第15話 銀色の刻
渓谷といっても巨大なものですから、きっちり二列に隊列を組んで慎重に進み始めました。早めの昼食で、私のパンを食べることも忘れませんでしたし、食べたグリッドさん達のパーティーが隊商に分散同乗して全員を効果範囲内に収めていましたから、渓谷の半ばまで歩を進めても雑魔の一匹すら出てきません。気分良く傭兵さんの一人がその事を教えてくれようとした時、突然馬車内に設置された警報装置が鳴り響きます。
ジリリリリリりんりん
それと同時に、隊商の足が一斉に止まります。統制の取れた集団というのは見ていても非常に気持ちが良いものです。これだけ多くの人馬が乱れること無く進行を停止するというのは、言うほど易い事ではありません。すごいなーと感心してた顔を幌の中に押し込められ、傭兵さんが大声で叫びます。
「様子見てくるから、そこを動くなよ」
はいはいと返事する頃にはもう、馬を駆けて傭兵さんが先頭へと消えていくところでした。
馬車の中にもどり、チーズの産地や名前をメモしながら試食…じゃなかった味見でもなかった、なんかそんなような事をしていたのですが、周りがざわざわと騒がしくなってきたので再び外を覗くと、傭兵さん達が走り回っているのがわかりました。
「あの、もしかしてハーピーの襲撃とかですか?」
自分のパンの効力にそこまで自信のない私としては、非常に申し訳ない顔で手近な傭兵さんを掴まえて質問を投げかけたのですが、切羽詰まった声で返されました。
「先頭馬車で交戦中だ。かなりヤバい相手らしい」
「え」
そのまま振り返りもせずに、馬に飛び乗る傭兵さん達を呆然と見送った私は、慌ててグリッドさんの姿を探します。なんかこう前髪がいつになく跳ねまくっているのですが、気のせいに違いありません。3つほど後方の馬車を覗き込んだ時でした。突然後方で轟音が響き渡ったかと思ったら爆風に身体を投げ出すことになりました。
危うく顔から地面に激突するのをなんとか避け、口に入った砂を吐き出しながら後ろを振り返ると、砕け散った馬車とおぼしき破片と立ちこめる砂埃、そして人のうめき声が聞こえて来ました。
よく状況が飲み込めないまま、本能に従ってさらに後方へと走り出したのは正解だったようです。ヒュッと風を切る音と共に地震のような激しい振動が地面を襲います。
「うわわわっ」
バランスを取りながらも、止まること無く走り続けます。決して後ろは振り向きません。なぜなら大混乱の中で誰かが叫んだのが聞こえたからです。トレークハイト(怠惰)だ!と。
マテリアルを奪い、生物を衰弱させ死に至らしめるヴォイド(歪虚)と呼ばれる存在は、大きく七つの眷属に分けられています。そのうちの一つ、大型の歪虚群であるトレークハイトは、巨人の姿をしている事が多く、非常に力があります。交戦すればハンターのトップランカー達でも手こずる、最大級の危険と言えましょう。
などと冷静な解説を脳内でしていた所で、二度目の吹き飛ばしに合いました。
「っぷ!」
今度はしっかりと口を結んでいましたので、砂を食むことはありませんでした。僥倖なるかな、僥倖なるかな。
けれども運悪く転がる途中でトレークハイトを見てしまいました。紫色の肌をした巨人は、大きなウォーハンマーを担ぎ、片手で馬車を持ち上げています。きっとさっきは、こうやって馬車を投げつけたのでしょう。戦慄とともに体が強ばるのがわかりますが、必死に逃走手段を考えます。戦闘?馬鹿いっちゃいけません。
「牽制する武器は、ありませんね。めくらましの道具も、ないですね。移動手段は…ほぎゃーっ!」
トレークハイトが再び馬車を投げ、前方から爆風が飛んできました。地に伏せてやり過ごしてから顔を上げた視線の先で、ある物が目に留まります。
「あれなら…」
いけるかも知れません。ぐるりと周りを見回してみますが、みな絶賛混乱中なのでこちらを気にするような人もいないようです。よし、と目をつぶって身体に流れるマテリアルを再構築します。
―覚醒
ハンターが、自己のマテリアルを顕在化すること。極端に身体能力が上がったり、空が飛べるようになったりするわけではありませんが、覚悟を決める時に行う儀式のようなものです。私の場合は、銀髪赤眼という派手な外見になるのであまり使いたくないのですが、複雑な機導装置を使う時はこの姿でないと上手くいかないのです。あと、ちょっとハイになって、おかしな口調になるので知人の前では使わないようにしています。
「さて、開けてくれるかね」
マジックちゃっくんから二丁の魔導銃が下げられたホルスターを取りだして腰に装着すると、砂煙の中で異彩を放つ白銀の馬車もといワゴン車へと歩いて行きました。
