第8話 大空のランデブー(後編)
前回7話は(中編)の間違いでした、ごめんなさい。
ビリビリと振動が伝わる棺桶の中で、私は寒さに凍えています。寒いです、死にそうです。
「ざぶいでぶー」
伝令管に向かって叫んでみますが、キョウコさんからは「デブじゃないわよ!」の一言しか返ってきません。ガタガタと歯の根が合わないほどの寒さに耐えていると、一気に速度が落ちて機体が傾きました。どうやら左斜め下へと降下を始めたようです。
「見えた」
キョウコさんが左手で指さした先を見ると、オレンジ色の小さな点が浮かんでいました。恐らくあれがカガーリンさんの気球なのでしょう。これだけ巨大だと、もう気球じゃ無くて飛行船と呼んで良いのではないかと思います。あんなもの相手に、取り着けるのでしょうか?本番を前にして、一気に緊張が高まっていきました。マジックロープを握るグローブに力を入れ、完全お仕事モードへと脳を切り替えします。
さらに気球が近づいてきたところで、シュゴッという音がして速度が一気に落ちていきます。それでもほぼ静止状態の気球との間にはとんでも無い速度差があり、飛び移るなんて非現実的に思えます。どうするのかとしばらく待っていると、機体がゆっくりと気球の周りを旋回し始めました。
「どう、行けそう?」
「やってみます」
身を乗り出してマジックロープの長さと距離を比較してみますが、倍近く足りなさそうです。最低限の速度を維持するための円周軌道が大きすぎるのです。それでも念のために、ギリギリ寄った所で一度投げてみましたが、やはり半分程度進んだところで手元に戻って来てしまいました。
「キョウコさん無理、届かないよ!」
3周ほど旋回した時点で断言しました。キョウコさんも同じ結論を出したようで、軽く頷いただけでした。この時、私はてっきり彼女が依頼遂行を諦めたのだとばかり思っていたのですが、どうやら古参の凄腕ハンターというものを見誤っていたようです。最後まで諦めない意地と根性の塊みたいな彼らは、『出来ない』と『無理』が大嫌いみたいでして、特にキョウコさんは『無理』と言われると根性みせてしまうタイプなんだとか…つまり火が入っちゃったわけです。
「よっしゃー」
「うぇっ?」
「キイちゃん、太郎を限界まで近づけるから、絶対成功させて」
「ひっ」
顏が怖いのです、12歳の子供に向ける視線ではないと思うのです。
「気球の下にもぐってから、直上に舵を切る。到達地点でピッタリ速度ゼロにするからそこで飛び移る」
「そそそそんなのム」
「無理じゃない。キイちゃんは出来る子」
「や、わたし12さ」
「信じてる、世界一のでまえパン屋になるって」
世界一
もちろんですとも、世界一のでまえパン屋になりますとも!
けれども気がつけば、5点式ハーネスをシートから外してマジックロープと接続します。なんだかやる気の自分にビックリですが、キョウコさんの気合いに飲まれちゃったのでしょうか。でも、ここまで来たなら覚悟を決めてやるしかないのです。
「いくよ!」
「がってん」
ゴッと急角度で上昇していく太郎さん。エンジンを切ったところで急に振動が消え、風切り音だけが耳に届きます。慣性飛行へと移行したので、急いでシートに足をかけて踏ん張りました。
すぐに目の前に気球が迫ってきます。いよいよだ、やり直しの効かない一回こっきりの大冒険に向かって、私はタイミングを測ります。
ここだ!
機体がロールし、落下する直前という完璧に近いタイミングでマジックロープを投げつけ、同時に機体を思い切り蹴飛ばしました。
「んかーっ」
思い切り投げたマジックロープが気球の紐にかろうじて届き、振り子のように体が振り回されます。やった、引っかかった!
なんとか成功して安堵する私の視界に、落下していく太郎の姿が映りました。あ、あれ?
