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op.6 伝搬する微熱

 第二音楽室のドアを開ける。

 なかには先客がいて、また寂しげな曲を奏でている。


 俺はだまって部屋に入って、鍵盤をすべる指先をながめる。


 ――あたらしくできた、日課。





『たのしい?』



 ピアノから指を離したリツが、かわりに走り書きしたノートをかかげる。


 すこし傾いだ、エッジのきいた書体。もうすっかりおなじみになった文字を見て、俺は首をふる。


 たのしいわけじゃない。

 ……けど、なんでここにくるのか、俺にもわからない。


 俺の居場所だから。

 俺が正統な主だから。


 てきとうな口実をならべてみても、リツを追いださない理由はみつからない。



「おちつくんだ、……たぶん」



 ぐちゃぐちゃに絡まった考えが、リツのピアノを聴いていると、なぜだか鎮まる。


 そもそも、絡んじゃうようになった原因もリツなんだけど。


 とうの本人はそんなことはしらずに、ただ、不思議そうに首をかしげた。


 聞きたいことは、たくさんある。

 聞けないことも、たくさんある。


 言葉っていうのはやっかいで、もやもやしてるあいだは無害なのに、形をとると、とたんに鋭くなったりする。


 俺は、その辺の調節を器用にできるタチでもないから、けっきょくなにも口にできないまま。


 ――このまんま伝わればいいのに。


 言葉なんて不確かなものを通さずに、まっすぐ、染まらず、曲がらず、素直な音のまま。


 どうしたら、伝えられるんだろう。



「なんでもない」



 ひらひらと手をふって、そのままふと、床に投げ出しままの鞄にふれた。


 このなかのファイルには、あの譜面がある。


 どんな熱を乗せようか。どんな言葉を乗せようか。まだ決まらないまま、眠った旋律がある。


 シーラカンス。

 音のない海の底を泳ぐ、深海魚。


 なにを思ってこの曲を書いたの。なにを思ってこの曲を渡したの。



 どうして、iVoise(ノイズ)に託したの。


 歌唱人形とまで揶揄された俺に。



 正確無比に奏でてほしいという作曲家アーティストはいる。このとおりに歌ってくれと。それでこそ芸術だと、讃えるひとたちは。


 でも、きっと、この曲はちがう。


 譜面どおりの『ただしさ』なんて求められちゃいない。『ただしさ』なんてどこにもない。


 そんなの、iVoiseには不向きだ。

 南部さんの言うとおり、イメージじゃない。


 それでも、iVoiseを選んだのは、なぜ――?





