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でまえパン!  作者: 春豆
10/18

第10話 いそがしの森(中編)

 どうして、こうなったのでしょう。

 

 目の前には急勾配の崖があり、遥か下の方で川が流れているのが見えます。眺めているだけで良いなら、どんなに素敵な光景だったでしょう。しかし、後ろからはギョエエと可愛くない声が迫ってきます。もうあと数秒後には追いつかれるに違いありません。あの肉食鳥に食われるか、覚悟を決めて崖を落ちるかの二択に迫られていました。

 

「やるしか…」

 

 ゴクリと喉が鳴る音はあまりに大きく、自分でも驚いてしまうほどでした。覚悟を決め、ゆっくりと深呼吸を2回すると、スロットルを静かに開放していきます。レバータイプから変更されたスロットルは、私が乗り慣れているエル君のものと同じバイクタイプなので、微妙なアクセルワークだってお手の物です。

 全地形対応車、ATVと呼ばれるバギー『ケロリッツァーⅢ世』はドロドロと音を立てながら崖に向かって進んでいきました。ヒルダウンはエンジンを切ってはいけません、慎重にエンジンブレーキを掛けながらルートを選んで下りていくのです。


(ふおおお、怖い!自由落下した時より怖いいい!)


 涙目になりながらも、全神経を集中させてヒルダウンを始めて数十秒後。崖の中盤にさしかかった頃に、後ろから叫び声が落ちてきました。

 

 …ョアッギョアッギョアッー……

 

 咄嗟に左に身体を倒す私の横を、青い羽根を持った巨大なダチョウが落下していきました。どうやら、果敢にも二足歩行でヒルダウンを試みて、あえなく失敗したようです。鳥の行く末を見るのは怖かったので、再びヒルダウンコントロールへと集中することにしましょう。ええ、あれは食料、天から降ってきた鶏肉なのですきっと。

 

 その後もミリ単位のアクセルワークを駆使し、ようやく崖下まで辿り着いた時には腕も足もガクガク震え、全身から力が抜けていました。


「つ、ついたぁ…」


 ガックリとシートに崩れ落ちる私の目に、暮れなずむ空が映っていました。ああ、そろそろ二日目(・・・)の野営を準備しなくてはなりません。私は疲労困憊の身体に鞭を打って、簡易テントのポールを立て始めます。なんとか野営の準備が整ったときにはすっかり日も落ちて、暗闇があたりを覆い尽くしていました。



 ホウホウ


 パチパチと焚き火の音に耳を傾けながら、鶏肉入りのミネストローネを啜っていると、フクロウの声が聞こえてきました。夜の森は恐ろしいのですが、獣除けのビーコンも設置したのでそれなりに安心できます。ふあーと間の抜けた欠伸を片手で隠し、軽く伸びをしてから『ケロリッツァーⅢ世』に視線を向けました。泥だらけのボディーは所々が傷つき凹んでいますが、なかなか精悍な顔つきになってきました。エル君と比べ、何倍もゴツい『ケロリッツァーⅢ世』は、もともと軍用に開発されたATVだそうで、真っ黒に塗られた体躯には無駄な装飾が一切ありませんでした。最初はその実用性一辺倒の仕様に欠片の興味も沸かなかったのですが、こうして旅をしてみるとその実直さに惹かれ始めている自分に気がつきます。

 加速し、曲がり、止まるという基本を極めて高レベルでこなし、多少のラフさにも文句一つ言わず、繊細な操作にも敏感に反応する姿は、エル君とまた違った大人の魅力を持っているといえましょう。


「う、浮気じゃないですよ」


 ちょっぴり欲しい気持ちもありますが、モニター車ですからね!それに、『ケロリッツァーⅢ世』には大きな欠点があるのです。そのせいで、当初の予定より大幅に遅れ、すでに二日目の夜に突入しているのでした。

 欠点、それは爆音を放つため余計な敵をおびき寄せてしまうという点です。通常の獣達は音に怯えて逃げてくれるのですが、雑魔と呼ばれるマテリアル異常で発生した魔獣達は逆に近寄ってくるため、先程のような逃走劇を繰り広げなくてはならなくなります。え、反撃?私はしがないパン屋ですから、そんな恐ろしい事できるはずありません。三十六計逃げるに如かず。

 

「あとは平地だし、半日で着くよね」


 警報装置をオンにして、もぞもぞとテントにもぐり込むと、護身用の銃を枕元に置いて目を閉じました。熟睡は出来ませんが、少しでも身体を休めないと明日の運転に支障をきたしますので、頑張って横になります。明日こそ川で身体を洗いたいなあと独りごちながら、まどろみの中へと落ちていきました。



* * *


 おはちょうございます、あ。


 えふん。

 

 おはようございます、キイです。


 本日は快晴なり、絶好のドライブ日和です。朝は一枚のライ麦パンと珈琲という鉄板朝食をいただき、現在快調に『ケロリッツァーⅢ世』を飛ばしています。昨日までの襲撃がうそのように鳴りを潜め、気がつけばアン=ハリンおばばの館まで徒歩10分というところまで来ました。と、ここで私はルートを南に転じます。もう、目的地だというのになぜ進路を変更したのかというと、そこには今回の隠れイベントが待っているからです。「いそがしの森」最大の憩いの場所、そうそれは『お・ん・せ・ん☆』なのです!

