第3話 給仕というお仕事
今日もきょうとて、生地をコネくり回し、おいしいライ麦パンを焼いています。
わたくしことキイ=ショコロールは謹厳実直が売りの、しがない『でまえパン屋』です。パンづくりのためのオーブンはレストラン『クランベール』のオーナー、ハルメ…ハメル…ハメナヌルさん?というイケメン様から無償で借り受けていますが、一人前のパン屋です。
「キイちゃん、そろそろ名前覚えてよ」
「はっ!?ハ…ハ…」
「ハメルーン」
「ハメルーンさん!もちろん覚えてますとも。っていうか、何で考えてることわかったんですか」
「なんとなく、ね」
厨房の片づけをしていたら、早めの出勤をしてきたハメルーンさんがひょいと顔を出したものですから、色々な意味で驚きました。いつも通りライ麦パンを8斤ほど手渡すと、お礼とともに素敵なイケメンスマイルが返ってきました。
ま、まぶしいです。
正直、パンのおすそわけぐらいでは厨房の借り賃になるとも思えないのですが、身寄りが無い私としては非常にありがたい申し出なので、素直に甘えているわけです。だというのに、お世話になっている方の名前が覚えられないなんて、我ながらなんと情けない。
「なんかこう、途中でわからなくなってしまうんですよね」
「単純な名前だと思うがなぁ」
「いっそ愛称じゃだめでしょうか」
「たとえば?」
「ハメさ」
「いやだ」
言い終える前に、速攻で却下されました。なぜでしょう、なんとなくショックです。
「で、ではハルさんとか」
「ハルさん…ああ良いね、すごく良い。そうしよう」
「じゃあ明日からそう呼―」
「今から呼んで」
「あ、はい」
何やら機嫌が直ったらしく、やたらニコニコなハルさん。そんなに愛称が気に入ったのでしょうか、子供みたいですね。
「それで、ハルさんはなぜこんなに早いんですか」
「それがね…」
ちょっと苦笑混じりに話し出すハルさん。どうやら、急遽一日貸し切りの予約が入ったため、こんな早朝に出勤してきたのだそうです。やんごとないお方からの要請らしく、断るという選択肢は無かったのだとか。大変ですね。
夕方の来店とはいえ、突然の事で会場のセッティングやら料理の仕込みやらが間に合うのか、非常に微妙らしくハルさんの顔は少しひきつっていました。
「食材は十分あるから料理は大丈夫だと思うんだけどさ、一つ問題があって…」
「問題、ですか」
「うん。実は明日までモリーが出張でね。給仕の手が足りないんだよ。チラッ」
「は?え、それは困りましたね、ハンターズ・ソサエティーに緊急依頼を出してみたらどうですか」
「さすがに数時間後っていうのは時間がなさすぎるし、特急料金が凄い事になるだろ。それに給仕なんてお願いしたらハンターに失礼じゃないか。チラチラッ」
「…」
なんというあからさまな…というか「チラッ」なんて口に出して言う人初めて見ましたよ。確かにお店の構造は良く知ってますし、以前遊びでお手伝いした事もありますけど、本営業でサービスなんてとてもできません。モリーさんの代役だなんて、まったく畏れ多いことです。
『黒服のモリー』さんと言えば、この界隈では知らない人がいないほど有名な方です。若くして貴族の執事長をされていたという伝説の給仕さんで、柔かな物腰、一度会ったら忘れない記憶力、崩れる事のない笑顔と、まさにパーフェクト給仕さんなのです。密かに商店街の娘さん達がファンクラブを作っていると聞いた事があります。
そんな凄い人が、なぜこんな場末のレストランにいるのかは不明です。え、失礼だって?いやだってここ高級レストランってわけじゃないし!料理は抜群に美味しいけど。 はっ、今はそんな事を考えている時ではありません。本能が全力で警戒警報を打ち鳴らしているのです。
「無理無理無理、私はゼッタイやりませんからね、給仕なんてしたことないし、そもそも身長が足りません。制服だって、きっとダブダブですし」
「くっくっく…」
「ハルさん?」
ハルさんの口元が、わずかに歪み、どす黒いオーラが身体を包んでいます。思わずビクリと肩を震わせて後ずさりする私に、ハルさんの高笑いが聞こえて来ました。
「ふはははは!こんな事もあろうかと、すでに用意してあるのさ!」
「はあ?」
「見よ、このマルチタイプミラクルステップ『クインシー』を。過酷な条件にも耐えられる全天候型汎用足乗せ台、身長に合わせてステップ高を調整可能、重量制限はなんと120kg!」
「私、そんなに重くありません!」
漆塗りの台には、上品な紅葉の模様が施されています。これ、ただの足おきですよね?なにゆえ無駄に高級なんでしょうか。そしてどうしてそんなものが用意周到に準備されているのでしょうか。
恐ろしくなった私は、さらに一歩足を後ろに引きましたが、ハルさんは追撃の手を緩めませんでした。
「そして続いてはこれだあ!」
「はうああ!?」
「淑やかな黒を基調としながら、惜しみなく裁縫技術を投入した白いフリルのレースをふんだんにあしらい、ワンポイントの青いブローチが胸元に光る、12歳専用給仕服だっ」
「そんなピンポイントな年齢制限付きの服があるかー!」
ヘンタイである、実にヘンタイである。いくらイケメンであろうとも、ヘンタイの魔手からは逃れなくてはならぬ。私はバックパック『マジックチャックン』を手にすると、右足に力を込めて全力逃走モードへと移行しました。
しかし、裏口に向けてくるりと身体を回転させたその瞬間、ボソリと悪魔の囁きが聞こえて来たのです。
「新型オーブン」
哀しいかな、身体が勝手に反応してしてしまいました。いやぁ、やめてえぇ
「実はこの前新型オーブンのセールスがあってね、結構良さそうなんで、購入しようかどうか迷っているんだよね」
「あ、あう」
「セールスマンが言うには、火力も上がっているし焼き上がりも段違いらしいね」
「はぐ、ぐう」
「まあ今のオーブンもまだ使えるし、若干高いんだよねぇ。今日の貸し切りパーティーが成功したら臨時収入があるから買えるかなぁと思ったんだけど、キイちゃんに無理をさせるわけにもいかないし…あきらめるかなぁ?」
卑怯である、実に卑怯である。大人は卑怯な生き物なのだ。ズルイ。
「や」
「や?」
「やります!やりますから新型オーブン買ってぐだざいぃ」
びえーと泣き落としをしました。そのくらいは許されると思います。慌てたハルさんの顔も見られたし、新型オーブン購入の言質もとりましたから、これでおあいこといえましょう。ふんっ!
