op.4 深海魚-Coelacanth-
校門をくぐってすぐ、和佐を探した。
どうでもいいときには見つかるのに、会いたいときにかぎって見つからない。
そういえば、和佐裕人は忙しない奴だったと、思いだした。
顔も広いし、人望も厚い。
なんていうと、いいコトづくめなように思えるけど。
――ようするに八方美人だ。
いいヤツなのは知ってる。だけど、無意識でもなんでも関係なく、そういう立場は維持が大変だってこと。
俺には真似できない。
真似しようとも思わないけど。
まるごと全部受け入れる器の広さはないし、それに、――審査さえしないのって、ある意味、拒絶も同然だろう。
そんなふうに考えちゃう俺には、縁遠い世界。
「まあ、……いいや」
そうそうに捜索をうちきって、教室へ向かう。
俺とちがって真面目な和佐なら、ほうっておいても授業に出席するだろう。
*
「秋葉?」
「あれ、今日もいる」
「めずらしー」
俺が教室に入ると、あちこちから疑問の声が上がる。
ひそひそ。ひそひそ。
交わされる噂話の内容は、だいたいわかってる。
和佐のいないクラスとの距離感なんて、こんなものだ。
うっとうしいなぁ。
いつもみたいに放っておいてくれればいいのに。
机の上にカバンを投げて、そのまま顔を伏せる。……眠い。
「――おい」
沈みかけていた意識を、すくい上げられる。
だらだらと起こした視線の先には、なんだか見覚えのある顔。
……誰、だっけ?
「ヒロ、今日こねーよ」
パチパチと目をまたたかせて、正面に立った男子生徒をみつめる。
……ああ、昨日の。和佐を連れていったひと。
名前は思い出せない。
「和佐、休み?」
「ドイツに交換留学。二週間いない」
「へぇ……」
優等生は大変だ。
TOEICのスコアが高いから、受験に忙しい上級生をはねのけて、選ばれたんだろう。
交換留学ってことは、この学校へも留学生がくるってことだけど。
……俺には関係のない話だ。
それにしても、どうして、わざわざ俺に教えてくるのだろう。
「ヒロに頼まれたんだよ、お前のこと」
「俺のこと?」
「あいつ、絶対お前のこと弟かなんかだと思ってるぞ。手のかかる末っ子ってかんじ。すげぇ気にかけてる」
……なにそれ。
和佐はビョーキだ。お節介病。
*
和佐の友人――椎堂というらしい――に向けて、おもいっきりため息を吐いた。
彼が悪いわけじゃないけど。
「いいよ、特にこまってないし。……放っておいてくれれば、それで」
だよなぁ、とうなずいて、椎堂が苦笑する。
そのまま立ち去っていこうとする背中をみつめて、和佐に聞こうとしていたことを思いだした。
がたん、と立ちあがって、ひと息に問いかける。
「あのさ、――リツって生徒、しってる?」
足を止めた椎堂がふりかえる。
「りつ? ……深水律か?」
怪訝そうな顔。
「さあ?」
「おいおい、なんだそりゃ……」
そんなこと言われたって俺にもわからない。ふたりで顔つきあわせて、眉を寄せあって、……これ、馬鹿馬鹿しい構図だ。
椎堂も、すぐに気づいたらしい。
不毛なやりとりを打ち切るように、頭をふった。
「和佐も、よくつきあってられるな」
「わりとひどいね、椎堂」
「とにかく、お前のいうリツが、深水のことかどうかはしらねーけど、――興味本位で首突っ込むなよ」
俺の言葉を、さらりと無視して、椎堂はざっくり釘をさした。義務は果たした、とばかりに、そのままいってしまう。
ふぅん。お人よしの親友がお人よしとはかぎらない。おもしろいね。
「興味本位じゃなかったら、どうなの」
だれも近くにいなくなった俺の席で、ぽつりと、つぶやく。
フカミリツ。
そっと、口のなかで転がした名前を、きっと俺は忘れないだろう。
*
たいくつな時間を、まるごと夢の世界へなげて、たどり着いた昼放課。
第二音楽室へいってみようかな、と思っていた俺の携帯に着信。
無視。
軽い鞄をひっつかんで、席を立つ。どこへいこうか。鼻歌交じりの逃避行。
廊下を半分もいかないうちに、二回目の着信。
切ってやろうかと、とりだした画面上に、周ちゃんの名前。……だと思ったけどさ。
そんなことより、俺は俺の音を探すのにいそがしい。
電源ボタンに指をかけると、ふるえが止まる。代わりに、メッセージ受信のお知らせ。
「新曲について……?」
予想外の件名に、目を丸めた。
――これはちょっと、無視できないかも。
*
結局、そのまま学校は早退した。
迎えにきた周ちゃんの車に放りこまれて、事務所へ直行。
ひさしぶりに会う……ええっと、たしか、プロデューサー? そんな感じの大人と向きあって、居心地のわるいソファに座る。
「ノイズ。この曲、どう思う?」
ツ――、と指で差ししめされたのは、机の上に広げられた楽譜だ。手書きの五線譜に、素朴なパートが並ぶ。主旋と伴奏だけの、簡単な譜面。
「なんで俺に確認するの」
歌わせたいなら、歌えとひとこと言えばいい。そしたら俺は、音をつむぐ。言われたとおりに、声を重ねる。
――まるで歌唱人形だ。
周ちゃんの言葉が、胸に刺さった。
「それに、このまえ新しいの出したところじゃん」
ふてくされたようにつぶやいて、落ちつかなく指先で机をたたく。
ああもう、なんだよ。
それでいいじゃないか。好きにすればいいじゃないか。俺は、音があればいい。歌わせてくれる、場所があればいい。