 こんなに泥だらけになりながらも、耐え忍んでこれたのはこの温泉に入るためだったと言っても過言ではないでしょう。湯煙に包まれ癒される至福の瞬間、これがなくて何が人生。


「いやふう」


 温泉にたどり着くや否や、服を脱ぎ捨てて突撃です。かけ湯?桶ないですもん。

 大雑把にくみ上げられた岩に腕をのせ、ぺったりと頬をつけたまま仰向けに浮かぶと、これがまた最高なわけでして。ふわーん、とろーんとしばし温泉を漂いました。この温泉は、アン=ハリンおばばのスキルで邪なるもの達から守られています。いわゆる聖地なので、時々獣達も温泉に入りに来ますが、お互い危害を加えるようなことはありません。安心してこんなに無防備になれるというわけです、はい。



 かぽーん(魔法的効果音)



「はわわぁ、とろけますね~」


 ぷっかりと仰向けで浮いていると、遠くで何か重いものが落ちたような地響きがありました。なんだろうと耳を澄ましてみると、何度か同じような音が続き、次第に大きくなってくるのがわかります。首をかしげているうちに、音は一層大きさを増し、ついにはハッキリと聞こえる距離まで近づいてきました。まあ、おばばの温泉で争いごとが起こるはずもないんですけどねぇ~。よっぽど強力な魔獣でもないとね~。とのんびりしていたら、突然目の前で目隠し用の戸板が吹き飛ばされました。

 

 バキバキッ


「ひっ!?」


 ちょっと何ですか、強引な覗きですか!あわててタオルを引き寄せる私の目の前に飛び出してきたのは、銀髪のエルフらしき男性でした。飛び出したというより、放り投げられてきたと言ったほうが良いかもしれません。戸板を破壊し、ゴロゴロと転がってきたその人は、口から血を流していましたし、弓を持つ左腕は負傷しているようでした。一瞬私を見て驚いたようでしたが、すぐに視線を前方に戻し、睨むように遠くを見ています。


「だ、だれ…じゃなくて、大丈夫ですか!?」

「隠れてろ、キュクロだ」

「いっ」


 急いで岩陰に身を隠そうとしましたが、無意味でした。上からどんよりした一つ目がこちらを見下ろしているのです。キュクロプスという名前は絵本で見たことがあります。一つ目の巨人で、筋骨隆々。棍棒で敵をなぎ倒していく怪力の化け物というイメージでしたが、目前にいる巨人は全く違います。顔の中央にある大きな目には光が無く深い闇を思わせます。口もとが薄く笑っているのにちっとも嬉しそうじゃありません。どこかぬるっとした、混沌より生まれいずるものといった感じです。


「ひ、え…」

「くそっ、なんでこんな所に子供が…」


 再びちらりと私の方を見た後、エルフのお兄さんは左腕の痛みをこらえながらも牽制の矢を放ちました。そしてキュクロプスを引きつけるため、すぐさま温泉場から離れようとしたのですが、がっくりと膝を付いてしまいました。予想以上にダメージを負っているようです。いけません、このままではイケメンエルフが一人姿を消してしまいます。助けなくては!

 左手でタオルを抑えつつ温泉を上がると、お兄さんに肩を貸して脱衣所まで走り…引きずりました。キュクロプスは非常に動きが緩慢なので、なんとか捕まることなくたどり着けたようです。


「せめて、ワンピース!」


 ガシッとワンピースを掴んで上から被ります。いくらなんでも、全裸で逃走するのは避けたい。

 頭から服を被った直後、メキメキと目隠し板が引っこ抜かれて景色が広がりました。ああなんと見晴らしのよい事か。キュクロプス様のつぶらな睫毛までばっちり観測可能ですよ。何て言ってる場合じゃありません。


「んぎゃあああー」


 叫びながらエルフのお兄さんをシートに放り投げ、無理矢理私にしがみつかせてからバギーを急発進させました。あんな生物に人類が勝てるはずがありません。兎にも角にも逃走するのが一番とばかりに、全速力で『ケロリッツァーⅢ世』を走らせます。途中何か色々踏みつぶしたような気がしますが、気にしたら負けです。

  こうして神がかったドライビングテクニックで森を抜けていくと、そこには見慣れた一軒家が建っていました。鮮やかなコーナーリングで門を通り抜け、必死にフロントガーデンへと乗り入れると、ようやくキュクロプスは諦めたようで、森へと帰っていきました。


「た、助かったぁ」


 キュクロプスといえども森の一員です。温泉は壊しても、魔女の館を壊すほど無謀ではありません。安全地帯に逃げ延びることができたようです。

 ホッとひと息ついた所で後ろを振り向くと、エルフのお兄さんと目が合いました。お兄さん、乗車中よっぽど怖かったのか、ぎゅっと私の胸を抱きしめたまま離れようとしません。そろそろ手を離して欲しいのですがと目で訴えると、ようやく気がついてくれたようです。

 

「うわぁ! す、す、すまん!」


 もの凄い勢いで手を跳ね上げたせいで、バギーからで転げ落ちるお兄さん。

 その時、玄関の扉が開いて上品な緑のドレスをまとった大人の女性エルフが出てきました。流れるような金髪、切れ長の瞳、抜けるような白い肌。その見目麗しいエルフの薄い唇がうっすらと開くと、私達にこう言いました。


「やかましいわ!一体なにご……なんじゃキイか。遅かったな、早う入れ」


 外見詐欺、エルフとはまさにそういう生き物なのです。

 アン=ハリン320歳。まだまだ外見は可愛らしいエルフのくせに、言葉遣いときたら完全におばばです。でも短い言葉の中に、暖かいものを感じるのです。

 だから私は、いつも通り笑顔で挨拶をするのでした。


「あい。お約束のパン、お持ちしました」

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