ひとしきりビエビエ泣くと、ようやく落ち着きました。
「じゃあ、細かいことは『モリーノート』を見ておいてね」
「え、私一人なんですか?キースさんは?」
普段はモリーさんの他にもう一人、キースさんという給仕担当がいます。てっきり彼は一緒なのだろうと思っていたので、ビックリして聞き返してしまいました。
「本日は調理担当ハメルーン、給仕担当キイの二人だけ」
「ど、どうしてっ」
「先様が極力少ない人数を希望してるんだよね」
「それにしたって、私素人ですよ?不味くないですか。地位の高い方なんですよね、粗相したら大変なことになっちゃいますよ」
「そりゃ大丈夫、なんたってキイちゃんのおひろ…まあ僕が保証するからご心配なく」
「おひろってなんですか!」
失言したと思ったのか、ハルさんはそれ以上いくら聞いても笑顔を返すばかりです。とても不穏な感じがしますが、新型オーブンの魅力にはあらがえません。仕方なく、モリーノートを見ながら勉強する事にしました。
そうして迎えた夕刻、鮮やかな夕日が目にしみます。ノートには、給仕に必要な事が実に的確にまとめられていたので、たった一日でもなんとか最低限の事はできるようになりましたが、無理矢理詰め込んだ私の脳味噌はパンク寸前です。お客さまが来店される前から疲れ果ててしまい、今にもうたた寝してしまいそうです。嗚呼、魅力的なテーブルが私を誘います。
もう、いっそ机につっぷして寝てしまおうかと思ったその時、無情にもドアノッカーの音が部屋に響きわたりました。
「わわっ」
「いらしたようだね、一緒にお迎えしようか」
「はい」
ハルさんと連れだって扉を開けると、そこには人目で品の良さが伝わってくる老紳士とその奥方、そして聡明そうな少年が立っていました。奥には4頭立ての馬車と、剣を持った物々しい警備の方々。はっきり言って、ビビリました。何ですかこれ!聞いてませんよっ、どこの貴族さまですかっ!
混乱して固まる私の横で、ハルさんが柔かな笑みでお出迎えの言葉を口にしました。
「いらっしゃい、父上、母上、それにキルフェ、元気そうだね」
「ハメルーンも息災で何よりだ」
「あらあら、すっかり健康になって、お母さん嬉しいわ」
母を名乗る女性が、ハルさんの頬を愛おしそうに撫でています。ハルさんは少し照れくさそうに笑い、そして照れ隠しに少年の頭を撫でていました。
「キルフェ、今日はありがとう」
「兄上、我が儘もこれきりにして下さいよ。急なスケジュール調整で執務室長以下3名が瀕死になったのですよ」
「それは、何というかすまん」
「大体兄上は突然すぎるのです。そもそも家族全員が予定を合わせるなん―」
「あらあらあら!ハルメーン、その娘がうわさのキイちゃん?」
「ちょ、母上、まだ私が兄上と…」
「やだちょっとなんて可愛いの!」
「ひぐっ!?」
兄弟の会話をぶった切って、ハルさんのお母上が抱きついてきました。それはもう、クマのヌイグルミを抱きしめる子供のように、凄まじい勢いで。
「く、くる…し…」
「いやあああ、このサラサラな髪、しっとりぷりぷりな頬、華奢な身体、女の子ですわー、お人形さんみたいですわー!」
「ぐええ」
死ぬ、このままでは巨大な二つの丘に埋もれて圧死する。そう確信した直後、ハルさんがお母上引き剥がしてくれました。一瞬天国の父と母が見えましたよ、本当に。
「母上、キイが死んでしまいます」
「あらあらあら、ごめんなさい、つい興奮してしまったわ。ほら、うちは男ばかりでつまらないでしょう?つい女の子を見ると衝動的に抱きついてしまうの。キイちゃん許してね?」
「は、はい」
こんな美しい奥方に「ゆるしてね♪」なんて首を傾げられて頷かない人間がいるだろうか、いやいない。コクコク頷いていると、ハルさんがみなさまを店内にお招きしていました。使えない給仕でごめんなさい。
「さあ、立ち話も何ですから、中に入りましょう?」
「そうだな、おまえの料理を食すのも久しぶりだ。楽しみにしているぞ」
「キイちゃんは隣に座ってくれるのかしら」
「母上、彼女は給仕の仕事がありますので」
「ええー、そんなのイヤ。そうだわ、社会勉強です。キルフェあなたキイちゃんの代わりに給仕しなさい」
「母上!」
「ううー」
オソロシイ、なにが恐ろしいかって口を挟む暇が無いところが恐ろしいのです。
こうして、私の意向など全く関係無いところで会食は進んでいくのでした。