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偽装結婚、終わりました(1/1)

 その日から、セルジュさんは「僕がシャノンさんを守る」という宣言を忠実に守った。


 私が庭を散歩する時も、部屋で本を読んでいる時もセルジュさんは片時も傍を離れない。王子は私と二人だけになれるチャンスを狙っているようだったから、そんな隙を与えまいとしてのことらしかった。


 そんなセルジュさんの気遣いが私はとても嬉しかった。けれど、喜んでばかりもいられない。


「今日で三日目ね」


 私はソファーでいびきをかく王子を見ながら呟いた。夕食後にワインをがぶ飲みしたせいか、気持ち良さそうにぐっすりだ。


「この人、いつまでいるつもりかしら?」


 私は眉をひそめる。


 起きている時の王子は私を口説いてばかりだった。それも夫が隣にいるのにお構いなしでだ。


 そのことでセルジュさんがやんわりと文句を言うと、「シャノンが次期国王である俺の愛人になれば、お前だっていい思いをするんだぜ?」なんて返す始末だ。


 傲慢にもほどがある。そんな甘い言葉で私たちの結束を崩せるわけがないのに。


「いくらだっていればいいよ。どうせシャノンさんには指一本触れられないんだし」


 シャノンさんの役に立てて嬉しい、とセルジュさんの顔には書いてあった。


 こんなに近くにいる私に王子が全く手出しできないのは、セルジュさんの存在あってのことだ。そのことを彼も分かっていて、少し自分に自信がついたようだった。


「でも、気詰まりなのは確かかな。シャノンさんと二人でいられる方が楽しいから」


「私もよ」


 何とはなしにセルジュさんの隣に寄り添った。


「やっぱり、殿下には早いところ帰ってもらわないとね」

「ええと……ラブラブっぷりを見せつけるんだっけ?」


 王子が訪ねてきた日に私が言ったことだ。


「どうしたらいいんだろうね?」

「うーん……。手でも繋ぐとか?」


 気楽な口調で言った後にハッとなる。


「でも、そんなのダメよね。セルジュさん、女の人に触るなんて嫌でしょう?」

「え? ええと……」


 セルジュさんは困り顔だ。私は「どうかした?」と首を傾げる。


「わ、分かんない……」

「分かんない? 何が?」

「その……嫌かどうか分からない……」


 意味不明な返答に、私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。


「何で? だってセルジュさんは女の人が苦手なんでしょう?」


「それはそうなんだけど……。で、でも、相手がシャノンさんなら大丈夫。……かもしれない」


 頼りない答えでごめんね、と付け加えて、セルジュさんはちょっと赤面した。


「それって、私が男装してるから?」


 王子が滞在していても私は気にせずに男の人の格好をしていた。だって、あんなゲスよりもセルジュさんの方が大事だから。


「女の人みたいに見えないから平気ってこと?」

「シャノンさんは男装していても綺麗だよ」


 セルジュさんは慌てて言った。


「キリッとしていて紳士的っていうか……。いや、女の人なんだから『紳士的』はおかしいか。とにかく、すごく素敵なんだ。……ああ、どうしよう! 手を繋ぐことを考えたら緊張してきちゃった! 目、瞑っててもいい?」


 セルジュさんは両目を閉じて手をこっちに差し出してくる。これじゃあ「握手」って感じじゃない? それに手を繋ぐことは決定事項じゃなかったんだけど……。


 でも、せっかくの機会だから利用させてもらうのも悪くないかしら? だけど、目を瞑るなんてまるでキスみたいね。


 ふと頭に浮かんできた「キス」という言葉に私は体が熱くなった。


 キス? 私とセルジュさんが? ダメダメ! 私たち偽物の夫婦なのよ! 流石にそこまではする必要ないわ! 冷静になりなさい!


 けれど落ち着いてみようとしたところで、先ほど考えてしまった「セルジュさんとキスする」という思い付きはどうやっても頭から離れてくれない。


 それどころか「やってしまえ!」と頭の片隅で内なる自分が叫んでいる気がする。


 ……いいのかしら?


 ……いいのよね?


