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COLORS  作者: カキ0525
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魔女の生誕

「おはようございます!」


窓から淡い朝日が入る部屋の中に、空色のワンピースに身を包み、空色の髪に空色の瞳を持つ少女、ミソラの朝日よりも明るい声が響き渡る。


「おはよう。今日も元気ね」


静かで穏やかな声が部屋に沈黙が訪れるのを防いだ。


「もちろんです。なんせ今日は私があなたに拾われてから、五回目の記念日なんですから。ね、カナタさん」


そう、今日はミソラが拾われてから丁度五年。カナタがミソラの親になってから丁度五年。そして、年に一度の記念日を祝うのはこれで五度目になるのだ。


「今日は、私に料理を作らせてください!」


上目遣いでカナタに懇願するミソラ。そのあまりの破壊力には人類皆等しく無力なようで、カナタももちろんその例外ではなく、少し思案はしたものの快諾してくれた。

この町は本当に綺麗だと、外を歩きながらミソラは思う。今、自分が歩いているこの道は歩く者のことを考えて丁寧に舗装されている。人が歩くであろう場所には、美しく、乱れなく、煉瓦が敷き詰められており、その脇には規則的に華が植えられている。水仙や金盞花が所狭しと植え込まれている。こんな少しの事にも人の思いやりがあり、その上に今の自分が立っているんだとしみじみと感じさせられる。


「この林檎と、シナモンをください」


「はいよ。今日は嬢ちゃんが料理かい?手ぇなんか切っちまわねぇように気を付けなよ」


八百屋のおじさんは今日も優しく、暖かい。胸の奥の方がじんわりと満たされていく。五年前、見ず知らずの自分を拾い、ここまで育ててくれたカナタ。そんな自分を邪険にすることなく暖かく迎え入れてくれたこの町の人々。自分が何をしたって返しきれないような恩に、しかし何故だかミソラの心は癒されていった。だが、それに浸っている時間はない。早く帰って料理の支度を始めなければ。薔薇よりも真っ赤に熟れた林檎を抱えて少女は一人帰路に就いた。


「ただいま帰りました。今から料理の準備をしますから待っていてくださいね」


微笑みをたたえて、そんな言葉と共に部屋に入るミソラ。直後、目に飛び込んできた光景に言葉を失った。その瞳に映りこんだのは、部屋の入口に背を向けた、小麦色に焼けた大柄な男と、翠色の軍服に翠色のベレー帽をかぶった軍人風の女が、張られた網にかかった獲物を逃すまいとカナタへと詰め寄っているものだった。彼女たちから逃げたのであろう。カナタは部屋の隅でブランケットを力一杯に握り込み、肩を強ばらせている。確実に来客などという優しい雰囲気ではない。彼女たちからは、明確な敵意が感じられる。だが、そんなことに気づいたところでもはやどうしようもない。一度口から放たれた言葉を自身のうちに戻す術をミソラは知りえないのだから。部屋に入った時の言葉で室内の人間の視線が一斉に自分の方へと向けられる。鈍色の重く冷たい空気が肌を刺してくる。


「逃げなさい!」


そんなカナタの声が届くより早く、女軍人がミソラに掌をかざす。ぶつりと、嫌な音を立ててミソラのアキレス腱が切れた。これでは走って逃げることが出来ない。


「こんにちは、空色の魔女。貴女を殺しに来た者だ」


女軍人は決して笑わぬ目でにこやかに言った。女軍人の、想像より高く澄んだ、淡い葉のような爽やかさを持つ声が空気をより強張らせる。


「何で」


そんな、少女の小さく切実な何に対してなのかも定かでない言葉は何者の耳にも、もはやミソラ自身の耳にも届かぬまま、宙に揺蕩って消えゆく。


「なんで」


今度ははっきりと、しかし、弱々しく声に出す。その問いに哀れと思ったか、はたまた、ただの気まぐれか女軍人は応える。思い出すように、懐かしむように。


「少し、昔話をしよう。あれは今から、そうだな百年以上前のことだ。一人の女がこの世界に存在する、色の種を奪っていった」


ミソラは逃げ出すこともできず黙って話を聞いている。


「なに、それだけなら一片の問題も在りはしなかった。だがな、その女はそれらの種に名前と意思を与えた。その瞬間からそれらは色の種から魔女の種へと変貌した」


やはり、ミソラは動かない。いや、動けない。今動けば次の瞬間には自分はこの世にはいないだろうという確固たる予感があるからだ。


「女はこの世界にその種をばら蒔いた。それがどれほどの数であったかは今となってはもう判らない。ただ、そこから芽吹いた魔女たちは人智を超えた力を持ち、人智を超えて悪逆であった。当然とその力をもって人を殺め、潰し、侵し、壊し続けた。故に我らは同党の悪逆と智をもって魔女を穿つことを決めた。欺き、嵌めて、奪って、穿った。そうして我ら魔女狩りがこの世界に生まれた。それだけのことだ」


