カウントダウン
よくわからないけれど、猫ちゃんを龍の頭からどかせばいいらしい。
そういうのは私の得意分野だ。
じっとしてるのは性に合わない。
考えるより行動あるべし。
私はまた、こたつ布団を掴みながら龍の体を登る。
そして頂上の龍の頭にやってきて子猫を見下ろした。
「ふ~。だいぶ振り回されたけど、今度はこっちの番だからね!!」
ニカッと笑い、私は子猫を抱き上げる。
ズルン。
子猫が落っこちる。
何クソとばかりにまた抱き上げる。
ドルン。
無意識なのか意識的なのか、子猫の体はうなぎのように手の中をすり抜けて龍の頭に落ちる。
「……このぉ~!!液体動物めぇ!!」
むにゃむにゃとそれでも寝ている子猫。
私の闘争心に火がついた。
いい度胸だ子猫ちゃん。
あたしゃ売られた喧嘩は買うからね?!
私は上着を脱ぐとその真ん中に子猫を置いて前を締め、袖で下の方を縛って包み込んだ。
「あっはっは!!どうだ!これで手も足も出まい!!」
手足どころか顔すら出てない。
得意満面私は笑うと、その包みを抱えて龍の頭から飛び降りた。
こたつ布団を滑り台のようにして滑り降り、見事着地する。
「よし!!」
やりきった満足感で満たされる。
すると龍の頭から離れて寒くなったのか、上着の中で子猫がもぞもぞ動き出した。
「ふにゃ~?!どうなってるでしゅか~?!」
「?!喋った?!」
「誰でしゅかぁ?!アタチを年神使えと知っての狼藉でしゅかぁ~?!」
「え?!待って?!何それ?!ヤバくない?!」
「何がヤバイんでしゅかぁ?!」
「ヤバいヤバいヤバい!!何これ?!可愛くない?!」
「……可愛い?」
「ヤダ!!〇〇でしゅとかヤバくない?!」
「でしゅなんて言ってないでしゅ!!」
そう言ってジタバタした子猫が閉じてあるところから無理やり顔だけだした。
でも完全に出なくて、目や鼻や口のパーツのある部分だけカオナシみたいにムギュッと出ているのだ。
「うは~!ナニコレ~てえてえ~っ!!」
あまりの可愛さにぎゅっと抱きしめて頬擦りする。
可愛いし柔らかいし喋るし、堪らん。
「何するでしゅか?!」
「だって可愛すぎる~!!」
「……可愛い……アタチ、可愛い?」
「うん。めっちゃアガる!!」
子猫はちょっとキョトンとしながらも、可愛いと言われたのが嬉しいらしくテヘヘという顔でおとなしくしている。
何だよ~こんなかわい子ちゃんだと知ってたら、もっと優しくしたのにぃ~。
すっかり子猫にメロメロの私。
しかし、次の瞬間、私達は突風に吹き飛ばされた。
「……ブァックションッ!!」
ドーンと鉄砲水に追突されたように吹き飛ぶ私達。
私は咄嗟に子猫を守るように抱きかかえ、受け身を取る。
おじいちゃんに柔道習ってて良かった!!
一応私も女子だから恥ずかしいとか思ってたけど、何かあった時の為にって受け身と簡単な技だけ習ってて助かった!!
「えぇ?!何なに?!いきなり~?!」
そう言いながら体を起こし、埃を払う。
猫ちゃんを確認するとびっくりしすぎたのか、目をまん丸くして固まっている。
「大丈夫~?!」
「……にゃ?!」
「ヤダ!にゃだって~!!可愛い~!!」
何だ、この可愛い生き物は?!
尊いか、この野郎。
とりあえず無事でよかった。
そう思って何だったんだろうと振り向いた私は硬直した。
そこには、一匹の龍が空中にとぐろを巻くように浮かんでいた。
「……寒い……誰ぞ……我が安眠を妨害せしめんとする者は?!」
カーっと口を開き、牙を見せてる。
これはヤバい……。
田中さん家の猟犬が怒った時にする顔にそっくりだ。
私は本能的に後退った。
「温かな心地いい物に包まれていたというのに……。」
そう言われてみれば、こたつが消えている。
さっきの風で吹き飛んだのかと思ったが、どこにも見当たらない。
どういう事だろう?
