第13話 原初のライ麦
ぴよんと跳ねた前髪が、治りません。
その日は朝からおかしな天気でした。太陽が顔を覗かせているのに、しとしと雨が降ってくるのです。果物屋のアリドットおばさんは、精霊王が崩御したんじゃないかとか笑い飛ばしていましたが、すごく嫌な予感がします。こういう時、私の勘はよく当たるのです。思えば、でまえ先で6時間待ちぼうけを食らわされた時も、小麦をぶちまけて厨房を冬景色にしてしまった時も、そしてハルさんの家族に騙さ…ご挨拶した日も、前髪がぴよんと跳ねて吉兆を予測していたのです。前髪レーダーは万能、これキイの常識。
そういうわけで、本日は一日厨房に籠もってパン作りする事にします。幸いにして、でまパンの注文もありませんし、時々来店されるお客様の対応くらいで済みそうです。最近は来店される方の数も落ち着いているので、こんな天候で買いに来るのはいつものお馴染みさんくらいだと思われます。新作パンの研究にじっくり取り組むことにしました。
「まずは8段タワーサンドですよねぇ」
8段タワーサンド。その神をも畏れぬ凶悪なサンドウィッチタワーは、とある桃色髪のドワーフさんによる要望によるものです。もともと6段重ねのサンドウィッチまでは作ったことがあるのですが、それを聞いたドワーフさんが『では妾は8段に挑戦するぞ!』とおっしゃったので、急遽作る事になったのです。強度が不足するため、バンズは軽く焼いて、水分が多いトマトは避けました。代わりに彩りの赤ピーマンと厚切りベーコン、薄焼き卵、オニオンと塩胡椒…最後に金串をぶっさして完成させました。
「マラボワ様は美味しそうに召し上がって下さいましたけど、満足してはいけません!」
突貫で作り上げたので、細部では満足いかない部分が多かったのです。もう少し食べやすく、そして味つけももう少し統一性をもたせて、なんて事をしていたらクランベールの呼び鈴が鳴る音が聞こえました。この時間ですと、でまパンのお客様だろうと当たりを付けて受付まで小走りに駆けていくと、そこには32歳渋めの猟撃士グリッド(おじ)さんが立っていました。
「キイ、お前今なんか失礼な事思ったよな?」
「いえまったく」
「言っておくけどな、ベテランハンターの中じゃまだ若い方なんだぞ!」
「なんのことでしょうぜんぜんわかりません」
目を泳がせて、口笛を吹きました。実際グリッドさんは若いと思います。活力というか、生命力に溢れているせいか肌の張りも良いし、とても30代には見えません。でも、以前若いですよねと言ったら大変な事になったので、もう絶対言わないのです。それよりも、グリッドさんの用件が気になっていました。彼が来るという事は『でまえ』の依頼である可能性が高いわけですが、今日は外に出ないと決めているので、その場合はお断りしないといけません。あまり、贅沢を言える経営状態ではないのですが。
「それで、今日はお持ち帰りですか?珍しいですね」
「んなわけあるか」
「なんでっ」
「お前の店の存在価値はでまえだろうが」
「そいつぁ聞き捨てならねぇな」
「どこの言葉だそりゃ」
バンと受付のテーブルを叩き、グリッドさんに顔を近づけて猛然と抗議をします。そりゃあ、でまえがメインではありますが、最近はお持ち帰りやイートインで食されるお客様もちょびっとずつ増えているのです。メニューも増えましたし、味だって他のパン屋さんに負けない自信はあるのです。それなのに、でまえだけが存在価値だといわれて黙っていられるかってぇのです!猛然と10分ぐらい抗議したところ、最終的には正座するグリッドさんの前で、腰に手をあてて叱りつける少女という構図が出来上がりました。うん自業自得、仕方ないデスネ。
「悪かったって」
「わかりゃーいいのです」
「くそ、それででまえはお願いできんだろうな?」
「嫌です」
「はあ!? おま、ここまでやっておきながら引き受けないとか普通ねぇだろう。空気読め空気を!」
「こののどごし、美味しいですね、空気」
「飲めじゃねぇ、読めだ!」
暫く押し問答が続きますが、今日の私はひと味違います。いつもいつも流されて押し巻ける私ではないのですよ、断れる12歳、それがキイ=ショコロール! ふんすと胸を張ってでまえの依頼をお断りしていた時でした。急にクランベールの正面扉がガチャガチャと音をたてて開き、オーナーのハルさんが入ってきます。今日も今日とて爽やかな笑顔が眩しいです、素敵すぎて目が潰れそうです。
「やあ、キイちゃんおはよう」
「ハルさん、おはようございます。あの、すみませんちょっとお客さんに捕まってしまって、8斤焼き上がっていないのです」
「ああ、大丈夫だよ今日はご予約も少ないし、この天候だからね」
「すみません」
「で、どうしたの、トラブル?」
