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広がる波紋〈2〉

 思いがけない光景を目にして気持ちが落ち着かないまま一日が過ぎ去ってしまった。気がつけば部活の時間でいつも通りに和真は工芸室に向かう。


 工芸部の活動は隔日。活動内容も自分が興味のあるものを制作していいというかなりの自由さだ。父の影響で物を作るのが好きで、この高校を進学先として決めたのも公立高校の中で工芸系の設備が充実していたからという理由からだ。工芸室に入ると先に部活に来ていた三年生たちが既に準備をしているところだった。


「お疲れ様です」

「お疲れー」


 いつも通りの緩い挨拶を済ませてから和真も自分の作業の準備を始めた。準備が整う頃には大方の部員が集まっていて、部屋の中央が賑やかになっていた。

 和真は工芸室の片隅で道具を広げて片隅で黙々と作業する。


「いいかな」


 和真は視線を上げて出来上がりを確認する。仕上がりに問題がなさそうなことを確認してから、部屋の中央で作業している集団に視線を向ける。

 顧問と三年生が入って間もない一年生に陶芸の菊練りを教えていている。その中に由香も補佐として手伝っていた。手が空いたと見えたところで和真は由香に声をかける。


「朝木」


 由香は呼び掛けに気が付くと後輩に声をかけてからこちらにやってきた。何かと問われる前に和真はできた物を彼女に差し出す。差し出されたものを見て由香はぱあっと表情を明るくした。


「わ、もうできたの?」


 差し出された淡いベージュの革のパスケースを受け取り、嬉しそうに眺める。

 パスケースが痛んできたので新しいものを探しているが気に入るものがないと話していて、それなら作ろうかと言って作り始めたものだった。隣で同じように革の加工をしていた同級生の望月(もちづき)裕介(ゆうすけ)が作業を止めて揶揄する。


「手先だけは器用だからな~」

「だけは余計だ」


 和真の抗議にも裕介はまったく意に介せず笑う。由香はパスケースを一通り眺めると嬉しそうに口を開いた。


「うん、すごくいい感じ!」

「っていうか、こんなので良かったのか?」


 作る前からいいとは言われていたのだが、やはり気になって和真はそう尋ねた。問われた由香は一瞬間を空けてから不服そうに半眼で和真を見る。


「もー、いいって言ってるじゃん。じゃなきゃ頼まないし。てか、レザーだとやっぱカッコよくていいなぁ〜」


 改めて由香はパスケースを表裏返して眺める。女子もそう思うものなのか、と和真は納得することにした。これ以上食い下がれば怒らせてしまいそうな気がしたからだ。


「無事渡せたし、今日はちょっと早いけど帰るよ」

「ん、何かあったの?」

「いやさ、定期なくしちゃったから探さないとなんだよ」


 わずかに間が空いた後、由香の表情が変わったと思った突端に思いがけない音量の声が響く。


「え、ば、馬鹿⁉」

「アホか」


 由香と裕介から同時に暴言に合い、面食らった和真は思わず二人を見た。唐突な大声に他の部員たちの視線が集まり、慌てて由香を止めようとするも既に遅い。


「こっち来ないで先に探しに行きなさいよ!」

「いやだって、もう少しだったから早いほうがいいかと思って……」

「……まぁ、お前のそういう馬鹿律儀なところ嫌いじゃないよ?」


 褒められているような貶されているような裕介の言葉を聞きながら、和真は由香に強制的に席から立たされる。リュックを押し付けられて、何をするんだ思っているうちに由香も自分の鞄を持ってきた。


「探すの手伝う。裕介、片付け頼んだわよ」

「おー。んじゃ和真、今度なんか奢れよ〜」

「ちょ、おま……」


 にまにまと笑う裕介に一方的な約束を取り付けられながら、由香に背を押される形で和真は工芸室を出た。廊下に出ると由香はずんずんと先を歩いていく。和真は昇降口で靴を履く由香にそれとなく声をかける。


「なにも、朝木まで探しに行かなくてもいいんだと思うんだけど……」

「私のことで時間取らせちゃったんだもん。手伝うのは普通でしょ」


 さりげなく手伝いを断ったつもりだったのだがどうやら流されてしまったようだ。

 無くした時の状況を考えると見つかる可能性はほとんどないと言っていい。見つからないことは前提で、昨日の出来事について何か手がかりでもあればいいと思って周囲を探そうと思っていたのだ。


 それを説明するにも昨日の出来事を話さなければなければならないのだが、もちろん話せるわけがない。無駄と分かっていることに付き合わせることが居た堪れず、心の中でため息をつく。その間でも隣を歩く由香は歩く速度を落とさない。


「なんだろ」


 由香の言葉で和真は思考の海から浮上する。帰宅する生徒がやたら正門の左手の方に視線を向けていた。何かあったのだろうかと横目に見ながら正門を通ろうとしたその時、ふわりと風が頬を撫でる。


 視線の先にいたのは、シャツワンピースにカーディガンを羽織った黒髪の女性。

 黒のタイツを履く足はすらりとしていて、少し高めの身長と凜とした佇まいから通り過ぎる人の目を惹く。男子生徒数人に話しかけられている真っ只中だった。見覚えのあるその姿に和真は目を見張り、言葉を零す。


「昨日の——」


 その言葉に女性の視線が向く。女性は周りの男子生徒にごめんなさいと断りを入れてから、和真と由香の方に歩み寄ってきた。確認するように和真の頭から足先まで一通り見渡すと口を開く。


「貴方を探していたの」

「え?」 


 思いがけない言葉に和真が戸惑っていると、女性が左肩にかけている鞄の中から何かを取り出した。


「これ、落としたでしょう。無事に会えて良かった」


 そう言って差し出されたのはなくしたパスケースだった。


「あ、ありがとうございます……」


 手を伸ばした矢先に周囲の視線を感じて和真は顔を上げる。

 いつの間にか人が立ち止まりジロジロと遠慮なくこちらを見ていた。好奇に満ちた目や羨望が混じった視線が痛いほど刺さる。普段浴びることのない視線と周囲の空気に耐えかねた和真は慌てて言葉を続けた。


「すみません、お礼をしたいのでちょっとだけ時間もらえますか!」

「え? ええ……」


 唐突な提案に女性から少しだけ戸惑ったような言葉が零れる。返事を受けてから和真は由香に向かって手を合わせた。


「ごめん朝木! 今度必ずお礼するから!」


 そう言うと和真は女性の手を取ってその場から逃げるように早足で歩き出す。女性を取り囲んでいた男子生徒は不満そうな表情をし、中には不服そうにぼやく者もいた。

 その中で一人残された由香もまた、不服そうな表情で二人の後ろ姿を見送る。


「……なにあれ〜」


 その声は誰に届くこともなく、春の風の中に消えていった。

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