あのこたつはどこにいったんだろ?
あんなに大きいものだから、消えてなくなるなんて事はないはずなのに??
「……おヌシ……何を大事そうに抱えておる??」
「へ?!私?!」
「他に誰がおる?!」
「ちょっと!寝起きが悪いからっていきなり怒んないでよ!!これは猫ちゃん!!年神使えの子猫ちゃん!!さっきの突風で私もこの子も吹き飛ばされたの!怪我するとこだったじゃん!!」
「……子ねこ??そんな訳がなかろう!!そこに先程まで暖かかった秘密があるのだろう?!返せ!!」
返せと言われても、どうなんだろう?
この龍が「辰」で年神なのなら、年神使えの猫ちゃんは「辰」に返した方が良いのだろうか?
しかし腕の中の子猫は、初めて見た「辰」にガタガタ震えて縮こまっている。
そりゃそうだ。
いきなり大きな相手に頭ごなしに怒鳴られたら、誰だって怖い。
私はムッとして龍を睨みつけた。
「ちょっと!!いきなり怒鳴るから子猫ちゃん怖がってるじゃない!!何なのよ?!アンタ?!神様だか何だか知らないけどさ?!体が大きいからって怒鳴りつけてえばり腐るな!!」
「……なん、だと?!十二支の一柱たる我に!何と無礼な!!」
「無礼もクソもあるか!!いい?!自分より小さいものに対して大声出してえばり腐るような奴は根性曲がってんだ!!」
「この……言わせておけば……っ!!」
龍がブルブルと体を震わせる。
あ、やべ……これ、攻撃態勢に入ったわ……。
その貯めを見て危険を察知した私は、子猫を抱いたまま来た扉を潜って長い廊下を掛け出した。
「待て!!小娘~ッ!!」
「きゃあぁぁぁぁ~っ!!」
龍がバーンッと大きな扉を壊して追ってくる。
とりあえず一本道の長い廊下を死ぬ気で私は走り続けた。
辰巳さんの悲鳴が聞こえる。
そして壊れないとうさぎが言ったはずの建物がギシギシと軋み、ヒビが走り破片が落ちた。
「辰巳さん!!」
「あちゃ~。辰は起きたみてぇだが……嬢ちゃんの性格を忘れてたな……。」
「どうしよう?!どうなったんだろう?!」
「ちょっと待て、年神使えが起きてる……ええと……あぁ……うん……あちゃ~……うん、そのまま嬢ちゃんを正面口に誘導しろ……うん……大丈夫、何とか浄めて正気に返させる……とにかく嬢ちゃんを正面口に誘導しろ!!」
うさぎは何かブツブツ言っている。
どうやら年神使えの猫さんとは、テレパシーみたいな感じで話せるみたいだ。
「どうなってるの?!」
「やっぱ、煩悩の影響が強い。起こされた事に腹立てて、我を忘れて嬢ちゃんを追いかけてる。」
「龍が?!辰巳さん大丈夫なの?!」
「まだこの年越しの宮は、穢を負った辰よりお嬢を年神だと認識してる部分が強い。だから嬢ちゃんを辰に傷つけさせたりはしない。だが相手は辰だ。ちょっと面倒だな……。」
「面倒だなじゃないよ!!どうしたら辰巳さんを助けられるの?!」
「とにかく年越しの宮の中の事は俺達には手が出せねぇ!!だが!出入り口にさえ来てくれりゃ、少しはどうにかできる!!嬢ちゃんを外に出し、辰を止めて穢れを祓うんだ!!最終的には除夜の鐘を打つ!!お前は嬢ちゃんが出てきたらそのまま元の世界に向かえ!!途中までは眷属に案内させる!!」
「わかった!!」
「正面口で迎え撃つ!!準備すんぞ!!」
「うん!!」
僕は急いで正面口に向かった。
そしてうさぎの支持に従い、辰を止めて穢れを祓う準備を始めた。
「ぎゃぁぁぁぁ~!!」
何なのこれ?!
私は廊下を必死に走る。
「お姉ちゃん!!」
「?!」
突然、腕の中から声が聞こえた。
……お姉ちゃん……。
てえてえ……ヤバい……天国か?!
