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来たりし春の都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 葵の契約
13/29

詰問

 四条駅から地上に出ると、正面から眩い光が射していた。すでに午後三時を回っていた。


 四条通を歩くと、傾き始めた太陽に照らされ、徐々に首筋に汗が滲んでくる。四月上旬とはいえ、午後の日差しは強く、朝から飲まず食わずのために疲弊していたこともあって、佑暉は軽く目眩を催した。


 当初は、駅までの道中、どこかで昼食をとってから向かおうとも思ったが、任務は配布物を届けることであり、すぐに終わるだろうと結論づけ、佑暉は何も食べずに相宗家に向かった。あらかじめ旅館には電話を入れ、帰りが遅くなることを伝えたが、その時は昼食のことは話さなかった。


 嵯峨嵐山まで電車を乗り継いで、午後二時過ぎ、相宗美鈴の家を訪ねた。美鈴の母親に案内されながら、佑暉は彼女の父親のことを考えた。亡くなったことは聞かされたが、詳しい経緯については、聞けなかった。あまり他家庭の事情に踏み込むべきではない、ということが経験上、彼を踏み止まらせたのだ。


 封筒を母親に手渡した後、三階の美鈴の部屋の前に行き、ドア越しに声をかけたが、やはり返事はなく、特に進展もなかった。ドアの向こうには誰もいないんじゃないかと思うくらい、ひっそりと静まり返り、そばのガラス窓から射し入る午後の淡い日光が、薄橙の板張りの床を照らしているだけだった。


 佑暉は諦めてその場を離れ、階下に降りると、母親に頭を下げた。そして相宗家を後にし、そのまま電車で四条まで戻った。


 花見小路通の前を通りかかった時、佑暉はあることに思い至り、足を止めた。右手の通りを入ってすぐの一角に、「祇園茶屋」がある。歌舞練場も兼ねた茶屋で、サキも芸者として、そこへ通っている。通例なら、今日も彼女は来ているはずだった。


 佑暉は、何かに誘われるようにして、花見小路通に足を踏み入れた。


 しかし……と考え直して、再度、佑暉は静止する。思い返すと、今日は色々なことがあって、彼の心は歩くことも億劫になるくらい、憔悴している。サキは聡く賢いから、多分、佑暉の心は丸裸にされるに違いない。


 今日は会わない方がいいな、そう思って、佑暉が茶屋へと目を向けたその瞬間、彼としては忌避すべき光景が目に飛び込んだ。


 高校生と思われる三人組の少年が、茶屋の前を占領するように座り込んで、話をしている。それだけでなく、有ろう事か煙草を吸っていたのだ。


 軒下で薄暗く、顔はよく見えないが、下校時に絡まれた三人とは違うようだ。茶屋の軒下では、三人の周辺を白い煙が渦巻き、彼らが息を吹きかけるごとに、空中に霧散する。


 突如、果てしない嫌悪感が佑暉の胸に押し寄せ、激しく波打った。神聖な場所を荒らされた気がしたのだ。佑暉が足繁く通い、サキが舞台に上がる日には、座席がいっぱいになることもある。彼と同じように、彼女の踊りを目当てに来る客もいる。


 二階建てのどこにでもある小さい茶屋だが、その古臭さが却って人々に歴史を伝えている。その一角だけを切り取ってタイムスリップしたみたいに、ここだけが時間を止めたような風情を感じられる。


 そんな神聖なる場所の近くに、傲然と腰を下ろして喫煙するなど、もっての外である。不良たちの非礼を目の当たりにした佑暉が、憤りを感じたのは言うまでもない。


 ただ、これを注意するにしても、それ相応の勇気が必要になる。昼間のように開き直られては、今度は何をされるかわかったものではない。それでも、サキが大切にしている場所を荒らされるのは嫌だった。


 悩みあぐねた挙句、少しずつ歩を前に進めて、三人との距離を縮めた。一メートルほど近くまで来た時、佑暉の存在を相手も認識したのか、中央の一人が、顔をこちらに向けた。


 彼と目が合って佑暉は当惑したが、これを契機だとして、注意を試みた。


「あ、あの……ここで煙草を吸わないでください。出入りする人が、困るので……」


「お前、この店の常連か」


「いえ、違います」


 何故、そんな嘘をついてしまったのか、自分にもわからなかったが、必要以上の詮索を迫られるのを嫌った側面もある。


 屋根の影に覆われ、相手の顔はよく見えないが、ぼんやりと浮かぶ輪郭の中に、佑暉と同じ四条高校の制服を着ていることは確認できた。


「どうせ偽善者やろ、佇まいでわかるわ」


 中央の不良が、吐き捨てるように言った。


「……偽善者、ってどういうことですか?」


 佑暉が小さく問うと、佑暉に対して「偽善者」と口にした不良は、こう言った。


「立場の弱い人間を注意することで悦に浸る、偽善者の常套手段や」


 それを聞いて、佑暉は、


「違います」


 と咄嗟に否定したが、先の言葉が続かない。視線を下に落とし、拳を握りしめて、どうにか絞り出そうと言いよどんだ。


「僕は、その……、ここは、神聖な場所なので……」


「じゃあ、やっぱり常連客なんか?」


 そう問われ、思わず、「はい」と答えた。


「妹が、舞妓をしていて……」


「へえ」


 中央の不良がむくりと立ち上がり、軒下の日陰から姿を現した。西から射す強い光が、彼の頭を照らし、短くカットされた髪をオレンジに染め上げる。もともと染めていることは安易に想像できるが、いっそう明るく、陽気な印象を与えるには十分だった。


