12.よい子の約束。
「ハナ、大丈夫なのか?」
「はい、陛下。ご心配をおかけして申し訳ありません」
医師が急きょ呼ばれたことでルークにまで連絡がいってしまうなど、ツボにはまった花の笑いはかなりの大事になってしまっていた。
それがただただ申し訳なくて、花は現れたルークに深く頭を下げた。
「いや、気にすることはない。ハナが元気であればそれでいい」
安堵したルークの優しい言葉に、花は感謝の笑みを浮かべて応えた。
そして医師がルークに簡単な説明をして退室すると、ようやく白凰の間は落ち着きを取り戻した。
アポルオンはルークが現れた時点で姿を消しており、その行く末を案じる者はいない。
改めてエレーンが淹れてくれたお茶を思いがけずルークと楽しむことが出来た花だったが、その場には当然のようにザックも同席している。
そして、カップを持った腕の袖口から青アザがのぞく度に、花は込み上げる笑いを抑えなければならなかった。
――― それにしても、一角獣って……。神様、本当にいい加減だなあ。
などと、ユシュタールに存在する、地球の想像上の生物を思い浮かべていた花の耳に、ザックの陽気な声が入ってきた。
「そういや、隊長さん、婚約したそうですね? おめでとうございます」
「してません」
思い出したようなザックの祝いの言葉を、すかさずレナードが否定した。
「あ、そうなんすか? ダメっすよ、いたいけな乙女の心をもてあそんじゃ。隊長さん、サイテー」
「お前が言うな!」
続いたザックの言葉に誰もが心中で突っ込んだが、口に出したのはレナード一人。
動揺のあまり言葉遣いも悪くなっている。
そんなやり取りを前にしても、花とルークは我関せずと黙ってお茶を飲んでいた。
本音を言えば、花にとってはかなり気になる話題ではある。
しかし、ユース侯爵の実弟であるレナード・ユース伯爵の縁談話を部外者であるザックの前で気軽に口にすることは出来なかった。
相手次第では国内外の情勢をも左右することに成り得るユース侯爵家の縁談話なのだが、更に今はサンドル王家の世継ぎ問題まで絡んでくるのだ。
――― そっか、やっぱりまだしてないのか。でも、ディアンもアンジェリーナ様も乗り気らしいし、レナードの性格上、断ることはしないだろうから時間の問題だよねえ。
レナードの相手である女性に同情して、花は小さく溜息を吐いた。
ここ最近、王宮内はその噂で持切りである。
花も初めて耳にした時にはかなり驚いたのだが、貴族社会の因習に口を出す訳にもいかず、成り行きを見守るしかなかった。
そんな花の思いをよそに、ザックは別の話題に転じている。
「あ、そうそう。それとね、森でまたあいつにばったり会ったんで、鏡の礼を言っときましたから」
「……」
思いがけない人物の話に、その場の誰もが沈黙した。
窓の外で元気良く鳴いていた鳥達さえも。
その中で一人、ザックは呑気に続けた。
「そういや、ヴィートって、ハナ様の義兄になるんすよね? なのに全く知らなかったみたいで驚いてましたよ」
「そうなんですか?」
「ええ、森は情報が届きにくいっすからねえ」
なぜヴィートの話題になると、いつもこれほどに皆が緊張するのだろうと思いながらも、花はもう少しザックから詳しい話を聞こうとした。
が、突然ルークが立ち上がった。
「陛下?」
驚く花に応えることもなく、ルークはレナードを振り返った。
レナードは先ほど以上に動揺して見える。
「来るぞ」
「間違いなく」
ルークの端的な言葉に頷いたレナードは、扉内側に控えていたランディに厳しい口調で指示を出した。
「ランディ、この旨を至急ディアンに伝えてくれ。その後、関係各所にも頼む」
すぐさまランディは姿を消し、心なしか青ざめた顔のレナードはルークへ向き直った。
「では陛下、私はセインに伝えて参ります」
「ああ」
一体何事かと呆気に取られて見ていた花の隣にルークは再び腰を下ろすと、その華奢な手を握った。
「ハナ」
「はい」
真剣なルークの眼差しに花は姿勢を正し、何を言われてもいいように構えた。
しかし、次の言葉はあまりにも予想外のものだった。
「例え甘いものを差し出されても、知らない人間について行ってはいけない」
「はい?」
「もし見知らぬ人物から声をかけられたら、大声で助けを呼んでくれ」
「あの……」
まるで小さな子供に言い聞かせるような内容に戸惑う花だったが、ルークは至って真面目である。
それでもやはり訊かずにはいられない。
「あの、ヴィートさんは何を……?」
「わからない」
「え?」
「あいつが何を考え、何をしでかすのかは誰にも……ディアンにさえわからない。そもそも本来なら、私は知りたくもないし、関わりたくもない」
「それは……」
何と言えばいいのか花にもさっぱりわからない。
「どうしても我々は後手にまわるしかないのだが、あいつにも弱点はある。そこを突くしかない」
「弱点って……」
「確かにそうですねえ。まあ、ハナ様がご懐妊中でいらっしゃることは伝えてますんで、無茶はしないと思いますよ」
「そうか……」
今まで二人の様子を面白そうに見ていたザックの言葉に、ルークは安堵したようだ。
だが、ザックは不敵に笑う。
「けど、その分は陛下が大変なんじゃないっすか?」
「それは別にかまわない」
「さすが、余裕っすね」
大きく笑ったザックはお茶を飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
「あ、ハナ様、お見送りはいいですから、どうぞそのまま。私はニコス殿下にお会いしてきますんで。では陛下、失礼します!」
と、大問題をお土産に置いて、ザックはさっさと消えてしまった。
その後すぐに、ルークも緊急対策会議の為に執務室へと戻り、花の疑問は解決されないまま、微妙な沈黙の漂う白凰の間に残されたのだった。