変なファンシーな声とは違い、天然の子供声にうっかり昇天しそうになる。
「お姉ちゃん!!」
「ハッ!!あぶね、飛んだ。」
「お姉ちゃん?!大丈夫でしゅか?!」
「……大丈夫すぎて鼻血出そう……。」
「えぇ?!」
萌えすぎてヤバい私に子猫がピョコっと顔を出して見上げてくる。
クリクリの大きなアーモンド目は、キラキラと澄み切っている。
……天使か??
控えめに言って天使か?!
何なのこのかわい子ちゃん!!
連れて帰りたい!!
「あ!!そこ!!右の部屋に入るでしゅ!!」
「オッケー、グーグル。」
「にゃ?!」
もういちいち可愛すぐる……。
萌えすぎて鼻血出そう。
しかしそんな子猫ちゃんとの幸せな時間を邪魔するヤツ……。
「待て!!小娘がぁぁっ!!」
「クッソ、しつけぇなぁー!!」
走っても走っても、龍が追いかけてくる。
しかし微妙に追いつかれそうになると、何かしら起こって龍は私を捕まえられずにいる。
そして子猫ちゃんの「〇〇でしゅ!」という天使のナビゲーションによって、どうにかこうにか私は逃げ延びてる。
「このまま正面口に案内するでしゅ!!そこに卯ノ神様とお連れさんが待ってるでしゅ!!」
「わかった!!」
「辰ノ神様は卯ノ神様とアタチで何とかするでしゅ!!だからお姉ちゃんはお連れさんとまっすぐ元の国に帰るでしゅ!!」
「えぇ?!大丈夫なの?!猫ちゃん?!」
「こう見えてアタチ、年神使えなんでしゅ!!だから大丈夫でしゅ!!」
「う~!別れがつらたん!!」
そんな会話をしている間も、怒り狂った龍があちこち壊しながら追ってきている。
なんか、神様って聞いてたのにこれじゃモンスターだよ……。
子猫ちゃんとの別れは辛いけど、この状況じゃ色々言ってる場合じゃないのは私でもわかる。
「お姉ちゃんが外に出たら除夜の鐘を鳴らすでしゅ!!鳴り終わるまでに帰るでしゅ!!」
「うん。わかった、ありがと。」
そう言えばそんな事言ってた。
除夜の鐘を鳴らせば龍の煩悩が落とせるって。
でも私と宇佐美くんは除夜の鐘が鳴り終わるまでに帰らないと駄目だって。
そう言えば、今日は何日くらいなんだろう??
こっちに来てから時間の感覚がない。
その時、ドーンと勢い良く龍が部屋の中に入ってきた。
全く、これじゃアリスじゃなくてジブリだよ。
まさかその主人公になる日が来るとは思わなかった。
だんだん我を忘れて暴れ狂う龍に部屋が滅茶苦茶に壊される。
後で片付けが大変そうだなと思いながら、私は転がるようにして部屋を出た。
「……見えた!!」
部屋から転がり出ると、廊下の先にあの玄関が見えた。
ちょっと前のような物凄く昔のような不思議な感じがする。
「辰巳さん!!」
「宇佐美くん!!」
玄関の外、色々乗せた小さなテーブルの向こう、宇佐美くんが凄く必死な顔で私を見てる。
ヤバ……なんか泣きそう……。
「待て!!小娘!!」
「知るか!!バーカ!!」
私は龍に悪態をつき、廊下を走る。
宇佐美くん。
やっぱり宇佐美くんだ。
いつだってちゃんと私を待っててくれる。
私は走った。
息が苦しいとかそんなのどうでも良かった。
だって宇佐美くんが待ってるんだ。
真後ろでは家の中を壊しながら龍が追ってくる。
龍の伸ばした爪が微かに背中をかすめた。
「……ッ!!」
ゾッとする。
あの爪に捕まったらひとたまりもない。
それまで強気だったのに、足が竦んだ。
「辰巳さん!!走れ!!諦めるな!!」
「!!」
宇佐美くんの声。
私はグッと奥歯を噛み締め、走った。
泣くもんか。
こんな変なところまで宇佐美くんは来てくれたんだ。
あきらめないよ、私!!
