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来たりし春の都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 葵の契約
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袖振り合うも多生の家族

 居間に行くと、正美が緑茶と茶菓子を用意して、彼らが帰宅してくるのを待っていた。正美は、佑暉と一緒に入ってきた玲音を認めるや、訳ありげに目をぱちくりさせたが、すぐ表情を元に戻し、一言二言、定型的な挨拶を述べた。その顔には、純朴な微笑みだけがあった。彩香に対して、ぶっきらぼうな態度をとっていた玲音も、正美の前では素直に、ぺこりと軽く会釈をした。無言だが、彼が正美と顔見知りであることは、傍目にもわかった。


 正美も表情を崩さず、盆を抱え、「ごゆっくり」といった調子で微笑みかけると、居間を出ていった。先程の応酬を見て、佑暉は二人の関係を知りたくなったが、適当にはぐらかされるという気もしたので、訊くことは控えた。玲音がここに来るのを嫌がったのも、何かしら理由があるのかもしれない。


 居間には、佑暉と玲音だけが残された。彩香は帰宅後、自分の部屋に直行し、その後、制服のまま、予備校に向かった。予備校は、四条河原町にある。


「なあ、河口。なんでお前、ここに住んでんの?」


 静かになった部屋で、玲音が部屋を見回しながら、何気ない調子で尋ねた。


「父と一緒に住めなくなったんです」


「なんで?」


 佑暉の返答に対し、玲音が間髪入れず質問を重ねる。佑暉は一瞬、迷った。それでも、何故か、彼になら話してもいいような気がしてきた。


 ふと、四条の物産店前での喧嘩沙汰が思い出された。あのやり取りからしても、少なくとも彼は、前田率いる例の不良グループとは、関わりはないはずだ。どちらかといえば、敵対関係のように思える。


 先輩は、信頼の置ける人物だ。今日だって、僕を不良から庇ってくれた。――そう思うことで、佑暉自身の警戒は、いつの間にか解けていた。


 父が勤めていた会社が経営難で倒産したこと、自分が「ふたまつ」の世話になった理由、母のこと、サキとの関係……他言しても差し障りのない範囲で、話そうと思った。


 そして、いざ口を開きかけると、勢いよく襖を開ける快活な音が、背後から聞こえた。


「はぁ、疲れたー」


 正美の次女、夏葉が帰宅してきたのだ。すでに着替え終わり、通気性の高いポリエステル製のTシャツと、ジャージというラフな格好で、生気が抜けたように、手をぶらぶらと遊ばせて佇んでいる。


「おかえり、なっちゃん」


 気づいた佑暉が声をかけると、夏葉はそこで、初めて彼らの存在に気がついたような素振りを見せる。彼女は、佑暉に視線を合わせて「ただいま」と返すと、すぐに玲音に目を留めた。


 玲音も夏葉の方を見、目が合うと同時に、夏葉は驚きつつも、歓喜の表情を浮かべ、活発な声を上げる。


「あ、DQNや!」


「誰がDQNやねん」


 玲音の憮然とした返答もお構いなしに、夏葉は彼の隣に来て、腰を下ろした。そして、先程までの疲れた様子などどこ吹く風といったように、甘えるような声ですり寄る。


「久しぶりやん、なんで来たん?」


 玲音はなかなか答えず、居心地悪そうに、彼女から視線をそらす。佑暉はその様子を見て、代わりに説明しようと、


「僕が連れてきたんだよ」と言った。


「そうなん? えっと、なんで?」


「あ、ええっと……」


 弁護するつもりが、思わぬ形で反問されたので、今度は佑暉が言い淀んでしまう。ここまでの経緯を今一度、頭の中で整理してみるが、色々な出来事が錯綜し、混沌としていて、うまく表現できない。


「さっき、ヤンキーに絡まれてるとこを、俺が助けたったんや」


 先刻、彩香に話したことを、同じような調子で、玲音は夏葉にも武勇伝のように語った。


「なんや〜、またヒーローごっこか」


 夏葉は先程とはうって変わって、白けたような表情を作る。夏葉の反応も、ほとんど彩香と同じだった。しかも、嘲笑を含んでいるところまで彩香や前田と一致していたので、佑暉は、「おや」と思った。


