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来たりし春の都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 葵の契約
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美辞麗句は禍(わざわい)のもと

 佑暉は、安堵の気持ちが芽生え、サキの手を取ろうとした。その寸前、誰かに引っ張られるような感覚が走り、静止した。


 振り見れば、案の定、美鈴が彼のブレザーの裾を掴んでいる。サキに許されたという喜びに接し、すぐ後ろにいる美鈴の存在が、一瞬頭から抜け落ちていたのだ。


「あ……ごめん。僕、やっぱり学校に戻るね」


 申し訳なさそうに佑暉は眉を下げ、美鈴に詫びると、もう一度サキのもとへ向かっていこうとした。しかし、美鈴は一向に彼の服を掴んで離さない。


「……あの、君とはまた今度、改めてゆっくり話すのでもいいかな。みんなに迷惑かけちゃってるから、帰らなくちゃいけないんだ。だから、今は離してくれると助かるんだけど」


 原因は自分にあると自覚しつつも、佑暉は宥めるように美鈴に告げる。だが、美鈴は俯いたまま、口を固く閉ざしている。サキは不思議そうに、彼の背後から、美鈴の様子を窺った。


「……話、まだ終わってないけど」


 美鈴は小声で言う。それが自分に向けられたものだと察した彼は、どうしていいかわからず、助けを求めるように、サキに一瞥を投げかける。


 目ざとく彼のSOSを読み取ったサキは、美鈴に向かって、


「すみません。また、今度にしてもらってもいいですか?」


「あなたには関係ないでしょ」


 サキは黙った。その場の空気が、一気に冷え込んだ。


「私は、彼に言ったの。関係ない人は、口を挟まないで」


 と続ける美鈴の言葉を聞いて、サキは目を丸くしていたが、次第に怒りがこみ上げてきたのか、険しい表情になった。佑暉の目からも、彼女がかつて、こんなにも怒りを顕にしたことがあっただろうかと疑われるほど、気色ばんだ様子だった。


「何もそんな言い方しなくてもいいじゃないですか。というか、あなた誰なの? 事情はよくわからないですけど、私はこの人を連れ戻しに来たんです。悪いけど、返してもらいますね」


 サキは思いのほか、乱暴な手付きで、佑暉を引っ張っていこうとした。彼女の力がすこぶる強かったので、佑暉はよろめきかけたが、咄嗟に左足を地面につけ、辛うじて重心を保った。だが、間髪入れずに美鈴にも片手を掴まれ、佑暉は二人に挟まれる形で、まるで綱引きのような状態になった。


「いいい、痛い痛い! ちょっと、待ってよ!」


 佑暉が声を大きくして訴えると、サキはすぐに手を離したが、それによって、彼は美鈴の方に引っ張られて倒れ込んだ。


 緊張からか羞恥からか、意識が混迷を極め、視界が船酔いのように揺れている。佑暉はくらくらとする頭を上げると、目の前に美鈴が立って、こちらを見下ろしていた。冷酷な眼差しを間近から浴びたことで我に返り、慌てて立ち上がると、緊張した面持ちで両者を見た。


 正確には、見守っていた。先程から場を支配している険悪さは、彼の手に負えない。


 サキは、今にでも文句を言いたげな視線で、美鈴を睨んでいる。しかし、先に口火を切ったのは、意外にも美鈴だった。


「あなたは? 河口君の家族の人?」


「――妹です」


 その返答が期待外れだと言わんばかりに、美鈴はサキから目をそらして、虚空を仰いだ。


「あなたは、お兄ちゃんの知り合い? どういう関係でここにいたんですか?」


 サキが続けて尋問するが、美鈴は無視したように答えない。答えられないのだろう、と佑暉は察した。どのような心理が働いて御苑に足を運んだのかは、詳しく聞けていないが、不登校の身であるにもかかわらず、日中に外に出ていること自体が、不自然極まりない。


「同じクラスなんだ。僕、その人の家に毎日、学校のプリントとかを届けてる」


 佑暉が代わりに、当たり障りのない範囲で説明した。


「え……? ってことは、もしかして、不登校?」


 サキは、視線のやり場に困ったように、美鈴と佑暉を交互に見る。佑暉が頷くのを確認すると、今度は美鈴に向かって、こう言った。


「授業はちゃんと出ないと駄目ですよ。勉強遅れちゃうし、下手したら卒業できないかも。お祭りを見たい気持ちは理解できますけど、学校をサボっていい理由にはなりません」


 いつもの親切心から言っているとはわかっているが、これまでの美鈴の反応から、かえってこの発言が彼女の神経を逆撫でするように、佑暉には思われた。


「あなただってサボってるじゃん」


 案の定、美鈴はあけすけに、煩わし気な態度を示した。


「私は、お兄ちゃ……兄を探しに来たんです。あなたと一緒にしないでください!」


 珍しくサキが声を荒げて反駁するのを見て、佑暉は驚いた。そうして、彼女たちが向かい合って激しく言い争っているさまは、火花が見えるほど白熱しており、誰をも寄せつけない雰囲気を醸し出していた。佑暉はただ黙って、それを見守っているしかなかったのだ。


 元凶は自分だと誰よりも感じている彼は、この「黙っているだけ」という状況に、やはり心苦しさもあった。一度は介入を試みたものの、もしも失敗して二人に睨まれでもしたら……と思うと、体が強張り、億劫になってしまった。段々、自分自身が遣る瀬なくなる。


