村に辿り着けないか。
上手くいけば、人族とゴブリンの間を僕が繋いであげられるかもしれない。
「なに!」
その時、里の奥から怒声が響いた。
見ると、強硬派のゴブリンリーダーが顔を真っ赤にして怒っている。
「魔体を授かった戦士が戻ってこないだと! 醜いオークの仕業に違いない! 人族を滅ぼした後には、オークも滅ぼしてやる!」
その怒りの形相に僕は身が縮こまる思いだった。
魔体を授かった戦士が戻ってこない。
それってもしかして……。
どうやらこのゴブリンの里に大きな借りが2つ出来てしまったようだ。