 一呼吸おいて、リツの指が、また、鍵盤をなでる。


 触れるか触れないかの瀬戸際で、軽やかに奏でられるトリル。見た目は羽のように。その実、したたかな力で鍵を打つ。


 ほんのわずかでも力を入れすぎれば壊れてしまう、繊細な音色。


 なにも言わずに第二音楽室にいすわる俺を、なにも言わずにリツは迎えいれる。


 ぬかるんだ受容。

 一週間かけて、ようやく、ここまできた。


 すこしでも強引に踏みこもうとすると、リツは逃げてしまう。臆病な魚のように。


 だから、俺にできるのは、橋の上からエサをまいて、ぼーっと彼女が近寄ってくるときを待つだけ。


 わかっては、いるのに。

 それでも叫びたくてたまらない俺は、どうしようもない馬鹿だ。



「――リツ」



 大きめの声で呼びかければ、すぐにピアノの演奏が止んだ。


 音ならすこし、と語ったとおりに、彼女は『音』を認識する。けれど、彼女は『言葉』を認識しない。


 たぶん彼女の聴く『音』は、彼女が望む『音』ではないんだろう。



「どうして、それでも『音』を奏でるの」



 伝わらないことなんて知ったうえで、かまわず言葉をつづける。



「どうして、それでも『音』をあきらめないの」



 リツはとまどったように眉を下げて、俺のくちびるを注視している。


 でも、この一週間でわかってる。彼女は読話に慣れてない。すくなくとも、こんな文脈のない言葉を読みとれるほどには。


 勝手なことをしているな、と思う。


 自己満足のためだけに、勝手に問いをぶつけているだけだ。



 彼女への『伝え方』を、俺はまだ、みつけられていない。



 和佐ならわかるんだろうか。

 あの、もの知りでお人好しなクラス委員なら。


 こんな、困ったような顔をさせずに、うまく伝えられるのかな。


 ……また、もやもやと積もりだした鈍色の感情が、気持ちわるくて。


 たまって、たまって、喉もとまでせり上がってくる、微熱のかたまりを。

 気づけば、音ごと吐きだしていた。





――non titled


  届かなければいい、 この声が

  すべて変えてしまうと謂うのなら

  ずっと ずっと この場所で

  形にならない願いを唄う


  どれだけの祈りを重ねても 届かないそら



 壁に背をあずけ、まぶたを閉じたまま、つむいだ音は揺れていて。


 ビブラートなんてかけるつもりなかったのに、音程がはまらない。不安定にゆれながら、響く、声。


 おかしい。

 なにこれ、こんな音は。


 予想外の違和感にあせって、ますます歌声がゆらぐ。俺の声ってこんなんだっけ。俺の音って、こんな――。


 そのとき。



 ――ガタリ、と。


 なにかがぶつかるような音に、おどろいて目を開けた。



「え……?」



 ピアノ椅子から立ちあがったリツが、口もとを両手で包みかくして、ふるえていた。


 どうして。


 ほんのすこし丸みをおびた瞳から、ツゥ――と流れおちる光の川に、俺は息をのむ。


 どうして、きみが、泣くの。



「なんで、――」



 ハッと我にかえったリツが、両手を下ろし、すこしおびえたように足を引く。そのときはじめて、彼女の座っていた椅子が、不自然に下がっていることに気づいた。


 涙ぐんだまま、寄る辺なくさまよっていたリツの視線が、ふと俺の顔で止まる。


 ぐっとくちびるを噛みしめて、そのままリツは第二音楽室を飛びだしていってしまった。



「リツ!」



 廊下に消えていく制服の背中を、追いかけることもできずに。


 バタン、と重い音をたてて閉まった防音扉を、ぼうぜんと見つめた。





「なん、だよ……、もう」



 壁づたいに、ずるずると。

 力がぬけて、床に座りこむ。


 そのまんま膝を抱えこんで、いつまでも余韻の消えることがない、不安定な『音』を思いだす。



 あんなの、しらない。

 あんなの、俺の音じゃない。



 無我夢中で吠えていたころの『音』ともちがう。


 染まりかけた紅葉のような。うっすらと色づいた境界線を、ここと明確に引けないような。ぼんやりと、でも、たしかに、……熱が灯った。


 まさか、伝わった?

 奥底からくすぶるような、微熱が。


 リツにまで、なにか、伝わったの?


 急に、馬鹿みたいに気恥ずかしくなって、腕に顔をうずめる。



「……さいあく」



 かき乱されてる。

 やっぱり、絡まって、ぐちゃぐちゃだ。


 自由に吠えていたころにもどれればそれでいいと思ってた。鎮まりきった水面をゆさぶってやりたかった。ただただ単純に、くやしかった。


 だから、おもいっきり叩きつけてやろうと思ってたのに。


 そしたら、俺は俺にもどれるような気がしていたのに。



 ――あんな音、しらない。



 あきらめきれずにもがくような、あんな、ゆれにゆれた不安定な、まるで懇願みたいな、あんなの。


 全身で『せつない』って叫んでる、リツのピアノみたいじゃんか。かっこわるい。あきらめきれずにくすぶってるのが丸わかりな、種火。


 なにが、かっこわるいって、……それがリツにまで届いたことだ。


 ひとりで勝手に鳴いてるぶんにはかまわないけど、情けなくすがりつくなんて、冗談じゃない。



 だけど。


 どんな形でも、彼女をゆさぶったことがうれしい、なんて。



 ……ほんとうに、冗談じゃない。



 ほのかに熱がのこった息を、いらだちまぎれに宙に吐いて。


 明日、リツは、ここにくるだろうか――と。

 気にせずにはいられない自分を、笑った。

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