 次第に、サキの語調にも熱が帯び、授業には出た方がいいだの、祭りには大人になってからでも行けるだの、教育者のように、説諭し出した。これは、彼女の慈悲から来るものであり、彼女の元来の性質に起因する優しさだ、と佑暉は改めて感嘆した。


 しかしながら、美鈴には一向効果がなかったようで、


「偽善者が」


 と、吐き捨てる始末。そこで、サキの言説は止まる。驚いたような目で、美鈴を見つめる。佑暉も言葉を失い、両者を交互に見つめた。


 美鈴は腕を組み、サキから目線を外して、このように続けた。


「どうせ、自分はいいことをしてるとでも思ってるんでしょ? 世間で良しとされてることを当たり前に述べ立てて、誰かの言葉を借りて、他人を説教して悦に入ってるんでしょ? 自分は正しいって、そう思い込みたいだけでしょ」


「それは……」


 サキは、固形物が喉に詰まったような声を発した。しばらく視線を泳がせて、言葉を探している様子だったが、すぐに顔を上げると、毅然とした口調で続けた。


「そんなことありません。それなら、あなたはどうなの? 学校をサボってお祭りに行くことはいいこと? それを、正当化できるっていうんですか?」


「あんたみたいな、いいとこの子にはわからないでしょうね」


 美鈴がそう言った瞬間、サキから表情がかき消えた。目が心持ち潤んでいるが、傍らで見ていた佑暉は、直感した。温厚な彼女も、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった、と。


 急にサキがにっこりと微笑んだかと思うと、美鈴に歩み寄った。そして、


「まあ、素敵なお召し物どすなあ」


 と、美鈴の着ているワンピースをまじまじと眺め始める。突然、サキが京言葉を使い出したので、佑暉はどこか懐かしい感じを受けた。


「な、何?」


 当然、美鈴は戸惑っている様子で、サキを睨み返す。それにも動じる素振りを見せず、サキはさらに、美鈴の身なりを褒める。


「うち、決まりが厳しゅうて、好きな服もろくに買ってもらえまへんのえ。お金持ちの人はよろしおすなあ、こ〜んな質素で気品のええお洋服が着れて!」


「ちょっと、喧嘩売ってんの?」


 美鈴は、わずかに身を引くように身構える。しかしその一方、サキは顔色を全く変えない。


「まあ、いややわ、喧嘩やなんて。すぐ攻撃的にならはる」


 佑暉はふと、東京にいた頃に、父から聞きかじったことを思い出した。京都の人は口喧嘩の折、汚い罵倒の言葉は用いず、相手をあえて褒めちぎることによって、相手を不快な気持ちにさせるのだと。


 そろそろ収拾をつけなければ、泥沼に入ってしまう。そう危惧した佑暉は、二人の前に進み出た。この場において、この場を収められるのは自分だけだと、勇気を出してこう言った。


「もういいよ」


 佑暉はサキの方を向いて、


「悪いけど、先に戻っててくれないかな」


「え……?」


 サキは予想外のことを言われたように目を丸くし、彼を見返す。佑暉は妹を宥めるように、淡々と続けた。


「僕のために、ここまで来てくれたのは嬉しかったよ。だから、君まで罪を着ることはない。今でも、みんなを十分心配させてると思うから。これ以上、君の罪を大きくしたくないんだ。悪いのは、全部、僕なんだから」


「……わかったよ」


 サキは少し寂しげな表情を見せたが、素直に踵を返して、門の方へと歩いていった。


 妹を見送ると、佑暉は改めて、美鈴に向き直った。


「僕も、あの子の言ってたことは全部、正しいと思う。やっぱり、ズル休みはよくない。誘われたとはいえ、僕も反省してる。学校に行けないことと、サボることは違うと思うから」


 美鈴は黙っている。反省しているのか、それとも反論の言葉を考えているのか、彼には皆目わからない。ただ、妹だからというわけではなく、サキの考えを支持したい気持ちだった。


「仕方ないよ。君のことはまだよく知らないけど、みんな、多数派の意見を尊重しがちだし」


「それで、みんな馬鹿になっちゃったんだろうね」


「えっ……?」


 不意に発せられた言葉によって、佑暉は一瞬、思考停止に陥った。


「どういう、意味……?」


 不穏な響きを含んで聞こえたので、恐る恐る尋ねてみると、美鈴がこんな質問を投げ返してきた。


「ねえ、なんでうちの高校、不良がいっぱいいるか考えたことある?」


 佑暉は首を振った。


 入学前、父から少しは聞きかじったことがある。かつては定員割れとは無縁の高い進学率を誇る、京都屈指の公立高校であったと。しかし、そんな人気の高い四条高校が、「ある事件」をきっかけに評価が地の底へ失墜し、志願者がめっきり減った。


 ……という経緯までしか、佑暉は知らなかった。ただ、知ろうと思えば知れたのだ。同居人である彩香や、その友人である愛咲に聞けば、教えてもらうことは容易いだろう。だが、それを安易に実行できない自分がいた。本能的に、「知る」という行為そのものを、忌避してきたのではないだろうか。それは何故か? 知ってしまえば、自己嫌悪に陥ることを、予感していたのかもしれない。


 これは彼にとって、またとないチャンスでもある。動悸を抑えるように低く深呼吸し、佑暉は、美鈴にこう訊いてみた。


「何があったの?」

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