第9話 いそがしの森(前編)
MAO..AZ.絵師様にイラストをお描きいただきました。
イメージ通りの、元気いっぱいな女の子に感激です。
ファナティックブラッドのキイ(ka0330)でご確認いただけます。
本日はシンプルなライ麦の100%のパンを焼いております。
酸味が強くて苦手だとおっしゃる方も多いので、でまえメニューには入れていませんが、個人的には一番好きだったりします。
なぜそんなパンを焼いているかというと、定期的に発注があるのです。注文主は東の街道をしばらく進んだ先、『いそがしの森』とよばれる鬱蒼とした森林の奥に棲む魔女、アン=ハリンさんです。
アンさんは、魔術師というクラスの方で、マテリアルを自在に操ってバッタバッタと敵をなぎ倒していく、イカスばあちゃんです。300年前の大戦時期に、ハンターズソサエティの原型ができた頃から活躍しているのだそうで、昔は『断罪のアン』とオソロハズカシイ通り名がついていたのだと、時々愚痴っています。300年も活躍していれば、そりゃあ妖怪扱いされても仕方ないと思います。
そう、アンさんは現在320歳のエルフさんなのです。平均寿命が400歳であることを考えても、やっぱりおばあちゃんなのですが、冗談でもおばばとか呼ぶと半殺しにされるので気をつけなくてはいけません。
ちなみに、エルフのみなさんは負のマテリアルに弱く、歪虚病にかかるおそれがあるため100歳を越えると清浄な森からでられなくなるそうです。ということで、時々私がでまえパンを頼まれるというわけですね。
「ふう、さすがにこの量は疲れるなぁ」
つい独り言をつぶやいてしまうほど、大量のライ麦パンを焼き続けていました。1ヶ月分のパンといっても、その量は一般家庭が一年間に消費するくらいあるでしょうか。
「エルフって、パン好きなのかなぁ」
できたてパンを無造作に『マジック・チャックン』へとポイポイ投げ入れながら、最近お得意さんになってくれたエルフさんの事を思い浮かべます。そういえば、金髪緑眼の美人さんもよく食べます。あんなほっそい体のどこに消費されるのか不思議でなりません。
出発準備が整い、いつも通り地図を確認しました。東の森まで馬車なら3日かかりますがエル君なら1日です。しっかりと道順を憶え、予備燃料やら道中の食料やらを引き摺りながら裏口を出ました。多少荷物が多い気もしますが、エル君はタフガイなので大丈夫でしょう。君なら大丈夫、お姉さんは信じてるよ。
シートに跨がってヘルメットを被ると、気力が充実してきます。グローブを手に通し、ゴーグルを装着すればもう冒険(仕事です)への準備は万端、いざ出発です。
キュルルルル
「あれれ?」
私のお腹が鳴いたわけじゃありませんよ?エンジンがかからないんです。何度かイグニッションキーを回しますが、ハートに火が入る様子は一向に見られません。どうしたエル君、倦怠期なのか!
だがしかし、ここで焦ってはいけません。エル君は伊達に長く付き合ってるわけじゃありません。こういう時はちょっとした刺激が必要なのです。
スタンドを立てると、キックスタートを試みました。
「ふぎゃー」
ま、体重が軽いですからね。
「ほぎゃー」
か、角度が悪かったみたいですね。
「ぬぎょー」
これからは本気をだします!
