表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

op.1 静寂の邂逅

「新譜聴いた?」

「聴いた聴いた。iVoise(ノイズ)でしょ?」



 街角ですれ違った少女たちが、口々に話題にのせていく。



「やばかったねー。なんかもう全身震えるかんじ? 伝えてやるって気迫がすごい!」

「あれでこそiVoiseだよね」

「声だけで鳥肌たったもん」



 恍惚としたような、声。昨夜の新譜発表について語る彼女たちは、とても楽しげだ。

 あれがいい。これがいい。移ろいゆく興味の中心に、たまたま嵌ったんだろう。


 ……べつに、そうでもない。


 聞きたくないなら聞かなきゃいい。

 俺は、歌うだけだ。





――iVoise



  死にかけながら生きている

  どうにかこうにか息をつなぐ

  明日を求めて明日に溺れ

  もがきながら今日に惑う



 ピッと音を立てて、チャンネルを変える。

 歌っているときの自分を客観視するのは、好きじゃない。


 息をするように音を吐いた。


 くりかえし、なんども、なんども。


 それしか吐きだす術をしらないから。

 馬鹿の一つ覚えのように、くりかえした。


 雑音と声。どっちつかずの、音。

 ――iVoise。

 誰に届かなくてもいい、ただようばかりの旋律。


 俺の、すべて。


 どうせ音源だけだけど、聴きたくない。伝えたくて歌うわけじゃない。俺はさえずる小鳥じゃない。ただ、めずらしい声で吼えていただけ。



音波おとは、時間だ」



 ああ、周ちゃんだ。迎えにきたんだ。

 学校か。……だるいな。



「いかない」



 適当に答えながら、叱責に備えて布団をかぶる。

 手放したリモコンがカーペットに落ちた。鈍い音。



「音波」



 淡々とした声。あきれられたかな。

 ……でも、いいや。


 周ちゃんのため息が聞こえる。いつものことだけど、よく、俺につきあっていられるなと思う。いい大人なのに。……大人だからか。



「帰っていいよ、周ちゃん。行く気ないから」

「そういうわけにもいかないんだよ」

「なんで?」



 布団から眼だけ出して、周ちゃんをうかがう。


 スーツ姿で戸口に立った周ちゃんは、指先で車のキーをまわしながら、しかたなさそうに笑っていた。



「ああ、そっか。仕事だもんね。勤務じゃなくてプライベートだと思えばいいよ、――帰って、周兄ぃ」

「音波」

「いきたくないんだよ、今日は」



 語調を強めて拒絶すると、やれやれと肩をすくめて、周ちゃんは眉をさげた。



「今日も、のまちがいだろう」



 俺とはカケラも似ていない年上の従兄弟は、そう言って制服を投げわたしてきた。


 ばさり、と広がったブレザーは、ほとんど新品同様。ついでに、ワイシャツとスラックスも飛んでくる。手慣れたものだ。



「いくらお前でも、いいかげん進級が危ない」

「中退でいいよ、俺」

「それ、親父さんに言えるか?」

「……ずるい」



 苦笑した周ちゃんが、朝食つくってくる、といって部屋をでていった。


