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来たりし春の都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 葵の契約
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四条烏丸・某喫茶店にて

 佑暉は四条烏丸まで引き返し、帰る途中、ふと妹のサキのことを思い出して、花見小路のとある茶屋に立ち寄った。


 花見小路通は、細く狭いが奥行きのある石畳の小路であり、そこに入る手前に「祇園町南側 花見小路」と刻印された、風情ある石標がぽつんと立っている。茶屋はその一角にあった。


 営業中は絶えず格子戸が開け放たれ、表には暖簾がかかっている。「祇園茶屋」という白抜きの文字が、抹茶色の布地とよくマッチングしている。


 常連客や関係者の紹介でしか入ることができない、いわゆる「一見さんお断り」の店だが、踊り子として雇われているサキが責任者に取り次いでくれたため、佑暉もそこを自由に出入りすることが許可されていた。


 サキの先輩に当たるイツキからは、「運がいいね」「うちの子と仲良くてよかったね」と、顔を合わせる度、さんざん揶揄された。無論、彼女たちもここの大家も、佑暉とサキが血を分け合った兄妹であることを知らない。それでも、佑暉はここへ通うことをやめなかった。初めて目にした時から、サキの踊りは天下一品だと確信していたし、彼女の優美な舞いは、彼の心を幾度となく動かし、浄化してきた。


 毎週、決まった曜日、決まった時間にサキは茶屋に来て舞台に上がり、三味線の音に合わせ優雅に舞う。この日も、佑暉は茶屋を訪れ、緋毛氈が敷かれた長椅子に腰掛けた。そして目を皿のようにして、彼女の踊りに見入った。


 万事が終わると、サキは膝をついて客席に向かい、深く礼をした。その後、また立って舞台を下りてくると、着物の裾を両手の指で少し持ち上げながら、佑暉のところに寄ってきた。そうして彼の耳許で、「着替えてくるから、先に行って待ってて」と囁くと、またくるりと向きを変え、舞台袖に消えていった。


 佑暉は言われた通り、四条烏丸まで戻って、近くのカフェでサキを待つことにした。そこは彼女のお気に入りの店らしく、佑暉と初めてここを訪れた際にも、「昔、母とよく来ていた」と嬉しそうに話していた。観光地巡りの帰りだったこともあり、古風な洋食屋を思わせる落ち着いたシックな内装は、休むにはちょうどいい雰囲気であった。


 佑暉は、奥まったところの二人がけの席を確保し、窓側の椅子に腰掛けた。彼女が来るまでの間、スマートフォンで他人のブログを読んだりしながら、時間を費やした。すると隣から、テーブルの脚を爪先で軽く蹴るような、鈍い音が聞こえてきた。


 気になってそちらを向くと、高校生と思しき男子学生が、テーブルに置いたスマートフォンと睨めっこしている。よく見れば、彼も四条高校の制服を身につけている。不機嫌そうに眉根を寄せ、無意識なのか、親指の爪を噛みながら、段々と貧乏ゆすりが激しさを増していく。その風体は、誰かを待っているふうに見えなくもない。


 佑暉も何気なくその様子を窺っていると、相手も彼からの視線を感じ取ったように、ふと顔を向けてきた。必然的に、佑暉は相手と目が合ってしまった。


「なに、お前」


 案の定、怪訝に思ったらしい男子が、そう声を発した。考えるまでもなく、自分に声をかけてきたのだと佑暉は悟り、


「あ、はい。えっと……何か、あったんですか? ずっと貧乏ゆすりしてるんで……」


 と、お茶を濁すように反問したが、失敗だったかもと思った時には、すでに遅かった。相手は、なおいっそう不審そうな目で見返してくる。


 どんな反応が来るのかと、内心びくびくしながら返答を待っていると、予想外にも、その男はすぐに、寄せていた眉間の皺を解いた。


「ああ。ごめん、うるさかった? 待ち人がなかなか現れへんから、気が立ってた」


 彼は柔らかくそう答え、微笑した。先程のような、怖い印象は消えていた。


 佑暉は安堵から、「僕も待ってるんです」と思わず余計なことを口走った。


「彼女?」


 唐突に、予期しない質問が飛んできたので、佑暉はやや焦る。


「い、いえ、違います。妹です」


「君、四条やんな? 何年?」


 これ以上、待ち人に関する話題は掘り下げられず、佑暉は安心したが、その代わりに男子は不意に話を転じた。


 このカフェは、地下鉄四条駅のすぐそばに位置しているから、四条を最寄りの駅として使用している生徒が、下校時などに頻繁に訪れるのだ。この生徒も、それと同じクチだろうと佑暉は予想した。


「二年です」


「へえ、何組?」


 意外にも興味津々な様子に、佑暉は当惑したが、「九組です」と正直に答えた。


「あ、理系なん?」


「そうです。父の、影響で……」


「ほう」


 相手は白い歯を見せて笑い、テーブルの下の足を組み替えた。


 口調を変えないところから、上級生だろうと佑暉はなんとなく察した。彼はいつの間にか、上半身を佑暉の方に向け、スマートフォンの画面を片方の手で伏せている。


「もしかして、関東出身?」


 そんな質問が飛んできたので、二時間ほど前の出来事が、ふと彼の脳裏にちらついた。同じ学級、かつ不登校の生徒、相宗美鈴と思われる声が、彼にこう訊いたのだ。『関東の人?』と。


「中学までは東京にいたんですけど、去年、父の都合で、京都に来たんです」


「東京か、いいな」


「いえ、東京っていっても、都心からだいぶ離れてるので……」


 羨ましそうに破顔する相手に対し、佑暉は申し訳なさそうに弁明した。


 そんなにも周りから浮いて見えるのかという気もしたが、実際に去年までも、標準語を珍しがられる場面がなかったわけではない。目の前の男もまた、佑暉の喋り口調が関西圏のものではないことに、耳ざとく気づいたようだ。


 彼はスマートフォンを鞄に押し込み、席を立った。


「じゃ、帰るわ」


「待ち合わせは、もういいんですか?」


「だって、これ以上待っても来る気配ないし」


 尋ねる佑暉に対して、男は恬淡と答え、「じゃあな」と手を振ると入口の方に歩いていった。


 彼と入れ違いに、制服に着替えたサキが、店に入ってくるのが見えた。


 サキはすぐ佑暉を見つけ、椅子を引いて彼の向かい側に座りながら、声をかけてきた。


「お兄ちゃん、何か頼んだ?」


「ううん、まだだよ」


 佑暉が答えると、サキは脇に立ててあるメニュー表を取り上げ、開く。佑暉はコーヒーだけにしたが、サキは一緒に抹茶アイスも注文した。健康に関しては置屋で厳しく管理されているとはいえ、プライベートではその限りではなく、月に一度、彼女は「自分へのご褒美」として、甘いものを食べることを自ら許可しているらしい。


 コーヒーが運ばれてくるまでの時間、雑談を始める要領で、サキが脇に置いた手提げ鞄からスマートフォンを取り出しつつ、何の脈略もなく、彼にこんな質問をした。


「お兄ちゃんって、絵は好き?」


 とりあえず、佑暉は頷いた。描くのは得意とは言えないが、「鑑賞する」という点では、幼少期からよく父と一緒に、美術館に出かけたりしていた。


「お兄ちゃん、ブログやってるでしょ? 面白いブログを見つけたから、アドレス送るね」


 画面を指でスクロールしながら、サキは話した。その顔は、佑暉からも、活き活きとして見えた。彼女が関心を持つブログなら、きっと自分も興味をそそられる内容に違いない、という確信があったのだ。

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