5.甘いものは別腹。
「……セレナがあんなにしっかりしている理由が、なんだかよくわかった気がします」
「そうだな」
今しがたまでお邪魔していたセレナの実家での事を思い出して呟いた花に、ルークも同意して頷いた。
セレナの母親である男爵夫人は、老いが見え始めた顔に穏やかな笑みを浮かべた素敵な女性だったのだが、とにかくそそっかしく危なっかしかった。
そもそもセレナの実家に寄ったのは、ルークが着替える為と、その間に花が休む為だったのだが、逆にハラハラし通しで落ち着かなかったのは内緒である。
二人は今、北街の大通りを手を繋いで歩いていた。
執務の途中であったはずのルークに、花は戻らなくても大丈夫なのかと心配したのだが、ディアンが関わっている以上は気にする必要はないと言われて納得したのだ。
そして、やはり前もって用意されていた簡素な衣服にルークが着替えると姿を変えて、再び馬車に揺られて街へと出て来たのだった。
――― これって、二度目のデートだよね。棚からぼた餅? 怪我の功名? 盆と正月が一緒に来た? とにかく嬉しすぎるー! それにそれに、むふー!!
「ハナ、大丈夫か?」
思いがけない二度目のデートが嬉しくて、徐々に支離滅裂な思考になっていく花をルークは心配したようだ。
が、花は頬を染めてうっとりとルークを見つめた。
「ルークがすごくカッコ良くて……。魔王様は素敵すぎて卑怯です」
「……」
どこか夢見る様子の花に、とりあえず大丈夫そうだと判断したルークはそれ以上何も言わなかった。
今回、ルークは黒髪黒眼に変えたのだが、その姿を見た途端に花は思わず「本物の魔王様?」と、また余計なことを口走ってしまった。
それを聞いたレナードが再び噴き出し、すぐに絶叫へと変わったのも仕方ないだろう。
ルークは気を取り直すように軽く息を吐くと、未だ嬉しそうに見上げる花のさらりと揺れる髪の毛に触れて微笑んだ。
「ハナもすごく可愛い。この色も似合っていて、本当に可愛いな」
「そっ、そそそんな! めっそうもないです!」
ルークの言葉に驚いて真っ赤になった花は慌てて俯き、茶色に変化した髪――肩より少し伸びた髪の毛を見るふりをして目を逸らした。
東街での騒動の際に姿を見た者もいるかも知れないと、念の為に花も姿を変える事にしたのだ。
何色がいいかと訊かれて無難に茶色を希望したのだが、それでも初めての茶髪に、鏡を見た花の心は躍り、ルークに褒められて更に弾んでいた。
それにしても、相変わらずバカップルぶりは健在である。
セレナやランディ達とは、全ての準備を整えてセレナの実家を発つ時に別行動になった。
先に王宮へ戻るらしく、レナードも早々に転移して戻っている。
アレックスやエレーンはいるものの、二人の間に少しでも進展があればいいのになと思いつつ、立ち並ぶ露店を眺めていた花は、あるお店に目がいった。
「どうした?」
何かに興味を引かれたらしい花に気付いて、ルークは立ち止まり問いかけた。
「い、いえ……」
しかし、なぜか口ごもる花の頬にルークは手を添えると、視線を捉えて少々強引に促す。
「ハナ? 何を考えている?」
「あ、あの……」
「なんだ?」
「あれが……美味しそうだなって……」
恥ずかしそうに目を伏せながら花が指差したのは、甘味の屋台。
そこにはクレープのような形状の、薄いパンケーキに果物とクリームを挟んだ菓子が売られていた。
先程、セレナの実家でお茶とお菓子をしっかりご馳走になったばかりなのだから、さすがにルークに呆れられるのではないかと思ったのだ。
最近の花はよく食べる。
ルークはそんな花が可愛くて仕方なく、愛しそうに目を細めると優しく手を引いて屋台へと足を向けた。
「確かに美味しそうだし、一つ買うか?」
「……はい」
あたたかなルークの手と言葉に勇気づけられた花は、もう少しだけ我が儘を言ってみる事にした。
「あの……」
「どうした?」
「あ、歩きながら食べてもいいですか?」
遠慮がちに口にした花の願いはあまりにもささやかで、ルークは小さく噴き出した。
それでも花を傷つけないよう、すぐに柔らかな笑みを浮かべて頷く。
「もちろん」
ルークの返事を聞いた花は嬉しそうに顔を輝かせた。
食べ歩きなど行儀が悪いと厳しく躾けられていた花だったが、実は密かに憧れていたのだ。
屋台で買った人達はそのまま食べながら歩き始める者が多く、中には貴族の若い娘達の姿もあったので、思いきって口にしたのだった。
どこまでも謙虚で可愛らしい願いは、花と出会うまでルークが知ることのなかった感情を刺激した。
おそらくそれは……萌え。
今すぐこの場で抱きしめたい、キスしたい、押し倒したい、という衝動を必死に抑えていた為に、花の華奢な手を握る手に力が入る。
このまま王宮まで転移してしまいたい気持ちを堪え、急ぎ馬車へ戻るという考えもどうにか捨てて、ルークは大きく息を吐いた。
「やっぱり、お行儀悪いですよね……」
ルークの心の葛藤を勘違いして、花がしょんぼりと呟いた。
「違う、そうじゃなくて……」
慌てて否定したものの落ち込んだ様子の花が愛らしくて、ルークはどうにも耐えきれずに、繋いだ手を引き寄せ口づけた。
後でディアンに何を言われようと構うものかと、辺りに潜む多くの気配を無視して。
柔らかく抱きしめた花から伝わる動揺は激しく、これ以上は無理かとルークはゆっくり唇を離した。
「すまない、我慢できなかった」
「が、がまん……大事、です」
突然の情熱的なキスに放心状態になった花を、ルークはそのまま連れて屋台に向かった。
ルークもさすがに注目を浴びている事には気付いていたので、花が現実を見る前に甘いものを目にした方がいいと思ったのだ。
それは間違いなく、賢明な判断であった。