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来たりし春の都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 葵の契約
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不良たち

 佑暉は一人、閑散とした昇降口で運動靴に履き替え、校舎の外に出た。盛りを過ぎた桜の木の枝々から新緑が覗き、麗らかな風にそよいでいる。その並木道を西にまっすぐ抜けると、大和大路通に面した正門がある。


 その門前に、三人の生徒が屯していた。どっかりと地べたに腰を下ろす者、スクールバッグを椅子代わりにしている者、立ったまま門に背を預けている者……暇を持て余しているのか、気怠そうな姿勢で、閑談している。


 いずれも髪を明るく染め、日光を受けて、耳朶が光っている。おそらくピアスか何かだろう、と佑暉は踏んだ。どこから見ても、素行の悪い不良生徒であることは、明々白々である。


 正直、佑暉は関わりたくなかったが、コンクリート塀と門扉との隙間を彼らが塞いでおり、進路妨害となっている。躊躇いがちに、佑暉は歩度を落とす。


「そいつ、どんな感じやったん?」


「親が離婚してたらしい。まだ連絡はしてるっぽいけど」


「それはうざい」


 佑暉のことが見えていないように、彼らは話に熱中している。


 できれば近寄りたくなかったが、生徒の通用門はここにしかない。正門を抜けないと帰路につくことすらできないので、少し警戒しながら、佑暉は門に近づいた。


 その時、ふと、三人のうちの一人と目が合う。昨日、カフェで友人に待ちぼうけを食らわされていた、あの男だった。


「よう」


 佑暉の顔を見て、相手も思い出したように、片手を挙げた。


「誰? 知り合い?」


 隣にいた、仲間と思われる男が、怪訝そうに尋ねた。佑暉は下を向き、あまり彼らを見ないように努めた。すると、男子たちの会話が耳に入ってくる。


「昨日、喫茶店の中でちょっと喋ってな」


「へえ」


 三人の視線が、一斉に注がれるのがわかった。肩が震え、次第に心拍数が上がってくるように苦しい。深い沼に足場を捉えられたように、足が動かなかった。


「おい、河口」


 一人が、佑暉の名を呼んだ。


 佑暉は慌てて顔を上げる。何故、自分の名前が知られているのかということより、いきなり呼ばれたことに驚いた。あるいは、何かしらの反応を示さないと詰られる、という防衛的本能だったかもしれない。


 通り道を塞いでいた男が、突然、ぬっと立ち上がった。佑暉より背が高く、金に染めた前髪を逆立てている。よく少年漫画などで描かれる不良を、そのまま現実世界に落とし込んだような風采だ。


 どうやら、このグループの首領らしく、両眼は猛禽のごとく輝き、体格は筋骨隆々として、制服は着崩している。その風体には、「番長」の貫禄がうかがえる。


 相手の威圧的な風貌に怯み、佑暉は、半歩後退した。ただ、ここで逃げてしまうと笑い種にされる、という恐怖が、彼の自尊心を修復し、再び彼を一歩前に踏み出させた。


 どこかへ一時退却し、彼らが去るのを待つのは簡単だ。しかし、これから美鈴の家に配布物を届けなくてはいけないし、あまり遅くなりすぎると、正美たちを心配させてしまう。


 意を決して、佑暉は目の前の男にこう言った。


「あの、そこを、どいてもらっていいですか」


「は?」


 男は殺気立った目で、佑暉を見下ろしてくる。それでも、怯んではだめだと自分を鼓舞し、佑暉は続けた。


「ここ、通用門ですし、居座られると正直、邪魔です。お話するなら、他のところでやってくれると助かります」


 何が彼をこんなにも雄弁にさせているのか、佑暉自身にもわからなかった。ただ、他の生徒から見ても、迷惑極まりない行為であるのは間違いない。


 佑暉の言葉を聞いて、相手は首をひねった。口端を歪めて眉根を寄せ、笑っているのか怒っているのか、判然としない顔つきになる。


 そして、いきなり佑暉のネクタイを掴み、手前に引き寄せた。


「生意気なやつやな」


 巨大な手が突然視界を覆い、一瞬だけ浮遊した感覚が襲ったかと思うと、背中に軽い衝撃が走った。気がつくと、佑暉は、男の前に尻餅をついていた。いつの間にか、仲間の二人も立ち上がり、強圧的な視線で彼を見ている。


 佑暉を投げ飛ばした男は、今度は足で彼を押し倒すと、そのまま胸を踏みつけた。他の二人も面白がるように、佑暉の腕や腿、手を土足で嬉々として踏みつける。


 鈍い痛みとともに迫ってくるのは、抑えがたい恐怖心だった。快晴の空を、綿飴のような雲が流れていく――。その穏やかな背景に、悪意を隠そうともしない、薄笑いを浮かべた三つの顔が覗く。そこには、昨日、親しげに声をかけてきた男の顔もある。


 佑暉は、あのカフェでの会話を思い返した。誰が朝の教室に忍び込み、掲示板の隅に落書きをしたのか、それまで見当もつかないでいたが、佑暉の心に、一つの可能性が浮上する。


「あなたたちですか、僕の教室に、あんなことを書いたのは」


「何の話やねん」


 主犯格の男が、より足に力を込め始めたので、佑暉は「むぅ」と呻いた。


「こら、何してんねん!」


 遠くからでもよく通る男性の声が、校舎の方角から響いてきた。と思うと、アスファルトを駆ける音が激しさを増しながら、少しずつ近くなってくる。すると、不良たちが一斉に彼から足を離し、三人の顔が視界から消えた。


 三人分の靴音が、慌てふためいたように、大和大路通の方向へと段々に小さくなっていく。やばい、一人がそんなことを呟いたように聞こえた。


 佑暉はこの状況がわからず、仰向けに寝転んだままだった。数秒後、駆けつけてきた誰かに抱き起こされた。「大丈夫か」と声をかけられ、我に返った。その人は、佑暉の前に回り込み、服やズボンについた泥を優しい手つきで払った。昨年、彼が所属していたクラスの学級担任、吉沢徹平であった。


 特殊な事情で入学した佑暉を、常に気遣い、テストで欠点を取ってしまった時などは、補習の代わりに同級生の誰かに勉強をみてもらえるよう、提案してくれたりもした。佑暉にとっては、高校生活における、恩人とも言うべき存在だった。感謝という言葉では言い表せないくらい、彼は吉沢に恩義を感じているのだ。


 そんな吉沢が助けてくれたことで、また借りを作ってしまった。佑暉はそう思うと同時に、もしも先生が近くを通らなかったら……という想像をして、怖気を震った。


 ――やっぱり、すごい先生だ。


 吉沢が言うには、職員室に戻る途中、廊下の窓から、正門付近の様子をそれとなく窺った。すると一人の生徒が、他の複数の生徒に囲まれていた。それを見て危機を察し、外に出てみると案の定、佑暉が不良たちに踏んづけられていたとのことだった。


 佑暉は「ありがとうございました」と吉沢に頭を下げ、校外へ出た。吉沢は佑暉に向けて、


「気をつけて帰れよ」


 と、優しく声をかけた。佑暉は振り返って、もう一度会釈をし、駅を目指して歩き始めた。

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