第12話 キイの日常
私、キイ=ショコロールは久しぶりに爽やかな朝を迎えています。カーテンを開け、まだ朝日も射し込まぬ早朝だというのに、思い切り眩しい顔で伸びをしてしまいました。
「うーん、最高ー!」
新鮮な空気を胸一杯取り込んでから窓を閉めると、いそいそと出勤の準備を始めます。いつもの服、いつものリボン、いつもの鞄。簡単にチェックを済ませ、スキップをするように部屋を出ました。本日の天気は曇り模様。
しかして、私の心は晴れ模様。
「うふふふふー」
何故こんなにもハイテンションなのかと言えば、理由は簡単。ここ三ヶ月私を悩ませていたアルバイト(仮)のナズルさんが森に帰られたからです。思えば長い三ヶ月でした。
でまえすれば、お客さま(女性限定)と仲良くなりすぎて夜まで帰ってこないし、店番をお願いすれば勝手に孤児へパンを無償提供して大騒ぎになるし。おかげで、後始末に追われて家に帰るのが真夜中なんて日々が続きました。しかし、今日からはまた平穏な毎日が戻って来たのです。
「しゃー、がんばりますよー」
愛機エル君にまたがり、愛しの職場へと向かいました。ここ最近、新しいお客さまが増えて忙しいので、いつもより早めに準備をしなくてはいけません。なんと皆さん、でまえではなく店頭販売をご希望されるものですから、レストラン『クランベール』の一角をお借りして販売させていただいている状態です。でまぱん屋としては配達が出来なくなる店頭販売は避けたいのですが、ハンターオフィスからの強い要望があっては断るわけにも参りません。しばらくは新作研究も兼ねて店頭販売をすることにしたのです。
ここ数年中断されていたハンターズオフィスの依頼受け付けが再開されたことで、街も活性化していますし良いことなのですが、私としては早くもとの細々とした『でまぱん』に戻りたいところです。
「まずは男爵からですね。急がないとレネンティア様がいらしてしまいます」
ぶつぶつ独り言を言うのは、その日の手順を口にして間違えないようにするための癖です。決して友達が少ないとか、そういうわけじゃありません。断じて、恐らく。
気を取り直して、メニューの確認をいってみましょう。男爵とは、ジャガイモの事ではなく『アーモン・ド・クリーム男爵』という立派なスイーツ系パンです。アーモンド生地にあられ糖をまぶし、中にはバニラビーンズ入りカスタードクリームとほんのり生クリームが入っていて、女子に大人気なのです。特に、毎朝通勤途中に立ち寄っていただけるレネンティア様は、いたく気に入られたようで頻繁に購入されていきます。通勤時間がやたらと早い彼女のために、まず最初に焼くのは男爵となっている今日この頃なのでした。
「とと、そうはいってもスクエアも作って置かないと」
助手なんて雇えるほど贅沢ではありませんが、時々人手が欲しいなって思います。時々店主のハルさんが『なんなら、僕と共同経営でもいいんだよ』なんて意味深な事を言ってからかって来るのですが、真剣に人手が欲しいのです。駄目なら腕があと2本欲しいと思います。割と真剣です。
そんな事を考えながらも着々と下ごしらえが進み、2台あるオーブンはフル稼働でパンを焼き上げていきます。ここにいたり、ようやく本日お出しするメニューを考え始めるのでした。壁に貼り付けられたメニュー表をみると…
・スクウェア・スプリングサンダー
・ライ麦パン(四角)
・ナッツとフルーツですサマー
・ラム酒レーズンだっち
・ガート・ショコラパン
・ママンパン
・エルフ殺しカレーパン
・もも酒でしゅ、フレンチトースト
・パンの耳はバロンの耳
・プリンナパン
うん、ろくなネーミングセンスじゃありませんね私。がっつり落ち込んでしまいましたが、ブルブルと頭を振って復活します。朝は戦場、些細な事でブルーになっていては良いパンは作れないってもんです!
桃色頭巾をかぶり直し、気合いを入れました。
「ファイト―」
「オー」
「えっ?」
「えっ?」
背後から唐突に聞こえた声に一瞬固まった後、超速で振り返ります。まさか、こんな早朝から泥棒がっ!?いや、早朝だから泥棒が居るのでしょうか、でも私は貧乏だしパン屋に泥棒とかどう考えても割に合わないというか、けどクランベールは有名だからもしかしてそこの従業員と間違われて金庫に案内しろとかそういう事言われて、わたしわかんないですごめんなさいなんだとこのやろうブスリみたいなこ――
「もし」
「うへいっ!?」
「何か、物騒な事を想像されてませんか?」
「めめめ、滅相もない」
そこに立っていたのは、クランベールの名給仕モリーさんでした。黒服のモリーさんは、その名の通り生まれたときから黒服を着てましたってくらいビシッと黒服が決まった元執事さんです。たぶんハルさんのご実家で執事をされていたと思います。とても有能な方ですが、気配を消して背後から近づくのは止めて欲しいのです。
「モリーさん、今日は早いですね?」
「ちょっと頼まれ事をされまして。はい、お届け物です」
「ほぐ?」
渡された小包には、ある名前が書かれていました。
「あ、カルヴィ様からだ!」
ブラウンの髪に赤目が良く似合う長身で筋肉質な殿方。先日調査依頼をご一緒したカルヴィ様からの小包でした。
戦闘能力皆無の私が調査依頼?と思われるかもしれませんが、それにはちょっとした訳がありました。なんとその依頼人ときたら、「辺境のパンは硬かった」などと申しやがるのですコノヤロー。
あ、いえ。
えっとつまり、辺境の料理に偏った感想を持っている依頼主様に、せめてパンに関する勘違いだけでも改めていただこうと粉骨砕身パンの魅力を伝えまくったのですが、その時ご一緒したのがカルヴィ様というわけです。依頼の中で、カルヴィ様とは釣りをご一緒する筈だったのですが、残念ながら釣り場を見つける事が出来ず残念な結果に終わりました。私の落胆度合いが酷かったのか、カルヴィ様が後日サンドウィッチに使える魚を提供して下さると約束して下さり、こうして律儀に小包を送ってくださったと言うことのようです。
「昨晩ちょっとハンターギルドに用がありまして、ついでにということで渡されました」
「それは、すみません。モリーさんに郵便屋さんをさせてしまって」
「いえいえ、趣味ですから」
モリーさんは郵便や宅配が趣味という、変わった方です。それも、幽霊街とか海底都市とか危険な場所への配達を個人的に請け負うという、非常に変わった方なのです。お代は時価で、ときにはパン一切れ分で引き受けたこともあるとか。
しっかりとモリーさんにお礼を言い、小包をいそいそと開けました。
「き、きたああぁ!」
思わず絶叫してしまったのも、致し方なしと許していただきたい。なにしろフレッシュ『とぅな』が入っていたのです。これこそ、サンドに最適なミラクルフィッシュ!私が求めていた逸品。感激する私の手はぷるぷると打ち震えていました。
なにしろ稀少で最近はなかなか入手できない『とぅな』。サンドにするなど勿体無いと言われそうですが、なに気にするこたありません。今日のメインパンは決まりました。キュッっとペンを手にお品書きを書き終えると、いそいそとイートインスペースに立てかけるのでした。
『まぼろしの おとぅなサンド できました』
こうして、少しだけ私の世界は広がっていきます。
素敵なハンターさん達との出会いがこれからも続きますように。




