ぬいぐるみ目線のアリア
1
ぼくは、Aちゃんが歌う”G線上のアリア”が大好きだった。
Aちゃんは、歌手だ。
あちこち世界を旅しながら舞台で歌う。
ぼくはどこへ行くにもAちゃんと一緒。
いつだったか、Aちゃんがお酒を飲みながら友人に語っていた。
「この子は”ラッキーくん”。私の守り神。発表会もコンクールも、オーディション合格もこの子と一緒に勝ち取ってきたの…」
ぼくは、手のひらサイズの青い猫のぬいぐるみ。
名前は、ラッキー。
いつどこでAちゃんと出会ったかは覚えていない。
ランドセル。ペンケース。レッスンバック。スマホ。タブレット・・・。
ぶら下がる位置は色々変わったが、Aちゃんとはいつも一緒だった。
Aちゃんは美人だ。
長いストレートの黒髪にスレンダーボディ。気の強そうな瞳がチャームポイント。
恋人も何人かいたが、忙しいAちゃんは誰とも長続きはしなかった。
一晩中泣いた後、朝焼けの空の下で口ずさむ”G線上のアリア”は、ぼくの胸を締め付けた。
Aちゃんは最強だ。
歌のためなら毎日のトレーニングを欠かさなかった。
筋トレしたり走ったり、夕方の知らない街の高台で歌う”G線上のアリア”は、その風景を特別な色に変えた。
Aちゃんは努力家だ。
歌の他にも語学やその国の歴史的背景も、寝る間を惜しんで勉強していた。そのおかげで、外国でも友人がたくさんできた。
打ち上げパーティーで仲間たちとお酒を飲んではしゃいで歌うAちゃんの”G線上のアリア”は、その輪の中に入れないぼくの存在の虚しさに気づかされた。
でも、幸せだった。
+ + +
しばらくして、Aちゃんが大きな舞台の主役の座を射止めた。
白鳥の騎士が登場するAちゃんの一番好きな物語。
Aちゃんが、ずっと夢見てきた舞台だった。
ぼくもその物語が好きだった。
いつかその白鳥の騎士のように、Aちゃんがピンチになった時、颯爽と助けに現れるぼくの姿を想像し胸が熱くなった。
Aちゃんは、もっと頑張らなくちゃ…と舞台の為に更に努力を重ねた。
ぼくも、Aちゃんを応援した。
Aちゃんが倒れた。
滞在していたホテルにはAちゃんと、ぼくしかいなかった。
頭を押さえ苦しそうに床に倒れ込んだAちゃんは、動かなくなった。
Aちゃん! Aちゃん! Aちゃん!
起きてよ! Aちゃん!
公演が始まっちゃうよ! Aちゃん! Aちゃん!
Aちゃんは反応しなかった。
Aちゃん! Aちゃん!
そんな!? 誰か、助けて!
Aちゃんを助けて!
お願いAちゃんを助けて!
こんな時に、ぼくは声も出ない。身体も動かない。
Aちゃん! Aちゃん!
お願い、誰かAちゃんを助けて!
それでも必至に叫び続けていると、ホテルの人がAちゃんを見つけ、その後、救急隊が部屋に駆け付けた。
この世界に魔法があるなら、ぼくの命をあげるから、Aちゃんを助けてください!
お願い神様、目が無くなっても耳が聞こえなくなってもいいから、Aちゃんだけは助けて下さい!
ぼくは祈り続けた。
+ + +
Aちゃんは、あっけなく亡くなった。
白い花に囲まれ眠るように横たわるAちゃん。
ぼくは、絶望感に苛まれた。
数日間、ぼくはAちゃんと一緒に眠り、棺に納められ最後の時を迎えた。
怖くはなかった。
だって、Aちゃんに会えるから。
2
「 I ! Iちゃん! 母さんよ、分かる?」
聞き覚えがあるようで無いような女性の声で目覚めた。
目を開けたら、すごく眩しかった。
ぼくは、生まれ変わったのか?
”I ”というのは、ぼくの名前!?
ここはどこ?
