op.9 サイレント・コード
ざわついた会場。
肌をふるわせる、緊張感。
「……なにこれ」
こんなの、味わったこともない。
舞台の袖で、そっと深呼吸。
無機質な部屋で、無機質なマイクへ語るのとはちがう。
いまから、叫びにいくのだ。
生きた人間へ向けて、生きた音を、生きた声で、――俺自身で、叫ぶのだ。
「いける? 秋葉」
和佐が差しだしたマイクを、片手で握りしめる。電源はまだ入れない。
「だれに言ってんの」
自信満々に笑って、だけど膝も笑ってる。
虚勢でもなんでも、張りとおせば真実にもなるだろう。なんて、冗談ぬきでこれはやばい。
だって、俺、はじめてなんだ。
舞台の上で、iVoiseなんて仮面を通さずに、むき出しのまま叫ぶのなんて、はじめてなんだ。
後夜祭のステージ。和佐は宣言どおり、完璧に手配してくれた。
できるかぎりの音響と、できるかぎりの会場と。
できるかぎりの、観衆。
ここからでもわかる。見えないけど、わかる。体育館を埋めつくす、生徒たち。日中の模擬店でみた、あの人ごみが、そのまんま、客席。
だけど、その他大勢なんて、彼女を呼びだすための口実にすぎないんだ。
「リツは?」
「最前列、右隅」
「……よくきたね」
「ちょっとね。無理やり実行委員に引きこんで、仕事にかこつけてみた」
「意外とやるじゃん、和佐」
「そりゃあ、秋葉に頼まれるなんて、めったにない経験だからね」
いつかとおなじセリフを吐いて、和佐が胸をたたく。
おどけたフリをしてるくせに、どうしようもなく顔はこわばってる。
こわいんだ。みんな。
変化がこわくて、ためらってる。
だけど、ここまできて、やっぱやめたなんてなしだ。
「つきあってよ、最後まで」
「仰せのままに、王子様」
目線を合わせて、ほほ笑んで。
気づけば、膝のふるえは、止まっていた。
こんなのぜんぶ武者ぶるい。
止まるわけにはいかないんだ。俺が止まったら、彼女を動かすなんて夢のまた夢。
だいじょうぶ。
俺は、iVoise。
俺は、秋葉音波。
俺の音は、いつでもひとつ。
*
まっくらな一人舞台。
スポットライトは眠ったまま。
コツコツと足音が響いて、幕のうしろ。
グランドピアノの前に立ったスタンドに、マイクをはめる。
スイッチ、オン。
ごとり、と独特の増幅音。
鍵盤をたたく奏者は不在。
幕の向こうに、客席がある。ざわめきの収まらない、ギャラリーがいる。
舞台の幕は上がらない。
舞台に光は注がない。
ピアノは沈黙を保ったまま。
隠れたステージの中央に立つのは、俺ひとり。
袖には、和佐だけがいる。
許された時間は5分間。一発勝負のゲリラライブ。むちゃくちゃなことしてる。わかってる。だけど引けない。
引くつもりもない。
ここにあるのは音源だけ。秋葉音波なんて存在は、向こう側には届かない。iVoiseが音源だけの存在なら、俺も音源だけの存在になればいい。
幕の向こうに響かせるのは、ただひとつ。
マイクを握りしめて、口に寄せる。
流れつづけていたPOPSのBGMが止まる。
音響ジャックの準備は万端。視界の端で、和佐のゴーサインを確認。
スリー。
ツー。
ワン。
――吠えろ。
*
――To:ネームレス・ドリーマー
いつまでたっても来やしないような
“いつか”を待つんじゃなくて
怯えたように立ちすくんでる
明日を嗤えよ
聞こえないフリして耳を澄ましても
まだ鼓動は奏でてる
いっそこれからなんて夢を広げたり
重ねる日を待ってる
そんな未来もありじゃない?
願うはず きっと 叶うまで
だってそうじゃなきゃ僕ら生きてるって
気がしないでしょ?
*
幕の向こうで、ざわり、と空気がゆれる。
「え、アカペラ……?」
「曲変わったよね!? なんの曲?」
「ちょっとiVoiseっぽくない?」
「ちがうよ。雰囲気ちがうし、私、CDぜんぶ持ってるもん。……こんな曲しらない」
ひろがる、ざわめき。
「まって……これ……! 音源じゃない、だれか歌ってる!」
「うっそ!?」
すこしずつ伝搬していく、波に。
きみも気づくだろう。きっと、気づくだろう。
*
いっそこれからなんて嘘ばかり吐いて
まだ心は感じてる
諦めきれないから苦しいんだろと
言うだけなら簡単だ
だけど飛べなくて僕ら生きてるって
気がしないまま
不恰好な両腕で
それでも羽ばたこうと
空に憧れてんだ
叶わないモノ強請り
せめて抱いていたくて
堕ちる瞬間までは
叫べ このオモイ 地面割り開いて
お望みの未来は手に入れたの?