迫りくる龍に歯を食いしばりながら走る。
本当は怖いけど、宇佐美くんが必死に呼びかけてくれている。
「辰巳さん!飛んで!!」
宇佐美くんは玄関から何かを投げ込んだ。
何かはわからないけれど、龍はそれに気を取られている。
私は宇佐美くんの指示通り玄関の段差を飛んだ。
変な小さなテーブルを飛び越えて、一生懸命手を広げている宇佐美くんの腕に飛び込んだ。
「辰巳さん!!大丈夫?!」
宇佐美くんだ。
嘘でも幻でもなく、宇佐美くんだ。
ちゃんと宇佐美くんの匂いがする。
「……大丈夫な訳ないじゃん!!馬鹿なの?!」
「えぇ?!ごめんなさい?!」
飛び込んだ私を支え切れず、ふらふら後退った宇佐美くん。
かっこいいんだか悪いんだか……。
でもこんなところでも待っててくれたから、今回は許してあげよう。
ニカッと笑う。
ううん、笑ったつもりだった。
でも涙が溢れて止まらなかった。
「宇佐美くんの馬鹿ぁ~!!遅いんだよぉ~!!」
「ご、ごめんなさい?!」
泣く私に、宇佐美くんはやっぱり困ったような顔でオロオロした。
それが何だかすごくホッとした。
でも感動の再会は長くは続かない。
ガンッ……ガンッ……と龍が玄関に体当りしてる。
さっき何かに気を取られていた龍だが、私が外に出た事に気づいたみたいだ。
でもよくわからないけど龍は建物から出られない。
それでも出ようと狂ったように体当りを繰り返す。
でも……。
バリバリと家が軋んでる。
「……クソッ!!力が持たねぇ……ッ!!」
「卯ノ神様ぁ~!!」
「新人ちゃんか?!手を貸してくれ!!」
「わかりましゅた!!」
私の腕の中から子猫ちゃんが抜け出て、変なテーブルの方に行く。
よく見るとテーブルにはお米や塩、それからコップに水。
そして私の宇佐美くん……じゃなくてうさぎのぬいぐるみがちょこんと置いてあった。
「……ウソ、マジでファンシー……。」
「あ、うん。でも本人も気にしてるから言わないであげて……。」
緊張した場面なのだが、私はうさぎのぬいぐるみがファンシーな声で喋っている事に愕然とした。
うわ……私の宇佐美くん……ファンシーな声で引く……。
「とりあえず、ちょっとごめんね?」
宇佐美くんはそう言うと、持っていたハサミで何かを切る真似をした。
どういう事なんだろう?
不思議に思って見ていると、困ったように笑った。
「あ、ごめん。僕もよくわからないんだけど、今ので辰巳さんと年越しの宮にできた縁を切ったんだよ。」
「縁を切る??」
「うん。これで辰巳さんはもう、年神じゃなくなったから大丈夫。」
「さっき投げたのは??」
「あ~。ごめん……。昔、辰巳さんに借りて返し忘れた消しゴム……。辰の気を逸らすために、辰巳さんの身代わりとして投げちゃった……。」
「ふ~ん。まぁ、新しい消しゴムで返してくれればいいよ。」
「うん、わかった。」
消しゴムをいつ貸したのか覚えてないけれど、身代わりにできたのなら本当に私の消しゴムだったんだろう。
ていうか助けるために投げたんだし、返せとか言われてすんなり受け入れちゃう宇佐美くんってヤバイよね。
やっぱこれからも、いじめられないよう私が側にいないと駄目だな、うん。
その前払いって事で、消しゴムは貰おう。
そんな事を考えていたのだが……。
バリバリ……ッ!!