 朝食なんてとってたら遅刻すると思うんだけど。


 ちらり、と確認した時計は、とっくに始業時間をまわっていた。……なんだ。


 結局、周ちゃんは、俺に甘い。





 江沢えざわ周一しゅういちは、ひとまわりも年上な俺の従兄弟であり、世間一般でいうマネージャーのようなものだ。


 ようなもの、というのは、もともとのマネージャーは周ちゃんの彼女――というか奥さんで、寿退職予定だから。


 いまは引継ぎ期間だから、どっちをマネージャーだとも言いがたい。



「じっさい、いらないけど」



 マネージャーなんて、いらない。


 俺は歌うだけだ。

 つぶやいて、ノロノロと制服に袖を通す。


 パリッときいたのりが気持ちわるい。

 ……そっか、冬服になってから、はじめてか。


 勝手に漏れだした音をあつめて、押しこんで。勝手に名前をつけて、放流する。iVoiseは声だけの存在だから、それでいい。


 俺の意思なんてしったこっちゃない。

 聞かせたいとおもってるわけじゃない。


 ただ、歌って(生きて)いたいだけ。



「音波、準備できたか?」

「……いまいくよ」





 和食派の俺にあわせて、食卓にならぶのは、伝統的な日本食。


 焼き魚と味噌汁と白米。

 あっさりとした出し巻き卵に、沢庵。


 料理が得意なわけでもなかったのに、周ちゃんはがんばって和食のレパートリーを増やしてくれた。


 これが限界だ、と言いながら、はじめて焦げてない魚を差しだされたときは、なかなかの感動ものだった。


 そもそも、俺が和食にはまったのは、周ちゃんの奥さん――麗美さんのせいだけど。俗にいう、胃袋をつかまれる、っていうやつ。


 もちろん周ちゃんも捕まっている。たぶん、麗美さんに教わったんだろうなあ。味つけおなじだもん。


 おいしい朝食が手にはいれば、俺はしあわせ。

 贅沢を言えば、そりゃあ、本家の味のが上だけど。



「音波、手が止まってる」

「……ん」



 おとなしくご飯をかきこんで、味噌汁で流しこんだ。最後にとっておいた出し巻き卵を、一口でほおばる。


 ……あたり、だ。


 今日は失敗しなかったのか。

 絶品か、イマイチか。なぜかムラのはげしい周ちゃんの卵焼きは、ちょっとした運試し。


 食べおえたはなから食器を片付けていった周ちゃんが、机を拭いて。

 椅子をもどしたのなら、出発のあいず。


 まくった袖をもどしながら、周ちゃんは、キッチンを後にする。

 俺も、おとなしく立ちあがって、その背中を追った。





「テスト、またサボったんだって?」



 バックミラーごしに、周ちゃんが問う。


 俺は、答えずに、窓の外を流れる景色を、ポーッと見送った。


 都会でも田舎でもない。中途半端な、町。

 子どもはみんな学校に閉じこめられている時間帯だ。みかけるのは、だいたい老人か主婦だった。


 もともとの人口分布も、そんなかんじだけど。


 少子高齢化の波は、たしかに押し寄せてきている。

 ――なんて、もともとの比率を肌で知るわけでもないのに、社会派きどり。


 学校で習った知識の受け売りだ。

 ……こういうのって受け売りっていうのかな?



