第4話 彼はやってくる
ついにこの日が来てしまった。
家宝の剣が完成する日。
それは、私にとって一つの区切りであり、同時に何かを選ばされる予感を孕んだ日でもあった。
鍛冶屋の扉をくぐると、いつもの鉄と油の匂いが鼻をくすぐる。
炉の火は落ち着き、作業場は不思議なほど静かだった。
「こんにちは……」
声をかけると、カインはすでに作業台の前に立っていた。
布を手に、一本の剣を丁寧に拭いている。
「……来られましたか」
それだけ。
けれど、その一言に、今日という日の重みが込められている気がした。
剣は、完成していた。
装飾も、意匠も、何一つ変わっていない。
けれどその刀身は、まるで眠りから覚めたかのような冴えた光を湛えている。
「……綺麗」
思わず、そう零れた。
「ええ。ようやく、本来の姿です」
彼はそう言って、剣を差し出そうとした。
その瞬間だった。
外から、馬の鳴き声が聞こえたのだ。
「……まさか」
工房の窓から少し外を覗くと――御者と会話しているノアの後姿があった。
「ノア様が、ここに!?」
ここ最近は来る回数を減らしていたのだが、やはりノアは動いたのだ。
「どうしましたか?」
突然顔色を変えた私を心配してくれるカイン。
「実は――」
◇
重い足音の後、勢いよく扉が開く音がした。
「ここか」
低く、落ち着いた声。
侯爵家の嫡男、フェルメール=ノア。
どうして、ここに――。
作業場の奥、道具や木箱が積まれた物置スペース。
カインに教えて貰ったそこへ息を殺し、物陰に身を潜めたのだ。
心臓の音が、やけに大きい。
「……失礼する」
ノアの足音が、作業場の中へと入ってくる。
私はその木箱の隙間から、彼の姿を見た。
「貴様が、アナスタシアが研ぎを出していた鍛冶屋だな」
「……はい」
カインの声は、いつもと変わらない。
けれど、ほんのわずかに硬い。
「ほう……」
金属に触れる音がした。
剣を手に取ったのだろう。
「これは見事だ。噂に違わぬ腕前らしい」
褒めるような口調。
だが、その裏にあるものを、私は知っている。
「家宝の剣か。確かに、これは――」
一拍、間があった。
「彼女には、過ぎた代物だな」
次の瞬間、空気が変わった。
金属が擦れる、嫌な音。
息を詰めるような沈黙。
――剣先が、カインの喉元に向けられたのだ。
「……動くな」
ノアの声は、どこまでも静かで穏やかだった。
だからこそ、余計に恐ろしい。
「安心しろ。庶民相手に、本気で斬るつもりはない」
けれど、と彼は続ける。
「ただ、忠告だ」
喉が、きゅっと締めつけられる。
私は、指先が震えるのを必死で押さえた。
「ガレス=アナスタシアから、手を引け」
静かな命令。
「身分も、立場も違う。お前が近づくことで、彼女の未来は汚れる」
剣先が、わずかに押し当てられたように見えた。
思わず声が出てしまいそうになるのを、両手で抑える。
「分を弁えろ」
しばらく、何も聞こえなかった。
やがて、カインの声が、低く響く。
「……分かっています。自分はただの鍛冶屋です。剣も、仕事でやっただけです」
それだけの返答だが、彼がそう言ったせいで私の胸のうちは、大きくざわめいた。
ノアが鼻で笑う。
「フンッ、それでいい」
刃が、離れる音。
「これ以上、彼女に関わるな」
足音が遠ざかり、扉が閉まる。
残されたのは、静寂だけだった。
しばらくして、カインが深く息を吐く音がした。
彼は、何事もなかったかのように、剣を布で拭き始める。
その手つきは、いつも通り丁寧で、優しい。
私は、物置の陰で、動けずにいた。
怖かった。
けれどそれ以上に、胸の奥が熱く、苦しい。
完成した剣は、静かに光を放っている。
誇りを取り戻したその刃は、まるで問いかけているようだった。
――それでも、選ばないのか、と。
私は、唇を噛みしめる。
この剣を手にする時。
私はもう、ただの傍観者ではいられない。
そのことだけは、はっきりと分かっていた。




