後編
続けて読んでいただきありがとうございます
朝日がカーテンの隙間から差し込み、私は布団にいたことに気づいた。
確か、死んだ娘と電話をしていた気がした。
ジメジメした恨めしい話は出てこなかった。
任天堂のスマッシュブラザーズをお父さんとおばあちゃんとやって勝ったとか、お父さんの使うドンキーコングが卑怯だったというようなことを言っていた。あっちでもスマブラがあるんだと不思議な気持ちになった。
私は娘に、そっちの学校は楽しいか聞くと、いろんな人と勉強していると言っていた、そんなような気がする。
多分、お酒を飲み過ぎて見た幻覚とか夢なのだろう。電話があの世の電話と繋がったとか、そんなわけあるはずない。そもそも、あの世なんてものがあったら、あの世は人の魂で混み合って大変なことになるはずだ。
飲み過ぎたと思った朝なのに、とても晴れやかな感じがした。
娘からの電話がかかってきた日から調子が良かった。
朝起きた時はスッキリと目覚めたし、会社に行くまでの道のりもトボトボと歩いていたのが、すっすっ、と足が軽くなって進んだ。
仕事でもタイピングのスピードを速く感じ、集中できていると思った。
それに今日はいつもより同僚からの距離が少し近い。
お昼休憩中、お弁当を広げていると、隣の席に座っていた同僚が声をかけてきた。
「何かいいことあったの?」
そう聞かれるまで、私がほころんでいることに気が付かなかった。
仕事が終わり、買い物を済ませて家に帰る。
いつものようにシャワーを済ませて、仕事日は簡単な料理を作り始める。お酒を飲みたいから、炭水化物系のメニューは控える。
お酒を飲みながら食事をつまみ、娘からの電話を待った。
すると、また娘からの電話はかかってきた。
あの世からの娘の電話は2日に1回は必ずかかってきた。
この話をお医者さん等に話したら心の病が進行したと思われるはずだ。
あの世の娘から電話だなんて、普通に考えればあり得ない。
でも、心の病が進行して聞こえる幻覚だったとしても、私は娘の声が聞けて嬉しかった。
この一週間くらいの娘の電話の話は本当に他愛もない内容だった。
今日は算数の勉強があった、体育でドッヂボールをやったら男の子に頭にぶつけられたので、仕返しに頭にぶつけようとしたら頭がない男の子で困った、給食が見たことのない味の濃い料理だった、お昼の授業は白髪のモコモコのカツラをつけた外国のおじさんが音楽を教えてくれた等、軽く聞き流していいものか迷うような内容だった。
娘の話だと、夫と私の両親はいつも娘の側にいるらしい。
いつも楽しく、踊ったり、走ったり、スマブラやどうぶつの森だとかのゲームをしたり、三途の川を見ながら果物狩りをしたり、毎年クリスマスの夜はキリストさんとブッダさんが相撲を取るバラエティー番組をみんなで腹を抱えて笑って見たり、時々地獄から悪人が逃げてきてリアル鬼ごっこが繰り広げられているのをカフェでながめているらしい。
陰鬱な死後の世界というより、私以外の家族げ別サーバ内のオンラインゲームにいるような感じだった。
そんな、非現実な娘との電話のやり取りも慣れてきた。
お酒を飲んだ後、普段鳴らない固定電話が鳴る。これが娘の世界からの受信だ。急いで取らないと、ただのトーン音しか聞こえなくなる。
呼び出し音が鳴って急いで受話器をあげると、娘の声が聞こえてきてほっと安心した。
それに、娘や夫はどうやら早く私をあの世に連れていきたいわけではないみたいだ。
喉が渇いてお酒を少し飲み過ぎてしまった日、娘がホットケーキを食べたいと言ったので、受話器をそのままにして作り始めた。あの世の電話代はかからないから気にしなくていいらしい。少し酔いすぎてウトウトしてしまい、もう少しで火事を起こすところになった。娘が電話越しで、
