偽装結婚、始めました(1/2)
お互いに家の人に話を通し、両家への挨拶を済ませ、慌ただしく挙式が行われる。
何もかもが終わり、私たちが夫婦となったのは一ヶ月後のことだった。
「お邪魔しまーす」
セルジュさんのお父様が用意してくれた新居は、私たちが使うことになった。下見に来たことはこれまでもあったけど、今日からここが自分の家になるのだと思うと妙な気分だ。
「『お邪魔します』は変じゃない? 『ただいま』だと思う」
私の後ろから着いてきていたセルジュさんの冷静なツッコミが入る。「そうだったわね」と振り返ると、彼は視線を逸らした。でも、その口元が微かに笑っている。
セルジュさんは私といることに多少は馴れてくれたようだ。完全にリラックスはしていないけど、少しは肩の力を抜いた対応をしてくれるようになったと思う。
「じゃあ事前に決めた通り、こっちが私の部屋で、その隣がセルジュさんのね」
二階に上がり、私はそれぞれの私室を指差す。
「使用人は私の実家から信頼できる人たちを引き抜いてきたから、そこから秘密が漏れることはないわ。……何か質問は?」
「ないよ。それじゃあ……これからよろしく」
セルジュさんが自室へと消えていく。私も自分の部屋に入り、ソファーにゆったりと腰掛けた。
「万事上手くいったわ」
大嫌いな王子との婚約を回避できたことを、私は心の底から嬉しく思った。きっと、隣室ではセルジュさんも喜びに浸っているだろう。おかしな人と結ばれずに済んだ、って。
この素晴らしい勝利を記念して、早速彼と祝杯を……。
……ダメだわ。セルジュさんは女の人と乾杯なんかしたくないに違いない。
これからは一つ屋根の下で暮らすんだから、彼に不快な思いはさせないように今まで以上に気を配らないと。この結婚が破綻して、また王子につけ狙われたら困るもの。
これから始まる偽夫婦の日常。その過ごし方について、私は思いを馳せた。
*****
「おはよう、セルジュさん」
「あっ、おはよう……」
翌日。食堂に行ったらセルジュさんが朝食をとっている真っ最中だった。
「……ごちそうさま」
私が席に着くやいなや、セルジュさんは大慌てで退出していく。見れば、食事はほとんど手付かずも同然だった。
驚きつつも、私は控えていた使用人に「新しいのを彼の部屋に持って行ってあげて」と頼んでおいた。
その日は特に予定も入っていなかったので、食事を終えた後は一日中家の中で過ごすことにする。手始めに書庫に行って本でも……。
「あら、セルジュさんじゃないの」
そこに夫の姿を認め、私は声をかけた。移動式のハシゴに登って本を見聞していたセルジュさんは、足を踏み外しそうなくらいにビクリとなる。その手から本が滑り落ちて、床に散らばった。
「ど、どうも……」
セルジュさんは本を拾おうともせずに行ってしまった。
呆気にとられてしまったけど、その後も何度も遭遇は続く。
小腹が空いて向かったキッチン、お昼寝をしようと思って足を運んだ庭、何の気なしに入ってみた遊戯室……。
その全てに先客としてセルジュさんがいたんだ。
「忘れてたわ。私たち、似たもの同士だったわね」
一日の終わりに寝る支度をしながら、私は呟く。
「ただ会うだけならいいんだけど……」
セルジュさんは私を見るなり、やっていたことを何もかも中断してどこかへ行ってしまうんだ。まるでネコと鉢合わせたネズミみたいに。
最近では少しは私に馴れてくれたと思っていたけど、女性嫌いのセルジュさんには女の人と同居しているなんていう状況は耐えがたいのかもしれない。
「でも、これからも一緒に暮らすんだし、ずっとこのままは……」
こんなストレスフルな生活が続けば、セルジュさんはいつか「これ以上は無理だ。離婚しよう」と言い出すかもしれない。
せっかく手に入れた隠れ蓑、こんなことで手放すわけにはいかないのに!