ちらりとグリッドさんを流し見たハルさんの顔が微妙に怖かったのは、気のせいだと思います。しかし、グリッドさんも歴戦のハンターですので、一般市民に睨まれて逃げ出すようなことはしませんでした。正面から睨み返しています。あ、なんかトラブルの予感がします。
「俺はきちんとルール通り、でまえの依頼に来ただけだぜ?」
「そのわりには、キイちゃんが困っているように見えるんですけどね。無茶な依頼は困りますよ、うちの可愛い給仕さんでもあるんですから」
「えっ、ハルさんあれは1回きりじゃなかったんですか!?」
「はて、そんな約束はしてないけど」
「や、でも、あれ?新型オーブン買って完了で、あれ?」
「ふふふ」
首を捻る私の横で、ハルさんはニコニコ顔になり、グリッドさんの機嫌は次第に悪くなっていきます。私とハルさんの会話から置いてきぼりにされたのが、勘に障ったのでしょう。強引に間に入り込んできました。
「んなこた、どうでもいい。なんで今日はでまえが無理なんだよ」
「虫の知らせで、今日はでまえするなと」
「はあ?何だそりゃ」
「キイちゃんどういうことなんだい?」
ハルさんも興味津々の顔で聞いてきたので、仕方なく今朝の事をお話しました。可愛いねと微笑むハルさんと、馬鹿馬鹿しいと呆れ顔のグリッドさんを前に、私は憮然とした表情で腕を組みます。だって虫の知らせは、馬鹿にしたものじゃないんです。商売をする者は、ジンクスを大事にしろと偉い人がいっています。多分。
けれどまあ依頼の内容くらいは聞いてあげるべきかなと思い直し、クランベールのテーブルを借りて事情を聞くことにしました。
「何であんたが一緒なんだよ」
「ここは私の店なんでね。同席くらいは良いだろう」
「保護者かよ」
もう怒る気も失せたのか、グリッドさんは諦めて依頼の内容を話し出しました。お仕事自体はそんなに難しいものでは無さそうです。さる豪商の護衛を請け負ったグリッドさん達と一緒に、キャラバンに同行するというものです。しかし、すでにでまえの域を超えているような気もしますし、それってハンターズソサエティーで正式依頼を受けるようなレベルだと思います。お断りしましょう、普通に。
「残念なが―」
「キイちゃん、行っておいで」
「ら、おことわんですとぉ?」
若干語尾が変な事になったのは、ハルさんのせいです。目を通常時の2倍くらいに見開いてハルさんを凝視しましたが、当の本人はいつもの爽やかフェイスで涼しげに微笑んでいます。まさかの身内裏切りですよ、どういうことですか一体。
「ハルさん、何言ってるんですか。嫌ですよ、全然メリット無いですし、危ないし、すでにでまえじゃないし!」
「豪商というのは、恐らくガーナッシュ卿のことですよね?」
「ああ、掲示板にも出てるし、隠す事じゃ無い。その通りだ」
「キイちゃん、ちょっといいかい?」
ハルさんが耳元に手をかざして囁いてきます、ちょっとくすぐったいんですが。
『ガーナッシュ卿ってね、豪商として有名だけど男爵の爵位も貰っている尊敬できる方なんだ』
『ハルさんご存知なんですか』
『家族ぐるみでお付き合いはあるね。で、彼は商人としてバツグンの腕がある。それは、食材についても言えることでね』
『え、それは…もしかして』
『そ。もしかしたら【原初のライ麦】の情報が手に入るかもしれないよ』
「ふ、ふおおおお!やります、私やりますっ!」
「うぉ、何だよ急に」
突然雄叫びを上げた私に、グリッドさんは若干引き気味で顔を引きつらせています。が、そんな様子を気にする余裕はありませんでした。夢にまで見た【原初のライ麦】が、入手できるかもしれないチャンスなのですから!
「さあ、グリッドさん行きましょう今すぐ」
「どうなってんだよ、おいあんた説明しろ」
「さあ?キイちゃんはやっぱり、活き活きと前を向いて突っ走っているのが一番可愛いですね」
「そんなこたー聞いてねぇよ、腕ひっぱんな、おい、ちょっと落ち着けー」
今にも飛びだそうとする私でしたが、グリッドさんに頭を叩かれてようやく正気に戻りました。準備も無しに飛び出そうとした自分に、少し恥ずかしさを感じつつ集合場所を確認します。出発は正午だそうなので、ゆっくりはしていられません。慌てて数日分のパンをハルさんにお渡しし、お店休業の看板を立てて荷物を纏めました。調理道具、1週間分のパン、洋服を詰め込んで広場へと向かいます。
広場に到着すると、さすが豪商の旅なだけあり、大規模な隊商が組まれていました。主に幌馬車主体のキャラバンですが、何よりそこに集まる人々の活気が凄い。小さな商店街がまるごと入ったかのような規模です。一瞬怯んでしまいましたが、ビビっていても仕方ありません。一度深呼吸をして、空を見上げます。
もう雨は止んでおり、蒸し暑い空気と日差しが広場を包み込んでいました。
よしっ
「このチャンス、逃しませんよ」
グッと拳を握り、隊長さんらしき男性へと近づいていくのでした。




