偽装結婚、始めました(2/2)
それからも私は男装して過ごす。そのお陰か、セルジュさんは少しだけ変わった気がした。
私を見ても逃げないし、表情も前よりも明るい。目を合わせることにはまだ躊躇いがあるようだけど、会話はほとんど問題なくできるようになった。
そうなってくると、私はセルジュさんと一緒にいるのが楽しくて仕方ないと思えるようになってきた。
彼と私は好みがそっくりなんだ。物の見方や考え方が似ているからどんな話題になったって意見が合うし、対立することもない。
パズルのへこんだところと突き出たところがピタリと合うような感じ。要するに、相性がいいんだ。
「僕、実はシャノンさんに憧れてたんだ」
ある日、居間で談笑しているとセルジュさんがそんな風に切り出してきた。
「憧れ?」
意外な言葉に、私は目を見開く。
「シャノンさん、第一王子の元婚約者を舞踏会で助けてたでしょう?」
第一王子と聞いて、私は嫌な記憶を思い出す。ああ……彼にしつこく迫られてた日々は地獄だったわ。
それと比べたら、今の生活はまるで天国ね。
「それを見て僕……格好いいなあ、ヒーローみたいだなあって思ったんだ」
「ヒーロー? 私が?」
「うん。困ってる女性の元に颯爽と現われて手を差し伸べる人。僕も本当はそんな風にならないとダメなんだろうけど……。難しいな……」
「でも、私のことは助けてくれたわ。こうして結婚してくれたじゃない。あなたがいなかったら私、あの最悪の王子と婚約してたかもしれないのよ?」
「だけど、あれは『颯爽』って感じじゃなかったし……。むしろシャノンさんが僕を助けてくれたって言っても良かったよ。それに、女性が苦手な僕のために男の人の格好までして……。そんなシャノンさんを、今度は僕が守ってあげたいんだ」
セルジュさんの頬が少し赤い。……もう、私まで恥ずかしくなっちゃうじゃない!
「ご、ごめんね。こんな生意気なこと言って。でも、僕はいつかシャノンさんみたいなすごい人になってみせるよ。まずは形から……僕も男装しようかな」
「セルジュさんは男性なんだから、男装はいつもの格好でしょう」
「あっ……そうだね」
セルジュさんは困ったように笑った。その笑顔を見ている内に、私の口からポロリと本音が漏れる。
「私、あなたが夫で良かったわ」
「えっ、どうしたの、急に」
「……別に急じゃないわよ」
私が照れながら言うと、セルジュさんの顔がますます赤くなる。
「僕も……シャノンさんと結婚できて良かったよ」
セルジュさんもはにかみながら認める。そして「何だか変だなあ……」と呟いた。
「僕たちの関係は偽物なのに、いいのかな、こんなの」
「いいんじゃないの。少なくとも私は嫌じゃないわ」
「……そうだね。僕も嬉しいよ」
セルジュさんが珍しく目を合わせてきた。私も黙って見つめ返す。
セルジュさんの瞳はうっとりと潤んでいた。ふと、胸の中に今まで経験したことのないような甘い感情が沸き起こってくる。
……セルジュさんの言葉通り、「何だか変」だ。
だって私たちの結婚は偽装だったはずなのに……。これじゃあ、本当の夫婦みたいじゃない?
****
私たちの家に来客がやって来たのは、ある朝のことだった。
「久しぶりだな、シャノン」
応接室で待っていたのは、私がもう二度と会うことはないだろうと考えていた人……第一王子だった。
「結婚生活はどうだ? 上手くいってるか?」
「もちろんです!」
驚きで呆然となりかけたけど、きっぱりと返事をする。王子は、私の隣に立つセルジュさんを品定めするように眺めた。
「お前の恋人はシュッとしてスラッとした絶世の美形じゃなかったのか? 確かにすらりとしてて見た目は悪くないが、絶世ってほどじゃないだろ。ちょっと目元がきつすぎるぜ。それなのに、デリケートで甘ったれた雰囲気なのがアンバランスで……」
「そんなことありません! セルジュさんは世界で一番格好いいですよ! ……ねえ?」
私はセルジュさんに同意を求めたけど、彼は照れたように微笑んだだけだった。
「どうしてここに?」
セルジュさんは警戒心たっぷりに王子に尋ねる。王子は「二人がどんな様子か見に来たんだよ」と答え、私の服装に目をやる。
「何でそんな格好してるんだ?」
今日も私は男装をしていた。私は即興で言い訳を考えようとしたけれど、先に口を開いたのはセルジュさんだった。
「これは夫婦間のちょっとした遊びのようなものです。シャノンさんが男性の格好をして、僕が女装するんですよ」
「……セルジュさん?」
「バレてしまったんだから、隠しておいても仕方ないでしょう? さあ、これから僕のドレス選びに付き合ってよ、シャノンさん」
セルジュさんは王子に迷惑そうな視線を送る。そういうことね! 暗に「これから夫婦のお楽しみの時間だから早く帰ってくれ」って言ってるんだわ。ナイスアイデア! 私もその作戦に乗っかっちゃおう!
と思ったけど、王子は夫婦の倒錯した一面には興味がないようだった。
「で、俺はどの部屋に泊まればいいんだ?」
私とセルジュさんは「え?」と同時に声を上げる。
「おいおい、まさか一国の第一王子を、大したもてなしもせずに帰すって言うんじゃないだろうな?」
王子はどうして私たちが驚いたのか分からなかったらしい。
「心配しなくても、王宮にいる時と同じ扱いにしろなんて言うつもりはねえよ。……それにしても、人妻のシャノンか。……いい響きじゃねえか」
王子の口元から赤い舌が覗く。え、何? 気持ち悪いんですが?
「じゃあ、早速部屋を見せてもらうぜ。おーい、誰かいねえのかー?」
王子は使用人を探しに廊下に出て行った。
その姿が見えなくなると、セルジュさんは「これ、まずくない?」と呟いた。
「殿下……絶対にシャノンさんのこと狙ってるよ。ど、どうしよう。このままじゃシャノンさんが……」
「……平気よ。受けて立とうじゃないの」
セルジュさんは焦ったけれど、私は落ち着いていた。あの人がゲスだってことは元から分かっていたんだもの。まあ、既婚者でも関係ないっていうのは想定外だけど。
「せいぜい殿下に私たちのラブラブっぷりを見せてあげましょう? そうしたら、いくらあのバカでも自分の入り込む隙がないって分かって引き上げるはずよ」
「ラブラブか……。なるほど……」
セルジュさんが頷く。
「分かった。僕がシャノンさんを守るよ」
「ヒーローみたいな活躍、期待してるわよ」
二人して不敵な笑みを浮かべる。
どうやら私の気付かない内に、この偽夫婦には思ったよりも強い絆が出来上がっていたらしい。
それを駆使したら、怖いものなんかないに決まってるわ。