『後三条天皇、速記シャープの芯を百分の三寸に定むること』速記談1062
後三条天皇の御代、延久年間には、器物が整えられた。蔵人頭藤原資仲がこの担当であった。天皇みずから升を取り寄せられ、じっくりとごらんになって、手ずから寸法を測られた。実際に納められた年貢米を穀倉院から取り寄せられて、殿上の小庭で蔵人、出納が見守る中、小舎人がたすき掛けして米を量った。量り終えた米は、勅封あそばされて、加美屋紙で包んで、御持僧にお遣わしになるなどした。一石というのは十斗のことであるが、もともとは一斛と書いたものである。後三条天皇が、一石の米と同じ重さの石をつくらせ、天秤ばかりにかけて米を納めさせたことから、石の字を使うようになったものである。この石は、今でも穀倉院にある。同じとき、速記シャープの芯も、百分の三寸に定められたという。
教訓:杓子定規な人を、融通のきかない人と解釈する向きがあるが、本来は、立派な人のことを指すのだということがわかる。