* * *
ドンドンッ
ワゴン車の側面を叩いてみますが、反応はありません。ちらりと馬の方へと視線を投げますが、爆風を浴びてドロドロにとけた皮膚の下から機械部分が見えており、相当不気味な雰囲気を醸し出しています。ブルルといなないたので慌ててワゴン車の陰に隠れましたが、車もまた酷い状態だと思います。ところどころ剥げて金属が向きだしになっています。よくまあ焼損しなかったものだと感心しますが、扉を叩く手は止めません。
ドンドンドンドン
しつこく叩き続けていたら、扉に付いている小さな弁当箱のようなものから男性の声が聞こえて来ました。
「五月蠅い、何処の馬鹿だ!」
「うん、この状況で居留守を使う方が馬鹿だし、我慢出来ずに返事をするお前は大馬鹿だな」
「なっ!どこの誰だか知らないが失礼だ。いいか、仮にも名代の馬車に対して―」
「そんな事はどうでもいいよ。私はキイ=ショコロール。そこに居るガーナッシュ卿と話があるんだ。出してくれないかな」
「がっ…ガーナッシュ卿?なんの事だか」
「今は一秒が惜しいんだよ、私はまだ死にたくないんだ。無駄話をするなら、次を当たるが」
「まあ、待ちたまえ」
ようやく、お目当ての当人らしき声が聞こえて来ました。融通の利かない部下のおかげで、貴重な時間が無駄になりましたが、ギリギリ間に合いそうです。プシュッと音がして開いた扉の奥に、包帯を頭に巻いた痛々しい姿のセロさんが立っていました。怪我をしていたのですね。半歩後ろで眼鏡をかけた不機嫌そうな執事が腕を取って支えています。私の姿を見たセロさんは、軽く首を傾げます。
「おや、本当にショコロールさんですか?先程あった時と随分雰囲気が違いますね。髪の色も」
「キイで結構ですよガーナッシュ卿。細かい事はお気になさらず」
「では、私の事もセロでお願いしますよ。ところで、いつから気がついていました?私はあまり公の場に出ていないので、顔は知られていないと思ったのですが」
「ガーナッシュ卿だってことですか?当てずっぽうですよ」
「は?…いやはやこれはまた…嵌められましたか」
名代にしては、雰囲気ありすぎなんです。隊商の仕事が楽しくて仕方ないって顔してましたし、パンの話を聞いたときはまさに商人の目つきでしたよ。何より、こんな拘り満載の馬車を、名代に使わせたりしないでしょう。
「それでセロさん、見たところ馬車を動かせずに困っているようだけど」
「わかりますか」
「動くなら、こんな前線ど真ん中からはさっさと脱出するだろうしね。どうかな、何か手伝えると思うんだけど」
「見栄えを気にして御者を外に出していたのが裏目に出ました。彼らには悪い事をしました。キイさんに動かせるなら、是非お願いしたいところです。ああ、危ないですから車内からで結構ですが」
「ちょっ、え、もしかして中からも動かせるのかな!?」
「動かせますよ」
「是非見せて欲しい!」
興奮する自分を押さえきれず、スルリとワゴン車の中に乗り込みました。いや、自分の欲望のためだけじゃありませんよ。トレークハイクに呼び出された雑魔が、あちらこちらに出没し始めたので、あまり時間に余裕が無いから急いだのです。本当なのです。
車内は予想通りセンスの良い調度品で整えられていましたが、衝撃で色々な物が散乱しています。転がった物を避けつつ奥に入ると、眼鏡の執事さんが運転席まで案内してくれました。もの凄く睨まれましたが、お仕事と割り切った模様です。あはは、覚醒時の私を睨んだって無意味です、無神経が服を着て歩いているようなものですから。
さて運転席はというと、どうやら無事のようですがパネルは赤い警告で一杯になっています。
「車内から動かす場合は、このコンソールから行うわけですが…衝撃で止まってしまいましてね。われわれでは機導装置のことはさっぱりわからず、お手上げ状態です」
「なるほど」
コンソール前に腰を下ろした私は、その作りを眺めて思わず顔がにやけてしまいました。パネルには馬の形をした図が2つ並んでいます。そしてその上には懐かしいリアルブルーの文字で『緊急ロック中』と書かれているではありませんか。
「いいですねぇ、燃えてきます。ふふふふふ」
その時の私の目は爛々と赤く輝いていたことでしょう。眼鏡執事さんが思いっきり引いているのがわかります。
だがしかし!
こんな楽しい玩具を前に、冷静でいられるはずがない。断じてないのです。
「さあ、キミ。遊ぼうではないか」
ワキワキと指を曲げながら、コンソールとの対話を試みるのでした。




