邂逅
「これからどうしよっか、河口?」
佑暉の憂慮に気づくはずもない愛咲が、屈託なく声をかけてきた。美鈴のことがしばらく頭から離れず、佑暉は反応が数瞬、遅れてしまった。
「あ、はい。どうしましょうか」
愛咲も、そこで初めて彼の様子に違和感を覚えたのか、眉を顰めた。
「どうしたん?」
咄嗟に、思いつく限りの嘘で誤魔化した。
「いえ、さっきの行列、すごかったなって。何ていうんでしょう、牛車とか衣装とかの意匠がすごく細かくて、迫力もあって、余韻に浸ってただけです」
それを聞いた愛咲も、特に不審がる様子もなく、話を再開する。
「朝、何か食べてきた? うち、まだやねんけど、これから一緒にご飯とか行く?」
「はい……」
佑暉は唯々諾々と首肯した。正直、今更学校に戻ったところで、弁明の余地もないからだ。教師に詰問され、正美のところに連絡が行くのは、時間の問題だった。彩香や夏葉が、すでに密告している可能性も十分考えられるが。
「あ、うち、トイレに行ってくるから、ちょっとだけここで待ってて!」
佑暉にそう言い残し、愛咲は駆け出していった。佑暉の心は憔悴して、何もかもがどうでもよくなっていたかもしれない。
この先のことを考え、佑暉は周りに視線を巡らせていた。どうやって正美たちに釈明しようか、謝るタイミングはあるだろうか、サキには何と言おう……。そんなことが、彼の思考回路をぐるぐると巡り続け、畢竟、「帰るまでに考えておこう」という結論に至った。その時の彼の心境としては、ほぼ投げやりに近かった。
先程まで人集りができていたところに、ぽつんと立ち、閑散とし始めている京都御苑の敷地内を見渡していると、先程の美鈴の姿が、視界の端に映り込んだ気がして、佑暉は衝動的に、二度見するようにそちらに焦点を合わせた。
それは、数週間前、鋏を手にして部屋から飛び出してきた、同じ学級の少女――相宗美鈴に相違なかった。
女子としてはスラリと背が高く、ロングの髪をポニーテールに結び、年頃の子が好むようなひらひらとした白地のワンピースは、彼女のスタイルと融合して見える。
佑暉は、声をかけるべきか躊躇った。彼女とは、鋏を喉もとに突きつけられたあの日以来、一度も会っていない。
家には毎日、その日の配布物を届けに行っているが、彼女自身にはもう会わないと決めていたのだ。それは、美鈴が彼に対して「来るな」と言ったからであり、佑暉自身も彼女を恐れていたからに他ならない。あの冷酷な目は、佑暉の記憶に暗く根ざし、いやな思い出として浸透していた。
どうして彼女がここにいるのか、ということも気になったが、自分の部屋に閉じこもりだと聞いていた彼女が、家の外――それも、遠く離れた京都御苑まで出てきているのは、どういうわけか。佑暉は、その疑問に立ち向かうべく、美鈴に近づき、やはり声を投げた。
「相宗さん、だよね」
美鈴は、何も言わずに、彼の方を振り向いた。やっぱりそうだ、と佑暉は確信した。その目は、数週間前に見た、彼女の「残虐」そのものだったからだ。
「だったら、何?」
表情をまるで変えることなく、美鈴は冷たく言い放った。その声の調子が、佑暉に次の言葉を言いづらくさせた。
「どうして、ここにいるの?」
しかし、今度は美鈴からの応えはない。不安に思って、佑暉がさらに問いを重ねようとした時、美鈴が卒然と口を開いた。
「あんたこそ、今日、学校じゃないの? サボってきたの?」
その声音には、失笑の色が混ざっているように思われた。すべてを見抜いたような眼差しを向けられ、佑暉はやや焦った。本当のことなど言えようもない。ただ、佑暉は確信していた。彼女は、〝それ〟を確信していると。
「うん。先輩から、誘われたんだ。せっかく京都にいるのに、観ないのは勿体ないって」
自分の行動について、相手がすでに見透かしていると悟った彼は、すぐさま自供した。言い訳のついでに糾弾を弱めようという算段だが、よく考えれば、もともと美鈴も不登校の問題児だし、彼女も同種のような気がした。
