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来たりし春の都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 葵の契約
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予期せぬ来客

 京都の街は、すっかり夕日色に染まっている。暖色の絵の具を薄く撒いたような、商店が軒を連ねる歩道は、買い物客や学生などの人たちで賑わう。


 花見小路通から四条通に出て東へ進み、寄食している旅館「ふたまつ」に帰るため、佑暉は八坂神社の方面に向かって歩いた。


 朝から何も食べていないため、空腹に襲われ、頭の奥が痺れてくるような気がする。佑暉の帰りがあまりにも遅いので、今頃、正美も心配しているかもしれない。はやく帰らなければ、と焦りつつ、足を速める。


 しかし、それと同じ速度で、彼の隣を歩く者がいる。佑暉自身、先程から気配を察してはいたものの、あえて無視していたのは、空腹だったことと、構うこと自体を厭っていたからだ。


 それでも、どうしても気になりすぎるので、佑暉はちらりと右隣に視線を投げた。


「どうして、ついてくるんですか」


「べつにええやん」


 歩道の脇で足を止め、煩わしそうな口調で佑暉が尋ねると、玲音は軽い調子で受け流した。


 苦情気味に存在を問われても、けろっとしているのが、佑暉には妙に腹立たしい。


 玲音は佑暉より一学年上らしい。跳ね上がったややクセのある栗色の短髪、紺のブレザーは全開、ネクタイの結び目は、シャツの第二釦あたりまでずらしている。第一釦は留めず、それどころか、第二釦まで外れて下着のノースリーブがわずかに覗いている。ワイシャツの裾はズボンから出して、両手の人差し指と中指を、ポケットに突っ込んでいる。おまけに、その立ち姿はがに股といった具合だ。


 その風貌から見ても、彼が型通りのヤンキーであると見なすに難くない。ここまでステレオタイプの不良は、佑暉が見てきた中でも珍しい。


「何かあったら助けてやる」というようなことを話していたが、佑暉はまだその人柄を、信用するにまでは至っていない。不良仲間と思しき他の二人は、花見小路通を出る際に別れたが、玲音だけはずっと佑暉の後をついてくる。


 佑暉は先程から、妙な視線が肌に纏わりつくような気がしていた。こうして言葉を交わしてからも、玲音は興味深げに、じろじろと彼を見ている。それに耐えかねた佑暉は、玲音に事情を説明した。


「僕、これから帰るんです。ここから歩いて十分くらいなので」


「そうか」


「先輩も、帰るんですか? 家、この辺りなんですか?」


「いや、伏見区」


「全然違うじゃないですか! なんで、ここにいるんですか!」


 不可解な相手の行動について、佑暉は咎めるが、何故か玲音は笑っている。悪いことを企んでいそうに見えなくもない笑みに、佑暉は「まさか」と息を呑んだ。声を潜め、玲音に言った。


「もしかして、例のやつですか? すみません。僕、今、持ち合わせがなくて……」


なんも盗れへんわ!」


 てっきり、喝上げ目的で追尾していたのかと思いきや、そういうわけでもないらしい。だとしたら、ますます辻褄が合わない。


「あの……僕に何か用事ですか」


「お前、どのへんに住んでんの?」


「え……?」


 間近から見つめられ、佑暉は押し黙った。


 もしや、連れて行けという意味だろうか。それなら、正美に許可を貰う必要がありそうだ。成り行きで連れて行って、迷惑がられないだろうか。夕刻間際は宿泊客に提供する夕餉の準備などで、仲居たちが忙しく走り回るし、正美も客の接待でこの時間はてんてこ舞いのはずだ。


「観光客向けの旅亭なんです。なので、宿泊以外の目的でお客さんを呼ぶ場合は、女将さ……経営者に連絡する決まりなんです。だから……」


 佑暉が事実を説明しようとしたところを、玲音の低い声が遮った。


「は? お前、旅館に住んでんのか」


 その問いに、佑暉はどんな反応を示されるのかと内心怯えながら、短く答えた。


「……はい」


 しかし途端に、玲音は目を見開いて、さながら小さい子のように目を輝かせながら、佑暉に詰め寄った。


「それ、ほんまに言ってる? ばりええやん! ますます気に入ったわ、連れて行けや」


 相手の興味の定義がよくわからず、腑に落ちない部分もあったが、とりあえず正美に事情を話してみようと、佑暉はその場で了承した。順を追って説明すれば、聞き入れてくれるはずだという、過去一年間で得た彼女の性質を信じ、玲音を連れていくことにした。


 京都の旅亭「ふたまつ」の責任者を担う正美は、「おもてなしの心」を何よりも重んじている。それは江戸後期の創業以来、先祖代々連綿と受け継がれてきた家訓でもある。そこに、前経営者であった夫の遺言も絡んでいるのか、相手が泊り客ではないとしても、最高級のおもてなしをさせる。それが自分の娘の友人であっても、宅配業者であっても、根本的な精神は同じだ。


 佑暉が初めて「ふたまつ」の暖簾をくぐった日も、彼女は他の客の接待に駆け回りながらも、彼を温かく迎え入れてくれた。それが正美の「やり方」であり、「心づかい」なのだ。


 帰る手前、連れ合いがいることを前もって伝えておくために、佑暉は旅館に電話をかけた。しかし、なかなか繋がる気配がない。受付や帳場にいるならすぐに出るのだが、受話器の近くに誰もいないか、あるいは厨房にいるか、買い物に出ている可能性も一応は考えられる。


 佑暉は観念して電話を切り、玲音の方を向いた。


「今は旅館に連絡がつかないから、もう少し待っていてほしい」ということを言おうとしたのだが、どこを向いても彼の姿がない。慌ててぐるっと周りを見渡してみても、会社帰りの人や大きなキャリーバッグを引いた人々が、四条通に沿って歩いているだけだ。


 あれほどしつこく纏わりついていたのに、気がつけば、玲音は忽然と姿を消してしまった。「旅館についていきたい」と言うので、連絡はつかなかったものの電話までかけたのに、彼はやはり、ただ自分を弄びたかっただけなのか。そう思うと、佑暉はやや憤慨した。

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