「…こ……ゴホッ……ゴホッ」
ここは? と、尋ねたかったが声にはならず、呼吸が苦しくなりめまいがしてまた真っ暗になった。
+ + +
ぼくは10歳のとき、交通事故に遭い。それから12年間、眠り続けていたらしい。
記憶はまだ曖昧なままだったが、”お母さん”という人の顔を見た時、懐かしさで涙がこぼれた。
そしてぼくは、女の子だった。
”I ”という名前の女の子のぼくは……と、いうか私は、ショートヘアで身体はガリガリに痩せていた。
+ + +
目覚めてからの私は、順調に回復していった。
声も出る。ご飯もたくさん食べられるようになった。身体も動かせる。
病室の窓からは、黄色に色づいたイチョウが見えた。
ん~~~~~~~~~、んんんんんん、ん~~、んん~~~~……♪
(G線上のアリア。Iの鼻歌)
歌ってみたらなんだか自分がAちゃんと歌っているみたいな気持ちになった。
Aちゃん。
君と過ごした幸せな日々と、最悪な結末。
あれは夢なの……。
けれども、あれが夢とは思えなかった。
確かに私は、青い猫のぬいぐるみ”ラッキーくん”だった。
Aちゃん。
君の歌が聞きたい。
+ + +
私は、退院した。
窓の外はすっかり雪景色に変わっていた。
♪Ah~~~~~~~(G線上のアリア)
家に帰る途中の車のラジオから流れてきた懐かしい歌声に、胸が一杯になった。
「Aちゃん! Aちゃんの声!」
「Iちゃん、覚えてるの!?」
お母さんが驚いた表情でバックミラー越しに、私を見つめた。
「え、覚えてるって……?」
「良かっ…た。Iちゃん、ちゃんと覚えてる。グスッ……そう、そうよね……Iちゃんは、Aちゃんのこと大好きだったから」
お母さんは顔をぐしゃぐしゃにして微笑みながら涙ぐんだ。
「私が……」
「Aちゃん昔この街に住んでいて、小学校の頃あなたと同じ合唱サークルに入っていたの。あなたAちゃんの声が凄いって、声楽やりたいって言ってね……」
「あ……」
+ + +
Aちゃんとはじめて会った日のことを思い出した。
当時、習っていたピアノ教室の発表会だった。
緊張して1オクターブ上の音階で弾いてしまった私は、周囲から嘲笑の目を向けられ、一人会場の外階段で拗ねていた。
誰かが、すっ…と隣に座った。
長くてきれいな黒髪をなびかせ、紺色のワンピースをシュッと着こなしたお嬢様風の女の子が私の顔を覗き込んだ。
「ね、私は好きよ。1オクターブ上の”G線上のアリア”」
「え!?」
♪Ah~~~~~~~~~、AhAhAhAhAhAh、Ah~~、AhAh~
(G線上のアリア)
突然、歌い出したAちゃんのあまりにもキレイな歌声に、失敗した記憶なんて一瞬で吹き飛び、無心で彼女の歌に聞き入った。
そして思った。
私も歌を歌いたい……と。
+ + +
「Aちゃん……!? Aちゃんは、いまどこに?」
お母さんは、しばらく黙り込んだ。
「お母…さん?」
「Iちゃん、ごめん。ズッ……Aちゃん1年前に、病気で亡くなって。脳梗塞だったそうよ……まだ、若いのに……」
~~~♪
変えようのない現実と、胸を締め付ける懐かしい歌声に涙が溢れた。
+ + +
それから、Aちゃんのことを少し調べた。
同じ小学校に通っていたこと。父親の仕事の都合で海外で生活していたこと。数々のコンクールで入賞したこと。オーディションを受け、様々な舞台に挑戦しつづけたこと。憧れていた舞台を前に、夢半ばで倒れたこと。ホテルの従業員が犬の吠えるような声に気づき、部屋を確認したところAちゃんを発見したということだった。
私、一応”猫”だったんだけど。
彼女のSNSには、青い猫のぬいぐるみと一緒に写った写真が何枚もあった。
+ + +
それから1年後。
私は、声楽の勉強を始めた。
病院のリハビリの一環で、試しに歌ってみたところ、自分でもびっくりするくらいいい声が出た。
たまたまその様子が撮影され”奇跡の歌声”としてSNSで世界に広まり、声楽をやってみないか? と誘われた。
みんな奇跡だって言うけど、奇跡なんかじゃない。
声は出ないけど12年間、Aちゃんと一緒に歌を歌っていたから。
Aちゃんがそうしていたように、勉強も筋トレもボイストレーニングも日々励んだ。
日本の大学は高いので、海外の大学を勧められ日本から飛び出した。Aちゃんが住んでいた高い塔が見える街に引っ越した。相変わらずオーディションは落ちまくっているが、少しずつ歌の仕事が貰えるようになった。友達も出来た。
その街で、Aちゃんと一緒に見た風景を、たくさん見つけた。
街を見渡せる高台で歌を歌うと、Aちゃんと一緒に歌っているような気がした。
不思議な気分だった。
♪Ah~~~~~~~~~、AhAhAhAhAhAh、Ah~~、AhAh~
(IのG線上のアリア)
♪~~~~~~~~~
(G線上のアリアby・ヴァイオリン)
ここで歌っているとたまに、顔見知りのヴァイオリン奏者が伴奏してくれるようになった。Rくんという名前で、長身ガリヒョロの日本人。年齢は私より1つ年上。
まあ、伴奏というか……投げ銭&自作CD販売目的と言われたときは、ちょっと引いた。
開いたヴァイオリンケースから、ジーンズ生地でできた小さなクマのぬいぐるみが可愛らしく顔を出し。その横に、お金を入れる缶とメッセージボードが立てかけてあった。即断ろうとしたが、クマのぬいぐるみの赤い瞳が”ゆるしてあげて”と訴えているようで断り切れず今に至る。
元ぬいぐるみだった私は、ぬいぐるみに弱いということをここで知った。
Aちゃん。
寒い夜に街のイルミネーションが輝く季節になったよ。
君と一緒に大人になって、いろいろな歌を歌って、話をして、笑われるかもしれないけど恋バナなんかも……してみたかった。
Aちゃん。
ぼくは、Aちゃんが歌う”G線上のアリア”が大好きだった。
3
激痛と霞む視界。
倒れたその時、書き物机の上に置いたバッグにぶら下がる青い猫のぬいぐるみ”ラッキーくん”から誰かの声が聞こえた気がした。
もしかして……Iちゃん?