少女には、その話が自分といったいどれほど関係があるのかが理解できなかった。否。理解していた。其の上で理解できぬ振りをした。しかし、そんな稚拙な抵抗も次いで放たれた女軍人の言葉に見事に打ち砕かれた。少女の心と共に。


「貴女はもう理解しているのだろう。貴女が魔女であることを」


短く嘲笑うような台詞。それは、以前から抱いていた違和感だった。それこそ、自分がここに来て少し経った時から。二年ほど前、包丁で指を切ったことがあった。痛みは訴えてくれないと分からないのよ、何てカナタに叱られたのは記憶に新しい。その時の状況と今の自分の状況は期せずして類似していた。痛みを、今のこの足の状態ならば感じなければならないそれを、自分は感じていなかったのだ。あの時の指の傷も、今の脚の怪我も。ただ、その傷は赤い血液をどくどくと体外に排出し続けている。それだけなのだ。数秒の沈黙。少女にとっては一生ほどの長に感じられたそれは、今まで口を開いてこなかった大柄な男の下卑た言葉によって破られた。


「隊長。この女は俺がもらってもいいですかね。最近はずっと遠征続きで、ご無沙汰でしてね」


女軍人は顔を顰めながら応える。


「構わん」


それを聞いたカナタが身を強張らせ、思い切り男の顔目掛け拳を放った。しかし、女と男。まして相手は二米突はあろうかという大男。いくら相手の意表を突いたといっても効果がないのは誰の目にも明らかであった。カナタの拳は確かに男の顔へと命中したが、男には効果がない。にやりと男が嫌らしい笑みを浮かべる。カナタはそのまま右手で胸ぐらをつかまれ、軽々と持ち上げられる。それにより、服が上にずれ美しく、程よく引き締まった白い腹部が露出した。


「威勢のいい女だな。最高だ。お前みたいなメスが心を壊されていくのが堪らなく唆るんだ」


そう言うと男は空いていた左の手を握り、深々とカナタの腹に打ち込んだ。


「うぶぇ」


えずくような声がカナタの口から漏れる。さらに一撃。今度は耐え切れず、カナタの口から声ではなく、麴色の吐瀉物が吐き出される。それを浴びた男は、しかし、構わずさらに殴りつける。今度は立て続けに。次第にカナタの体から力が抜けていく。腹が内出血によって紫色に染まるころには、カナタの体から完全に力が抜けきっていた。きっと意識はある。ただ痛みで体がうまく動かないだけなのだ。とっさにミソラの手がカナタに向けて伸ばされる。だが、女軍人はそれさえ許さない。容赦などなく無慈悲にその手を切断した。


「貴女にはそこで彼女が壊れていく様を見ていてもらおうか。その後になったら、殺してやる。ああ、彼女には罪がないだとか言う話はやめてもらおうか。そもそも、彼女は君を貴女を魔女だと知りながら育てていたのだよ。故に彼女も同罪なのだよ」


頭はいやに冷えきっている。これはきっと夢なのだと、愚かな思考に囚われているからだ。ミソラの手から血は流れている。それでも痛みはしない。再度視線をカナタに移した。ちょうど男がカナタの胸ぐらから手を放した。カナタは力なく床に落ち、そのまま倒れこむ。男が服を破こうとするが、抵抗する力もやめてと叫ぶ力もない。ただされるがまま、なされるままに服を裂かれ、男の爪が深々とカナタの胸に食い込み、血が流れた。


「何だ。貴女は存外薄情なのか。貴女の恩人が今、汚されようとしているのだぞ。泣きわめいたりはしないのか」


いきなりに女軍人が口を開いた。分かっている。だが、身体は動かない。動いてしまったらこれが現実なんだと思いしってしまうから。だから、ただカナタを見つめる呼吸が乱れ、視界は狭まり、思考は逡巡している。男がいきり立つ肉棒をカナタの膣に無理やりに挿入した。カナタの膣から血があふれ出ている。処女膜が破れたようだ。腹の内にある圧迫感と異物感にカナタの心がぐじゅぐじゅに犯されていく。男は息遣いを荒げてカナタに上から覆いかぶさり、獣のように腰を振っている。男が一突きするたび、ぐちゅぐちゅと液体が嫌な音を立て、その音はミソラの耳で幾度となく木霊していた。それがまた、ミソラの心をより深く濁った水底に沈めていく。何秒か、何分か、男の動きを見つめている。絶望の縁にある思考は既に抵抗することを諦めてあるがままを受け入れ始めている。