語らぬ君へ捧ぐ詩
*
一曲歌いあげた直後、とつぜん舞台の幕が上がりだした。
暗転したまま、ひらける視界。
――やりやがったね、和佐。
さわやかな顔して、優等生はやることがちがう。なんて、俺が言えたことじゃないけど。
興奮で、とっくに理性は焼ききれてる。
やめとけよ、なんていまさら水をさす自重心はない。
かまうものかとマイクを手放して。
肉声を、張り上げた。
*
――サイレント・コード
ふれあうことに怯えていた きみが
ふるえながら重ねてきた 声に
ふるいたつ鼓動 もてあました劣情
張り裂けそうな感情論を
いま振りかざして
叫べ 無音制空
声-コトバ-届かなくたって
構いやしないんだって
鼓動-オト-にすべて乗せて
きみへ連なる 最短航路-air line-
強引にエスコート
駆けぬけて 切り裂いて
響かせて 無声和音-silent code-
*
聴いて。俺の音。
無機質な音源なんかじゃなくて、生の声。
ねぇ、ちゃんと生きてる?
俺の歌。
聞こえなくてもいい。
届かなくてもいい。
それでも、俺は吠える。
くりかえし。
なんどでも、なんどでも、吠えてみせる。
きみの心を揺らすまで。
深い水底に、響くまで。
*
すこしだけでいいんだと 笑い
素足のまま踏みこんだ 心に
もどかしく発熱 もつれあった恋情
埃積もっていた理想論を
いま振りかざして
叫べ 無音制空
声-コトバ-届かなくたって
構いやしないんだって
鼓動-オト-にすべて乗せて
まるで 愛別離苦
心-オモイ-届かなくたって
構いやしないんだって
宙-ソラ-にすべて吐いて
未来-サキ-へ繋がる 無限迷路-air line-
強引にエスコート
駆けぬけて 切り裂いて
きみへ捧げる 静寂連譜-shire note-
泣き濡れたエゴイスト
ねぇ笑って? 寄り添わせて
響かせて 無声和音-silent code-
響かせて 無声和音-silent code-
*
イタイほどの、静寂。
だれもが息をのんで固まって、呼吸音でさえも、場を乱してしまうような錯覚がして。
ひとつの結晶に閉じこめられたような心地。学校という檻のなかに、もうひとつちいさな籠をつくって、せまいせまい世界に囚われたような。
二重の柵で外から隔てられた箱庭は、さぞかし快適な住まいだろう。
ちいさな玩具箱。
だけど、ずっとそこにはいられない。
扉が開いた。余韻にひたっている住人たちも、きっとすぐに旅に出る。
だけど、いまは。
いまだけは、俺が箱庭の鍵守り。
夢幻の5分間が終わる。
はあ――、と吐きだした息が、とんでもなく熱い。燃えてるみたいだ。体の奥から、炎がたちのぼって、全身を焦がしてるみたい。
ふと目を開ければ、まっさきに視界に入る、体育館いっぱいのギャラリー。制服の波の向こうに、外から射しこむ光のすじ。
きらきらとした床をたどって、扉の一枚が開いている、と気づいた。
ひらいた扉の向こうに、銀杏の木。
秘めた黄炎をむき出しにして、堂々と立つ、銀杏の木。
俺も、たぶん、燃えてる。
おんなじように、芯から、燃えてる。
伝わってる? この熱。
伝わってる? この興奮。
いまさら、スポットライトが、俺を照らした。……和佐め。開きなおった優等生はこわいね。迎えにいけって? 言われるまでもない。
「――律」
最前列、右端。目を見開いたまま、固まっている彼女に、手を差し伸べて。
「伝わった? 俺が、どんだけ律の音に惚れこんでるか。すっげー馬鹿なことしてるし、たぶんめちゃくちゃ怒られるし、そんだけじゃすまないかもしれないけど、……でも、歌いたかったんだ。どうしても、律の前で、律の曲を」
この場所で叫びたかった。
子どもぶって、ワガママを押し通して用意した、このステージで。
「歌わずには、いられなかった」
それが、たとえきみを傷つけても。
「どうしても、聴いてほしかったんだよ」
律のためなんかじゃない。俺のためだ。
届かせたい、なんて願いじゃなくて、届かせてやる、っていう暴力的な衝動。
とんだエゴイスト。ぜんぶ、俺のワガママ。
偽善じみた優しささえない。
――だけど、ぜんぶ真実だ。
俺は俺のまま、むきだしの心を叫ぶだけ。うそなんて入りこむすきもないくらい、弾幕じみた感情をたたきつけるだけ。
受け取られるか受け取らないかなんて、どうだっていいんだ。
なにもかも自己満足。
だけどもし、つきあってくれるなら。
「ピアノ、弾いてよ。……弾けるよね。だって、律の音なんだから。律から生まれた、曲なんだから」
ねぇ。
――シーラカンス?
音にのせないまま口を動かすと、律は、ようやく、ゆっくりとまばたきして。
「のい、ず……?」
おぼつかない『声』で、かすかに、つぶやいた。
静まりかえっていた体育館が、一気にわきたつ。まるで試験のあとの答えあわせのように、口ぐちに生徒たちが語りだす。やっぱり。まさか。でも。
喧騒のなかにさらわれていった、かすかな声を。
俺の耳は、たしかに拾っていて。
のいず。
そう。
声にも雑音にもなりきらない。
中途半端な俺の歌。
おずおずと伸ばされた指先をつかんで。
――いま、ようやく、つながった。