 ……いいわ。


 私は吸い寄せられるようにセルジュさんとの距離を詰め、差し出された腕の傍を素通りして彼の唇に顔を近づけた。


 たった一瞬の触れるだけの口付け。セルジュさんが目を開き、私たちは間近で見つめ合う。その瞬間、セルジュさんの表情に歓喜がよぎったのを私は見逃さなかった。


「おいおい、何やってんだよ。人前で」


 同じ部屋に王子がいることなんて完全に忘れていたから、突然の粗野な声に私とセルジュさんは飛び上がった。


「遠慮ってもんを知らねえのか? 礼儀知らずな奴め」


 お酒のせいで若干ろれつが回らない口調で王子がいちゃもんをつけてきた。


 いつもの私なら、「すみません」と謝るところだろう。


 けれど、どうしたことか今は全くそんな気にならなかった。もしかしたらセルジュさんとのキスが力を与えてくれたのかもしれない。


 もう私は自分の気持ちを隠したりしない。正直に思ったことを言ってやろう。


「その言葉、そっくりそのまま返しますわ」


 私はセルジュさんの体に頬を寄せて、王子に視線を向けた。


「私たち夫婦の愛の巣にズカズカと上がり込んできたのは、どこのどなたかしら? 夫と睦まじく過ごそうにも、これでは興ざめです。そうでしょう、あなた?」


 私はセルジュさんを見つめた。石像のように固まっていた彼は我に返り、「そ、その通りです」と私の肩に手を置く。


「僕たちは愛し合っているんですから、誰にも引き裂けません。だ、だから……あの……つまり……」


 頑張れ、セルジュさん! ここはガツンと言ってやるのよ!


「あなたにはシャノンさんを渡せません!」


 セルジュさんに引き寄せられ、もう一度、今度はもっと長いキスを経験した。王子が何か言っている。けれど、私の耳には入らない。セルジュさんの温かい唇の感触にすっかり夢中になっていた。


「奥様、旦那様、お客様ですよ」


 やっと口付けをやめた私たちに、部屋の入り口から躊躇いがちに使用人が声をかけてくる。


「誰?」


 私はセルジュさんに抱きしめられながら夢見心地で尋ねた。けれど、入室してきた物々しい男性たちを見て、慌てて意識を現実へと引き戻す。


「お前ら、父上直属の騎士じゃねえか」


 どうやら王子は来客の正体に気付いたらしい。面白くなさそうに眉根を寄せた。


「大方、父上の命令で俺を連れ戻しに来たんだろ。でもな、誰が大人しく従ってやるか。どうせ『また公務を放棄して』とか説教され……」


「あなた様に拒否権はございません」


 騎士たちのリーダーらしき男性が、王子の言葉を遮って冷たく返した。


「陛下は大変にお怒りです。我々といらしてください、殿下。……いえ、もう『殿下』と呼ぶのは不適当ですね。あなた様は廃嫡されることが決定したのですから」


「廃嫡!?」


 王子だけではなく、これには私とセルジュさんも驚いてしまった。


「あなた様の元婚約者が陛下に直訴したのですよ。『あんなひどい人は陛下の後継として相応しくありません』と」


「あ、あの女……!」


 王子はいっぺんに酔いが覚めたような顔で歯を剥き出しにする。騎士は「彼女だけではありません」と続けた。


「そのご実家や、他の貴族からも同じような声が挙がりました。陛下は前々からあなた様の言動に頭を悩ませておいででしたので……。もうこれ以上は庇いきれないと判断なさったのでしょう。第二殿下を新たに王太子とすることを決定なさいました」


 騎士は王子の腕を掴む。王子は「お、おい、待て」と顔を引きつらせた。


「じょ、冗談だろ? 俺は一体どうなるんだ? 実の息子なんだから命までは取らないよな? 父上は何を考えて……」


「それは我々のあずかり知らぬところですので」


 騎士たちは王子を引きずっていく。彼は「嫌だ、嫌だぁ!」と叫んでいたが、その声もやがて聞こえなくなった。


 使用人も去っていき、室内には私とセルジュさんだけが残される。


「ちょっとガッカリだな」


 セルジュさんがおどけた口調で言った。


「騎士たちが来なくても、僕があの人をつまみ出してあげようと思ってたのに」


 恐れ知らずの発言に私は笑う。セルジュさんも肩を揺らした。


「もう私のこと、全然怖くないのね?」


「恐怖なんかとっくの昔になくなってたって、やっと気付いたよ。それに……シャノンさんに恋してたこともね」


「私もセルジュさんのこと大好きよ」


 こうして本当の気持ちを口にしたからには、私たちの偽装結婚ももう終わりだ。


 これからは正真正銘の夫婦になる。愛しい人と本当の意味で結ばれるんだ。


「シャノンさんがドレスを着ているところ、久しぶりに見てみたいな。もうどんな格好でも大丈夫だって証明してあげるよ」


「それは楽しみね」


 私たちは弾んだ笑い声を上げながら、どちらからともなく三度目のキスを始めた。

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