心配と宥恕
暮れかかる烏丸通を、幾台の車が、目まぐるしく突っ切っていく。その風景を、蛤御門の脇の木柵に凭れ、佑暉は陶然とした面持ちで眺めていた。
蛤御門は瓦葺きの木造の門で、荘厳たる様相を保ち、烏丸通に向かって大口を開けている。門柱には、禁門の変の名残と言われる弾痕が今も遺り、後世の人々に、戦いの恐ろしさを生々しく伝えている。
佑暉は車の往来を眺めながら、美鈴が話してくれた、あまり受け入れたくない真実に、思いを馳せていた。
思えば、自分も入学直前、特別試験で合格したのだ。家庭の事情などにより、本来入学する予定だった学校に急遽通えなくなった学生たちへの救済措置で、一般入試とは別に行われる。合格すれば、特別に入学が認められるという制度だ。ただ、試験とは形ばかりで、余程のことがない限り、受験すれば、必ず合格できると言われている。
しかし、その制度を請け負っているのは、京都の公立高校におくと、四条高校の他には例が見られない。
定員を埋めるために、取り入れた制度だったのだろうか。本来であれば、自分はそこに入学できるはずもない、凡才だったのか。そんなことばかり勘ぐってしまう自分に、佑暉は内心、嫌気が差した。
「あっ、ここにおった! 河口!」
声がかかるまで、佑暉はひたすらボーッとしていたようで、肩を叩かれて初めて、はっと我に返った。眼前には、心配そうに顔を覗く、愛咲の姿が認められた。
「めっちゃ探したで、どこにおったん?」
「あ、はい。すみません……」
か細い声で、ただそう答えることしかできなかった。今日一日の出来事が、現実と乖離し、遠くの虚空に浮遊しているような心地がする。思い返してみても、あまり現実感が掴めない。すべての出来事が、まるで夢心地のような気がした。
愛咲は、佑暉の憔悴したような表情を見て、また心配になったのか、
「もう帰ろ」
柔らかい声音でそう言うと、駅に向かって歩き出した。その背中へ向けて、突発的に佑暉は声を投げた。
「あの、先輩!」
「ん、どしたん?」
愛咲は、驚いたように立ち止まると、振り返った。
「その、僕たちの学校に不良生徒がいるって、知ってますよね」
相手の反応が怖くて、俯きながら、佑暉はおどおどと、不自然に言葉を重ねた。
「何年か前に、爆破未遂事件があって、そのことがきっかけで、定員が割れたっていう話を耳にしたんですけど。頭がよくない人も、入れたって本当ですか?」
佑暉は、愛咲と目を合わさなかった。……合わせられなかったのだ。ただ、彼女からの返答を待った。その時間が、異様に永く感じられた。
「そうやで」
と、愛咲がそれだけを答えるとともに、佑暉は顔を上げた。そうして、愛咲は少しわざとらしく見える微笑みを浮かべて、
「だってうち、ほんまはアホやもん。あのニュース見やんかったら、いくら勉強しても、四条なんか行けんかったし」
と言うと、また向こうを向き、一人ですたすたと歩いていった。佑暉はしばらく呆然とし、何も考えられず、ただ彼女の背中を目で追っているほかはなかった。
彼が再び歩みを再開したのは、先輩の背中が小さくなり、斜めから射してくる西日に、目を射られてからだ。
旅館「ふたまつ」へ帰ると、玄関先で佑暉の帰りを待ち構えていた夏葉に、真っ先に居間へと連れて行かれた。その方法は荒く、上がり框に立った佑暉の腕を掴むと、強引に引きずっていった。佑暉は、連行されることに心当たりが嫌というほどあったので、それには逆らわず、当然のごとしと受け入れて、唯々諾々と従った。
部屋に連れて行かれると、正美と彩香が正座して待っていた。佑暉はその様子を見て、一瞬怯んだものの、すぐに二人の前に座らされた。
正面の彩香が、まず、「いつ、どこで、誰に誘われたのか」や、誘いに乗った理由を矢継ぎ早に詰問してきた。佑暉が正直に全部話すと、彩香は最初からわかっていたのか、呆れとも失望とも取れる、渋い顔を作った。
「自分、前もあったよな。去年の……夏やっけ、そうそう、祇園祭の日。朝になるまで帰ってきいひんくて。その時も、めっちゃ心配してんで」
「すみません、また迷惑かけて……」
佑暉は三人に対して、深々と頭を下げた。このくらいしか、反省を示すことができないことに、自分への憤りと焦燥を覚えた。
「愛咲にもよく言っとくけど。もう、やめてな」
彩香は、今の彼にとって、姉のような存在だ。彩香だけではなく、正美も、夏葉も、皆家族同然の存在なのだ。そんな彼女たちに、また心労を与えてしまった。去年の夏、あれほど後悔し、二度とこんなことは繰り返さないと誓ったはずなのに。
手をついて、網目が目に焼きつくほどに、じっと畳を見つめている佑暉の耳に、優しげな声が流れ込んできた。正美の声だった。
「もうええよ。この子も、十分反省したみたいやし」
顔を上げると、正美が微笑して、彩香の肩に手を添えている。
「でも……。これくらい言わんと、またやるかもしれへんし……」
彩香は、多少不満は見え隠れするものの、正美と佑暉を交互に見交わした後、立ち上がって居間を出ていった。夏葉も、佑暉の肩を軽く叩いて、彩香に続いて部屋を出た。
佑暉はそこでようやく安堵し、緊張から一気に開放されたように、その場にへたり込んだ。夕餉の支度を手伝うよう、正美に促され、立ち上がると、不思議と体が軽く感じられた。
それでも、一つだけ、彼女たちにさえ、絶対に言えないことがあった。
――これは、僕と彼女だけの約定だ、と。
以上で、第一章完結となります。