とうとう龍が門を壊して片足を外に出した。
あの鋭い爪が、空を何度も掻き毟っている。
うさぎと子猫ちゃんが何か必死にやっているけれど、これはヤバそうだった。
宇佐美くんが慌ててうさぎたちに駆け寄る。
「うさぎ!大丈夫?!」
「……クッソ!!煩悩が強すぎて鎮まらねぇ!!……せめて「年の尾」があれば時間が稼げんのに……!!」
「年の尾ってどんなの?!」
「どんなのって……!!」
バリバリッ!!とまた音がした。
龍の足が更に玄関から飛び出した。
「うさぎ!!除夜の鐘を打とう!!」
「でもまだ眷属が帰ってきてねぇ!!」
「自分の足で走るよ!!」
「だが!!」
「大丈夫!!辰巳さん、走れるよね?!」
「また走るの?!でもどの道、龍が出てきちゃったら走らなきゃならなそうだし、いいよ。それに私の方が宇佐美くんより速いしね。」
「ほら大丈夫!!僕たち、自分で走るから!!」
「……すまん。」
「いいよ。むしろ色々ありがとう。うさぎ年の神様。」
「こっちこそ、巻き込んで悪かったな?」
「ううん。辰巳さんを返してくれてありがとう。」
「ねぇ!除夜の鐘って、あれ?!」
「あぁ。いいか?!この世界のあれを打ったら、全国の除夜の鐘が始まる。108つ、お前たちが思ってるより時間はねぇぞ?!」
「わかってる。頑張るよ。」
「すまねぇ……。打ったらすぐ、あの鳥居を潜れ。階段になっていると思うから下って行け!除夜の鐘が鳴り終わるまでに下の鳥居を潜れ!!」
「わかった。」
「私が打つよ、宇佐美くん。」
「駄目だよ!辰巳さんは先に……!!」
「宇佐美くんの方が走るの遅いじゃん!!」
「でも!!」
「私、打ってから走っても宇佐美くん抜くと思うし、ハンデだよ、ハンデ。」
そう言われた宇佐美くんはしょぼんと肩を落とした。
そりゃね、宇佐美くん、いつもビリの方だし。
「お姉ちゃん、お連れさん、気をつけてにゃ~。」
「うう~。ありがと~。」
「ありがとう。」
「達者でな。」
「うん。」
私達は短い挨拶を交わす。
なんか、ちょっとしか一緒にいなかったのに、すごく寂しかった。
でもその間にも龍は暴れ続けている。
私と宇佐美くんは顔を見合わせて頷いた。
宇佐美くんが鳥居の前に立ち、私は鐘の前に立つ。
「……行くよ!!宇佐美くん!!」
「うん!!」
私は突き棒の紐を引いた。
引いた状態で手を離し、宇佐美くんの方に向かう。
私の手を離れた橦木が釣り鐘を打つ。
ゴーン……。
宇佐美くんが鳥居を潜った。
私も続く。
「嘘?!何これ?!」
「神様の世界から降りるからね?!」
そこには先が見えないほど長い下り階段があった。
私達は必死に階段を降りる。
ゴーン……。
もう私は打ってないのに、鐘の音が響く。
除夜の鐘が始まったのだ。
思えば変な世界だった。
書初めをしただけでお正月が始まっちゃうし。
龍はこたつで寝てるし。
「そう言えば!なんで猫ちゃんをどかしたらこたつが消えたの?!」
私は駆け下りながらそう聞いた。
宇佐美くんも必死に降りながら答えた。
「言葉遊び!!」
「言葉遊び?!」
「子猫、つまり「コ」を「こたつ」の頭から取ったら?!」
「……タツ?!」
「そう!!子猫をどかせば、「タツ」が残る。だから「辰」が起きると思ったんだ!!」
「何それ?!変なの!!」
「本当、変だよねぇ!!」
宇佐美くんが珍しく声を上げて笑った。
私も釣られてゲラゲラ笑った。
ゴーン……。
いくつ目かわからない鐘の音が響く。
私も宇佐美くんもとにかく必死だった。
ゴーン……。
音がするたび、だんだん焦ってくる。
膝がガクガクしてきて、たまに前につんのめりそうになる。
「おっと?!」
「辰巳さん!!気をつけて!!」
「宇佐美くんもね!!」
私達は励まし合い、どうにか階段を降りていく。
ゴーン……。
言葉も出なくなり、無心で階段を降る。
後、鐘はいくつ残っているだろう……。
苦しい。
諦めたい。
そんな気持ちがふつふつと湧き上がる。
石段の冷たさが足の感覚を奪っていく。
私は途中で靴も靴下も脱いでしまった。
宇佐美くんが靴を貸してくれようとしたけど、大きさが合わなくて靴下だけ借りた。
それでもしんしんと冷たさが体に食い込んでくる。
「辰巳さん!!しっかり!!」
ハッとした。
どこか虚ろになっていた。
宇佐美くんの顔を見つめる。
苦しそうだが、強い意志で私を見つめている。
ちょっと泣きそうになりながら頷く。
ゴーン……。
もう、74。
僕は鐘の数を数えていた。
でも辰巳さんが不安になるので言わなかった。
だんだん口数が減った辰巳さん。
疲れと冷えで足がうまく動かないみたいだった。
「辰巳さん!しっかり!!」
僕の声に辰巳さんはハッとしたように顔を上げた。
いつもは強気な顔が、クシャッと歪んで、それでもグッと頷いた。
膝がガクガクいっている。
ずっと階段を降りているから、膝が馬鹿になってきたんだ。
でも……。
僕は諦める訳にはいかなかった。
皆は忘れてしまったかもしれない。
でも、僕は覚えている。
辰巳さんがいなくなった後の事を。
皆が必死に探した。
その中に漂うリアルな絶望感。
気丈に振る舞うおばさんが、僕に隠れて泣いていた事。
周囲は何も言わなかったけれど、僕をどういう目で見てるのかなんてわかっていた。
何より僕自身、自分の無力さに打ちひしがれた。
僕は、辰巳さんを一度失った。
その世界を知っている。
だからもう、絶対に失う訳にはいかないんだ!!