「おかあさん、起きて!」
と言ってくれなかったら、もう少しでホットお母さんになるところだった。
もし、娘や夫が、私をあの世に無理矢理にでも連れて行きたいのなら、放って置いて死ぬような場面で起こしたり注意喚起しないだろう。
でも、心臓が止まるかも、と思う日もあった。別の日に、娘からそっちに遊びに行きたいと言われて、いいよ、と答えるとチャイム音が聞こえた。深夜0時になるチャイム音はとても心臓に悪い。
そして、鍵のかかった玄関ドアがガタガタと揺れ始めた。明かりはチカチカ点滅し、テレビは電波の受信が悪くなり映らなくなった。
あまりの出来事に私は怖くて固まってしまうと、受話器から
「えー、ダメなの、おとうさん? わかった。おかあさん、そっちに行ったらだめだって」
と娘の声が聞こえると、玄関ドアの音は止まった。
あれは娘だったのだろうか。
ちょっと怖かったけど、開けたら会えたのかと思うと少し寂しかった。
「お父さんに代わってくれる?」
娘にそう伝えると
「ダメって言ってる。なんか、おとうさんもおかあさんも不幸になるからダメだって」
と言われた。多分、夫のことだから、私が夫の声を聞けば辛くなってしまうから、と思ったのだろう。
でも、例え私は不幸になっても夫の声を聞きたいし、夫や娘とも会いたいと思った。
一ヶ月続いたこの奇妙な電話のやり取りは、きっと私があの世に行くまで続くのかなと思っていた。
いつもの通り、夕食の晩酌をし始めた。
今日は頭を使う作業やら、取引先の方と話さなければならなくて神経がすり減り、いつもより疲れてしまい、酔いが早く回り始めた。
すると固定電話から呼び出し音が鳴った。
きっと、あの世の娘だろう。
ソファーから立ちあがろうとしたら、テーブルに置いていたグラスに手をかけて倒してしまった。割れはしなかったが、中身が溢れてしまい気が動転していると、呼び出し音は消えてしまった。
あー、とため息を吐いて床を拭き始める。
こういうついてない日もあると思って、グラスを洗って新しいお酒を注ぐ。大丈夫、きっと、いつか、娘はまたかけてくれるはずだ。
そう思いながら、おつまみのカシューナッツを口に放り込むと、呼び鈴が鳴った。
もしかしたら、娘かもしれない。電話に出ないからしびれを切らしてやって来たのかも。冥土の土産を持って。ちょっと真夜中には早いけれど、そもそもこんな時間に家にやってくれ知り合いは私にはいない。
私はかけだして、鍵を急いで玄関の扉を開けた。おかえり、と言いかけた言葉を飲み込んだ。
そこには目ぶかに帽子を被った男が刃物を持って立っていた。
私は口を塞がれ、自宅内に押し込まれた。
このままではいけないと、手足をばたつかせて暴れるが、男性の力には勝てないし、刃物を持っているので、本当に刺されたりしたら困る。
揉み合っている際に、電話にぶつかり受話器が落ちた。一瞬、呼び出し音が聞こえたような気がしたが、体に走る痛みの方が強くてそれどころじゃなかった。
押し倒されて両腕と両足をプラスチック製の大きな結束バンドで締められた。キリキリと締め付けられ、指先が冷たくなっていく。
このままだと殺される、そう思った。変わり果てた娘や夫が私を連れて行くなら、それはそれで構わない。でも、それ以外の誰かでなんて絶対に嫌だ。
「金はどこにある」
低い男性の声が聞こえた。
「リビングに置いてあるハンドバッグに財布がある」
私は言わないで痛めつけられるよりも、お金程度ですむならと、お金のある場所を言う。すると、横腹を蹴られた。
「おい、ためこんでいるのがあるだろ。香典とかよ」
なんでこの人は、うちに香典がある、だなんて知っているのだろう。近所の人だろうか? それとも母の知り合いか?