「キョウコさん!?」
そういえばエンジンを始動させるのに、やたら時間かかってました。もしかして、簡単に再始動できないってことでしょうか。
「きょーこさんっっ」
私の叫びなど無視して機体はきりもみで落下していきます。もうだめだと目を瞑ろうとした瞬間、地表近くで太郎さんが爆発しました。いえ、正確には一部分が爆発して、キョウコさんを打ち上げたみたいです。ちょっと打ち上げ高度が高いみたいですが下は湖なのできっと大丈夫でしょう。あ、発煙筒みたいなものが上がりました。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顏で、キョウコさんの無事を喜びました。きっともの凄い顔をしていたと思います。そんな私の頭上から、力強い声が降り注いできました。
「そこの蓑虫ちゃん、大丈夫か」
「あ、あぃ」
袖で涙を拭っていると、勢いよくロープが引き上げられました。
* * *
「うむ、全く無茶な子供達だな」
「あなたの若い頃そっくりですわね」
目の前で仲睦まじく会話している老夫婦は、依頼主のカガーリンさんとその奥様ユーリさんです。余裕で一軒家が飲み込めるであろう広大なデッキでお茶をしている二人は、とてものどかな雰囲気でした。ここには何故か強風も吹き荒れておらず、穏やかな気温が保たれています。ここが地上から遥か上空であることを忘れてしまうほどのおかしな世界でした。もっとも自己紹介をした後、違和感なく一緒にお茶を頂いている私も、ちょっとおかしくなっているのかも知れませんが。
あの後カガーリンさんに引き上げられた私は、そこで上品な老女ユーリさんに出会いました。危険な冒険の旅にこのようなか弱い人がいることに面食らいましたが、車いすに座る奥様を見てすぐに理解しました。彼女は異界病なのだと。
「それで、奥様はいつから」
「発病してから、もう5年になるかな」
「そうですか…」
もう末期なのでしょう、奥様は下半身を動かすことが出来なくなっていました。異界病と呼ばれるこの不思議な病は、痛みも無くゆるやかに生命活動を奪っていきます。最初は脚が動かなくなり、下半身全体に広がり、最後は心臓がゆっくりと鼓動を止めていくのです。異界のゲートが開いた近くの生物がこのような病にかかることが多いので、異界病と呼ばれるようになったのだそうです。そしてこの病気は不思議な事に、高高度で生活すると病気の進行が遅くなると言われています。つまり、カガーリンさんは奥様のために、この気球での冒険をしているのだと、理解したというわけです。すでに病が進行している奥様を地上に降ろすわけにはいかなかったので、空中での受け取りを条件にしたのですね。
さて、奥様との最後の旅、それを飾る思い出として選ばれたのならば光栄です。でまえパン屋として恥ずかしくないお食事をご用意いたしましょう。
私はまず依頼の品をマジック・チャックンからどさどさと取り出していきます。次に最高のライ麦パン達を取り出し、簡単にサンドウィッチを作っていきます。
「ほう、これは珍しいな。簡単に食べられてその上美味そうだ」
「サンドウィッチと言うんです。自由に挟む物を変えられるので、飽きないんですよ」
「この年で初めての料理に出会えるとは思わなかったわ。素敵ね、あなた」
「全くだな」
「そ、そんな料理というほどのものでは…」
簡単なサンドなので、料理と言われると少し恥ずかしくなってしまいます。ともあれ、軽食をご用意して、ミネストローネスープを置いたら完成です。暫くお食事を摂られていなかったので、お腹が空いていたのでしょう。カガーリンさんは美味い美味いと言ってもの凄い勢いでサンドを平らげていきます。奥様は、微笑みながらその様子を眺め、ときどき啄むようにサンドを頬張るのでした。お二人とも気に入って頂けたようで何よりです。
「キイちゃん、今日は泊まっていきなさい」
「え、でも」
「久し振りのお客さまだから、私達も嬉しいの。ほんの少しお付き合いしてくれないかしら」
「あの、はい」
なんだか普通にお泊まりを勧められました。ここは地上から遥か上空の気球上だということを、忘れてしまいそうです。どうせ今は帰る手段も無いので、ご厚意に甘えることにしました。
その晩はカガーリンさんの冒険譚を聞き、大興奮の連続でした。そして奥様は時折当時の逸話を織り込んだりして、話をさらに楽しくさせる天才です。すっかり二人のファンになってしまった私は、疲れて眠ってしまうまで、話を聞き続けたのでした。もちろんサインを貰うのは忘れませんでしたよ!
