番外編.マリーの誤解。
小鳥のさえずる声で目覚めたレナードは、嫌な気配を感じて横になったまま振り向いた。
外は明けゆく太陽の爽やかな光に包まれている。
そこに上がった断末魔のようなレナードの叫び声。
「ぎゃああああああ!!!」
その声に驚いて、小鳥達は飛び立っていく。
「……朝から煩いなあ、レナードは。小鳥達がかわいそうじゃないか」
「んな!? なな、ななな、ななななな……」
「レナード様!! いったい何が――!?」
顎を落としたレナードが言葉にならない声を発していた時、悲鳴を聞いて一番に駆け付けたのは驚くべきことにマリーであった。
そう、恋する乙女ほど強い者はいない。
昨日までは魔法書を見ながら呪文を唱えても、当然のことながら魔力・実力ともに足りず、発動させることなど出来なかった転移魔法。
それが、悲鳴を聞いたマリーはレナードの一大事とばかりに、寝台からそのまま無詠唱で転移して来たのだ。
そして寝台にいるレナードを目にしたマリーは、持っていた大きな魔獣のぬいぐるみを落とした。
「……ご、ごごご、ごめんなさい!! お邪魔しました!!」
と、青ざめて声を震わせ、マリーはまた無詠唱の転移魔法で慌てて立ち去ってしまった。
「おや、こんなところにマリーのぬいぐるみが落ちていますが……」
入れ替わりに現れたディアンはぬいぐるみを拾い上げ、ちらりと寝台を見て爽やかに微笑んだ。
「いたいけな乙女の心をもてあそぶなんて、サイテー」
と、どこかで聞いた言葉を残して立ち去り、次に現れたアンジェリーナは美しい顔を残念そうに曇らせた。
「レナード……。そういうことは隠れてしてちょうだい」
と、溜息を吐くと、扉を大きく開け放って出て行った。
続いて、廊下に控えていた執事のメーシプが白いハンカチで目頭を押さえながら、そっと扉を閉めた。
「……」
「朝から賑やかだねえ、この家は」
言葉を失ったままのレナードに呑気に声をかけたのは、久しぶりに姿を見せたヴィート。
レナードはようやく動き始めた頭の中で、一番に思い付いたことを口にした。
「ヴィート、お前……服は?」
「寝る時に服は着ないよ。レナードだってそうじゃないか」
「いや、それは……」
上半身裸の自分を見下ろして、レナードは返事を詰まらせた。
ヴィートはどうやら寝る時は一切服を着ないらしい。森では服を着て寝ていたと信じたいが、今はそれどころではない。
この状況が問題であり、それを複数人に目撃されたことが問題であった。
が、朝から疲れ果ててしまったレナードは、色々ともう諦めた。
何よりもヴィートが目の前に現れたことに嫌な予感がする。
「……で、ここに何しに来たんだ? 森で暮らしてたんだろ?……嫁さんと」
恐る恐るのレナードの質問に、ヴィートはいきなりわっと泣き出した。
「マリアとケンカしたんだ! もう顔も見たくないって言われたんだよー!!」
「そ、それは……」
迷惑な話だとは言えず、また返事を詰まらせたレナードに、ヴィートは訴える。
「だから可愛い妹になぐさめてもらおうと思ったのに、意地悪ルークの結界が強すぎて近付けないんだ!! わざわざ僕用に結界を別に張ってるとか、何あれ? 嫌がらせ? 陰険根暗ルークめ!! ハナ様とケンカして嫌われてしまえ!!」
「いや、それは……」
自業自得だろうとも言えず、またまた返事を詰まらせたレナードに、ヴィートは満面の笑みを向けた。涙はもう止まっている。
「僕、魔力は隠すからさ、レナードがハナ様の所に連れて行ってよ」
「いや、普通に手続きして、普通に会えばいいだろ?」
「普通? 何それ? それじゃ、ハナ様に会うことがルークにばれて、邪魔されてしまうじゃないか」
やっとまともに返事をしたレナードだったが、その努力も空しくヴィートに一蹴されてしまった。
