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来たりし春の都街  作者: 橘樹 啓人
第一章 葵の契約
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春の暗雲

 佑暉は早退することなく、いつも通り学校の授業に参加した。落書きのことはなるべく早く忘れるようにと努め、その半日の活動を終えた。


 終礼の挨拶の後、佑暉は大西に呼ばれ、今朝の落書きの件について、「心当たりはないか」と訊かれた。佑暉は、「ない」と返答した。実際にないのだから、この反応は当然である。


 教室内が閑散とし始めた頃、二人のそばに学級委員の智弘が来て、「掲示板の落書きを消す」と言ってきた。大西も、困惑しつつ承諾し、皆で消すことにした。


 大西はさらに、これから帰宅せんとしていた蓮を、「詳しい話が聞きたいから」と引き止め、ついでに彼にも手伝わせた。そうして、消毒用エタノールや調理室から借りてきた洗剤を駆使しつつ、四人で除去作業をした。


 蓮は今日、朝一番に教室に来た。部活動などは特にしていないが、毎朝、まだ校内が森閑としている時間に登校するらしい。その慣例に漏れず、今朝もいの一番に校内に入って、廊下を歩いていると、自分たちの教室に、他の生徒が入っていくのが見えた。学年までははっきりとわからないが、三人いるようだった。


 彼らは教室を後にすると、逃げるようにして走り去っていった。蓮は教室の前に立って、彼らの背中を見送っていた。三人は蓮に気づく素振りも見せず、廊下の角を曲がって消えた。


 蓮が教室に入ってみると、特に変わった様子はなく、普段通りだった。落書きに気づいたのは、その後で登校してきた生徒が見つけた時だった。


 雑巾やティッシュにエタノールを染み込ませ、それで丁寧に擦りながら、蓮は語った。油性ペンで書かれていたので、完全に消し去るのに難儀した。


「う〜ん、誰がそんなことしたのかな……」


 大西の疑問に対し、蓮は冷静な口調のまま、難なく答えた。


「多分、三年のヤンキーどもでしょうね」


「え? でも、この学校ってたしか、偏差値もすごく高くて、難関大学の合格率も非常に高いって聞いたよ?」


「数年前まではそうでしたけど、今は違います。うちの学年はまだマシなんですが、ひとつ上なんて、偏差値四十ぐらいでしょう」


「まあ、馬水君ったら。冗談でしょ?」


「マジっす」


「ねえ、なんでそうなったの?」


「暴力団の陰謀っすよ」


 何も知らない新任教師は、絶句し、しばし口を噤んだ。蓮の話を理解しているのかいないのか、佑暉にはわかりかねた。


「先生も気をつけてください、このへんは特に治安悪いから」


 蓮は、顔を大西に向けると、少々冗談めかしたような微笑を浮かべた。


「髪染めたりピアス開けたりしてるやつらなんかは、まだ甘いですよ。最近はどいつも、やりたい放題ですからね。うかうかしてると、若い女教員なんか、一発で骨抜きですよ」


 よく見れば、蓮も暖色の髪を持ち、傍から見ても、それが生得のものではないということが見て取れる。


 大西の表情が、一瞬にして凍りつくように強張るのを見て、


「おい、あんまり脅かすなよ、馬水」


 と、智弘が注意した。


「すんません」


 彼も、学級委員長としての矜持があるのか、ちらりと大西の顔色をうかがい、謝った。


「でも、ほんまに気をつけてください。特に今の三年には。マジでやばいんで。何かあってからじゃ、遅いんです」


 早速、洋々たる責任感を発揮する智弘を前に、大西もわずかに頬を火照らせて頷いた。佑暉も、そんな彼の包容的な態度に、改めて感服した。


 帰るさ、佑暉はまた大西に呼び止められた。彼女は眉を下げ、何か迷っているようである。


「どうしたんですか」と彼が先に尋ねると、言いにくそうに、彼女は口を開いた。


 要は、今日も佑暉に、「相宗美鈴」の家宅に封筒を届けてほしい、というのである。


「しんどかったら、今日は先生が行くけど……」


 彼を慮ってのことなのだろうが、くじ引きで決まったのだから自分が行くしかない、と律儀な佑暉は、そう考えていた。


「いえ、大丈夫です。僕が行きます」


 殊勝に答え、学級通信やら保護者会のお知らせのチラシやらが封入された大判の茶封筒を、受け取った。智弘も佑暉に、「困ったことがあったら、いつでも言ってな。俺、学級委員やし」と言った。


 改めて、自分は恵まれているなと思いつつ、佑暉は智弘を見つめて、深く頷いた。


 智弘は、これから卓球部の練習に行くらしく、一階に降りてすぐ別れた。蓮は、佑暉が引き止められている間に音も立てず帰ったのか、すでに教室からいなくなっていた。

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