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その美しき剣は、彼女の手の中に〜婚約破棄と契約と〜  作者: 夢野又座/ゆめのマタグラ


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第1話 美しいだけの剣


 どうして私は、こんなにも気を遣って息をしているのだろう。


 そう思いながら、私は婚約者の向かいに座っていた。


 伯爵家の応接間は、今日も申し分ないほど整えられている。

 窓から差し込む陽光は柔らかく、紅茶の香りも上品で、使用人の立ち振る舞いに無駄はない。

 ――あまりにも、完璧だ。


 その完璧さが、今の私にはひどく居心地が悪かった。


「君も、もう少し自覚を持つべきだな」


 婚約者であるフェルメール=ノアは、そう言って私を見下ろすように視線を落とした。


「アナスタシアよ。いずれは私の妻になる身だ。今までのような振る舞いでは困る。

 没落したとはいえ、君は貴族だ。貴族としての在り方を、きちんと学んでもらわないと」


 穏やかな声音。

 けれど、その言葉は疑いようもなく命令だった。


「……はい」


 反射的に返事をすると、ノアは満足そうに頷く。

 どうやら、私が何を思っているかなど、最初から興味はないらしい。


 この婚約は、親同士が決めたものだ。

 没落したガレス家にとって、伯爵家との縁は救いだったし、釣り合いも取れている。

 周囲は口を揃えて「良い縁談」だと言う。


 ――けれど、私の胸の奥には、いつも小さな棘が刺さったままだった。


 話が一段落した頃、ノアは思い出したように言った。


「そうだ。婚姻の日には、君の家の家宝の剣を忘れずに持ってくるように」


 紅茶を口に運びながら、彼は続ける。


「それから、研ぎに出しておきたまえ。あのままでは見栄えが悪い。

 私が持つのに、相応しい姿にしておくんだ」


 家宝の剣。


 かつて騎士の名門であったガレス家。

 代々ガレス家を継ぐ者に受け継がれてきた、由緒正しい剣。

 誇りだの、守りだの、いろいろな意味を聞かされてきたけれど――。

 私にとっては、ただひとつ。


 ――選べない人生を象徴するもの。


 儀礼用の剣は、柄に過剰な装飾が施されている。

 美しいが、実用性はない。

 体裁を取り繕うためだけの姿は、まるで今の私自身のようだった。


「分かりました。鍛冶屋に出しておきます」

「うむ。変なところには頼むなよ」


 そう言われ、私は小さく頷いた。


 けれど、心の中ではひとつだけ決めていた。

 どこの鍛冶屋に預けるかくらいは、自分で選ぼう、と。


 それくらいしか、出来ないのだから……。


 ◇



 その日のうちに、私は剣を抱えて屋敷を出た。


 時折揺れる馬車の中でも、私は布に包んだ剣を抱えている。

 その重みは、これまで黙って受け入れてきた立場そのもののようで、思わず息を吐く。


 馬車が到着し、帰る時間帯だけ告げて戻って貰った。

 たまには息抜きで歩いて帰るのも良いだろう――。


 町外れの鍛冶屋は、思ったよりも静かだった。

 炉の低い音と、規則正しく金属を打つ音だけが響いている。


 扉を開けた瞬間、熱気と鉄の匂いが肌を撫でた。

 中にいたのは、一人の青年。


 無駄のない動きで剣を打ち、火花を散らしながら、ただ目の前の仕事に集中している。

 客の気配にも、すぐには気づかないほどだった。

 私は声をかけるのを躊躇い、しばらくその背中を見つめてしまう。

 貴族の屋敷では決して見ない姿。

 誰かの顔色を窺うこともなく、自分の仕事と向き合う在り方。


 それが、なぜか胸に残った。


「……ご用件は?」


 青年が顔を上げ、視線が合う。

 少しだけ驚いたように目を瞬かせる。


 私は慌てて、布に包んだ剣を差し出した。


「こちらを、研ぎ直していただきたくて」


 青年は剣を受け取り、布を丁寧に解いた。

 刀身を見つめ、静かに言う。


「……大事にされてきた、良い剣ですね」


 その一言に、胸の奥が微かに揺れた。

 ノアは「見栄えが悪い」と言った剣をこの人は、そう言わなかった。


「仕上がりまで、少し時間がかかります。それでもよければ」

「はい。お願いします」


 短い会話。

 それだけなのに、不思議と心が落ち着いていた。


「……カインです」


 作業台に剣を置きながら、青年が名乗る。


「私は、ガレス=アナスタシアと申します」


 それだけのやり取り。


 なのに、鍛冶屋を出たあとも、胸の奥に残る温もりは消えなかった。

 たぶん私は、気づいてしまったのだ。


 この静かな鍛冶場の方が、ずっと息がしやすいということに。


 そして――。

 カインという青年との出会いが、私の選択を揺らすということに。


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