「音波」



 周ちゃんが、言葉少なく責めてくる。

 ……なんの話されてたんだっけ。



「このままだと、留年だとさ」

「ふぅん」

「自分のことだろ。すこしは興味を示せ」



 あきれたように周ちゃんは言うけど、でも、しかたない。


 いきたくていってるわけでもない。

 あそこは音が氾濫しているから、好きになれない。


 窓ガラスに頬を押しつけたまま、ため息をはく。

 一瞬だけ白く曇って、すぐにもどった。



「三回くらい留年したら、あきらめてくれないかなあ」

「馬鹿」



 こんどこそ、心の底からあきれた声だった。





 校門で周ちゃんと別れて、ひさしぶりの学内を歩く。


 季節は、初秋。

 この前きたときと、変わっている。


 それでも、そんなに代わり映えしないのは、学校っていう特性のせいなのかな。


 ここは檻だ。特別性の檻。

 たった三年間の魔法は、檻をでたあとも、ずっと解けない。



「あれ、秋葉あきば音波?」



 通りすがりの男子生徒につかまる。ジャージ姿だから、絶対に生徒。


 まじまじと顔をみて、ああ、と納得した。



「覚えてないか。一応、俺――」

和佐かずさ



 クラス委員、だ。



「あ、覚えてた?」



 へらり、と笑う和佐は、俺のクラスの中心。

 音の真ん中にいる人。


 たまにしかこない上に、クラス内で浮きまくっていた俺を、よく気にかけてくれる正義感の強い生徒だ。


 俺は、和佐を通じて、かろうじてクラスとつながっている。


 ……頼んだ覚えは、ないけど。



「教室いくの? 場所わかる?」

「覚えてるよ」

「本当に? 秋葉はボーッとしてるから、つい疑いたくなるんだ」

「そうでもない」

「ちなみに、つぎの授業、体育だけど受けてく?」

「……寝る」



 それは無理だろう、と和佐が笑う。

 彼は、よく笑う。暗い顔をしているところなんて、見たことがない。


 和佐のことは、きらいじゃない。

 ただ。


 ――まわりの雑音は、きらい。





 体育はしかたないけど、つぎは出ろよ、といい残して、和佐はさっていった。


 むかう方向は、体育倉庫。

 ……なんだ、使いっ走りか。


 クラス委員というのも大変だ。

 先生にいい顔して。級友にいい顔して。

 だれに褒めそやされるわけでもなく、動く。


 それ全部、考えなしにやれる人間じゃなきゃ、務まらないんだろう。


 和佐はすごいと思うけど、真似したいとは思わない。

 とんだボランティア精神。そんな心がけは、俺にはない。


 チャイムが鳴る。

 つぎが体育だということは、はじまったのは、三時限目。


 四時限目って、なんだっけ。

 教科書あるかな。


 まあ、いいや、とりあえず教室にでもいこう。

 ――だって、月曜の午前は、音楽室が使えない。





 昇降口。すこしほこりっぽい下駄箱をひらいて、上履きに変える。


 近くのクラスからは、授業の声。

 歴史、数学、英語。

 いりまじって、廊下に響く。


 だれにも会わないまま階段をのぼって、渡り廊下を進む。

 俺のクラスは、第二校舎にあるから、遠くて面倒くさい。


 渡り廊下の窓の向こうに、まだまだ染まる気配のない銀杏の木。

 染まるっていうか、はがれ落ちるのか。


 紅葉は、似ている。

 必要なものさえ、そぎ落として、残るのは綺麗な核。


 本質だけを、むき出しにして。

 なにを振るい落としてでも、と張り上げる、声に、似ている。


 俺にはない、悲壮的な、美。


 あの銀杏も、そのうち、秘めた黄炎を表にだして、俺を追いぬいていくのだろう。




 そろそろ、いこう。


 窓から視線を外して、身体の向きを変える。

 そして、一歩目を踏みだそうとした途端。


 目の前にせまる女の子に、ギョッと固まった。



「うわ」



 おもいっきり声を漏らしてしまったのに、うつむいたその子は気づかない。


 髪のあいまにみえた表情は、焦りぎみ。

 そういえば、いまは、授業中――。


 あわてて身をかわしたところで、彼女も気づいたらしい。サッと顔色を変えて踏みとどまるけど、勢いは消えない。


 まじかよ、と目を閉じる。


 結局、走ってきた衝撃を殺しきれずに、正面からぶつかる羽目になった。



「いって……」



 半不登校な俺に、うけとめる力も、避けきる反射神経も、あるわけがない。


 たまたまそこにあった柱のでっぱりに、おもいっきり背中を打ちつけた。


 ……痛い。


 薄目をひらいた視界には、ちらり、とこちらを振りかえりながら、立ち去っていく背中。


 俺と目があったことに気づいて、彼女は立ち止まる。それから、無言で深々と頭を下げて――そのまま、行ってしまった。


 長い黒髪をゆらして、走っていく。


 ネクタイの色、たぶん赤だった。

 同学年のはずだけど、あんな顔しらない。っていうか、俺は、ほとんど把握していないからわからない。



「謝罪もなしって……どうなの」



 自分のことは棚上げして、ぽつりとつぶやいた。


 静寂の邂逅。

 つたわったのは、衝撃だけ。


 ――じんじんと、背中が、痛む。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