「最後に言い残すことはあるか」


唐突に女軍人がミソラに問いかけるが、ミソラは何も答えない。ただ、無様に揺らされるカナタを眺めている。バキリと、どこかで何かが壊れるような音が静寂の支配するこの部屋で鳴り響いた。女軍人が音の方に振り返る。男の頭が歪に、まるでガラスのようにひび割れて砕けたのだ。直後、再度響く音。女軍人は飛びのいた。瞬間、元々女軍人の頭があった場所にひびが入り、大気が割れた。いや、空間そのものが砕けた。ミソラの魔女としての力が開花する。手当り次第に女軍人の周りが砕けていく。ミソラのお気に入りのマグカップも、美しく咲き誇った瑠璃唐草も。ミソラの頭を支配するものは外敵の排除のみ。そこに余計な思考はない。女軍は軽く舌打ちをして剣を抜き、ミソラに向けて横一文字に薙ぎ払う。翠色の斬撃が放たれ、あたり一帯の家具が音を立てて切り崩された。しかし、ミソラにその攻撃は当たらない。いや、正確には当たったりはしている。しかし、意味がなかったのだ。攻撃が当たった瞬間にミソラの体が割れ、そして女軍人の後ろへと出現する。ぞくりと、女軍人の首筋を悪寒が走った。理由は明確だった。咄嗟に振り向いて剣を振るったが、延ばされたミソラの手に触れた剣が、あの男のように砕けた。女軍人の額を汗が伝った。ミソラの手の内が読めない今、女軍人にミソラに近づく手段はない。それと同様に、自身の力の本質、果てはその使用方法さえ理解できず、思考すら放棄したミソラもまた、女軍人に近づくことはないのだった。完全な膠着状態が生まれ、お互いに動けぬままただ時間だけが流れていく。ミソラは耳元で女が囁くのを聞いた。知らぬはずのその声は何故か懐かしく蠱惑的で抗いがたい何かを持っていた。そして、ミソラは声の通りに、残った手を女軍人にかざす。女軍人が警戒の色を強め走り出そうとする瞬間、ミソラが手に力を込めた。女軍人が走り出すまもなく無数の空色の結晶が女軍人の体を貫いた。一つ、二つ、四つ、八つと女軍人の体に穴が増えてゆく。それでも、飛来する結晶の量は減少の色を見せない。結局、それが止んだのは女軍人の肉体がばらばらの肉片へとなり果てた後であった。


「あ。」


ミソラの口から、声が漏れた。それが、安堵によるものか後悔によるものかは分からない。ただ、その時ミソラがカナタの無事を祈っていたことは真実であった。手で、体を引きずって進む。地を這って、少しづつ、少しづつ。痛い。痛い。痛い。痛い。今まで、一度たりとも痛みを感じなかったミソラの脳が痛みを訴えている。痛い痛い痛い。ただただ、心が痛い。彼女が生きていることが、それに伴う喜びのあまりの大きさが痛い。彼女の心が壊れてしまったことが悲しくて、泣いてしまいそうなほど痛い。でも、それでもただ彼女だけは。ミソラの指が、カナタの頬に触れた。だが、その指がカナタのぬくもりを感じることはなかった。ミソラが触れた瞬間、彼女はガラスのようにあっさりと、儚く、美しく、盛大に、砕けた。


「え」


またも、ミソラの口から、声が漏れる。今回ははっきりと戸惑いの意思を含んだ声が。


「いや、嫌、厭、いや」


嫌だ。嫌だ。嫌だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。心が、頭が、ミソラ自身の存在が、現実を認めようとしない。受け入れることを拒んでいる。どれほどの間、叫んでいたかは分からない。ぐらつく頭で、ふらつく体でミソラは彼女と暮らした家を出た。傷はもう治っていた。外は雨が降っている。先程の曇り空が、雨空へと変化したのだろう。ごつ。嫌な音がして何かが地面に落ちた。見ると、それは掌ほどの大きさの、濁りを持った空色の結晶だった。ごつ。ごつ。結晶が一つ増えた。ごつ。ごつ。ごつ。ごつ。さらに増える。ミソラの罪を責めるように、この世界そのものがミソラの存在を認めないと言わんばかりに、それはきっとミソラの心がミソラ自身を認めない故の結果。ごつ。一つの結晶が額に当たり、血が頬を伝って地面に流れ落ちる。その血は濁った空色をしていた。そう。私は魔女だったのだ。


「そうか私は魔女だったのか」


そんな、嘆きは誰にも聞かれることもなく、ただ風に流されて消えゆくのだった。

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