「君も、葵祭を観にきたの?」
そう聞いて、佑暉はあることに気づいた。四月から、何度か美鈴の声を聞いているが、彼女から聞かれるのは関西弁ではなく、どちらかというと、標準語に近い単調なイントネーションなのだ。彼が、彼女が自分と同種だと感じた所以は、ここにあるのだろうか。
もしも美鈴が関東出身で、だからこそ京都の伝統・文化を伝える祭りに参列したということであれば、多少納得がいく。
同時に思い返されたのは、上級生の前田が言っていた、「これやから、関東人は嫌いやねん」という言葉。
「ねえ、不躾な質問かもしれないけど……君は、関東出身なの? それが原因で、上級生から嫌がらせを受けてたりした?」
続けざまに問うと、美鈴は俯きがちに、彼を横目でちらりと見るだけだった。前髪が少し目の縁にかかって、影を作っている。それがまた、彼女の視線を冷酷なものに仕立て上げているように思えてしまう。まるで、軽蔑の目を向けられているように感じ、佑暉は戦慄した。
だが、問わねばならない。好奇心というよりは、むしろ出所も曖昧な自己中心的な使命感に近かった。
「……あなたには関係ないでしょ」
「君を、助けたいんだ」
口をついて出たのは、そんな言葉だった。何故、こんなことを口走ったのか、彼自身にもわからない。それでも、他人事ではない気がした。
美鈴は、彼から視線をそらせ、そっぽを向いた。
「余計なお世話」
冷たくそう言って、彼女が立ち去ろうとすると、咄嗟に佑暉は、その背中に声をかけた。
「僕も、わかるんだ。君の気持ち、少しは。……同じようなことをされたから」
彼女を引き留めようと言葉を探すが、うまくつながらない。もう少しだけ、もう少しだけ、話がしたい。そうすれば、わかり合える予感がした。
ただ、彼女はそんな感情の機微を汲みもせず、冷淡に突き放すのだった。
「もう、話しかけてこないで」
美鈴が、そのまま門に向かって歩いていこうとするので、それを止めるための口実を、佑暉は探した。無意識に、踏み出していた。手を伸ばし、美鈴の手を掴んだ。
それに驚いたのか、美鈴は足を止めて振り返ると同時に、佑暉の頬めがけて平手打ちを繰り出した。佑暉も咄嗟に対処しきれず、その暴挙とも思える反撃を食らった。
甲高い音が鳴り、辺りは静まり返った。じーんとした痛みが走ったかと思えば、次に痺れるような感覚が顔中に広がった。
彼の手は、すでに美鈴から離れていた。前を向くと、美鈴が正面を向いて立っている。その目には、先程までの無表情とは少し違い、わずかに悲しみの色が滲み出ている気がした。
「い、痛いよ! 別にそこまですることないのに……」
「誰も構ってほしいなんて言ってないんだけど」
美鈴が倨傲な態度で言い返してくるので、佑暉も段々と苛立ちを覚え始めた。
「僕は、君のために言ってるんだ。事情を聞けば、些細なことでも、わかってあげられるかもしれないから。それなのに、君は不遜な態度で! それじゃあ、誰も助けてくれないよ」
「はあ? あなた、何様? 誰も助けてくれなんて頼んでないし、勝手に勘違いして驕ってるのは、そっちじゃないの?」
反駁した直後、美鈴の顔がわずかに赤らんだのがわかった。
佑暉も、初めこそ気になったものの、すぐにその理由がわかって、周囲に視線を巡らした。高校生の男女が、有ろう事か御苑の敷地内で、大声で口論をしているのだ。あまつさえ、佑暉は制服姿で、何もしていなくても、人目に立っている。現に、通行人や警備員が、二人に奇異な視線を投げかけているのがわかる。とたんに、佑暉の心にも、羞恥の波が押し寄せてきた。
美鈴は居た堪れなさからか、佑暉の腕を引き寄せて衆目から逃れるように、その場から身を隠した。他人の目が届きにくい、木陰に連れて行かれた。