そして次の日の朝、まだ熟睡中の私をカガーリンさんがゆっさゆさと揺り起こしました。
「まだ、くらいでふ」
「すまんね、どうしても見せてあげたい光景があるんでな、起きてくれんか」
すまなさそうな声のカガーリンさんですが、その目はキラキラしていました。きっと面白い事があるに違いありません。飛び起きて後を付いていくことにしました。
連れて行かれたのは、デッキの先。そこにはもうユーリさんが車いすに座って待っていました。
「おはよう、キイちゃん」
「おはようございます、ユーリさん。何があるんですか?」
「そうねえ、私がこの世で二番目に好きなものかしら」
「二番目?」
「そう、二番目」
微笑むユーリさんの顔は、とても穏やかで素敵でした。一番目は、旦那様なのでしょう。
「む、丁度よいタイミングだったな」
カガーリンさんが声を上げたので振り返ると、世界が黄金色に染められていくところでした。
遙か彼方の稜線から一筋の光が飛び出し、やがて空も地上もそして空気さえも黄金の輝きで一杯になっていきます。
「これほど見事な日の出は珍しいな」
「ほんと、キイちゃんは幸運の女神さまね」
胸が一杯で喉が痛い。
やっぱり私は泣き虫だと思う。
なぜだか判らないのに、涙が止まらなかったのですから。
そんな私の頭を、二人が代わる代わる撫でてくれると、まるで両親に撫でられているようで、懐かしくてまた泣いてしまいました。
結局、すっかり日が昇るまでデッキに居続け、慌てて朝食のオープンサンドを作りに戻ったのでした。
さて、こんな素晴らしい時間も永遠に続くわけではありません。
私は私で、でまえパンという冒険を続けないといけないのです。
「そろそろ、お暇します」
「キイちゃんに会えて良かったわ」
「私もです、ユーリさん」
「ハンターの素質があるのに、勿体ないな」
「あはは、でも私はでまえパンの方が好きですから」
元気に答えます。
迷ったこともありましたし、嫌な思いをしたこともありますが、あの朝日を見て今は吹っ切れたような気がします。キイ=ショコロールは世界一のでまえパン屋になるのが夢なのです。
「しかしどうやって帰るのかね?」
「やっぱり一度地上に降りましょう、私の事は気にしなくて良いのよ」
「いえ、ご心配なく大丈夫です」
ちらりと外へと視線を動かすと、キラッと光る物体が見えました。
「では、また『キイのでまえパン』をよろしくお願いします。お元気で!」
「気をつけるんだぞ」
「がんばってね」
「はい!」
とびきりの笑顔で返事をすると、振り返ること無く空中へと飛び出しました。
* * *
「ふんぎゃあああぁぁ…」
わたくしことキイ=ショコロール12歳は、現在もの凄い勢いで仰向けに落下しております。遠慮無く体当たりしてくる風圧のせいでか弱い体は今にもちぎれ飛びそうです。
けれども、負けるわけにはいきません。
急速に遠ざかっていく青空の中で、ぽつんと小さく浮かぶオレンジ色の点が、私に勇気をくれるのです。
「おりゃっ」
右下から接近してくる赤色の機体を目にしながら、思いきり両手両足を広げました。
ハルさんのお母さまからお借りした特殊なスーツ。『ももんがーピンク』は王宮裁縫術師が作ったという、頑丈にして軽量な飛行(自由落下)スーツなのです!この落下速度だと破れるんじゃないかという恐怖を克服し、思い切り広げました。腕とかちぎれるかと思いましたが、どうやら補正がかかっているのか、大丈夫なもよう。しかしガクガクと方向が乱れる乱れる。まともに飛行が出来ません。
「こんにゃろ、飛べ―っ!」
世の中、気合いでどうにかなる事もあるようです。
いえ、多分慣れただけだと思うのですが、その絶叫によってスムーズな飛行(自由落下)が出来るようになったのですから、やっぱり気合いなのでしょう。バタバタとスーツをなびかせ、真っ赤な機体へと近づいていくと、操縦席からキョウコさんが親指を立てているのが見えました。まったくこの人は強いと思う。昨日墜落したばかりなのに、また空に上がれるのだから。
側面に『小太郎』と書かたその機体は、マテリアルエンジンは積んでおらず、滑空する機体のようでした。おかげで速度調整もやりやすく、マジックロープを使った帰還も実にスムーズに済ませることができました。
こうして無事後部座席へと戻ってきたところで、伝令管からキョウコさんの声が響き渡りました。
その言葉はとても嬉しくて、だから私も力一杯叫び返したのです。
「ただいま!!」って。