男は何も言わずに、ドアの閉められていた仏間に向かった。そこに仏間があることをまるで知っていたかのようだった。
ガサガサと音が鳴り、きっと、くまなく探しているのだろう。
男が仏間からリビングに戻ってくると、私の腹をもう一度蹴った。足の先がみぞおちあたりに入り、私は先ほど飲んでいたお酒を吐いた。フローリングの床にアルコールの臭いと酸っぱい臭いが広がった。
「金をどこにやった」
フローリングよりも冷たい男の声が部屋に響く。
「香典なんてこの家にはありませんよ」
そう答えると私は男から顔に平手打ちをされる。
乾いた音が体の芯まで響いた。
「他にもあるだろ」
ないものはない。大体クレジットカードで支払いすることばかりなので、現金など持ち歩かない。
「くそ」
男はそう言うと、私の服を破り始めた。財布くらいしか金目のものがなかったので、腹が立ったのだろう。財布には急な現金支払いがあった時のために3万円くらいしか入っていない。強盗に入って収穫が3万円ならシケている、と思う。少なくとも数十万円くらい手に入らなかったら、収益としては少ない気がする。
でも、その金額の少なさのせいで酷いことをされそうな気がしてきた。上着だけじゃなく下着にも手をかけられた。
それだけは嫌だと強く思った時、外から何人もの足音が聞こえてきた。
「警察です!」
玄関ドアを、ドン、と強く開かれる音が家に響き、体におおいかぶさっていた男が、焦りながら立ち上がった。
「か、勝手に家に入るなポリ公! 警察はなにやっても許されるのか!」
お巡りさんが一瞬立ち止まった。もしかしたら、ワンチャン、旦那さんとそういうプレイの最中かもしれない、という思いがお巡りさんの頭の中を通り過ぎったのだろう。
「強盗です! 縛られて動けません! 助けて!」
私の声でお巡りさんたちはすぐに再び動き始め、男を羽交締めにした。
男は羽交い締めにされながらも、抵抗を続けて、リビングをめちゃくちゃにした。追加でお巡りさんが何人も現れて、暴れた男を押さえつける。
男の帽子が脱げた。
いつも配達にくる中年のおじさんだった。
しばらく、仕事を休ませてもらい、私はリビングの後片付けから警察の取り調べなどに協力をした。警察は何度も私に
「110番はあなたの固定電話からされたはずなのですが、本当にしていませんか?」
と聞くのだ。
強盗に襲われて、電話なんてかける余裕はなかったし、腕は後ろに回されて結束バンドで縛られていたのだ。通報なんてできるわけない。そういう風に私は警察官に伝えた。
「不思議なこともあるものですね。それと電話機は元々壊れていたのですか? 事件の後に調べたら電話機が壊れていて、ボタンを押しても反応がないのです。元々は壊れていなかったですか?」
警察官は私の目の前にビニール袋に入った電話機を置いた。電話機の受話器は警察官と犯人が揉み合いになり、踏まれて割れていた。
「当時の声はこの受話器から通信指令室、いわゆる110番がかかってきた時の受理する部門で聞こえていたので、受話器は壊れていなかったと思うのですが……」
時々、壊れた電話や回線がランダムに電話をかける現象でかかった可能性以外あり得ない。
しかし、数ヶ月以内に緊急通報を、しかもあの襲われた瞬間にだなんて、一体どんな確率なんだろう。きっと、運がいい、というレベルではなく、天文学的な数字の羅列のある確率だろう。
私は偶然ではないと思う。
娘か夫がこちらにやってきて、私を守るために、物理的には押せないボタンの電話機から通報したのだ。
それ以外に考えられない。
しばらく経って、事件の捜査で電話はもう必要なくなった、と警察官から言われて返された。
その日、早速回線を繋げてお酒を飲んで待っていたが、一向に娘からの連絡はなかった。
次の日もその次の日もなかった。
壊れた受話器などを別の受話器に変えたり、そもそも別の電話機に変えてもあの世の娘からは連絡がなかった。
でも、いつか、またかかってくるかもしれない。
私は仏壇に備えた家族写真の娘と夫を指で撫でた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
いつもとは違う話を書いてみたく思い、挑戦しました。
ご感想等あればよろしくお願いします。