整った環境は魅力的だけど、閉塞的で、……たまに、息がつまる。
「率直な意見を聞きたいんだ。素人の持ち込みらしいんだけど、だれが受けとったのかもよくわからなくて。どこかに埋もれてた譜面を、江沢が引っ張り出してきたんだが」
「周ちゃんが?」
言われて、はじめて、音の流れを追う。
周ちゃんの曲の好みはだいたい把握してるけど、……ちがう。系統が、全然ちがう。
ただ。
「……すごい」
あふれんばかりのセンスだけは、わかる。
思わず、漏れだした声に、すべての感情がのっていた。
「荒削りだけど、才能はある……だろう?」
完成していない。未完成な、だけどまぶしい音の羅列みたい。
きれいにまとまってなんかなくて、たまにバラけて、だけど、それがいい味にも見えて。
狙って書こうと思っても、きっと書けない。いまだから、をこれでもかと詰めこんだ、不安定で魅力的な曲。
気づけば、じっくりと、全体を精読していた。
「ノイズ」
問いかけられて、はじめて、目的を思いだす。
「どう思う?」
いたずらっぽく輝いた眼に、完敗を察した。
譜面を机に置きながら、プロデューサーの眼を見返す。まっすぐ。強い意思をこめて。
「歌いたいね。アレンジとかなしで、生のまま、歌ってみたい」
「生のまま?」
「うん。……すこしでも手を加えたら、きっとこの曲、死んじゃうから」
それは、リツのピアノを想起させるような。
弱く儚く悲壮に美しい、あの曲を想起させるような。
瑞々しい生を、にじみださせた曲だから。
大人が手を加えちゃいけない。この不和を、整えてはいけない。完成されていないからこそ、きっとこの曲は輝く。
「けどなぁ……iVoiseの曲として売りだすには、ちょっとイメージが」
iVoiseは、完成されている。
いつも、完成された芸術品のように、澄ました顔でたたずんでいる。
お綺麗にまとまった、……死んだ曲ばかりを、歌う。
――それがいいっていう声も多いけど。
周ちゃんの声を思いだす。
なんのために周ちゃんが、この曲を推したのか、わかった気がした。
――生きてたんだよ、お前の歌は。
ねぇ、俺、言ってもいいのかな。
俺、いま、すごく……興奮してる。ずっと忘れていた熱が、カタチをもって、ここにある。見逃すなんて馬鹿なまね、できるわけない。
言わずになんて、いられない。
「だったら、この曲、俺にちょうだい」
「いや、最初からそのつもりでは――」
「iVoiseじゃなくて、秋葉音波にちょうだい」
ぽかん、と口をひらいた南部プロデューサーに、してやったり、と俺はほほ笑んだ。
どうしても、これが欲しい。
iVoiseになんてあげない。
これは、俺のものだ。
*
「気に入ったか?」
「すっげーサプライズ。さっすが周ちゃん」
現金な奴め、といって、周ちゃんの拳骨がふってきた。がつんとゆれる視界。でもいいや、気分最高だから。
「ふふ」
口もとが、勝手にほころぶ。
「それ、どうすんの」
運転席のドアを開けながら、周ちゃんの視線が、俺の手もとにある譜面を射抜く。
「生かすよ。生かしてみせる」
きっぱりと言いきって、となりのドアから後部座席に乗りこむ。
車内に腰をすえても、俺の目は、五線譜に吸い寄せられたままだ。
静かな導入。せつなくゆれるアルペジオ。
徐々に徐々に盛り上がっていく、たたみかけるような旋律。
クラシック音楽にも似ている。
たぶん、作者はピアニストだ。
右上に、うすい筆跡。サインかな。
――Coelacanth.
シーラカンス?
曲名か。ペンネームか。
ななめに傾いた字体で走り書きされたスペル。紙の外へとのびる下線が、細かくゆれていた。
「……周ちゃん」
「なんだよ」
エンジンをかけながら、おざなりな返答。
「これ、書いたの、学生?」
「南部さんも言ってただろ、だれが受けとったのかすらわからないって」
「なんで」
「なんで、って言われてもなぁ……先月やめた、書類のあつかいが雑なやつがいて、どうせそいつが紛失したんじゃないかって話してはいたけど」
――先月。
すくなくとも先月には、この譜面は、できていたのかな。
「紙の状態からみても、年代物ってわけじゃあなさそうだし。……学生が書いたってんなら、いまも学生なんじゃないか」
「ふぅん……」
譜面を持ちあげて、鼻に近づける。
無臭。
新鮮なインクの匂いも、紙の香りもしない。
どこかからひっぱり出されただけあって、なんとなく埃っぽくはあるかもしれない。
「そもそも、なんで学生だと思うんだ?」
周ちゃんの問いかけに、すこし迷って、答えた。
「完成してないから」
「素人の持ち込みなんて、そんなもんだろ」
完璧な方が不気味だ、と周ちゃんは言いはなつ。そうかもしれない。だけど、それだけじゃなくて。
「なんていうか、不安定で……」
「不安定?」
「そう」
まとまりがあるようで、まとまりがなくて、でもだからこそ、まとまっていて。
ああもう、なんて言えばいいんだろう。
この不完全な完全さ。
下手に手を触れたら、一瞬で崩れおちてしまう砂の城のような。
風の前でゆれる、灯火のような。
「……しってるんだ」
「は?」
「俺、こういう曲を奏でるひとを、しってる」
だから、ひょっとして。なんて、希望的観測を重ねてみたかっただけ。
「ああ。例の『思い知らせたい』子?」
からかうような周ちゃんの声が不快だったから、それきり口をつぐんで、譜面をにらんだ。