「ばれてもいいだろ? それが嫌なら、せめてディアンに言ってくれ。そういうのはディアンが得意なんだから」
「ディアンとは今、絶交中なんだ。ジャスティンがカズゥオにもらったペン、あれをいつの間にかディアンが持ってたからさ、アポルオンが寄宿するのを手伝ってあげたんだよ。それ以来、口をきいてくれないんだ」
「……」
頼むから俺を巻きこまないでくれと言っても無駄なので、レナードはもう何も言わなかった。
自分への被害が一番少ないのは、やはり花とヴィートを会わせて、さっさと森に帰るように説得してもらうことだろう。
レナードはふかくふかーく溜息を吐くと、憂鬱な一日を始める為に、着替えることにした。
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「マリー、何かあったの?」
午後のお茶の時間をマリーと過ごしていた花は、いつもと違い幼い友人に元気がないことを心配した。
応えてマリーが言い難そうに口を開く。
「……ハナ様、実はその……少しの間だけ防音魔法をお願いしてもいいですか?」
「ええ、もちろんかまいませんけど……」
花はセレナ達に目配せしたあと、最近できるようになった防音魔法を施した。
「マリー、いったいどうしたの?」
改めて花が問いかけると、マリーは伏せていた顔を上げた。
その顔は赤く、瞳は潤んでいる。
「あの……本当に男性と男性が恋仲になることなんてあるんですか?」
「……はい?」
「私……以前、侍女の誰かが置き忘れていた本で読んだことがあるんです。その……はしたないことだとはわかっていたんですけど、つい……。だって、まさか男性と男性が……」
「……」
花は穏やかな笑みを浮かべていながらも、その頭の中はめまぐるしく動いていた。
そのような本を子供の目につく所に置いたのは誰だと問いたいが、それよりも何と答えるべきなのか。下手な偏見を植え付けるものではないし、だからといって、恋愛においても人生においても大した経験のない花に何が言えるのか。
「……マリー、あのね……その、世界には色々な人がいて、色々な恋愛があるものなんです。ですから、その……男性同士というのも一つの愛の形というか……」
本当ならば適当に誤魔化したいところだが、マリーは八歳とはいえ物事をしっかりと捉えているので、嘘はいけないと花はどうにか説明を試みた。
しかしマリーは否定して欲しかったのか、かなり気落ちして見える。
「……なぜこのような質問を?」
不思議に思って問いかけた花に、マリーはか細く震える声で答えた。
「今朝……レナード様の悲鳴が聞こえて……私、急いで駆け付けたら……レナード様が……」
「……レナードが?」
「……裸で……裸の男性と寝台にいたんです!!」
「……え?」
ぽかんと口をあけて間の抜けた声を出した花だったが、堪え切れずに泣き出したマリーに慌てて駆け寄ると、セレナ達にはかまわないようにと視線だけで伝えた。
そして再び必死に頭を働かせる。
男女の恋愛のことは……男同士の恋愛についてもだが、花にはよくわからない。
それでもレナードの人柄については知っている。
「マリー、それはきっと何かの誤解です。もしレナードが女性にしろ男性にしろ、他に好きな人がいるなら、絶対にマリーとは婚約しなかったはずですから」
「……そ、そうでしょうか?」
「ええ」
マリーを優しく抱き寄せた花は、はっきりと言い切り頷いた。
その確信に満ちた態度にマリーは安心すると、次第に落ち着きを取り戻した。
「ハナ様……申し訳ありませんでした。それから、ありがとうございました!」
晴れ晴れとした笑顔のマリーをほっとした思いで見送って、しばらく私的な居間でゆっくりしていると、メグが新たな人物の訪問を告げに来た。
「ハナ様、レナード様が今からお会いしたいと……」