 玲音は少し気に障ったのか、苦言を呈し始める。


「素直になれや、俺に惚れとるんとちゃうんけ?」


「はあ? なんであたしが、DQNみたいなやつに惚れなあかんのよ。日和君の方がいいわ」


「残念やったな、あいつは来てへんぞ。塾があるんやって」


「へえ、真面目やな〜」


「あいつも俺らと変わらんのに、変に優等生ぶっとるからな」


「玲音とは大違いやな!」


 そんな二人の会話を、佑暉は微笑ましく受け取り、自然と笑みがこぼれた。すると、それを目ざとく感知した玲音に、「なにわろてんねん」と頭を叩かれた。


「可愛そう」


 夏葉は両手を広げて、佑暉を庇う姿勢をとった。


 こんなくだらない茶番劇を、知らず知らずのうちに繰り広げていると、


「まあ、サキちゃん! 今日も来てくれたん?」


 という、正美のよく通る声が、ロビーの方から響いてきた。


「はい。またお土産、持ってきました」


「いつもありがとうね」


 しばらくして、妙に気品のある、秒針のような規則正しい足音が、こちらへ近づいてきた。襖を開け、片手に紙袋を提げたサキが、居間に顔を出す。


「あ、サキちゃん。いらっしゃい!」


 夏葉が手を振って応対した。


「こんにちは」


 サキは紙袋を、テーブルの上に静かに置き、佑暉の隣に静かに正座した。


 佑暉はややドギマギしながら、サキの目を見つめて、感謝を述べた。


「いつもありがとう」


 サキもほんのりと赤みを帯びた顔を向け、彼を見つめながら、黙って首を横に振った。


 週に一度ほど、サキはこの「ふたまつ」を訪れ、その度に手土産を贈ってくれる。それは、彼女が昔から懇意にしている、老舗和菓子屋の看板商品だったり、遠征した際に購入したその土地の名産品だったりした。あるいは、休暇に置屋の朋輩とクッキング教室に通って、そこで手作りしたクッキーだったりしたこともある。


「ふまたつ」は、彼女の母親が生前、仲居として従事していた場所でもあり、彼女自身もよく芸者として、宴席などに呼ばれ、客に酌をしたこともある。


 そもそも、佑暉の父と母の仲人を務めたのが、正美という縁がある。二人を生んだ母だけではなく、サキ自身も、正美に恩義を感じているのは間違いない。


「じゃあ、私、そろそろ帰るね」


 サキは腕時計を確認しながら言い、立ち上がる素振りを見せた。


「もう帰るの?」


「うん。今日はご挨拶に来ただけだから」


 佑暉に、サキは土産物の袋を目で示しながら、優しく答えた。


「じゃあ、僕が送っていくよ」


 佑暉が一緒に立つと、それに便乗するように玲音も、「じゃあ、俺も帰るわ」と腰を浮かせたが、夏葉に片腕を引っ張られて、姿勢を崩した。


「なんやねん」


「まだ帰ったらあかん」


 夏葉は、両手でぎゅっと玲音の腕を掴み、離そうとしない。佑暉はそれを見て、玲音の胸中を察すると同時に、夏葉の心中も察し、二人に笑顔を向けた。


「では、僕はこの子を送ってくるので、先輩はゆっくりしていってください」


 わずかに困惑するサキを促しつつ、佑暉は敷居を跨いで廊下出た。そのすぐ後ろで、「おい! 見捨てんなや、河口!」という、悲哀のこもった声も聞こえるが、佑暉はサキを連れて、そのまま玄関口に向かった。


 外は日が落ちかけて薄暗く、濃紫の空を流れる雲は、残照によって薄桃色に染まっていた。東大路通に出て、三条通までの道を歩き始めると、サキは心配そうに口を開いた。


「ほんとに、置いてきて大丈夫だったのかな」


「大丈夫だよ、多分」


 わざとらしく付け加えられた「多分」を聞いて、サキはくすっと笑った。


「夏葉ちゃんは、玲音先輩のことがお気に入りみたいだからね」


「サキも、あの先輩のこと、知ってるの?」


 不思議に思った佑暉が訊くと、サキは頷いた。


「中学の時にも、何回か会ったことあるよ。だけど、相当久しぶりだったから、もっと話せばよかったかな」


 ゆっくりと歩を進めつつ、名残惜しそうに、歩いてきた路地を振り返るサキ。佑暉もそれを、ほっこりした気分で見つめた。


 再び、サキは前を向いて、


「実はあれでも、お寺さんの息子らしいけどね」


 とさり気なく話を進めるので、佑暉は色々な意味で、意外な展開に驚き、思考が滞った。


「そ、そうなの?」


「なんでも、大阪のご実家から、家出同然で京都に出てきたんだって。彩香さんが話してるの、聞いただけだけど」


 それは、玲音の一挙手一投足からは、窺い知れないことばかりだった。そんなに良い家柄に生まれたのなら、つむじを曲げる必要もないだろう。親の跡を継ぐことに不満があったのか、あるいは何らかの問題を起こして、家族から疎外されてしまったのだろうか。


 佑暉の中で、母と結婚して勘当された父の面影が、ふと重なった。


 夕空を仰ぎ見ながら、サキは、


「ねえ、お兄ちゃん」


 と、心なしか物憂げな声色で、佑暉に呼びかけた。


 サキに視線を向けると、彼女もまた、彼と目を合わせる。


「なんか、最近、変わったね」


 こう言われることを、まるで予期していたように、佑暉は不思議と違和感を覚えなかった。それどころか、その言葉はすぐに彼の心に潜り込み、そして馴染んだ。


 自分でも、時々そう思うことがある。そこにはやはり、彼女の存在が大きく関係しているのかもしれない。ただ、まだ彼女を本当の妹であると受け入れるのは、今の佑暉にとって、やや困難に思われるのだった。

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