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来たりし春の都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 葵の契約
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空席

 始業式は、九時半頃から執り行われる。


 二学年以上は旧教室ではなく、二年生の教室として使われる仮教室に、旧学級のままのメンバーで各々集まる。そして式の時刻が近づくと、それぞれに体育館へ移動する。


 体育館前に張り出されたクラス分けの表を確認し、自分の名前を探し出したら、次は新しい学級ごとに整列する。


 去年度は二組だった佑暉は、九組になった。旧クラスの何人かは連続で同室になったので、幾分か安心できた。例を挙げると、小神こじん伊達野だての玄長げんちょう智弘ともひろあたりだ。とりわけ、よく話す人たちと同じ組なったので、佑暉は安息の地を訪れた心地がした。


 一通り式が済むと、開始前の教室とは別の、つまりは「二年九組」の教室で、担任の教師が挨拶をした。佑暉たちの学級を受け持つのは、今年から四条高校に配属された新任教師、大西愛奈美まなみである。


「はーい、今年からこのクラスを担当する、大西愛奈美どぇす! みんな、これから一年間、ヨロピクね!」


 有り余るほどに元気な女性で、皆、そのテンションに「ついていけない」と言わんばかりに口を閉ざしている。生徒の反応が思いのほか薄いことに抗弁するように、大西は教室内を見回しながら、続けた。


「もう、みんな、もっと元気出そうよ! 私、広島から赴任してきたばっかりだけど、去年までもこんな感じでやってたから、何と言われようと変えるつもりはないよ。いつも明るく、がモットー! 元気の源! みんなが笑顔で高校生活を送れるように、できる限りのことは全力でやります。だから遠慮せず、相談とか何でもしちゃってください! まだこっちでは一年目なんで頼りない部分もあるかもしれないけど……でも、その時はこの学校の先輩として、先導してください。みんなと一緒に成長できることを、私自身もすご〜く楽しみにしています!」


 これだけのことを一度も詰まらずに言ってのけると、大西は満足気にうっとりと目を細め、一人ひとりと目を合わせるように、首を巡らした。その間、生徒たちは、ポカンと呆けて彼女のその一挙手一投足を見ていた。


 一見したところ、歳は二十代半ばくらいで、明るめの髪色が、彼女の「元気」という特質をよく表現している。昨年の担任だった吉沢は、見た目に違わず生真面目で、どちらかと言うと堅苦しい印象があったが、大西は良い意味で、彼とは正反対の印象を与えていたので、佑暉は新鮮な気がした。


 大西の挨拶の後は、彼女固有の方針で、クラスの中での自己紹介が行われた。生徒が自身の名前と呼ばれたいニックネーム、趣味や好きなものについて、立ち上がってそれぞれ語った。


「さて、自己紹介も一通り済んだところで、いきなりですが、ここで大事なお話があります」


 全員の自己紹介が終わると、大西は本題に入らんとばかりに、急に真剣な面持ちになり、声のトーンを落とした。


「そこに、空席がありますよね?」


 大西が目をやった先に、皆からも一斉に視線が注がれる。


 窓際の列の一番前の席、そこが空席だった。佑暉のちょうど左斜め前の席だ。


 ホームルームが始まっても、その席にだけ誰も座っていないことを、佑暉も不思議に思っていた。しかし、誰もそのことについて言及しないので、彼も気にはなったものの黙っていた。変な予感がした。考えたくもないことが、脳裏を閃光のように横切る。


「そこの席の子、相宗さんっていうんだけどね……不登校らしいの。去年の途中から全く学校に来なくなって、新学期になってもそのまま。できれば早く復帰してもらって、みんなと同じように授業を受けてもらえたらなって思ってるんだけど、傷ついてる子を無理やり外の世界に引っ張り出すってやっぱり難しいと思うの。でも、授業に参加しないと学力にも支障が出て、最悪卒業できないかもしれないし……。せめて学校で配られたプリントや課題とかは、届けてあげた方がいいと思う。それを本人が取り組むかどうかは、まあ別問題だけどね」


 落ち着いた声音で話す大西の口調からは、先程の明るさは感じられない。彼女がその生徒のことを、それだけ心配しているのが伝わってくる。


「だから、彼女の家に配布物を届ける係を設けようかなと思って。私が行ける日は私が行ってもいいんだけど、会議とかある日はスケジュールが難しいと思うし、その子も、やっぱり教師より、同じクラスの子が来た方が親しみを持ちやすいと思うのよね。それで、できればこの中の誰かにお願いしたいんだけど……?」


 大西は言いながら、目を動かして皆の顔を見渡した。しかし、項垂れたように目を伏せて誰一人として彼女と顔を合わせる者はいない。……当然の成り行きだ。そんな面倒な役回りを、進んで引き受けたがる稀有な人間がいるだろうか、と誰もが思うだろう。


「んー、やっぱりいないかあ。じゃあ、しょうがない。くじ引きで決めるね」


 大西がそう発言した瞬間、静謐に満ちていた教室が、にわかに沸いた。そして、抗議の声で溢れ返る。


「それはないって、先生」


 そう言ったのは、佑暉から見て二席後ろの、小神である。


 さらに、その斜め前の伊達野が、「俺、部活あるんでパス」と言った。


 そうして次から次へと、否定的な意見が続く。


「私、部活やってないけどパス」


「先生が自分で届けたらいいんちゃう?」


 そんな具合に、異議を唱える者が後を絶たない。それでも、大西は狼狽えるどころか、


「うるさーい! 誰もやりたい人がおらんのじゃけん、仕方ないやろ!」


 と怒鳴り、皆を一蹴して黙らせてしまった。


 結局、大西が即席でくじを作り、それを出席番号順に引くことになった。大西がコピー用紙をハサミで数センチ角に切り、人数分のくじを作ると、それら一枚一枚を手早く折りたたみ、教卓の上に無作為に並べ始めた。その中のどれかに、当たりがある。――いや、多数の生徒にとって、それは「ハズレ」と同等の価値なのだが。


 渋々と前に出てくる生徒たちが紙片を持ち去る時、大西は「合図するまで開かないでね」と釘を刺すように言い添えた。佑暉も自分の番になると、教卓の上に不規則に並んだくじのうちから、一つを直感に委ねて手に取り、席に持ち帰った。


 全員にくじが行き渡ったのを確認すると、大西が号令をかけた。


「それじゃあ、みんな、開いてよし!」


 紙を開く音が、教室中にことさら響いた。


「ちなみに、当たりには私からの愛のメッセージが書いてあります」


 大西の言葉で、佑暉は悪い予感がした。首筋から背筋にかけて、何かが滑るように走る。


 恐る恐る、紙を開いてみると……そこにはこんな言葉が書かれていた。


『だいすき!』


 佑暉は、自分が当たりくじを引いたと悟るまでに、数秒かかった。周囲の席からは、ホッとしたような吐息や、安堵の声が聞こえてくる。自分以外の紙には、おそらく何も書いていないに違いない、と佑暉は感じた。


「じゃあ、私の愛を受け取ってくれた人、正直に挙手してください!」


 柔らかい口調で大西が声をかけると、佑暉は顔を上げてそっと手を上げた。周囲からの視線が、この時ほど同情的な痛みをもって感じられたのは、彼にも経験がない。


 大西もすぐに気がつき、佑暉と目を合わせると、優しく微笑んだ。


「えっと……。河口君、だっけ。おめでとう、お願いできるかな?」


 訊かれると、佑暉はゆっくりと頷いた。

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