机に頬杖をついて、うんうん唸る。そのまま一夜を明かした私が名案を思い付いたのは、朝になってからのことだった。
*****
「おはようだぜ、セルジュくん」
食堂に入ってきた私を見て、セルジュさんは目を丸くした。
「シャ、シャノンさん……?」
「違うんだぜ。今日からは『ムッシュウ』と呼んで欲しいんだぜ」
「え、ええと……?」
セルジュさんは私の格好を眺め回した。
真っ白なブラウスを包み込む、黒地に銀糸で刺繍がしてあるベスト。その上から同色の上着を羽織り、同じく黒のキュロットをはいている。
首元のクラヴァットは宝石のついたピンで留められていた。髪は後ろでひとまとめにしてある。
自分でも中々上手く男装できたと思う。この凹凸のない体付きも、上手い方向に作用してくれたはずだ。
「セルジュくんは女の人が嫌いなんだぜ?」
運ばれてきたパンを手で千切りながら、私は言った。
「だったら、俺が男になればいいんだぜ! 昨日一晩かけて考えたんだぜ? いい案だぜ?」
「シャノンさん……」
「『ムッシュウ』だぜ」
軽く注意して、私は食事を続ける。セルジュさんが部屋から出て行く気配はない。
よし、大成功ね! 私の演技力と変装力に幸あれ!
……と思っていたけど、さっきからセルジュさんがまるで料理に手をつけていないことに気付いた。
どうしたのかしら、と思い声をかける。
「セルジュくん?」
「僕は……自分が情けないよ」
セルジュさんはガックリとうなだれた。
「あなたはこんなに頑張ってくれているのに、僕は逃げ回ってばかりで……。あなたも本心では呆れてるんでしょう? こんな意気地なしと結婚してしまったことを……。でも、僕にとってはあなたは同志なんだ。だからどうか見捨てないで……」
……セルジュさん、そんなことを考えていたんだ。
彼も彼で、私に仲間意識を抱いていたらしい。やっぱり似たもの同士ね。
「誰でも嫌いなものはあるんだぜ」
私はサラダに入っていたオレンジの野菜をフォークの先でつつく。
「俺は昔、ニンジンが嫌いだったぜ。でも、料理人がすりおろしたニンジンのパンケーキを焼いてくれて……。それがすごく美味しかったから、普通のニンジンもいつの間にか食べられるようになってたんだぜ。だからセルジュくんもそれと同じなんだぜ」
「同じ? ……女性を男性の服で包めば、苦手意識もなくなるってこと?」
「そうだぜ。……ほら!」
私はニンジンをフォークに突き刺し、パクッと食べてみせる。セルジュさんは少し笑った。
「それって、『嫌い』じゃなくて、『怖い』ものの場合にも当てはまると思う?」
「怖い?」
「……皆が僕を『極度の女性嫌い』だと思っているのは知ってる。でも、本当は少し違うんだ。……僕は女の人が怖いんだよ」
そう言えば、セルジュさんの態度は嫌悪というよりは、怯えていると言った方がいいものだったかもしれない。
「僕には姉と妹が三人ずついるんだ。姉妹は昔から横暴で、僕を顎で使っていた。姉からは『年上は敬いなさい』と威張り散らされ、妹からは『お兄ちゃんなんだから我慢して』とワガママを言われ……。そんな中でいつしかこう考えるようになった。『女性はスカートをはいた怪物だ』って」
セルジュさんはやれやれと首を振る。
「そんな思い込みのせいで、女性の傍にいるとまたいじめられるんじゃないかと恐怖を抱くようになってしまったんだ。自分でもバカなことだとは思うけれど」
「今も怖いぜ?」
「ちょっとだけ」
セルジュさんは申し訳なさそうに認めた。
「でも、逃げ出したくなるほどじゃないかな。きっと……あなたは怪物じゃないと気付けたからだと思う」
「やっぱり男装して正解だったぜ」
私は自分の服装を見つめた。
「俺はセルジュくんを怖がらせたくないから、これからもこの格好を続けるぜ」
「ありがとう。でも……」
セルジュさんはちょっと視線を上げて、一生懸命に私と目を合わせた。
「口調はいつも通りでいいよ、シャノンさん」
彼なりに精一杯、私に歩み寄ろうとしてくれている。
そのことが分かって、私は偽装とはいえセルジュさんと結婚できて良かったと思った。だって、頑張っている人を見ると応援したくなるでしょう?