+ + +
Iちゃんは私のヒーローだった。
その町に転校してきたばかりの頃。
習い事に行く途中、知らない男の子にいじめられていた私を、Iちゃんは「うおーーー!」っと大声で叫び砂を投げつけ助けてくれた。
その時、お気に入りだったジーンズ生地のクマのマスコットを川に投げられて泣いていた私に、Nちゃんは自分のランドセルについていた青い猫のぬいぐるみを手にして言った。
「これあげる。ラッキーくん。幸運のお守りだよ」
小柄で日焼けした肌に男の子みたいなショートヘア。くりくりした大きな目がとても可愛い女の子だった。Iちゃんは私をお教室まで送り、名前も言わず帰って行った。
それから、Iちゃんがくれた小さい青い猫のぬいぐるみ”ラッキーくん”は私の宝物になった。
友達のピアノ発表会で再会したIちゃんは、”G線上のアリア”を1オクターヴ上の鍵盤で弾いていた。
あの子だ!?
プログラムをみたら、同じ小学校で、しかも一学年年下だった。
”G線上のアリア”は、私のお気に入りの曲だった。
会場は次第にザワつき笑い声がそこら中からあがったが、それでもIちゃんは最後までちゃんと弾いた。
かっこよかった。
それを伝えにIちゃんを探した。
きっと落ち込んでる。今度は私が助ける番!
やっと見つけたIちゃんは、外の階段でムスッとした顔で座っていた。
「ね、私は好きよ。1オクターヴ上の”G線上のアリア”」
私の事は覚えていないみたいだったけど、Iちゃんは私と一緒に歌を歌い、目を輝かせて私も声楽をやりたいと言ってくれた。学校へ行くのが楽しみになった。
それから急に父の転勤が決まり、ちゃんと別れも言えないままその町を離れた。
父と二人だけの慣れない海外生活に追われ、Iちゃんの事はすっかり忘れていた。
でも不思議なことに、Iちゃんからもらった青い猫のぬいぐるみ”ラッキーくん”といると、なんでも思い通りになった。
コンクールもオーディションも好成績!
まさに破竹の勢い!!
とにかく、もっと前へ世界の大舞台へ進むことしか考えていなかった。
そして、憧れていた大舞台の主役を掴んだ。
舞台の数日前。
倦怠感や頭痛……なんとなく体の不調を感じていたが、きっと気のせい、武者震いだと思い込んでいた。
憧れていた舞台を目前に、こんな事になるなんて……。
Iちゃん。
Iちゃんは、いまどこにいるの?
次の瞬間、見えたのは病院のベッドで12年ぶりに目覚めたIちゃんだった。
色白でやせ細り、声が出ないIちゃんの姿に衝撃を受けた。
このときはじめてIちゃんの事故を知り、そしてあの声はIちゃんだったと、あの青い猫のぬいぐるみの中からずっと私を応援してくれていたのだと……死んだせいなのか、不思議と一瞬で理解できた。そして、自分にはもう時間がないことも……。
Iちゃん。
私は、Iちゃんの澄んだ天使のような歌声が大好きだった。
お願い神様、Iちゃんに私の声を……。
*
*
*
4
Iに戻ってから、約4年後。
街を見渡せるいつもの公園で、Rくんが花と相棒の小さなクマのぬいぐるみを握り締め私に告白してきた。
私がぬいぐるみに弱いっていうのを知っての上での”ぬいぐる同伴”……そういうあざとい(?)ところが、ちょっぴりムカつく。
「Iちゃん。ぼくは、Iちゃんが歌う”G線上のアリア”が大好きだ。だ、だから…」
「だから?」
「そのっ……っ…つきあ
「ブー!(手でバツ印を作った)」
「ええっ!」
Rくんが絶望的な顔でぬいぐるみをギュッと握りしめた。
ジーンズ生地で出来たクマちゃんの両手がキュッと上にあがり、赤い目が…目が……
”お願い!”って言ってる……(ように見えた)。
「う~ん(熟考)。……お互い、オーディション受かったらね」
「いいの!」
「受かったら!」
跳びあがって喜ぶRくんの手に握られたクマちゃんの瞳がキラッと光った(ように見えた)。
ぼくは、Aちゃんが歌う”G線上のアリア”が大好きだった。
♪ん~~~~~~~~~、んんんんんん、ん~~、んん~
(G線上のアリアby・Iのハミング)
♪~~~
(G線上のアリアby・Rのヴァイオリン)
私は歌い続ける。
心を震わせる奇跡のように美しい旋律を、届かせたい人のところへ届くように祈りをこめて。
+++ end +++
お付き合いいただきありがとうございます(^^)/
※タイトル変更しました。
※ジャンル変更しました。