8.微笑み合戦。
花とルークが街へ訪れたことは、あっという間に噂になった。
「東街の大通りに陛下とハナ様がお姿を現わされたそうだぞ」
「ずっと街の厄介者だった連中を、突然お姿をお見せになった陛下が罰して下さったって」
「そのあと、ハナ様と仲睦まじく立ち去られたとか……」
「その日のうちに北街にも、お二人はいらっしゃったって聞いたぞ?」
「ああ、それで近衛騎士達にお命じになって、難癖つけては金を巻き上げていた奴らを拘束して下さったんだ」
とまあ、当然の如く話は少々誇張され、更に大きくなって広がっていく。
それを聞いた花が、「なんで安心設計な勧善懲悪大衆劇になってるの……」と脱力したのは仕方ないだろう。
しかし、そんな花の突っ込みが伝わるはずもなく、奇跡の二人は人々からますます信望され、敬愛されるようになった。
「あいつらには酷く迷惑をかけられていたが、やっぱり陛下はちゃんとご存じだったんだなあ」
「俺は特権階級の奴らは大嫌いだったけど、お二人だけは違うね」
「私達のような者にまでお心をかけて下さるんだから、本当に素晴らしい方達だよ」
などなど。
そこに上がった一人の期待に満ちた声。
「じゃあさ、次は西街にいらっしゃるのかな?」
「……確かに」
「いや、でもハナ様はご懐妊中だしなあ」
「それでも、いついらっしゃってもいいように準備しといたほうが良くないか?」
「準備?」
「陛下やハナ様が西街を気に入って下さるようにだよ」
「そりゃ、良い考えだな」
と言う訳で、西街の人々は自分達の住む街の美化に努め、それならば我々もと、王宮を中心に広がる四方の街の人々が清掃活動を始め、花や緑を植えて通りを飾った。
それはこの先、サイノスが『花の街』と呼ばれるようになる始まり。
花が奏でる楽の音を少しでも近くで聴きたいと訪れる人達を街の皆は明るく迎え、サイノスは世界で一番幸せに賑わう街になった。
また時折、花とルークの目撃情報も喜びの談話と共に伝えられた。
が、非常に残念なことが一つ。
「ハナ様は絶世の美女ではなかったが、お可愛らしい方だったぞ」
「陛下がそれはもうメロメロだったな」
「なんかこう……華奢な感じ?」
「あの迷惑な連中に囲まれていてよく見えなかったが、でも可憐で清楚だった……気がする」
「あ、ああ。そりゃ、美しい方だった……ような?」
こうして、徐々に進化を遂げた新たな噂の最終形態は『ハナ様はとても儚げで可憐な、絶世の美女らしい』となって不動の地位を確立した。
それを聞いた花が、「なんでハードルが上がってるの……」とがっくり肩を落としたのも仕方ないだろう。
しかし、小さく嘆いた花は涙を吞んで諦め、開き直りの術を覚えたのだった。
と、これは少しばかり先の話。
今現在の花は、執務棟近くの回廊を通って月光の塔へと向かっていた。
「――ハナ様、先日は素敵なお土産をありがとうございました」
花は突如出没したディアンに後ろから声をかけられても驚くことなく、振り返ると微笑んで応えた。
「いいえ、こちらこそ。無理な計画にご協力……して頂き、ありがとうございます」
「無理など全くございませんでしたよ」
「そうですか? でしたら良いのですが……」
久しぶりに繰り広げられるディアンとの微笑み合戦。
いつもなら多くの政務官達が行き交うこの場所は今、なぜか花達一行とディアン以外の誰の姿も見えなかった。
「ところで、噂は順調に広がっていますか?」
「ええ、そのようです。街で騒ぎを起こすお馬鹿さん達の話も、ここのところ耳にしませんから」
花の問いかけにディアンは爽やかな笑みを深めて続けた。
「たまに魔王が降臨することを知れば、お馬鹿さん達も自粛するのではないかと思いましたが、予想以上に効果がありましたよ。それにしても、まさかあんなにも簡単に次々釣れるとは驚きでしたね。やはりもう少し馬鹿の生態を勉強しないといけないようです」
ディアンの言うお馬鹿さんとは、あの騒動の前後から街でたむろするようになった貴族の若者達の事であった。
彼らの多くは、領地を持たない中位・下位貴族の子弟であり、以前はドイルやそれに従う権力者におもねるだけで、まともに働くこともせず、ただ贅沢に暮らしていたのだ。
そこへいきなり突きつけられた現実に、今まで甘やかされて育っていた彼らが対処できるわけもなく、街へと繰り出しては人々に迷惑をかけるようになった。
馬鹿は馬鹿に触発され、増殖する。
しかし、街の警備兵達は平民出身の者が多く、特権階級である彼ら相手にはどうしても強硬姿勢をとることも出来ずに、王宮が対応に乗り出す前に問題は大きくなっていったのだ。
政務官達には優先すべき懸案事項が山程ある。
そこでディアンは応急処置として、手っ取り早い方法をとることにした。
権力を振りかざす者は、権力に弱い。
彼らの前に突然皇帝が現れて処断すれば、改心までは期待できなくても、今までのように地位を盾に好き勝手に振る舞うこともなくなるだろうと、ディアンは花の計画に全面的に協力しながら、ほんの少し便乗したのだ。
もちろん花の安全を絶対に確保した上で、望みの物を手に入れるまでは馬鹿達を寄せ付けないようにと、ランディとアレックスには言い含めて。
花は二度目に男達に絡まれた時点で大方の顛末を悟ったのだが、思いがけずルークと街で過ごす事ができ、また街の問題が少しでも解決できればと、利用されたことは気にしていなかった。
むしろ今回の事ではディアンに感謝せずにはいられない。
「ディアン、本当にありがとうございました」
改めて礼を述べる花に向けて、ディアンはほんの一瞬、とても柔らかな笑みを見せた。
「いいえ、お礼を申し上げなければならないのは私の方です。ハナ様、本当にありがとうございます」
ごくごく稀に見せるディアンの本物の笑みは心から大切に思う人の為。
ディアンが自分を見失うことなく生きる為に必要な人達。
ユシュタルはあの時、長い間ルークを侵食していた闇の力は取り除いたのだが、ディアンに対しては不可能だとはっきりと告げたのだ。
詳しい事は花には分からない。
それでもいつか、ディアンの全てを包み込むような人が現れることを願いながら、花は計画実行の準備に向かった。