「レナードが?」
このような形でのレナードの訪問はかなり珍しかったので花は訝しんだ。
メグも戸惑っているようだ。
何事かと花は急いで表の居間へと向かい、レナードと共にいる人物を目にして驚いた。
「ヴィートさん!?」
花の声に反応して、お腹の赤ちゃんがむにゅむにゅと動く。
驚かせてしまったことを謝るように、花はお腹を優しく撫でながら、ニコニコと微笑むヴィートと申し訳なさそうなレナードから挨拶を受けた。
そして花は、マリーの誤解の原因をすっかり理解した。
「……ところで、マリアさんは?」
ソファへと落ち着いてから発した花の疑問に、ヴィートはシクシク泣き始めた。
花とレナード以外の皆がぎょっとしている。
「マリアが酷いんだ。他の青い鳥が集めた蜜を僕が持っているのを見て、急に怒り出したかと思ったら、もう顔も見たくないって言うんだよ? 訳がわからないよ……」
「……」
あまりにもわかりやすいケンカ内容に花もレナードも脱力したが、表には出さなかった。
どこの夫婦も恋人も許嫁も、誤解と嫉妬から些細なことでケンカになることはよくある。
花も非常にすごくとても身にしみているので、夫婦喧嘩は犬も食わないかもしれないが、一言だけ口を添えることにした。
「マリアさんは本当にヴィートさんのことが好きなんですね。それで、嫉妬したんだと思います」
「……嫉妬?」
「ええ、やっぱり好きな人には自分だけを見ていて欲しいって思いますから。マリアさんもきっとご自分が集めた蜜でヴィートさんに喜んで欲しいんじゃないですか?」
「じゃあ……マリアは今でも僕のこと好きかな?」
「そうだと思います。でも、それはヴィートさんがマリアさんに確かめないと」
「そう、そうだね……。うん、わかった。さすが僕の可愛い妹だね! ありがとう!」
あっという間にニコニコ笑顔に戻ったヴィートは、腰を上げて身を乗り出すと、花の手を握ってぶんぶん上下に振った。
「これからすぐに森に帰ってマリアと話してみるよ。やっぱりお別れするのは寂しいけど、また会いに来るから。それじゃ、もし陰険ルークに意地悪されたら、いつでも小鳥達に言い付けてね。僕が必ず仕返しするから。あと、次こそはお兄ちゃんって呼んでね! 僕もハナちゃんって呼ぶから!」
「は、あ――」
ヴィートは再びポロポロと涙をこぼしながら言うだけ言うと、花が返事をする間もなく消してしまった。
今まで全く口を挟まず黙っていたレナードは呆れたような、ほっとしたような顔をしている。
セレナやエレーン達は唖然としていたが、それでも半ば伝説と化しているヴィートを目にすることが出来て、密かに感動していた。
その後、心からの謝罪とお礼を口にしたレナードは、わずかに言い淀むと更に続けた。
「それで、その……、マリーは大丈夫だったでしょうか?」
「ええっと、それはまあ……」
明後日の方向を見て答える花に、レナードはがっくりと肩を落とした。
マリーのことは心配だったものの、ヴィートから目を離すわけにはいかず、後回しになってしまったのだ。
「ですが、誤解だということは伝わったはずです。あとはちゃんとレナードから説明してあげれば……」
「誤解……やはり誤解してたのか……」
ぼそりと呟いたレナードは大きく溜息を吐いた。
ヴィートに関しては先々のことを考えてもきちんと説明しておかなければならないだろう。またいつ現れるかわからないのだ。
レナードは立ち上がると、花に重ねてお礼と謝罪を口にし、退室の挨拶の後に帰って行った。
その夜、花は現れたルークに一日の出来事を話した。
ルークは一体いつから白凰の間はお悩み相談所になったんだと呆れながら、あまり無理しないようにと花に言い添え、優しくキスをした。
そして今度はお腹の子も一緒に包み込むように抱き寄せて、もう一度キスをした。




