op.10 不整合なiVoises
「iVoiseがもらった曲だから、秋葉音波の好きにさせてもらった」
律が、真剣に、俺のくちびるを読んでいる。
律の視線が、まっすぐ、俺をとらえている。
それだけで、馬鹿みたいに心拍数が上がる。
せわしなく駆ける心臓の足音が、耳に響く。
「だから……」
用意してきたセリフなんて、なんの役にもたたない。
だって、勝手にちがう言葉がすべりでる。
それでいて、念入りにシミュレーションした台本は、ひとことも話せやしないんだ。
ねぇ、律。
深く息をすって、ひと息にたずねた。
「――なんで俺を選んでくれたの」
声がふるえる。うぬぼれでないのなら、きっと、彼女は選んでくれた。自分の音を託す先として、歌唱人形と揶揄されていたような俺を、選んだ。どうして。
「あの曲を、サイレント・コードを、iVoiseにくれたのは、なんで」
リツが、鞄をにぎりしめて、ノートをとりだそうとする。
その手を押さえて、じっとリツの眼を覗きこんだ。深い深い海のような瞳。
「直接、ききたい」
中途失聴だと聞いたときから、――ひょっとしたら、もっとずっと前から、わかっていた。
リツは、話せないんじゃなくて、話さないだけだ。
事故は、彼女から『言葉』をうばったけれど、彼女から『声』はうばわなかった。ただ、『音』の形をゆがめてしまっただけだ。
修復不可能なほどに、ゆがめてしまった、だけ。
……話せるはずのリツが、いちども言葉を発そうとしなかった理由、わかる気がする。
もちろん俺はリツじゃないから、ぜんぶわかるわけじゃないけど、でも。
自分の『音』を見失う恐怖。見知らぬ変化を、ただしく感じることさえできないなんて、そりゃあ怖いだろう。
だけど、それでも、聴きたくて。
彼女自身には聞こえなくても、俺には聴こえる、その『音』を。
どうしても、聴きたくて。
ここまできたら、どこまでもワガママを押し通してやろうと、リツの言葉を待ちつづける。
やがて。
「……わたし、は」
か細くゆれる、『声』が。
「私は、iVoiseが、嫌いだった……の」
ぽつり、と、落ちる。
自分の『声』にとまどい、ためらいながら、リツは口をひらいた。
「つまらない顔して歌うんだろうな、って……。いちど思ったら、だめだった。綺麗な声。綺麗な曲。芸術品みたいに、固まった、歌。……それが、嫌いだったの」
つまらない歌。そうだったろうか。そうだったかもしれない。
いつのまにか俺のなかから『特別』は消えていた。
がんじがらめにしばられて、言われるがままに自由を歌った。
「だから、聴いた……。何回も、何回も、聴いた……。完璧なんかじゃないiVoiseを、みつけてやろうと思って。お高くとまった芸術を、笑ってやろうと思って」
すこしずつ、リツの声に熱がこもる。
この温度も、彼女の耳には届かないんだろうか。
「だけどね、気づいたの。くりかえしくりかえし、聞いてるうちに、気づいたの。――完成したフリをしてるけど、ぜんぜんそんなことないんだって」
燃えあがる。
すこしずつ、すこしずつ、熱を増して。
「もったいない。どうして、だれも気づかないの、って……思ってた。人形なんかじゃない。iVoiseの歌は生きてた。正確無比な歌唱のなかで、ほんの一瞬ふるえたり、ほんの一瞬おくれたり。そういう瞬間に、はじめて、『音』の向こうにいるiVoiseの息づかいを聴いた気がした」
太陽が、目覚める。
「――こんなもんじゃない、って泣きながら、窮屈に押しこめられてる男の子の、声がした」
ああ。陽だまりの、音がする。
一年半前のクラス写真に写っていた、屈託のない『深水律』が、奏でていた音色は、こんな音だったのかな。
俺がしらない彼女は、こんな風にして、俺のしらない俺をみつけたんだろうか。
太陽が笑う。水面から顔をだした光が、ゆっくりと世界を満たす。それは、夜明けの奏でる幻想曲にも似ていて。静かに胸を打つ、ささやかな感動。
リツの『音』に、耳を澄ます――。
「サイレント・コードは、私の音じゃないよ。私から生まれた、iVoiseの音。だから、返したの。息苦しそうに歌いつづけるiVoiseが、ほんとうの声で哭けるように。――自由に歌うiVoiseの音は、きっと芸術品なんかよりもずっと、綺麗だと思ったから」
俺の音?