 顔はどちらかといえば童顔だが、目許は凛々しく、口は引き締まっていて、少しも抜け目のない、精悍さを備えた少年だった。


 狡猾そうな眼を光らせながら、彼は佑暉のところへ歩み寄ってくるなり、近くから彼の顔をまじまじと眺め始める。佑暉は条件反射的に、上半身を後ろへ反らせ、彼を見つめ返した。


 無表情だが、物珍しげに佑暉の顔を眺め回す瞳は、澄明だった。それが、敵を殺しても表情一つ変えない兵隊のように、残忍さを湛えているようも見えた。逆らえば命はない、と脅しにかかってきているようなその眼差しに、佑暉は射竦められ、覚悟を決めた。


 殴られる……そんなことばかりが、脳内をいたずらに駆け回る。しかし、そんな佑暉の懸念とは裏腹に、ぽつりと眼前の少年は言葉を発した。


「お前、河口やろ?」


 次の瞬間、佑暉は目を見開き、言葉を失った。肩から全身の力が抜けたように、後退りすることすら、発想の外だった。


「どうして……それを……?」


「有名人やん、お前」


 不良は屈託なく笑うと、白い歯を覗かせた。そして、かすかに後ろの二人の方を振り向き、目で何やら合図のようなものを送った。それを受け取った二人が、少年の両脇を通過して佑暉のもとに歩いてくる。佑暉が状況を掴みそこねているうちに、瞬く間に後ろ側に回り込まれてしまった。


 三方を包囲された佑暉は、逃げ場を失った。


「ちょっと付き合ってくれや」


 と、目の前の不良が笑ったと思うと、佑暉は両側の二人に腕を掴まれた。そして息つく暇もなく、強制連行されたのだった。


 茶屋の裏手にある、細い路地に連れ込まれ、板張りの壁に押しつけられた。不良学生三人に取り囲まれ、佑暉の頬を冷たい汗が伝う。


 二人に指示を出した栗色の髪の少年が、佑暉の目の前に立った。彼は持っていた吸いかけの煙草を、自分の足許に落とし、靴底で火を揉み消した。彼がこのグループのリーダーなのか、佑暉を強引にここへ連れてきた二人は、その後ろに控えるように立っている。


 白い煙がゆらゆらと立ち昇り、佑暉と彼らの間で、行き先に惑うように滞留している。焦げつくような匂いが路地裏全域に広がり、これから何が始まるのかと、佑暉は混乱した。必死に冷静になろうと、声を殺してゆっくりと尋ねた。


「な、なんですか……?」


 自分が苦言を呈したことによって、彼らの機嫌を損ねたということは、特段考えを巡らせずとも、大凡は理解していた。ここはひとまず謝るほかに道はない、と佑暉は、定まらない思考の中、その場しのぎの答えを導き出した。


「すみません。怒らせるつもりじゃなかったんです。だから……んひゃっ」


 突然、握り拳が視界をかすめたかと思うと、それがちょうど顔の横あたりの壁に激突し、音高く響いた。


「……黙れや」


 少年が佑暉の顎に手を添え、ぐっと持ち上げた。さらに、その童顔をまた、佑暉に近づけてきた。額同士がくっつくかというところまで押しつけてきて、佑暉の目をじっと見つめる。


「なかなかええ面しとるやんけ」


 少年は顔を離し、やや後ろに退いて距離を開けたので、佑暉は精神的に幾分楽になった。とはいうものの、彼がおかれた状況は、依然として変わっていない。


「河口、訊きたいことがあんねんけど」


 少年は佑暉の目に焦点を合わせたまま、本題に入る。彼の仲間と思われる二人も、その後ろから、しかつめらしい面持ちで佑暉を見ている。そこで佑暉は、自分に危害を加えるつもりはないのかもしれないと、ようやく思うことができた。


「お前さ、相宗美鈴って知ってるやろ?」


 その名前を彼が知っている理由、また、何故それを自分に問うてくるのか、当然ながら佑暉には、何もかも理解が追いつかない。佑暉は、美鈴の家に足を運んだ時のことを思い出した。


 佑暉が頷くと、眼前の少年は続けた。


「あいつがなんで不登校になったか、お前、知ってる?」


「知らないです」


「あいつ、関東出身やねん。それが原因で虐められてたらしい。俺ら、その虐めてたっていうやつを探してる」


「どうして、ですか」


「うん、まあ、制裁っていうやつやな。個人的に、そういう輩は排除せんと気が済まんねん。お前がそいつのこと、何か知ってたら聞こうと思ってんけど、知らんねんやったら、ええわ」


 彼は佑暉から離れ、花見小路通に出ようと歩いていった。しかし数歩先で再び立ち止まり、佑暉の方を振り返る。


「河口、お前も学校で有名になってるぞ。イキりたいだけのヤンキーどもが多いからな。何かされたら、相談でもしてくれ。場合によったら、そいつら全員ぶっ飛ばしたる。俺は堀垣ほりがき玲音れおん。三年一組。まあ、教室に居らへんこと多いけど。そん時はまあ、伝言とかでもええぞ」


「堀垣玲音」と名乗る少年は、無邪気にも見える笑いを浮かべ、親指を立てる。


 最後に、「怖がらせてごめんな」と言い添え、仲間と一緒に路地から姿を消した。


 現状、彼らが敵なのか味方なのか、佑暉にはうまく判別できない。ただ、得難い相談相手を得たことは、嬉しい事実に他ならなかった。

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