風流なブログと管理人
佑暉はコーヒーをじっくりと堪能しながら、サキと話した。というよりは、佑暉が聞き手に回り、サキが一方的に近況報告をする形になった。最近の稽古での様子、座敷で偉い人の酌をしたこと……彼女の話題は尽きなかった。
気がつくと、カフェに来てから一時間以上が経過していた。会計の際、佑暉がサキの分まで払おうとすると、彼女がそれを拒否したため、割り勘で収まった。
「じゃあ、明日、また学校でね」
四条大橋を渡り、南座の前でサキは足を止めて、少し後ろを歩いていた佑暉に体を向けた。心なしか、彼女の目は少しばかり潤んで見えた。
佑暉も頷くと、彼女は狭い脇道に入っていった。はっきりと約束はしなかったものの、明日もサキと一緒に登校するのだろうと、佑暉はただ漠然と感じ取った。
旅館までの道すがら、佑暉は歩きながら、先程サキから送られてきたメールを開いてみた。そこには、ホームページのアドレスらしき英数字の羅列があった。
自室に帰ると、早速、自身のパソコンを立ち上げてブラウザを開き、スマートフォンに表示されたURLを見ながら、アドレスバーに入力した。
そこにアクセスしてみると、ブログの画面が現れた。
佑暉自身も使っているブログサービスで、管理人のプロフィールの名前を見ると、「蛍月」とあった。主にイラストを投稿しているらしく、人物画というよりも野山や雪原、寺社仏閣などが多いようだった。色鉛筆のみで描写されているのか、淡白な色彩で輪郭も曖昧だが、しかしそれが、背景との不思議なコントラストを醸し出している。
一日前の記事にアップロードされた画像には、河川敷が精巧なタッチで描かれ、奥には橋が架かっている。また、橋の向こうには緑豊かな山の連なりが霞んでいる。まるで、日常の情景の一部を切り取ったように、妙な具合に現実味を帯びて見える。
見覚えのある風景だと感じながらも、佑暉はその一コマに引き込まれていった。舞いを踊るサキの姿に一目惚れした時のように、強く胸を打たれ、言葉にならない感動を覚えた。
どんな人がこれを描いたのだろう。こんなに綿密な描写ができるなんて有名なアーティストか、そうでなくとも、プロ志望か何かだろうか。……そう思うほどに、その作者への好奇心が湧き水のごとく溢れ、コメントしてみようかと考えるまでは、興味を掻き立てられていた。
佑暉が感じたクオリティーに反して、一つひとつの記事のコメント欄は、意外なほど閑散としていた。昨日付の記事に至っては、「0」の文字が表示されている。
それでも、佑暉は思ったままに、感想を書いた。今になってようやく、サキが勧めてきた理由がわかるような気がした。
返事が返ってきたのは、夕飯の後だった。何気なくあのページを開くと、佑暉が送ったコメントの下に、管理人と思われるユーザーから、お礼のコメントが返ってきていたのだ。
『ありがとうございます。こんなにも褒めてもらえるなんて、思ってもいませんでした。私の絵に関心を持ってもらえたのでしたら、ぜひチャットやりませんか? 下記のメールアドレスまでご連絡いただけたら、招待します♪』
丁寧な文面の下には、メールアドレスが貼られていた。
一瞬、佑暉は目を疑った。当然ながら、唐突な誘いに戸惑ってしまった。以前にも、こんなことがあった。
一年前、ブログで知り合った人から、メールアドレスが送られてきた。そうして何度かやり取りするうちに、一緒に会う約束まで交わした。その人物こそがサキだと知った時の驚きは、今でも信じられないほどだ。
とはいえ、今回もまた同じようなことが起きるなど、有り得ない。それはいくら佑暉でも、重々承知している。
悩んだが、返信のお礼も兼ねて、思い切ってメールを送ることにした。返信はすぐに来た。コメントのような挨拶文はなく、無機質な文字列だけが、本文中に記されていた。そのリンク先へ飛ぶと、チャット画面に切り替わった。
『はじめまして、蛍月といいます。ちなみに、〝けいげつ〟って読みます。適当に〝ほたる〟って呼んでください。これからヨロシク♡』
管理人から、すでにそんなメッセージが送られてきていた。
佑暉も緊張しつつ、即座に返した。
『よろしくお願いします』
『そんなにかしこまらなくっていいよ!』
一方、相手は裃を脱いだようなメッセージを送ってくる。まるで、友達とのメールみたいだとほっこりすると同時に、彼は安堵した。
『わかった。よろしく』
『よろしく〜! もしかして、学生さんなのかな?』
あっさりと当てられ、佑暉は若干たじろいだ。
『なんでわかったの?』
『勘、かな。そんな気がしただけだよ。高校生?』
『そうだよ。君も?』
『そう! 一緒だね!』
『学校の人たちは、君が絵を描いてること、知ってるの?』
『知らない』
返ってきたその言葉が、ひどく素っ気ないものに思われ、佑暉は首を傾げた。ひょっとして相手は、趣味を語り合える友人がいないのか。そんなことを考え出すと、またもや彼のお節介基質が、顔を覗かせる。そうなれば、行動を起こさずにはいられず、発作的に、見方によっては少しばかり踏み入ったことを、佑暉は書いてしまっていた。
『君の絵、僕はすごく好きだよ。みんなに教えたら、人気者になれると思うんだけど』
これに関して、すぐに返信があった。
『それはちょっと難しいんじゃないかな』
『どうして?』
佑暉は、素朴な疑問を返した。しかし今度は、数分待っても返事が来ない。時間も時間なので、寝てしまったのかな? と考えたりもしたが、それにしては、切り上げ方が唐突過ぎる。しばらく佑暉は、文机に置かれたパソコンの前で、じっと正座していた。
さらに数分後、ようやく相手からの返答があった。けれども、それは彼も予想できない内容だった。
『私、学校行ってないから』
その言葉が鋭い矢尻のように、佑暉の目を射抜いた。雨の滴に似た何かが、頭上から降ってくるような感じがした。
次の言葉が出てこない。どういうふうに返すのが正解なのか、見当もつかない。必死に頭を働かせるうち、時間ばかりが無慈悲に過ぎていく。
結局、それきり二人の会話が続くことはなかった。