ちがう、きっとそれだけじゃなくて。
あれはきっと、リツの熱が生んだ『音』だ。
井戸の底深く眠っていた俺の熱を呼びさました、誘い水なんだ。
ねぇ、リツ。
「はじめて、オトハの歌を聴いたとき、こわいと思った。iVoiseとおなじだって、すぐに気づいた。だから、こわくて。どうしても、こわくて……」
俺だって、こわいよ。変化は、こわい。
いつだって、なんだって、変わることはおそろしい。
だけど、いつまでも変わらずにいるなんて無理だから。
俺は俺でいたい。
過去でも未来でもない現在を、つかみつづけていたい。
いまの俺が好きなんだ。きみの音が好きなんだ。
きみに出逢って鳴りだした、あたらしい俺の音が、好きなんだ。
言葉にして叫んだって伝わらない。
言葉を介せばゆがんで曲がる。
この熱を、この興奮を、きみはどこまでしっているのだろう。俺はどこまで伝えられるのだろう。
「オトハは、すごいね――」
リツの素直なまなざしを、真っ正面から受けているのが、なんだか気恥ずかしくなって。
俺は視線をそらして、ため息。
きょとんとした目をして、リツが首をかしげる。
……ああ、もう。
かき乱して、かき乱されて。ぐちゃぐちゃだ。
噛みあわない。寄りそわない。俺たちの奏でる音は、どうしようもなく不整合。
校舎に囲まれた、中庭の一角。
いつかの渡り廊下に影を落とす、大きな銀杏の木。
燃え盛る黄炎の一葉が、ひらりと風に遊んで。
池の中心に映った水面の太陽へと、吸い寄せられるように重なり浮かんだ。
ゆっくりと広がる、ちいさな波紋。
聴こえる。
音が。
動きだす音が、聴こえる。
たぶん、俺は、たくさん彼女を泣かせるだろう。たくさん彼女を傷つけて、たくさん彼女を苦しめる。
そんなことに安心する、どうしようもない餓鬼だから、きっとこれからいくらでもワガママをぶつけて、彼女をこまらせるんだろう。
それでも、俺の『音』をあずけるのは彼女がいい。
彼女しかいない。
歌いつづけたい。叫びつづけたい。
届かせたいと願うのは、ただひとり。
だから。
「リツ」
俺の音を、俺の声を、全身で聴いてよ。
言葉なんてなくたって、どんなにひずんで曲がった音だってかまわないから。
まっすぐに叩きつける俺のエゴイズムを、きみはきみのエゴイズムで受け止めればいい。
「聴いて……」
無数の波紋で、太陽を飾る。
叫べ。なんどでも。
きみに届くまで。きみの心をゆらすまで。
俺は、叫びつづけるんだろう。
それしかしらないから。それしかできないから。
ただ、まっすぐに。
コトバにならない 熱をウタう
――iVoises
死にかけながらながら生きていた
どうにかこうにか息をつなぎ
音を求めて音に溺れ
もがきながら、
君と惑う。
~Fin~
作中に登場した詩は、「iVoise」「iVoises」をのぞき、「ノートの切れ端」内に掲載されています。(一部抜粋含)
感想・評価等、励みになります。
壁||ω・)……くれたって、いいんですよ?←
それは冗談として(笑)
明日の『あとがき』をもって、iVoiseを完結表示にいたします。
おつきあいいただき、ありがとうございました(´ω`謝)