「辰巳さん!!辛かったらおぶるから!!」
「は?!宇佐美くんが?!無理っしょ?!」
「無理かどうかなんかわからないじゃん?!」
「いや、どう見ても潰れるし。」
「酷っ!!」
「大丈夫!!宇佐美くんこそおぶってあげようか?!」
「僕は大丈夫だから!!」
苦しいけれど、辰巳さんがいる。
僕はもう、辰巳さんがいない世界は嫌だ。
おばさんが泣くのを見るのも、あの絶望感も、もういらない。
絶対に連れて帰るんだ!!
ゴーン……。
鐘の音が響く。
「……見えた!!」
「やった!!」
「頑張って!!辰巳さん!!今!!88!!」
「は?!宇佐美くん?!数えてた?!」
「うん!!」
「マジ?!ヤバっ!!変人?!」
「変人って酷くない?!とにかく急ごう!!」
ゴーン……。
「今いくつ?!」
「95!!」
「ぎゃぁぁぁ!!」
ゴーン……。
「辰巳さん!!頑張って!!」
「もうヤダ~!!」
「雪見だいふく奢るから!!」
「わかった!!」
ゴーン……。
「ぎゃぁぁぁ!!100~!!」
「飛ぼう!!辰巳さん!!」
「ええい!!どうにでもなれ!!」
ゴーン……。
僕と辰巳さんがドタっと倒れ込んだ時、周りはざわざわと騒がしかった。
ハッとして顔を上げる。
ゴーン……。
108つ目の鐘が鳴った。
僕と辰巳さんは石段にしゃがみこんだまま、ぼんやりと顔を見合わせた。
「……間に合った??」
「うん、今のが108つ目。」
「……マジか。」
「うん。マジ。」
僕らは山の神社にいた。
山の神社から本殿のある山道に続く小さい鳥居の前にいた。
僕が茶碗を割ってあっちの世界に行った鳥居の前だ。
本当なら喜びに湧くところなのだが、僕も辰巳さんも疲れきっていてそれどころじゃなかった。
がっくりと石段に手をつき、大きくため息をつく。
「……疲れた~。」
「うん。」
「もう一歩も歩けない……。」
「僕も。」
「え?!おぶってくれるんじゃなかった?!」
「それはさっきだよ……今はごめん……無理です……。」
「まぁ……だよね……。」
さすがの辰巳さんもそこでおぶれと癇癪を起こしはしなかった。
大晦日……いや、除夜の鐘が鳴り終わったんだ。
もう、新年だ。
「辰巳さん。」
「何??」
「あけましておめでとう。」
「あ~。そっか。あけましておめでとう、宇佐美くん。」
「後、おかえり。」
「……え??」
「おかえり、辰巳さん……。」
僕がそう言うと、辰巳さんはびっくりした顔をした。
でもその後、すぐにクシャッと顔を歪めた。
「……た、ただいま……。」
「うん。おかえりなさい、辰巳さん……。」
僕らはそれ以上、何も言わなかった。
そのまましばらく、初詣の人たちを眺めていた。