「だばぁー」
およそ12回を超えたあたりから、足ごたえがなくなりました。スカッ、スカッって。同時に私の脆弱な体力も底を尽き、ペタリと地面に女の子座りをしたまま、ガックリと頭を垂れました。
昇天するにはまだ早すぎる、借金だって半分も返済できてないのに。
「のおぉ…」
半べそになりながら、エル君を『ジョフレ工房』に押して行きました。この工房はエル君を購入してからずっとメンテナンスでお世話になっていて、口は悪いが腕は立つという職人テンプレートなジョフレというおっさんが店主をしています。私にとっては、父親代わりのような存在です。
これまでも何度か修理をお願いしましたが、全て完調で帰って来ているので本当に腕が良いのだと思います。しかしながら、顔はゴツゴツの岩石みたいです。なので名前はゴッさんです。
「おいキイ、今なんか失礼な事考えてなかったか」
「ななな何を言いますか、濡れ衣です。そんなことよりですね、ちょっとエル君の調子が悪いんです。見て下さい、今すぐ、早急に、迅速に」
「相変わらず、無茶言いやがる」
ぶつぶつ文句を言いながらも直ぐに見てくれるので、きっと噂に聞くツンデレというやつに相違ありません。ちなみに、こうみえてもゴッさんは流行に敏感で、作業服も青と黒のチェックを着ていて、顏に似合わずお洒落さんだったりします。可憐な乙女を前に、身だしなみは怠らないということですね、わかります。
「残念だったな」
「うぇっ? 残念って、それはアレですか、私では乙女力が足りぬとかそういう失礼な事を言ってますか!身長がチビなのが…はっ、もしや胸ですか、胸がバーンと――」
「バイクの事だ」
「あ、はい」
冷静に受け流されて、我に返りました。ちょっと妄想が高回転で暴走してしまったようです。
「磁力を補充せにゃならん。うちじゃ機械が無いから、工場に持ち込みしないとダメだな。2週間…下手すっと一ヶ月はかかるぞ」
「のおぉぉ!」
「唸ってもしょうが…おい物に当たるな商品だぞ、って店壊すな、おいっ、それはまずい!」
このやり場のない怒りと、行き場を失った冒険心はどこにぶつければ良いのでしょうか。とりあえず目の前に立ちはだかった『鍛え上げられた腹筋』に八つ当たりしました。
ドスドスドスドス
頭上から、ぐええとカエルを踏みつぶした時の音がしましたが、恐らくフェイクでしょう。ゴッさんの腹筋、鉄より硬いような気がします。むしろ私の拳のが痛いハズ。
「お前、自分が覚醒者だって事、忘れてるだろ」
「はて、私はしがないパン屋ですが」
「最近のパン屋はコンビネーションパンチを打ってくるのか。恐ろしいな」
「そんな事より、足が無くなりました」
「そうか、成仏しろよ」
ドスドスドスドス、ドス
娘がパパに甘えるようなものです。私は早いうちに両親を亡くしましたので良くわかりませんが、多分こんな感じだと思います。ゴッさんも娘とのスキンシップを喜ぶかのように、肩を震わせて悶えています。
「絶対に、違うぞ…」
「こ、心を読んだ?」
「口から漏れ出しとるわっ」
ペチンと頭をはたかれました。冗談はこの辺にして、本気で森までの移動手段を考えなくてはいけません。徒歩は問題外として、乗り合いの馬車なども高額なうえ盗賊の襲撃にあう危険が高く、避けたいところです。うんうん唸っていると、ゴッさんが事情を聞いてくれました。
「なんだ『いそがしの森』の魔女んとこに行くのか」
「できれば今日明日中に着きたいんです。おばば、遅れると機嫌が悪くなるんですよ」
なるほどなぁと顎に手を当てて、しばらく目をつぶっていたゴッさん。突然、両手をポンと叩いて奥のガレージへと姿を消しました。む、これは嫌な予感がします。あのわざとらしい仕草は、絶対に前から何か仕込んでいるはず。予想通り奥から『ゴオオォッ』ともの凄い音が聞こえてくるではありませんか。
これは、ヤバイ!
本能に従い、即時撤退です。まるで凶暴な火竜がごとき咆哮が鳴り響く中、ヘルメットとゴーグルをひっ掴んで店を飛び出したのですが、少し遅かったようです。
「ふぎゃっ」
「おいおい、どこに行こうってんだ」
「はなっ、放してくださーい!」」
ガレージにいたはずのゴッさんが、いつの間にか店の入り口に立っていて、首根っこを捕まれてしまいました。いつの間に移動したというのでしょう。そしてガレージで爆音を放っている危険物は、放置で大丈夫なのでしょうか。
「まあ聞け。今回の修理代な、ざっと概算だが特殊な機械が必要で、工場持ち込み、その上特急だってことで料金はだいたい…」
「ひ」
一年分の売り上げが吹き飛ぶ額を耳打ちされ、わずかに意識が飛びました。超極貧な私にそんな金額が払えるはずがありません。エル君の修理を諦めるしかないのでしょうか。呆然としているところへ、さらに悪魔の囁きが続きます。
「どうせ払えないだろ?しかしまあ、長い付き合いだ。何とかしてやらんこともない」
「といいますと」
「取引だ」
要約しましょう。
ゴッさんが新しいコンセプトの乗り物を開発しました。悪路を走破するためのバギーという乗り物だそうです。動力は凝縮したマテリアルで、一人乗り。実証試験をしたいがこれまで10人全員に断られ、困っている。修理代を棒引きにする代わりに、乗れということでした。
どう考えても危険度100%のマッドビークルじゃないですかやだぁ。
「あの、なんで10人もの人が断ったんでしょうか」
「跳ぶんだよ」
「は?」
「スピードがありすぎて、コブで跳ぶ事があるんだが、皆振り落とされてな。この前入院した奴は全身を骨折して全治い…おいコラ、逃がさねぇぞ」
ジタバタと足を動かしますが、空中にを歩くことは出来ませんでした。低身長だからって摘み上げるな、コンチクショー。
「はーなーせー!」
「嫌だね」
こうして私は背負われたまま、ガレージに拉致されたのでした。